旧十輪院宝蔵

東京都台東区上野公園の中に旧十輪院宝蔵があります。
旧十輪院宝蔵は東京国立博物館、法隆寺宝物館前にあります。奈良・十輪院の宝蔵であったものです。桁行1間、梁間1間、校倉(あぜくら)、宝形造り、本瓦葺きの小さな宝蔵ですが、昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。
旧十輪院宝蔵は奈良・元興寺の別院、十輪院から明治15年(1882)にここに移築されました。鎌倉時代の前期に造られた宝蔵で、一間四方の小さな校倉に、大般若経が納められていた経蔵でした。
十輪院の開基とされる朝野魚養の筆になる大般若経六百巻(天平時代)が納められていたそうです。大般若経は明治の廃仏毀釈のとき奈良・薬師寺の所有となり、その後、奈良国立博物館、藤田美術館などにも分蔵されました。「魚養経」といわれ、一部は国宝に指定されています。
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旧因州池田屋敷表門

東京都台東区上野公園にある旧因州池田屋敷表門です。
旧因州池田屋敷表門は大名小路(現在の丸の内3丁目)にあった因州(鳥取県)32万石池田藩の江戸屋敷表門です。明治24年(1891)に芝高輪台の東宮御所の正門として移建され、高松宮家に引き継がれました。昭和29年(1954)に現在の国立博物館正門の西に移されました。
創建の年代は明らかではありませんが、江戸末期の建築と推定されています。入母屋造り、総本瓦葺き、1重の長屋門で、左右に唐破風造りの番所を備えています。両出番所は10万石以上の大名にだけ許される格式のある構えで、大名屋敷門の堂々とした姿を見せています。
東京大学にある赤門に対してこちらは黒門とも呼ばれています。東京国立博物館の屋外展示のひとつとなっていて、昭和26年(1951)に国の重要文化財に指定されています。
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国立博物館表慶館

東京都台東区上野公園にある国立博物館の表慶館です。
東京国立博物館の表慶館は明治42年(1909)、東宮皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の成婚を祝う目的で開館しました。設計は宮廷建築家の片山東熊(とうくま)です。昭和53年(1978)に国の重要文化財に指定されています。
石造り及び煉瓦造り、2階建、銅板葺きで、建築面積は2049.4平方mです。ネオ・バロック様式の建物で、中央と南北両端にドームがあり、中央のドームは吹き抜け、南北のドームの下は階段室になっています。中央ホールのモザイクタイルを張った床は見応えがあります。
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東京国立博物館本館

東京都台東区上野公園にある東京国立博物館本館です。
東京国立博物館の本館は旧東京帝室博物館本館として平成13年(2001)に国の重要文化財に指定されています。昭和12年(1937)に完成し、現在も現役で博物館の顔になっています。
鉄骨鉄筋コンクリート造り、2階建、地下2階、正面玄関ポーチ付、本瓦葺きで建築面積は6601.8平方mと大きな建物です。中庭を2つ設けた日の字型平面で、正面中央前方に車寄を張り出しています。和風を基調としていて、意匠の完成度が高く、昭和初期の日本近代建築の完成された形で高い価値があります。
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東京
東京国立博物館

東京都台東区上野公園にある東京国立博物館です。
明治5年(1872)、湯島聖堂で文部省博物局による最初の博覧会が開催され、これを契機に博物館が創立されました。明治14年(1881)には上野公園内にジョサイア・コンドル設計の博物館が建設され、翌年、付属動物園(現上野動物園)とともにオープンしました。
明治22年(1889)に帝国博物館と改称し、総長に九鬼隆一、美術部長に岡倉天心が就任しました。明治33年(1900)には東京帝室博物館と改称され、明治42年(1909)には大正天皇のご成婚を記念して表慶館が開館しました。ネオ・バロックの様式で重要文化財に指定されています。
大正12年(1923)に起きた関東大震災で旧本館は大破し、翌年まで休館になり、その後も表慶館のみで再開されました。昭和12年(1937)、旧東京帝室博物館本館が再建されました。懸賞で募集し、一等になった渡辺仁案を原案として、 宮内省内匠寮が設計したものです。
昭和22年(1947)には宮内省から文部省に移管され、国立博物館と改称し、昭和27年(1952)には現在の名称である東京国立博物館となりました。現在は本館、表慶館、 東洋館、平成館、法隆寺宝物館の5つの展示館と資料館がメインになっています。
東京国立博物館には11万件以上収蔵品があり、国宝91件、重要文化財600件以上という日本を代表するものが数多く含まれています。 日本と東洋の美術・工芸品などを中心に展示しています。収蔵品の数は日本最大規模を誇っています。
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東京都立恩賜上野動物園

東京都台東区上野公園にある東京都立恩賜上野動物園です。
明治15年(1882)に開園された日本初の日本一の動物園です。総面積13万平方mという広大な園内に400種以上2000頭以上の動物を飼育しています。
パンダのいる動物園として有名です。雄の「リーリー(力力)」と、雌の「シンシン(真真)」は平成23年(2011)4月に公開されました。東園のゴリラとトラのすむ森も人気です。自然のままの状態で、のびのびと過ごしている姿が見られます。
西園と東園があり、上野駅公園口から入るとすぐが東園です。ここにはゾウ、ゴリラ、パンダ、サル山など、人気のある動物がそろっています。
西園の方にはアフリカの動物のカバやシマウマ、キリンなどがいます。仲良し広場や子ども動物園などがあります。
東園から西園に行くにはモノレールが便利です。旧寛永寺の五重塔がきれいに見えます。
上野動物園は博物館(現東京国立博物館)の付属施設として造られたようですが、今や年間300万人が訪れる人気スポットになっています。
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大仏山

東京都台東区上野公園にある大仏山です。
かつて大仏が建立されていたこの地は大仏山と呼ばれています。寛永8年(1631)の初代大仏は、正保4年(1647)の地震で倒壊。万治年間(1660頃)に青銅製の2代目大仏が建立され、元禄年間(1690 頃)には大仏殿も完成しました。 今はミャンマー、ビルマ形式の仏塔パゴダが建っています。
上野の大仏は関東大震災でも 被災し頚部が崩れ、頭が落ちてしまいました。顔だけが長く寛永寺に保存されていました。関東大震災50回忌となった昭和47年(1972)に 、お身体のあった所にパゴダが建てられ、顔だけ戻りました。
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不忍池

東京都台東区上野公園にある不忍池です。
上野恩賜公園の南側に位置する周囲約2kmの池です。東京湾の名残りで、周囲が埋め立てられて現在の形となりました。弁天橋より北側は上野動物園の敷地内で、水上動物園として利用されています。
不忍通りから半円を描くように囲まれた部分はボート池と呼ばれ、貸ボートがあります。弁天橋より南にある浮島には寛永寺弁天堂が建っていて、「蓮池」と呼ばれるほど、池一面にハスが生い茂っています。
天海僧正が吉野山より江戸時代に移植したことで始まった「上野の桜」は3月下旬から4月上旬にかけて上野の山や不忍池畔で咲き乱れます。
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清水観音堂

東京都台東区上野公園にある清水観音堂です。
清水観音堂は寛永8年(1631)に京都の清水寺を模し摺鉢山の上に創建され、元禄7年(1694)に現在地へ移転した建物です。堂宇は桁行5軒、梁間4間、単層懸造り(かけづくり)、本瓦葺きです。昭和21年(1946)国の重要文化財に指定されています。
江戸時代に不忍池に臨む観音堂の舞台造りは浮世絵に競って描かれました。清水観音堂に通ずる坂は「清水坂」といわれています。坂の名はその堂の名前に由来しています。
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西郷隆盛銅像

西郷隆盛の銅像は上野公園内にあります。西郷隆盛は慶応2年(1866)の薩長連合密約から王政復古クーデターに活躍、明治4年(1871)出仕して参議に就任し廃藩置県にたずさわりました。岩倉遣外使節団出発後、留守政府の責任者となりますが、朝鮮派遣の征韓論争、明治6年(1873)の政変で下野し、西南戦争で敗れ、鹿児島の城山で自決しました。
銅像は明治31年(1898)に完成しました。高村光雲が西郷像を、後藤貞行が犬の像を制作したそうです。日本で最初の「除幕式」の際、西郷未亡人が夫に似ていないと言ったことが話題になりました。
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上野恩賜公園

東京都台東区上野公園にある上野恩賜公園です。
上野恩賜公園は都内だけでなく、日本でも有数の都市公園です。ここは江戸城の丑寅(北東)の方角にあたり鬼門を封じるため家康の意志を汲んだ三代将軍家光が寛永寺を建てたのが始まりです。
この公園には東京都立恩賜上野動物園、寛永寺・東京国立博物館、東京都美術館、東京文化会館、上野の森美術館、国立西洋美術館、国立科学博物館などの文化・芸術が集合しています。
江戸時代末期、15代将軍徳川慶喜の一橋藩主時代の側近家来であった小川興郷たちは、慶応4年(1868)大政奉還して上野寛永寺に蟄居した慶喜の助命嘆願のために同志を募りました。
明治3年(1870)、医学校と病院を建設するため、焼け野原だった上野の山を視察した蘭医ボードウィンは、公園として残すよう日本政府に働きかけました。その結果、明治6年(1873)ここが日本で初めての公園として指定されました。ボードウィンは、上野公園生みの親と称されています。
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自由学園明日館

東京都豊島区西池袋にある自由学園明日館です。
池袋駅前のメトロポリタンの近くに自由学園明日館があります。中央棟、東教室棟、西教室棟、講堂が平成9年(1997)に国の重要文化財に指定されています。自由学園は婦人之友の創立者である羽仁吉一、もと子夫妻が大正10年(1921)に創立した学校です。
明日館の設計は帝国ホテル設計のため来日していたフランク・ロイド・ライトの手によるものです。ライトの助手の遠藤新が知人の羽仁夫妻をライトに引きあわせ、実現したそうです。遠藤自身も講堂などの設計をしています。
キリスト教精神に基づいた理想教育の理念に、ライトは感動し、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という夫妻の希望を基調とした建物を造ったのです。
昭和9年(1934)に自由学園は東久留米市に移転しました。自由学園明日館は昔の昔の校舎跡ですが、今も結婚式やミニコンサートなどに使われています。
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とげぬき地蔵(高岩寺)

東京都豊島区巣鴨にあるとげぬき地蔵(高岩寺)です。
「とげぬき地蔵」は巣鴨にある曹洞宗のお寺です。正式には、萬頂山高岩寺(こうがんじ)といいます。本尊は地蔵菩薩(延命地蔵)です。とげぬき地蔵の通称で親しみを持って呼ばれ、多くの熱心な信者を持っています。
高岩寺は慶長元年(1596)神田明神下同朋町(現在の外神田二丁目)に建立されました。 明暦3年(1657)明暦の大火で、下谷(現在の岩倉高校のある場所)に移転し明治24年(1891)現在の巣鴨の地に移転したそうです。
正徳5年(1715)毛利家の御殿女中が、折れた針を誤って飲み込んでしまい、おおいに苦しみました。西順という僧が、霊験あらたなる地蔵尊の御影があると御影一枚を水で飲ませたそうです。
しばらくすると女中は腹中のものを吐き、その中に御影があったそうです。水で洗ってみると、四分ばかりの針が御影を貫いて出ていたというのです。この評判は江戸市中に広がりました。
高岩寺の延命地蔵に祈願すればもろもろの病気のトゲが抜けると庶民の信仰を集めたそうです。
本尊は秘仏の延命地蔵菩薩ですが行列をして祈願しているのは、境内にある石像の観音菩薩像です。
本堂は昭和32年(1957)に建立された鉄筋コンクリート造りの建物で、設計は東北大学教授の横山秀哉です。平成21年(2009)、国の登録有形文化財に登録されました。
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六義園

東京都文京区本駒込にある六義園です。
六義園は元禄15年(1702)五代将軍徳川綱吉のお側用人だった柳沢吉保が7年もの歳月をかけて築園しました。
六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映した、繊細で温和な日本庭園です。小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられています。
庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」の詩の六義、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来します。
約2万7千坪の敷地の中にさまざまな景勝を取り込んだ日本式の回遊式山水庭園です。中之島を有する大泉水を樹林が取り囲み、紀州和歌の浦の景勝や和歌に詠まれた名勝の景観が八十八境として映し出されています。
六義園は大和郡山藩柳沢家の下屋敷として明治維新を迎えました。明治になり三菱創設者の岩崎弥太郎の別邸となり、昭和13年(1938)に東京市に寄付され一般公開されました。昭和28年(1953)に国の特別名勝に指定されました。
六義園にはシダレザクラがあります。高さ13m、幅17mでエドヒガンという品種から変化したものです。50年以上たっています。枝いっぱいに見事な花を咲かせた薄紅色の滝のような姿は圧巻です。
六義園は躑躅(つつじ)の花が特に有名です。地元では「駒込と言えばツツジの花の咲く街」と謳われるような象徴的な存在となっています。また庭園入口近くにある枝垂桜も名木として有名です。この枝垂桜の最盛期と紅葉の最盛期にはライトアップされます。
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旧古河庭園

東京都北区西ケ原にある旧古河庭園です。
旧古河庭園は銅山王と呼ばれた古河市兵衛の旧宅にあり、国の名勝に指定されています。和風庭園と西洋庭園が同居する和洋折衷の珍しい庭園です。洋風庭園と和風庭園は、それぞれ設計者が異なっているのです。旧古河庭園は国の名勝に指定されています。
洋館と洋風庭園の設計者は、英国人ジョサイア・コンドル博士です。博士は明治から大正にかけて日本に住み、鹿鳴館や旧帝国博物館など数十件の設計を手がけ、わが国建築界の発展に多大の貢献をしました。
洋館は英国貴族の邸宅にならった古典様式で、天然スレートぶきレンガ造り、外壁は真鶴産の赤味をおびた小松石(安山岩)でおおわれています。
一方、和風庭園は、京都の著名な庭師、植治こと小川治兵衛が作りました。この庭園は、明治の元勲、陸奥宗光の邸宅でした。宗光の次男が古河財閥の養子となったため古河家所有になりました。そして第2次大戦後に国のものとなったそうです。
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旧三河島汚水処分場喞筒場施設

東京都荒川区荒川にある旧三河島汚水処分場喞筒場施設です。
旧三河島汚水処分場喞筒(ポンプ)場は大正11年(1922)に造られました。設立当初から稼働した赤いレンガ造りの喞筒室は、水再生センターのシンボル的な施設でしたが、平成11年(1999)、別系統のポンプ施設に切り替えられました。
三河島水再生センターは、主に東京都の荒川区と台東区の汚水を再生させる、東京都下水道局の下水処理施設です。平成19年(2007)、センター内の旧喞筒場(ポンプじょう)施設が、下水道分野の遺構としては初めて建造物として国の重要文化財に指定されました。
阻水扉室(そすいひしつ)、沈砂池(ちんさち)及び濾格(ろかく)室、濾格(ろかく)室上屋、量水器室及び喞筒(ポンプ)室暗渠(あんきょ)、喞筒(ポンプ)室の他、附指定でヴェンチュリーメーター、土運車(どうんしゃ)引揚(ひきあげ)装置用電動機室、変圧器冷却水用井戸喞筒小屋、門衛所などが認定されました。
三河島下水処理施設の上には、土を盛って作られた人工施設の区立公園「荒川自然公園」があります。スポーツ施設や、芝生公園、野草園などがあります。
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亀戸天満宮

東京都江東区亀戸にある亀戸天満宮です。
昔は東宰府天満宮、本所宰府天満宮、亀戸天満宮は「亀戸の天神さま」「亀戸天満宮」として親しまれています。明治6年(1873)に東京府社となり亀戸神社となり昭和11年(1936)からは亀戸天神社としています。
祭神は菅原道真で、大宰府天満宮で神官をつとめていた菅原信祐が霊夢を見て全国に社殿建立の志を立て諸国を巡り、寛文元年(1661)に江戸へ到着、本所亀戸村にあった小祠に神像をまつったのが起源とされています。
徳川4代将軍家綱が土地を寄進し、寛文2年(1662)大宰府天満宮に模して社殿・楼門・回廊などが建てられたそうです。
境内には一本の樹に紅梅と白梅が咲く有名な「五賢の梅」があります。横には5歳の菅公の銅像があります。
「美しや 紅の色なる 梅の花
あこが顔にも つけたくぞある」
という歌が書かれています。
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柴又帝釈天(題経寺)

柴又帝釈天は寛永6年(1629)、日忠上人が開いたといわれる日蓮宗のお寺です。正式な名称は経栄山題経寺といいます。日蓮上人自刻の帝釈天板本尊を祀ることから「柴又帝釈天」と呼ばれています。
題経寺の中興の祖とされているのが9世の亨貞院日敬(こうていいんにっきょう)という僧でした。板本尊は長年行方不明でしたが、安永8年(1799)本堂再建の際に発見され、この日が庚申の日だったため、以来庚申の日を縁日の日にしたそうです。
天明3年(1783)、日敬は自ら板本尊を背負って江戸の町を歩き、天明の大飢饉に苦しむ人々に拝ませました。すると不思議な効験があったため、柴又帝釈天への信仰が広まっていったそうです。
映画「男はつらいよ」シリーズで渥美清演じる主人公・車寅次郎(寅さん)ゆかりの寺として毎回登場したことから全国的に有名になりました。
境内には、「瑞龍の松」や寅さんが産湯をつかったといわれる御神水、そのかたわらには、浄行菩薩があります。また、回廊式の庭園・邃溪園も人気を集めています。
駅前から帝釈天まで続く約200m程の参道の、団子屋や土産物屋、煎餅屋などが並ぶ下町の商店街は、大勢の人でにぎわっています。
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柴又帝釈天(題経寺)
柴又帝釈天は寛永6年(1629)、日忠上人が開いたといわれる日蓮宗のお寺です。正式な名称は経栄山題経寺といいます。日蓮上人自刻の帝釈天板本尊を祀ることから「柴又帝釈天」と呼ばれています。
題経寺の中興の祖とされているのが9世の亨貞院日敬(こうていいんにっきょう)という僧でした。板本尊は長年行方不明でしたが、安永8年(1799)本堂再建の際に発見され、この日が庚申の日だったため、以来庚申の日を縁日の日にしたそうです。
天明3年(1783)、日敬は自ら板本尊を背負って江戸の町を歩き、天明の大飢饉に苦しむ人々に拝ませました。すると不思議な効験があったため、柴又帝釈天への信仰が広まっていったそうです。
映画「男はつらいよ」シリーズで渥美清演じる主人公・車寅次郎(寅さん)ゆかりの寺として毎回登場したことから全国的に有名になりました。
境内には、「瑞龍の松」や寅さんが産湯をつかったといわれる御神水、そのかたわらには、浄行菩薩があります。また、回廊式の庭園・邃溪園も人気を集めています。
駅前から帝釈天まで続く約200m程の参道の、団子屋や土産物屋、煎餅屋などが並ぶ下町の商店街は、大勢の人でにぎわっています。
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天明3年(1783)、日敬は自ら板本尊を背負って江戸の町を歩き、天明の大飢饉に苦しむ人々に拝ませました。すると不思議な効験があったため、柴又帝釈天への信仰が広まっていったそうです。
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