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井上家住宅主屋

井上家住宅主屋
  岡山県倉敷市本町に井上家住宅主屋があります。
 井上家住宅主屋の居室部は本瓦葺きで、間口16.9m、奥行20.4mで2階建て、入母屋造りです。座敷部は間口11.4m、奥行6.9mで一部2階建て、入母屋造りです。親付き切子格子をもつ伝統的町屋造りで、2階外側の7つの倉敷窓(角柄窓)には防火用の土塗り扉がついています。平成14年(2002)に国の重要文化財に指定されました。

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井上家住宅

井上家住宅
  岡山県倉敷市本町に井上家住宅があります。
 井上家住宅は倉敷市倉敷川畔重要伝統的建造物群保存地区の本町通りにあります。本町通りは倉敷のなかでも昔ながらの雰囲気が色濃く残る町です。井上家住宅は、倉敷に現存する町家としては最古の建物で、平成14年(2002)に国の重要文化財に指定されました。
 井上家は、備中国宮崎村(現在の早島町)で新田開発に従事し、その後文禄年間(1592-1596)に倉敷に移住しました。寛永19年(1642)には村の年寄役になり、明治初めまで断続的に年寄役を務め続けました。
 江戸時代初期以来、倉敷代官所より町役場人に任命された特権的な商人や地主である古禄(ころく)派13派の一つを形成し、屋号「宮崎屋」を称しました。享保年間(1716-1736)には、酒屋・地主をかねた特権商人になっていました。母屋の建物は宝暦3年(1753)に改造されていますが、6代目当主が正徳年間(1711-1716)に建てたものと推定されているそうです。
 9代井上素堂(通称善右衛門)は、倉敷村の年寄役をつとめるかたわら、その子端木(はしき)とともに歌人としても知られています。素堂は「杜の下草」「泣岐抄」、端木は「鄙塵集」「塵塚」「鶴の画」などを著しました。

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大橋家住宅米蔵

大橋家住宅米蔵
 大橋家住宅の米蔵は寛政11年(1799)に建てられています。土蔵造りで、間口10.9m、奥行5.9m、2階建てで、切妻造り、本瓦葺きです。主屋の隣にあり、現在はギャラリーとして使用されています。昭和53年(1978)に主屋・長屋門・内蔵とともに国の重要文化財に指定されています。

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大橋家住宅主屋

大橋家住宅主屋
 岡山県倉敷市阿知に大橋家住宅主屋があります。
 大橋家住宅の主屋は間口13.4m、奥行19.2m、本瓦葺き、入母屋造りです。屋根裏に部屋と厨子(ずし)を設けた重層の建物が主体となり、東には平屋建ての座敷があります。間口4.8m、奥行6.6m、入母屋造りです。昭和53年(1978)に長屋門・米蔵・内蔵とともに国の重要文化財に指定されています。

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大橋家住宅

大橋家住宅
 岡山県倉敷市阿知に大橋家住宅があります。
 大橋家住宅は、寛政8年(1796)より寛政11年(1799)にかけて主要部分が建てられた長屋門のある住宅です。倉敷町屋の典型を示す代表的な建物で、主屋や長屋門・米蔵・内蔵の4棟が、昭和53年(1978)に国の重要文化財に指定されています。通常の町屋では許されない長屋門を構える格の高い建物です。
 大橋家は豊臣氏に仕える武士だったそうです。豊臣滅亡後、京都五条大橋のわきに隠れ住みんでいたので「大橋」氏を称するようになったといわれています。
 倉敷の中島で帰農し、宝永元年(1793)に現在の地に居を構え、代々中島屋平右衛門を名乗りました。質商のかたわら新田と塩田の開発で財を成し、大原家と共に新禄と呼ばれる新興勢力の大地主となりました。
 5代目当主平右衛門正直は、7歳で家督を継ぎ、明倫館の建設・運営、直島の塩田開発を行い、児島湾干拓に参加。天保・文久の凶作には蓄えていた食料を民衆に施し、幕府や藩に資金援助をしました。
 元治元年(1864)、下津井屋事件が起こりました。大橋敬之助(後の立石孫一郎)は大橋平右衛門の長女慶の婿養子で容疑者とされています。そして慶応2年(1866)、第二奇兵隊の脱走兵100名の首領格になり、倉敷代官所を襲撃したり、浅尾陣屋を襲撃しました。

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旧大原家住宅主屋

旧大原家住宅主屋
 岡山県倉敷市中央1に旧大原家住宅があります。
 現在の建物は寛政7年(1795)に着工し1年がかりで完成したものです。2200平方mの敷地に本瓦葺き、木造2階建、丁字形入母屋造りの大きな主屋が建てられています。間口14.4m、奥行16.8mで、間口13.4m、奥行6.6mの離座敷へ続いています。外壁は白漆喰仕上げで、倉敷窓、倉敷格子が付いています。。
 土蔵2階建、切妻、本瓦葺きの倉、新倉、中倉、北倉、壬子倉(みねぐら)、西倉があり、土蔵平屋建て、切妻、本瓦葺きの内中倉が建ち並んでいます。昭和46年(1971)に国の重要文化財に10棟が指定されています。

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旧大原家住宅

旧大原家住宅
 岡山県倉敷市中央1に旧大原家住宅があります。
 旧大原家住宅は大橋家住宅とともに、倉敷美観地区を代表する町屋の一つです。大原美術館の前の倉敷川に架かる今橋を渡ったところに位置しています。昭和46年(1971)に国の重要文化財に10棟が指定されています。
 倉敷では、旧来「古禄」と呼ばれる世襲の勢力が栄えていましたが、新田・塩田開発と倉敷川の水運の利を生かして「新禄」という商人の新興勢力が台頭しました。大原家は綿仲買商人として成功を収め、大橋家とともに新禄の筆頭格になったのです。
 大原家は文久年間(1861-1864)村の庄屋をつとめ、明治の中頃には所有する田畑は約800町歩という大地主となっていました。大原家は倉敷紡績や倉敷絹織(現・クラレ)を興し、病院や学校、美術館まで手を広げたのです。         

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中国銀行本町支店

中国銀行本町支店
 岡山市本町に中国銀行本町支店があります。
 大正8年(1919)倉敷銀行の頭取であった大原孫三郎は地方銀行との合併吸収を続け、倉敷の中心地であった本町通に、第一合同銀行と名前を改め本店改築を行ないました。正面に6本、側面に3本の付柱とドーム型のステンドグラス窓を持つルネサンス様式の建築です。

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加計美術館

加計美術館
 岡山県倉敷市中央1に加計美術館があります。
 平成14年(2002)、倉敷市美観地区にオープンした新しい美術館です。加計学園と高梁学園が運営しています。

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倉敷館

倉敷館
 岡山県倉敷市中央1に倉敷館があります。
文化庁の登録有形文化財に指定されている観光案内所です。大正5年(1916)に建てられました。中橋の所で川はくの字に曲がる、丁度その前にある木造洋館です。無料休憩所にもなっています。昔は倉敷町役場だったそうです。

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有隣荘

有隣荘
 岡山県倉敷市中央1の倉敷美観地区に有隣荘があります。
 有隣荘は旧大原邸です。昭和3年(1928)の建築物で、昭和天皇の倉敷訪問を記念して建てられた大原家の別邸です。大阪の泉州谷川の窯で、緑色に光って見える特別な製法で焼かれた瓦を葺いていることから「緑御殿」と呼ばれていたそうです。

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倉敷美観地区中橋

倉敷美観地区中橋
 岡山県倉敷市中央1に倉敷美観地区があります。
 倉敷美観地区の中心に中橋が架かっています。柳並木と中橋で風情があります。中橋は明治10年(1877)建造で橋桁が一枚石の太鼓橋です。

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倉敷美観地区

倉敷美観地区
 岡山県倉敷市中央1に倉敷美観地区があります。
 倉敷市の美観地区は、白壁と堀割の町並み、倉敷川の両岸に柳並木の続く趣豊かな町として全国に知られています。掘割に浮かぶ小舟や揺らぐ川面、悠々と泳ぐ鯉、懐かしい風景がここにはあるのです。
 倉敷は備中松山城の玄関港として、備中国内の天領から米や物資が集積して発展した町です。町割りは江戸時代の名残をとどめています。
 倉敷川沿いに土蔵が並ぶ一帯は昭和20年代から町並みの保存と修復が唱えられた町並み保存の先駆的な場所です。
 国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、倉敷美観地区と呼ばれています。川沿いに柳並木が続き、なまこ壁の土蔵群や本瓦葺きの町家が並ぶ観光の中心地となっています。
 倉敷で商いをつかさどっていたのは村役人や地主といった土地の権力者で「古禄 (ころく)商人」と呼ばれる人々でした。政・財を掌握し、富と繁栄を謳歌していました。
 江戸時代半ばを過ぎ、これに対抗する新たな勢力が台頭してきます。綿や干鰯(ほしか)の仲買で財をなし、倉敷に移住してきた「新禄(しんろく)商人」です。
 新禄派と古禄派はしばしば衝突し、寛政2年(1790)訴訟になり、新禄派が勝ちました。村役人の罷免と選挙制の導入を果たし、農村部の地位向上に大きく貢献したのです。
 現在美観地区に並ぶ蔵屋敷のほとんどは新禄派の家です。大原家の祖先「児島屋」もまた新禄派の商人だったのです。

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五流尊瀧院梵鐘

五流尊瀧院梵鐘
 岡山県倉敷市林に五流尊瀧院があります。
 五流尊瀧院の梵鐘は康正3年(1457)に鋳造されています。総高129.4cm、口径は70cmあります。釈元柔の発願という銘があります。龍頭は背が高く笠形はやや膨らみを持っています。口径に比べて鐘身が高いすらりとした鐘です。昭和49年(1974)に岡山県の重要文化財に指定されています。

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五流尊瀧院三重塔

五流尊瀧院三重塔
 岡山県倉敷市林に五流尊瀧院三重塔があります。
 五流尊瀧院の三重塔は文政3年(1820)に再建された塔ですが室町時代の古い様式を伝えています。方三間で本瓦葺き、高さは21.5mで、熊野神社境内南に建っています。隅木の先に銅製の風鐸を吊り、屋上には青銅製の相輪を立てています。
美しい軒は、初重と二重を二軒繁垂木に、三重を二軒扇垂木としています。組物は和様二手先で、各重には高欄が巡らされています。柱には欅材の円柱が用いられているそうです。心柱は二重でとめられ、初重内部には四天柱が立ち、内陣、外陣に分けられているそうです。昭和49年(1974)に「尊龍院他4カ院三重塔」として岡山県の重要文化財に指定されています。

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五流尊滝院宝塔

五流尊滝院宝塔
 岡山県倉敷市林に五流尊滝院宝塔があります。
 五流尊瀧院の石造宝塔は後鳥羽上皇御影塔と呼ばれています。花崗岩でできた大宝塔で、地盤からの高さは約5mあります。鳥羽上皇が隠岐で亡くなった後一周忌供養のため、仁治元年(1240)に冷泉宮頼仁親王と桜井宮覚仁親王が建立したといわれています。五流尊滝院宝塔として昭和31年(1956)に国の重要文化財に指定されています。

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五流尊瀧院

五流尊瀧院
 岡山県倉敷市林に五流尊瀧院があります。
 五流尊瀧院は天台修験系の一宗派である「修験道」の総本山です。熊野神社と接していて昔は神仏習合の形態でした。明治の神仏分離令により、五流尊瀧院は天台宗のお寺になり、十二社権現は熊野神社になりました。
 修験道の祖といわれる役小角が朝廷により伊豆大島に流され、弟子たちが各地を放浪し、役小角が赦免となった大宝元年(701)、現在の地に紀伊の熊野本宮の分霊を勧請したのが始まりです。
 役小角の弟子とされる義学、義玄、義真、寿玄、芳玄の5人が深く関わったとされ境内には、尊瀧院、大法院、建徳院、報恩院、伝法院が創建されました。山岳信仰の中心となり繁栄し、最盛期には60坊が境内に軒を連ねたと伝えられています。
 承久3年(1221)に承久の乱が勃発し、敗れた後鳥羽上皇は隠岐に流され、上皇の第4皇子である冷泉宮頼仁親王はここ児島に流されました。その後、親王は熊野神社と寺院を再興させています。頼仁親王の弟の桜井宮覚仁親王は尊瀧院の住職となり、公卿山伏といわれたそうです。
 室町時代になり応仁の乱が勃発し、応仁3年(1469)、細川勝元方に組した覚王院円海を中心とした兵火により灰燼に帰しました。その後、江戸時代の正保4年(1647)に岡山藩初代藩主池田光政によって社殿などが再建されました。
 神社の参道脇には五流尊瀧院の三重塔や梵鐘があり神仏習合の名残りがみえます。これらは岡山県の重要文化財に指定されています。また後鳥羽上皇御影塔は国の重要文化財に指定されています。

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熊野神社八尾羅宮

熊野神社八尾羅宮
 岡山県倉敷市林に熊野神社八尾羅宮があります。
 八尾羅宮(はっぴらぐう)は寛文7年(1667)岡山藩主池田光政が稲川長秀、西村伯明の奉行に命じ勧請建立し、その後再建された建物です。昔から商売繁盛、いじめ除けの神として信仰されていたようです。

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熊野神社第六殿

熊野神社第六殿
 岡山県倉敷市林に熊野神社第六殿があります。
 熊野神社第六殿は萬山護法宮と呼ばれ、熊野権現の鎮座する地を守る地主神を祀っています。正保4年(1647)に岡山藩主池田光政によって再建された建物です。一間社見世棚造り、檜皮葺きで6棟の一番右にある小さな建物です。昭和43年(1968)に岡山県の重要文化財に指定されています。

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熊野神社第五殿

熊野神社第五殿
 岡山県倉敷市林に熊野神社第五殿があります。
 熊野神社第五殿は正保4年(1647)に岡山藩主池田光政によって再建された建物です。彩色を施していない白木造りで、四間社流造りの檜皮葺きで第四殿の右にあります。昭和43年(1968)に岡山県の重要文化財に指定されています。

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熊野神社第四殿

熊野神社第四殿
 岡山県倉敷市林に熊野神社第四殿があります。
 熊野神社第四殿は正保4年(1647)に岡山藩主池田光政によって再建された建物です。彩色を施していない白木造りで、四間社流造りの檜皮葺きで第二殿の右にあります。昭和43年(1968)に岡山県の重要文化財に指定されています。

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熊野神社第三殿

熊野神社第三殿
 岡山県倉敷市林に熊野神社第三殿があります。
 熊野神社第三殿は正保4年(1647)に岡山藩主池田光政によって再建された建物です。彩色を施していない白木造りで、間口3間、奥行2間の入母屋造りです。檜皮葺きで6棟の一番左にあります。昭和43年(1968)に岡山県の重要文化財に指定されています。

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熊野神社第一殿

熊野神社第一殿
 岡山県倉敷市林に熊野神社第一殿があります。
  熊野神社第一殿は正保4年(1647)に岡山藩主池田光政によって再建された建物です。間口1間、奥行2間の春日造りの檜皮葺きで、第二殿の左側にあり形もよく似ています。昭和43年(1968)に岡山県の重要文化財に指定されています。

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熊野神社第二殿

熊野神社第二殿
 岡山県倉敷市林に熊野神社第二殿があります。
 熊野神社第二殿は6棟からなる本殿のうちほぼ中央に位置しています。明応元年(1492)に再建された建物で大正10年(1921)に国の重要文化財に指定されています。間口1間、奥行2間の隅木入春日造りです。
 第二殿は正面に1間の向拝が付いています。屋根は檜皮葺きで、棟に千木と堅魚木をのせています。全体に彩色が施されていて、柱、垂木、虹梁、破風などは丹塗りされ、虫害・腐食に強い工夫がなされています。比較的小さな本殿ですが、室町時代中期の建築様式をよく示しています。

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熊野神社

熊野神社
 岡山県倉敷市林に熊野神社があります。
 熊野神社は、正式には「日本第一熊野十二社権現宮」というそうです。五流尊瀧院と接していて昔はこれらのお寺と一体となった神仏習合の形態を取る神社でした。明治の神仏分離令により、十二社権現は熊野神社となり五流尊瀧院は天台宗のお寺になりました。
 修験道の祖といわれる役小角が朝廷により伊豆大島に流され、弟子たちが各地を放浪し、役小角が赦免となった大宝元年(701)、現在の地に紀伊の熊野本宮の分霊を勧請したのが十二社権現の始まりだといわれています。
 天平12年(740)に聖武天皇が児島一円を熊野神社の社領として寄進し、天平宝字5年(761)には紀州熊野と同じような社殿を整えたようです。その後、神仏習合し山岳信仰の中心となり繁栄しました。最盛期には60坊が境内に軒を連ねたと伝えられています。
 その後、平安時代中期以降は衰退しました。承久3年(1221)に承久の乱が勃発し、敗れた後鳥羽上皇は隠岐に流されました。上皇の第4皇子である頼仁親王も連座して児島に流されました。その後、親王は荒れ果てた熊野神社と寺院を再興させました。
 室町時代になり応仁の乱が勃発し、応仁3年(1469)、細川勝元方に組した覚王院円海を中心とした兵火により灰燼に帰しました。明応元年(1492)、社殿、堂宇が再建されました。国の重要文化財に指定されている第二殿はこの時の建物です。
 社殿は左から第三殿、第一殿、第二殿、第四殿、第五殿、第六殿と並んでいて、熊野本宮大社と似たています。第二殿以外は正保4年(1647)に岡山藩初代藩主池田光政によって造営されています。これらの社殿は岡山県の重要文化財に指定されています。

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天籟庵(重森三玲記念館)

天籟庵(重森三玲記念館)
 岡山県加賀郡吉備中央町吉川に天籟庵(重森三玲記念館)があります。
 天籟庵は、地元吉川出身の作庭家である重森三玲の茶室と庭園です。もとは重森邸に建てられた茶室で、昭和44年(1969)現在地に三玲自身の手によって移築されました。平成11年(1999)に国の有形文化財に登録されています。
 天籟庵には4畳半の茶席と3畳大の水屋があります。庭はコンクリートで造られていて、水流と渦が彩色セメントで表現されています。海と陸とを抽象化しています。
 隣には吉川公民館の敷地内にある重森三玲記念館があります。三玲が作庭した庭は、力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水庭園が特徴的です。東福寺方丈庭園、光明院庭園、瑞峯院庭園、松尾大社庭園などを手掛けています。

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吉川八幡宮拝殿

吉川八幡宮拝殿
 岡山県加賀郡吉備中央町吉川に吉川八幡宮があります。
 吉川八幡宮の拝殿は棟札から元治元年(1864)に建てられています。全国的に見ても類例のない切妻造り、妻入りの拝殿の様式で、丁字形で本殿につながっています。栩葺きで、間口1間、奥行5間の縦長の拝殿です。石原久六河富という棟梁大工が施工しています。平成12年(2000)に岡山県の重要文化財に指定されました。

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吉川八幡宮随神門

吉川八幡宮随神門
 吉川八幡宮の随神門は棟札から寛延3年(1750)に再建された建物で、両脇間に随神を祀っています。檜皮葺きで、正面が5.4m、側面2.9mの入母屋造り、平入りの八脚門です。かつては栩葺きで、明治45年(1912)に檜皮葺きになったと考えられています。昭和59年(1984)に岡山県の重要文化財に指定されています。

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吉川八幡宮本殿

吉川八幡宮本殿
 岡山県加賀郡吉備中央町吉川に吉川八幡宮本殿があります。
 吉川八幡宮の本殿は、幣殿を兼ね、渡廊で社務所とつながっています。また本殿は拝殿と丁字形につながっています。栩(とち)葺きの間口5間、奥行3間の入母屋造りです。棟札から室町時代初期の応永2年(1395)に再建された建物です。ただ組み物や蟇股などの特徴から、室町時代後期との見方もあります。
 吉川八幡宮の本殿は、正徳年間(1711-1715)に大修理が行われたようです。正面にある向拝部は幕末の元治元年(1864)に作り替えられています。大正14年(1925)に国の重要文化財に指定されています。
 本殿は平成8年(1996)より約3年をかけて解体修理が行われました。この修理の際に、建築部材の一部に縦引き鋸を使用せず、縦一列にノミを打ち込んで割る「打ち割り工法」というやり方が全国で初めて発見されました。

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吉川八幡宮

吉川八幡宮
 岡山県加賀郡吉備中央町吉川に吉川八幡宮があります。
 吉川八幡宮のある所は、吉川の分水嶺にあたり、古代より神聖な土地と考えられていた所です。醍醐天皇の延喜年間(901-922)に地主神を八幡宮として祀り、約4km離れた黒山地区に松原八幡宮として鎮座していたといわれています。
 永長元年(1096)、京都の石清水八幡宮の別宮として建てられ、現在の地に遷座して吉川八幡宮となったようです。平安時代末期、吉川は石清水八幡宮の荘園であったことから両神社は身内の関係だったようです。
 その後、一時荒廃しますが、足利尊氏や豊臣秀吉らの諸武将の崇敬を集め、江戸時代初期の寛永年間(1624-1644)には備中足守藩主の木下淡路守の所領となり、同家の祈願所となりました。享和元年(1801)には幕府直轄として倉敷代官の支配下に入り、後に一ツ橋家の所領となりました。
 吉川八幡宮の鳥居は元禄4年(1691)に建てられています。随身門は桃山時代末期の遺構を残し岡山県の重要文化財に指定されています。門をくぐると、拝殿と本殿が丁字形につないだ特殊な形になっています。本殿は国の重要文化財に指定されています。
 吉川八幡宮を取り巻く社叢は岡山県の郷土記念物に指定され、毎年10月に行われる當番祭(とうばんさい)は、岡山県の重要無形民俗文化財に指定されています。約1カ月に及ぶ祭りで県下3大祭りの一つです。白装束の10歳前後の男の子が当番様となり、走り競べなど古式にのっとり行われます。

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