明治学院記念館

東京都港区白金台に明治学院記念館があります。
明治学院記念館は島崎籐村が在学中の明治23年(1890)に建造された赤レンガ造りのシックな建物です。当時アメリカで流行したネオゴシック様式で、当初は、神学部の教室、教授室、図書館として使用され、現在は、1階は小チャペル、学院牧師室、2階は明治学院歴史資料館などになっています。昭和54年(1979)に東京都港区の有形文化財に指定されています。
島崎藤村が小説「桜の実の熟する時」の中で、「・・新しく構内に出来た赤煉瓦の建物は、一部は神学部の教室で、一部は学校の図書館に成っていた。まだペンキの香のする階段を上って行って二階の部屋へ出ると、そこに沢山並べた書架がある。一段高いところに書籍の掛りも居る。…書架で囲はれた明るい窓のところには小さな机が置いてある。そこへも捨吉は好きな書籍を借りて行って腰掛けた・・」 と書いています。
2階建ての煉瓦造りで、一部木造の床面積516平方mあり、屋根は銅板一文字葺きです。明治27年(1894)6月の大地震で大破しました。尖塔は大正3年(1914)のサンダム舘の火災時に類焼して改造されたものです。大正12年(1923)の関東大震災では煉瓦の大煙突が崩壊しました。昭和41年(1966)国道1号線(桜田通り)の道路拡張のため、現在地に移動復元されました。
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明治学院チャペル(礼拝堂)

東京都港区白金台にある明治学院のチャペル(礼拝堂)です。
明治学院チャペル(礼拝堂)は大正5年(1916)に日本に数多くの建物を残したW.Mヴォーリズの設計により建てられました。ヴォーリズ自身もここで結婚式を挙げたそうです。平成元年(1989)に東京都港区の有形文化財に指定されています。
チャペル(礼拝堂)は明治学院のキリスト教主義教育のシンボルとして、当初から同じ場所に立ち続けています。中央に尖塔がある2階建ての煉瓦造り(一部鉄筋コンクリート造り)で延床面積は553.61平方mです。昭和41年(1966)には、ドイツ・ヴァルカー社製作のパイプオルガンが設置され、平成21年(2009)にはオランダのファン=エーケン氏に発注した新オルガンが荘重な響きを伝えています。
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明治学院インブリー館

東京都港区白金台にある明治学院のインブリー館です。
旧宣教師館のインブリー館は平成10年(1998)に国の重要文化財に指定されました。洋風住宅の特徴を最も良く示す宣教師館として貴重な建物です。
島崎藤村が小説「桜の実の熟する時」の中で、「・・向ふの講堂の前から敷地つづきの庭へかけて三棟並んだ西洋館はいづれも捨吉が教を受ける亜米利加人の教授達の住居だ。白いスカアトを涼しい風に吹かせながら庭を歩いて居る先生方の奥さんも見える・・」と書いています。
インブリー館はウィリアム・インブリー(William Imbrie 1845-1928)博士が長く住んでいたことから名付けられています。明治22年(1889)頃の建物で、木造、瓦葺きの2階建てで、建坪は1、2階とも延371.5平方mです。
建築様式は1870年代アメリカで流行した木造住宅様式です。大正3年(1914)の火災により屋根と外壁の一部が類焼しました。昭和39年(1964)に東京オリンピックにともなう国道1号線の拡幅で現在地に曵き屋され、平成9年(1997)に修復が完成しています。
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明治学院大学

東京都港区白金台にある明治学院大学です。
桜田通りに面した明治学院大学は日本最古のミッションスクール(キリスト教主義学校)です。ヘボン式ローマ字の考案者として有名なアメリカ人宣教師ヘボンが創立した学校を前身としています。
明治学院にはインブリー館、チャペル(礼拝堂)、明治学院記念館などがあり、いずれも平成14年(2002)に東京都港区の「景観上重要な歴史的建造物等」に指定されています。
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芝東照宮

東京都港区芝公園にある芝東照宮です。
芝東照宮は、日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ4大東照宮の1つとされています。祭神は徳川家康で、神体は徳川家康寿像です。この像は家康が慶長6年(1601)の還暦の時に自らの像を刻んだものと言い伝えられています。
芝東照宮は、増上寺境内に勧請されました。増上寺は、天正18年(1590)家康の江戸入府の時に徳川家の菩提寺に定められ、慶長3年(1598)江戸城拡張工事の際、日比谷から現在地に移りました。以後、関東の浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を誇りました。
芝東照宮はこの時は「安国殿」と呼ばれていました。寛永10年(1633)3代将軍家光により新社殿が造営され、旧社殿は開山堂となり、寛永18年(1641)には移転改築がなされ、惣門、拝殿、唐門、透塀が造営された豪華な社殿になりました。
明治初期の神仏分離令により、安国殿は増上寺から切り離されて、芝東照宮となり、本殿は大正4年(1915)には旧国宝に指定されました。しかし昭和20年(1945)5月25日の東京大空襲で「寿像」と神木のイチョウを残し、灰燼に帰しました。
昭和38年(1963)に寿像が東京都の重要文化財に指定され、昭和44年(1969)8月に、復興奉賛会により現在の社殿が再建されています。
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慶應義塾大学三田演説館

東京都港区三田にある慶應義塾大学三田演説館です。
福沢諭吉が創設した慶応義塾大学は安政5年(1858)に豊前(大分県)中津藩藩邸の長屋で始まりました。 現在、三田演説館は春秋2回の三田演説会のほかウェーランド経済書講述記念講演会などの会場として使用されています。
明冶6年(1873)、福沢を中心に門下生数名が西洋のスピーチ(演説)、ディベート(討論)の法を研究し「演説」というものがわが国で生まれました。翌年には第1回の演説会をが開かれ、明治8年(1875)には三田演説館が建てられました。
当初は現在の図書館旧館と塾監局との中間に建てられていましたが、大正13年(1924)に現在の場所に移築されています。 その後、昭和22年(1947)5月の修復、平成7年(1995)解体修復が施され、平成9年(1997)4月から現在の姿となっています。
三田演説館は床面積58坪(192.16平方m)で、木造寄棟造り、瓦葺き、洋風、なまこ壁、一部2階建てで総坪数は付属の建物と合わせて87.9坪(290.34平方m)です。
アメリカからいろいろな会堂の図面を取り寄せ、それらを参考にして千数百円を投じて造られたそうです。昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されました。
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勝・西郷会見の碑

東京都港区芝に勝・西郷会見の碑があります。
都営地下鉄浅草線三田駅からすぐの三菱自動車本社前に「勝・西郷会見の碑」があります。江戸時代には薩摩藩蔵屋敷があった場所です。
江戸城総攻撃を目前にした慶応4年(1868)に東征軍参謀の西郷隆盛と徳川幕府の陸軍総裁の勝海舟との会見が行われました。
江戸城の無血開城と徳川慶喜の水戸隠退が約束され、江戸を兵火から救ったとされています。上屋敷は鳥羽伏見の戦いの原因になった薩摩藩邸焼き討ちのため前の年に焼失していたため、蔵屋敷が使われたそうです。
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青山墓地

東京都港区南青山に青山墓地があります。
青山の地名の由来でもある青山忠成の屋敷地の大部分が、現在では青山墓地となっ ています。明治5年(1872)に社寺などに帰属しない共同墓地第一号として作られました。
大久保利通、尾崎紅葉、国木田独歩、後藤新平、乃木希典、北里柴三郎、犬養毅、斎藤茂吉、吉田茂、志賀直哉などが眠っています。敷地内には政治家や作家など、著名人の墓も多く、12万人以上が埋葬されています。
忠犬ハチ公の碑もありました。霊園内には樹齢50年以上という桜もあり、春には桜見がてら散策する人も見られます。
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清正井

東京都渋谷区代々木神園町の明治神宮にある清正井です。
清正井は加藤清正が掘ったと伝えられている井戸です。この井戸はいまでも泉が湧く、都内有数の名泉です。そのあふれた水が菖蒲田を通って南池に流れ込み、せせらぎとなって南参道の神橋の下を流れます。
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明治神宮

東京都渋谷区代々木神園町にある明治神宮です。
明治神宮は大正9年(1920)11月1日に創建されました。明治天皇とそのお后である昭憲皇太后がお隠れになり、明治神宮の創建となりました。
ここは肥後熊本藩主加藤忠広(加藤清正の子)の屋敷でした。今でも清正の井戸が残っています。改易にあい彦根藩井伊家の下屋敷となりました。、
維新後皇室の南豊島御料地になりました。22万坪の境内には全国から献木された12万本の木が育っています。
天皇はここで
「うつせみの 代々木の里は しずかにて 都のほかの ここちこそすれ」
と詠まれたそうです。
鳥居の先の左手に若木があります。その先には御料地以来の菖蒲田があり6月にはたくさんの人で賑わいます。
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円融寺梵鐘

東京都目黒区碑文谷にある円融寺の梵鐘です。
円融寺の梵鐘は寛永20年(1643)に飯田善兵衛宗次によって鋳造されました。国の重要美術品に認定されています。
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円融寺仁王門

東京都目黒区碑文谷にある円融寺の仁王門です。
円融寺の仁王門は室町時代の建立で、3間1戸、8脚、入母屋造り、茅葺きです。門の左右に安置されている木造金剛力士(仁王)像は永禄2年(1559)の作で高さ2mあります。東京都指定有形文化財で江戸時代は「碑文谷仁王」と呼ばれ広く信仰を集めたそうです。
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円融寺釈迦堂

東京都目黒区碑文谷にある円融寺の釈迦堂です。
円融寺の釈迦堂は東京都内では国宝の正福寺地蔵堂につぐ室町時代の古い建物です。3間4面、単層入母屋造り、銅板葺きで、唐様建築に和様を取り入れた様式です。明治44年(1911)に国の重要文化財に指定されています。
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円融寺

東京都目黒区碑文谷にある円融寺です。
経王山円融寺は、区内では目黒不動につぐ古い天台宗のお寺です。仁寿3年(853)に慈覚大師が創建したと伝えられ、妙光山法服寺という天台宗のお寺だったそうです。弘安6年(1283)に日蓮の弟子・日源により、日蓮宗に改宗し、妙光山法華寺と改称しました。
一時は朱印19石、寺坊18、末寺75という江戸近郊第一の名刹といわれましたが、不受不施派の宗論が幕府の忌諱にふれ弾圧されました。改宗を余儀なくされ、元禄11年(1698)再び天台宗のお寺になりました。
天保5年(1834)に現在の経王山円融寺と改めています。不受不施派とは、法華経信者以外からは施しを受けず、与えずという一派で、日蓮宗本山の久遠寺とも対立し、江戸幕府からも弾圧されました。
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早稲田大学大隈重信像

東京都新宿区戸塚町の早稲田大学にある大隈重信像です。
現在早稲田キャンパス中央にある大隈重信銅像は昭和7年(1932)、創立50周年に際し、大隈と親交のあった朝倉文夫氏が造ったものです。昭和62年(1987)、この大隈重信像は新宿区の指定有形文化財(彫刻)となっています。
大隈重信は天保9年(1838)に肥前国佐賀藩の藩士(砲術師範)の子として生まれました。海外の思想・文化・教育に精通し、語学堪能であったため、明治政府で外国事務局判事、参議兼大蔵卿の要職を歴任、外務大臣の後、第8代総理大臣になりました。第17代総理大臣にもなり大正5年(1916)の辞任の時の年齢は78歳と6ヶ月でした。この最高齢記録は今だ破られていないそうです。
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早稲田大学大隈講堂

東京都新宿区戸塚町にある早稲田大学の中の大隈講堂です。
大隈講堂は、正式には「21号館 大隈記念講堂」とも呼ばれています。早稲田大学を象徴する講堂で、平成19年(2007)、国の重要文化財に指定されました。大正11年(1922)、創立者の大隈重信が亡くなり記念講堂の建設が発案されました。
昭和2年(1927)、鉄骨鉄筋コンクリート造りの地上3階、地下1階の大隈講堂が完成しました。1123席の大講堂と301席の小講堂があり、シンボルの時計塔は、大隈重信が唱えた人生125歳説にちなんで125尺(38m)となっています。設計者は佐藤功一、佐藤武夫、構造設計者は内藤多仲です。建築面積は1225.95平方mで戸田組(現・戸田建設)が施行しました。
インドのネール首相、フィリピンのアキノ大統領、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮者、ビル・クリントン米大統領、金泳三韓国大統領、江沢民、胡錦濤中国国家主席などがこの講堂で講演しています。
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早稲田大学

東京都新宿区戸塚町にある早稲田大学です。
早稲田大学は、東京専門学校を前身とする私立大学で、明治35年(1902)に早稲田大学と改称しました。明治15年(1882)、大隈重信が盟友の小野梓と立憲改進党を立ち上げ、この年に「学門の独立」の精神を基として東京専門学校を開設したのでした。
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学習院旧正門

東京都新宿区戸山にある学習院旧正門です。
学習院旧正門は明治10年(1877)に神田錦町の学習院正門として建てられました。明治19年(1886)の火災で校舎が焼失し、学習院が移転した後は、 各所を転々としました。
昭和3年(1928)に目白の学習院本院に戻り、昭和24年(1949)に現在地へ移されました。現在は学習院女子短期大学と学習院女子中・高等科の正門となっています。
鋳鉄製柱門で左右に脇門、袖壁があります。昭和48年(1973)に国の重要文化財に指定されています。埼玉県川口市において製作された和洋折衷型のめずらしい門です。
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新宿御苑旧御涼亭(台湾閣)

東京都新宿区内藤町にある新宿御苑の中にある旧御涼亭(台湾閣)です。
旧御涼亭(台湾閣)は皇太子(後の昭和天皇)の御成婚記念として昭和2年(1927)に建てられました。昭和20年(1945)5月の空襲で新宿御苑は壊滅的打撃をうけましたが、この旧御凉亭と旧洋館御休所だけが被害を免れました。
木造平屋建て、本瓦葺きで、台湾在住邦人の有志が寄付をつどり、元台湾総督府の建築家であった森山松之助が設計、横溝豊吉らが施工し贈られたそうです。
清朝中期以降の台湾で用いられた建築様式(中国南方のピン南建築様式)の建物で、東京都選定歴史的建造物に指定されています。
御休息所には平面形状に卍形のモチーフが見られ、柱には台湾杉が使われ、天井の鏡板に台湾篇泊や台湾絵などがあるという日本では数少ない本格的中国の建築技法で建てられています。
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新宿御苑旧洋館御休所

東京都新宿区内藤町にある新宿御苑の中に旧洋館御休所があります。
新宿御苑の中にある旧洋館御休所は天皇や皇族の休憩所として明治29年(1896)に建てられた洋風木造建築です。480.1平方mの大きさがあり、木造平屋建て、スレート葺き及び鉄板葺きで、宮内省内匠寮が設計したそうです。
この建物は、温室を訪れる皇族の御休所として建設され、 明治・大正期の皇室関係の庭園休憩施設として唯一の遺構となっています。1860年代から1890年代にかけてアメリカで流行したスティック・スタイルを基調とした、 現在では数少ない洋風木造建築物です。
大正年間には新宿御苑の西洋庭園が9ホールのゴルフコースとしても利用されたそうです。この御休所も模様替えされてクラブハウスになったそうです。
昭和20年(1945)5月の空襲で新宿御苑は壊滅的打撃をうけましたが、この旧洋館御休所は無事でした。戦後、新宿御苑管理事務所として平成6年(1994)まで利用され、 その後保存改修工事が行われました。旧洋館御休所は平成13年(2001)に国の重要文化財に指定されています。
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新宿御苑

東京都新宿区内藤町にある新宿御苑です。
新宿御苑は面積58万1000平方mという広大な国営公園です。ここは江戸時代、信州高遠藩の内藤家の下屋敷があったところです。御苑には国の重要文化財に指定されている旧洋館御休所などの文化財もあります。
天正18年(1590)、豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康は江戸城に入城しました。その際、譜代の家臣であった内藤清成にこの地を与えました。東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及んだそうです。
内藤氏7代の清枚は元禄4年(1691)に3万3千石の信州高遠城主となりました。ここの内藤家の屋敷地は石高に比べてあまりにも過分であったため、その後かなりの部分を幕府に返上しましたが、明治5年(1872)にはまだ10万坪以上が残されていたそうです。
明治5年(1872)、政府は内藤家から上納された土地と買収した隣接地を合わせた58.3ヘクタールの敷地に、我が国の近代農業振興を目的とする「内藤新宿試験場」を設置しました。ここでは欧米の技術や品種を含めた果樹・野菜の栽培、養蚕、牧畜などの研究が幅広く行われました。
その後、明治12年(1879)には皇室の御料地、宮内省所管の農園の「新宿植物御苑」となりました。御苑が現在のような庭園に改築されたのは、明治34年(1901)からだそうです。日露戦争の戦勝祝いに使われ、それ以来、皇室の庭園として、春秋の観桜会、観菊会などに使われたそうです。
昭和24年(1949)、わが国唯一の国営の有料公園として一般に開放されました。広大な苑内には、西側に日本庭園があります。明治39年(1906)にはフランスのベルサイユ園芸学校教授のアンリ・マルチーネの設計した洋式庭園が造園されました。
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東京都庁

東京都新宿区西新宿にある東京都庁です。
東京都庁は高さ243m、48階建ての超高層ビルです。平日は都民情報ルームで、東京の観光・スポーツなどの情報検索が簡単にでき、防災センターや都議会議事堂を無料で見学することもできます。都庁の駐車場もあります。都内では破格の低料金で身障者は無料です。
双塔状、ゴシック調の新庁舎は昭和63年(1988)着工され、平成3年(1991)3月9日に落成しました。総工費は1569億円だそうです。日本を代表する建築家丹下健三の代表作のひとつです。
東京を一望できる地上202mの展望室からは晴れていれば房総半島や富士山も見ることができる絶景スポットです。しかも無料です。
南西方向には新宿パークタワー、東京オペラシティなどが見えます。北展望台と南展望台と2つの展望台があり、どちらからも、新宿新都心が見渡せます。
年末年始などを除き、どの曜日もどちらかの展望台かが必ず夜の11時まで開いています。南と北のエレベーターは別々になっています。
都庁は新宿の高層ビルの中でも一番高いビルで、東京都の行政の中心です。東京観光情報センターがあるので、東京観光の資料や情報もここで手に入ります。
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築地場外市場

東京都中央区築地には築地場外市場があります。
築地市場は魚介類や青果類を扱う東京都の卸売り市場です。場外市場では一般の人も買物ができます。鮮魚や乾物、野菜、肉、鳥、卵など生鮮食料品全般を扱い、東京都や近県の台所となっています。
有名立ち食いラーメン店や厚揚げ玉子焼きの人気店、焼き海苔の専門店、本場の寿司店など、外国人観光客も押しよせています。
築地市場の水産物の取扱量は我が国最大級を誇るそうです。青果も都内では第2位の取扱いだそうです。200m四方の広さに、鮮魚店・青果店・飲食店など約330軒がひしめきあい、威勢のよい掛け声が飛び交っています。
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築地本願寺

東京都中央区築地にある築地本願寺です。
築地本願寺は京都の西本願寺の東京別院です。正式には「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」といい、元和3年(1617)、西本願寺の別院として、東日本橋に建立されました。
明暦の大火(振袖火事)で焼失、その後、旧地への再建が許されず、代替地として八丁堀沖の海上に許可がおりたそうです。そこで佃島の人が中心になり本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き、延宝7年(1679)に再建、「築地御坊」と呼ばれるようになりました。
築地という地名はこの埋め立てからきています。現在の古代インド様式(天竺様式)の伽藍は当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部教授・伊東忠太による設計です。昭和9年(1934)に完成しています。
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銀座

東京都中央区にある銀座です。
中央区銀座には老舗のデパートや専門店が集中しています。銀座和光は、宝飾品や時計、ハンドバッグ、服飾品、ルームアクセサリー、食品などの高級品を取り扱う専門店です。時計塔の建物は銀座4丁目のシンボルとして昔から親しまれています。かつては時計台は10カ所ありましたが関東大震災によって壊れ、和光の時計台のみとなっています。
慶長8年(1603)、江戸に幕府を 開いた徳川家康は、それまで駿府(静岡)にあった銀貨鋳造所を現在の銀座2丁目に移転させました。これが銀座の起こりです。新両替町から銀座という町名に変わったのはは明治2年(1869)です。、明治10年(1877)には国策によってレンガ街が誕生します。このレンガ街を明治政府はビジネス街にしようとしたのです。
銀座通りに日本初の街路樹が植えられたのは明治7年(1874)でした。銀座は元々、埋立地のため根腐れをおこさない柳が植えられるようになり風に揺れる風情のある緑がやがて銀座のシンボルとなり、歌や詩歌にも登場するほどになりました。
数多くの百貨店やビルの合間に老舗の洋食店などが佇む銀座です。高級ブランドショップがひしめくとともに、伝統文化が今も息づいています。
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