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妙本寺番神堂 

妙本寺番神堂
 岡山県加賀郡吉備中央町北に妙本寺番神堂があります。
 妙本寺番神堂は三十番神を祀るため、鎮守堂とも呼ばれています。三十番神は、1日交代で仏を守る30人の神のことをいいます。弘安4年(1281)に卜部兼倶の寄進により京都の工匠たちの手で建立されました。当初は重層の入母屋造り、茅葺きでしたが荒廃時期に大破したそうです。その後、天正11年(1583)に再建されました。
 幕末に改修され、屋根は宝型造りとなっていましたが、平成元年(1989)から3年かけて解体修理を行い、従前の入母屋造りに復しています。昭和2年(1927)に国の重要文化財に指定されています。
 妙本寺番神堂はそれほど大きくはありませんが、柿葺きの一間社流造りで正面に唐破風造りの向拝を付けています。彫刻と粉彩に装飾され、細部に優れた桃山芸術の粋を集めています。

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妙本寺 

妙本寺
 岡山県加賀郡吉備中央町北に妙本寺があります。
 具足山妙本寺は日蓮宗のお寺で、「西身延(にしみのぶ)」と呼ばれ西国布教の拠点となっていました。平成25年(2013)に日蓮宗から「西国弘通最初の法華道場」として宗門史跡の指定を受けています。
 野山庄の領主であった伊達弾正朝義(ともよし)が弘安4年(1281)に創建したといわれています。朝義は鎌倉の武士でしたが、龍ノ口法難を目の当たりにし日蓮に帰依したため左遷されてこの地の地頭として赴任したそうです。
 龍ノ口法難とは「立正安国論」を著して鎌倉幕府に呈上した日蓮を捕らえ斬首しようとした事件です。文永8年(1272)、あわや斬首の瞬間、江ノ島の方から満月のような光ものが飛んできて、首斬り役人は目がくらんで倒れ、斬首の刑が中止となったということです。
 京都妙顕寺2世の大覚大僧正は妙本寺に長くとどまり、三備(備前・備中・備後)・美作の各地はもとより、西国に布教を広げ、備前法華といわれる基礎を築きました。

 南北朝から戦国時代にかけて兵火などで伽藍は荒れ、衰退しました。明応5年(1496)、妙本寺7世の日具は卜部兼倶(うらべかねとも)と三十番神問答をしました。答釈に感嘆した兼倶は番神堂を寄進したそうです。これが国の重要文化財に指定されています。
 卜部兼倶は吉田兼倶ともいい、唯一神道の吉田神道を創始し、足利義政の知遇を受けました。神祇伯(じんぎはく)白川家と対抗して神職界に勢力を伸ばし、全国の神社を支配するほど勢威を振るったといわれています。
 妙本寺は寺全域が史跡として吉備中央町の重要文化財に指定されています。本堂と、妙本寺墳墓遺跡として出土壷37個が岡山県の重要文化財に指定されています。

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井山宝福寺と雪舟 

井山宝福寺と雪舟
  岡山県総社市井尻野に井山宝福寺があります。
 井山宝福寺の方丈の前には幼い雪舟の像があります。水墨画の巨匠・雪舟が少年時代にここで修行したといわれています。雪舟は応永27年(1420)、現在の総社市で生まれたそうです。
 絵の好きだった雪舟は修行中に絵ばかり描いて、いつも叱られていたそうです。腹に据えかねた住職が雪舟をこらしめようと 「方丈」の柱に、彼を縛り付けたそうです。
 住職が様子を見に入ってみると、縛られた雪舟の足元に一匹のねずみがいて足に噛みつこうとしていました。よくよく見ると雪舟が流した涙で足先で描いたねずみの絵だったのです。
 住職は画才を認め、そののち当時の日本の水墨画を代表する画家、周文のいる京都相国寺に修行に入り不動の名声を手に入れたのでした。

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井山宝福寺千尺井 

井山宝福寺千尺井
 岡山県総社市井尻野に井山宝福寺千尺井があります。
 千尺井というのは井山宝福寺の仏殿裏にある古い井戸です。鈍庵和尚が四條天皇の病気全快を祈って懸祈懸祷をすること7日、大音響とともに流星が落ちてきたそうです。それと同時に天皇の病いは平癒されたそうです。
 落星の地に井戸を掘り「千尺井」と名付けたそうです。「井山」という山号はこれより名付けられたそうです。

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井山宝福寺方丈 

井山宝福寺方丈
  岡山県総社市井尻野に井山宝福寺方丈があります。
 井山宝福寺の方丈は東西25m、南北16mあり、堂宇の中で一番大きい建物です。方丈は禅宗寺院において住持の居室を意味し、訪問客の接待や仏事法要など公式儀式に関する場としての性格を強く持っています。
また、宝福寺の方丈は雪舟のネズミの伝説を残したところです。しかし、天正3年(1575)の備中の兵乱の際、方丈は焼失し、雪舟が縛られたという柱は現存していません。その後、2度にわたって再建された建物が現在の方丈で、およそ230年前の建築だそうです。

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井山宝福寺仏殿 

井山宝福寺仏殿
  岡山県総社市井尻野に井山宝福寺仏殿があります。
  山門をくぐると、掃き清められた石畳をはさんで、一対の大杉がまっすぐに伸びています、その正面に、本堂にあたる仏殿があります。寺域の中心に位置して東に面して建てられています。
 仏殿は法堂(はっとう)といわれ、禅宗様式の意匠が典型的に示されています。方3間1重裳階(もこし)が付いていて本尊の虚空蔵菩薩を安置しています。享保12年(1727)に再建された堂宇で、漆喰の壁に丸い窓が印象的です。
 仏殿は重層入母屋造りのどっしりとした建物です。中の天井には鰲山筆と伝えられる「水呑の龍」の絵が描かれています。夜ごと絵から抜け出しては仏殿前の白蓮池の水を呑むと恐れられていたそうです。

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井山宝福寺山門 

井山宝福寺山門
 井山宝福寺の山門は明治時代後半に再建された建物です。6本柱の楼門で10段の石段の上に、東に面して建立しています。入母屋造りの桟瓦葺きで、上層は正面3間、側面2間とし、周囲に高欄付きの縁を廻らしています。

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井山宝福寺梵鐘 

井山宝福寺梵鐘
 井山宝福寺の梵鐘は青銅製で、総高115cm、口径59cmです。「新田庄内 寺見村 大檀那 祐長」の銘があり、応仁2年(1468)に鋳造されています。岡山県の重要文化財に指定されています。
 他の銘から、この梵鐘は熊山霊山寺に奉納されたものだった事がわかります。天正10年(1582)の高松城攻めの頃、羽柴秀吉は備中、備前のすべての寺院から鐘を徴発したそうです。あとで返されたときに別の熊山霊山寺の鐘が戻されたということです。

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井山宝福寺三重塔 

井山宝福寺三重塔
岡山県総社市井尻野に井山宝福寺三重塔があります。
 井山宝福寺の三重塔は弘長2年(1262)、時の鎌倉幕府の執権北条時頼が建立した室町中期の特色を有する代表的建造物と伝えられてきました。しかし、昭和42年(1967)に行った解体修理の際、永和2年(1376)の墨書銘が発見されました。このことにより三重塔は実際にはもう少し時代が下った南北朝時代の建築であることが判明しました。
 三重塔は、方三間の本瓦葺きで、総高18.4mの和洋を基本とした建築です。塔内一層には須弥壇を設け、大日如来と脇侍四天王を安置し天井には天女の絵が描かれているそうです。号山和尚という約250年前の人の筆によるものだそうです。
 井山宝福寺の三重塔は岡山県下では2番目に古い三重塔で、臨済宗のお寺の塔の建て方に準じ、仏殿の後方の小高い所に建てられています。昭和44年(1969)には解体修理が行われました。昭和2年(1927)に国宝になり、現在は国の重要文化財に指定されています。

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井山宝福寺 

井山宝福寺
 岡山県総社市井尻野に井山宝福寺があります。
 井山宝福寺は、臨済宗東福寺派の中本山で七堂伽藍が揃っている地方では珍しい巨刹で、雪舟が修行した寺としても有名です。創建の年代は不明ですが天台宗の僧・日輪によって開かれたといわれています。
 鎌倉時代の貞永元年(1232)に地元真壁郷出身の禅僧・鈍庵(どんあん)慧總によって臨済宗に改宗したそうです。当時の天皇であった四条天皇の病気が鈍庵の病気平癒の祈祷で平癒となったため勅願寺となり繁栄したそうです。
 一時は寺領3千石、末寺の数は300、山内の塔頭子院は55宇という中国地方屈指の大禅林となったそうです。しかし戦国時代に起こった備中兵乱のため、天正3年(1575)に堂のほとんどが灰燼に帰してしまいました。それでも三重塔と般若院だけは兵火を免れました。
 この三重塔は国宝に指定され、現在は国の重要文化財に指定されています。その後、井山宝福寺は荒廃しましたが、江戸時代初期に勢いを盛り返し、山門、仏殿、方丈、庫裏、禅堂、鐘楼、経蔵の禅宗様式七堂伽藍が再建されました。

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