大石神社

兵庫県赤穂市上仮屋に大石神社があります。
大石神社は 大正元年(1912)、大石内蔵助良雄はじめ四十七義士と萱野三平を合祀して創建されました。
境内には国指定史跡の大石良雄宅跡長屋門や庭園、義士ゆかりの武具・書画などを展示している義士宝物殿があります。大石内蔵助の愛刀「備前長船清光」(太刀)と「備前長船康光」(脇差)などがあります。
義士木像奉安殿は、昭和28年(1953)、義士切腹から満250年の大祭記念に設立されています。
大鳥居のある参道には、赤穂義士47士の石造が並んでいます。
大石神社の境内には、国指定文化財でもある大石内蔵助邸の正門「大石邸長屋門」もあります。
社殿は、忠臣蔵三百年祭事業の一環として、建て替えられています。
また神門(義芳門)は、楠木正成を祀る神戸の湊川神社から昭和17年(1942)に移築したものだそうです。
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花岳寺梵鐘

兵庫県赤穂市加里屋に花岳寺があります。
花岳寺の梵鐘は、2代藩主浅野長友が父長直のために鋳造したものです。義士切腹で大勢の人が梵鐘をつきまくったことから梵鐘からは音が出なくなり、「鳴らずの鐘」になったといわれています。
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大石なごりの松

兵庫県赤穂市加里屋に花岳寺があります。
花岳寺の本堂の正面にある大きな松は、大石内蔵助が母親の松樹院が亡くなったときに相生村の裏山から移植したものです。浅野家断絶後、赤穂を発つときに、この松の下でなごりを惜しんだことから「大石なごりの松」といわれています。残念なことに、昭和2年(1927)に松喰い虫のため枯れ、現在の松は2代目です。
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花岳寺山門

兵庫県赤穂市加里屋に花岳寺があります。
花岳寺の山門は、明治6年(1873)に廃城として撤去が決まった赤穂城の塩屋惣門だったものです。花岳寺第21代仙珪和尚が金6両で購入し移築したものであり、平成3年(1989)に赤穂市の文化財に指定されています。
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花岳寺

兵庫県赤穂市加里屋に花岳寺があります。
台雲山花岳寺は曹洞宗のお寺です。赤穂藩祖浅野長直が常陸笠間藩から赤穂藩へ転封になった正保2年(1645)に父華嶽院と母台雲院の菩提寺として建立し、その法名から台雲山華嶽寺と称し浅野家の菩提寺としました。
浅野長直のあとは長友、長矩(ながのり)が藩主になりました。元禄14年(1701)、長矩は、江戸城松の廊下で高家の吉良義央(よしなか)を切りつけ、即日切腹させられました。赤穂浅野家は取り潰しとなり、元禄15年(1702)12月14日、大石内蔵助ら赤穂浪士47士が主君の仇を討ちました。
元禄16年(1703)2月4日、赤穂義士たちが切腹したとの報が赤穂に届くと、大勢の人が死を悼み悲しんで花岳寺に押し寄せました。そして寺の鐘をつきまくったといわれています。
浅野家断絶の後、花岳寺は永井、森氏ら歴代藩主の菩提寺となりました。寺運は隆盛し、新西国33ヶ所霊場の第31番札所にもなり参拝客でにぎわいました。
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赤穂城

兵庫県赤穂市上仮屋に赤穂城があります。
赤穂城になる前は室町時代に赤松満祐の一族岡豊前守が、天正年間には宇喜多秀家が陣屋を築いていました。刈谷城(加里屋城)と呼ばれていたそうです。関ヶ原合戦後は、姫路藩池田輝政の所領となりました。赤穂藩の始まりは元和元年(1615)池田輝政の5男池田政綱が2万5千石を与えられて入城してからです。しかし、正保2年(1645)政綱の後を継いだ池田輝興が発狂して妻女を殺害したため、赤穂池田氏は2代31年間で廃絶となりました。
常陸笠間から浅野長直が5万3千5百石で入封し、慶安元年(1648)から13年間を費やして新城を築きました。築城に当たっては甲州流軍学者の近藤正純、山鹿流の兵法者として有名な大石蔵内助の師匠、山鹿素行も関わったそうです。
浅野長直・長友・長矩(ながのり)と続き、元禄14年(1701)に浅野長矩は、江戸城松の廊下で高家の吉良義央(よしなか)に刃傷に及び、即日切腹させられました。そして赤穂浅野家は取り潰しとなったのです。元禄15年(1702)12月14日、大石内蔵助を首領とする赤穂浪士四十七士が吉良邸に討ち入り、主君の仇を討ちました。これは単なる仇討ちだけではなく、幕府の政道を問う歴史的大事件でもありました。
討ち入りから浪士の人数である47年目に仮名手本忠臣蔵が大坂の竹本座で初演されました。以後、赤穂浪士事件は「忠臣蔵」と呼ばれるようになったそうです。
浅野家取り潰し後の赤穂城は下野国烏山(栃木県)から永井直敬が3万3000石で入封しました。4年後森長直と替わり以後代々森氏2万石の居城となり11代で明治維新を迎えたということです。
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永富家籾納屋

兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
永富家の籾納屋(もみなや)は長屋門の西に接しています。西端は入母屋造り、東端は切妻造りの本瓦葺きです。収穫した稲は籾(もみ)のついたままこの納屋に入れ、脱穀のあと米蔵に運んだそうです。現在は道具館として、かって農村で使われていた生活用具を陳列しています。
昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されています。
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永富家大蔵

兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
敷地の南西にある永富家の大蔵は文久元年(1861)に建てられています。間口9.6m、奥行5.8mの2階建ての土蔵造りで、屋根は切妻造りの妻入で本瓦葺きです。建築面積は55.68平方m(16.87坪)で、待蔵、西蔵とも呼ばれたそうです。花嫁の嫁入り道具を格納するために建てられたそうです。
昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されています。
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永富家味噌蔵

兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
永富家の味噌蔵は北側にあり内蔵の隣にあります。内蔵とともに敷地内では一番古い蔵で、文化3年(1806)以前に完成しています。建築面積は20平方m(6.06坪)の2階建て土蔵造りです。屋根は切妻造り、本瓦葺きです。味噌、醤油、漬物などの貯蔵蔵だったそうです。
昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されています。
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永富家内蔵

兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
永富家の内蔵は北側の味噌蔵の隣にあります。文化3年(1806)以前に建てられていて、敷地内では味噌蔵とともに一番古い蔵です。間口6m、奥行き4m、建築面積24平方m(7.27坪)の2階建て土蔵造りです。屋根は切妻造り、本瓦葺きです。金銀、装飾品、絵画、軸など高価なものを収蔵していた蔵であったようです。
昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されています。
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永富家乾蔵

兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
北東の角にある永富家の乾蔵は道具などをしまっておいた蔵だったようです。建築年代ははっきりしませんが文化14年(1817)という説もあります。間口7m、奥行4.1m、建築面積は28.7平方m(8.7坪)の2階建てで、土蔵造りです。屋根は切妻造り、本瓦葺きです。
昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されています。
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永富家東蔵

兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
主屋の東側に東蔵があります。建築年代ははっきりしませんが江戸後期(1751-1829)に建てられたと推察されています。間口5m、奥行き4m、建築面積は20平方m(6.06坪)の2階建てで、土蔵造りです。屋根は切妻造りで、本瓦葺きです。穀物の貯蔵蔵だったそうです。
昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されています。
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永富家長屋門

兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
永富家の長屋門は江戸後期の文化5年(1808)に建てられました。間口13.3m、奥行4.0m、東端入母屋造りで、西端は籾納屋に接続しています。本瓦葺きで建築面積は134.62平方mと立派な門です。門の両脇には供待部屋が設けられています。
昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されています。
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永富家主屋

兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
永富家の主屋は江戸後期の文政2年(1819)から文政5年(1822)にかけて建立されました。間口26.1m奥行18.1m、一部2階で、入母屋造りの、本瓦葺きです。2階建ての西北突出部も入母屋造りの本瓦葺きです。播州平野における江戸末期豪農の家を現在まで伝えている建物です。
正面の大戸口は家人の使う入口です。左側入った沓脱ぎ石のあるところが主人と来客の玄関です。そして式台がある大玄関もあります。代々の藩主が領内視察の際に立ち寄るために、格式ある式台がつけられているのです。中には上段の間、上中下座敷、鞘(さや)の間、仏間、台所など23もの部屋と土間があります。
昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されています。
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永富家住宅

兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
永富家住宅は揖保川下流域西部の、たつの市揖保川町新在家にあります。広い屋敷の敷地面積は2670平方m(807坪)で、主屋、長屋門、籾納屋(もみなや)、大蔵、乾蔵、内蔵、味噌蔵、東蔵の8棟が建てられています。
これらの全ての建物が昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されました。また、文政3年(1820)の建築当時の板絵図と永富家住宅普請帳13冊も当時の建築を知る上で貴重な資料として、昭和46年(1971)に国の重要文化財に追加指定されています。
永富家は龍野藩内にあった揖保川町付近の大地主で、藩から在郷家臣の待遇を与えられていました。伊賀の武士の出といわれ、関ヶ原の戦い頃の慶長5年(1600)には、この地に居住していたそうです。
寛文12年(1672)龍野藩主に脇坂家がなると、信頼重用され、寛保2年(1742)には庄屋を務め、文化9年(1812)には龍野藩の御用金の用立てに尽力したことから、苗字帯刀を許されています。
永富家は藩から家臣並の特別待遇を受け、殿様が立ち寄ることもあったため、建物には身分の高い武家屋敷のように上段の間や玄関がついています。
かつては、脇坂家より拝領した不紊庵および夕可庵という茶室や、米蔵、厩舎、納屋、離れ座敷などもあったそうですが、老朽化のために昭和37年(1962年)に壊されたそうです。
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伊弉諾神宮大楠

兵庫県淡路市多賀に伊弉諾神宮があります。
境内には、樹齢800年から900年と推定される県指定天然記念物の「夫婦の大楠」と呼ばれる楠の木があります。根廻り12.4m、目通り8m、幹は地上2.25mで二つの支幹に分かれ、それぞれの幹囲は、5.35mと3.75mです。高さは30mあり、南に16m、北に12m張っています。元は2本の楠がいつしか根を合わせて1株に成長したもので、神霊が宿る御神木と信仰されています。
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放生の神池

兵庫県淡路市多賀に伊弉諾神宮があります。
伊弉諾神宮の参道の先には、放生の神池が広がっています。幽宮跡の御陵の周りには壕があったと伝えられており、この神池はその遺構であると伝えられています。
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伊弉諾神宮神馬

兵庫県淡路市多賀に伊弉諾神宮があります。
本殿の横には神馬(しんめ・じんめ)の銅像があります。神が乗る馬とされ、神社に奉納されたものです。伊弉諾神宮の神馬には、鞍部に菊のご紋章が付けられています。
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伊弉諾神宮大鳥居

兵庫県淡路市多賀に伊弉諾神宮があります。
伊弉諾神宮の一の鳥居は平成7年(1995)1月17日の阪神淡路大震災で倒壊しました。その年の11月に再建されました。高さ27尺(8.181m)で、神明鳥居としては日本最大規模を誇る花崗岩製の石鳥居が誕生したのです。
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伊弉諾神宮本殿

兵庫県淡路市多賀に伊弉諾神宮があります。
伊弉諾神宮の本殿は、拝殿の背後にある神陵の上に建てられています。明治12年(1879)の建立で、3年後に後背の御陵地を造成して移築したそうです。三間社の流造り、向拝付きで、屋根は檜皮葺きです。棟には千木・鰹木(5本)を置き、前方の幣殿と連結して一屋根に造っています。
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伊弉諾神宮拝殿

兵庫県淡路市多賀に伊弉諾神宮があります。
間口5間(9.09m)、奥行2間(3.636m)の伊弉諾神宮の拝殿は本殿と同時期に建てられています。平入り入母屋造り、檜皮葺(現銅葺き)で、舞殿を兼ねています。
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伊弉諾神宮表神門

兵庫県淡路市多賀に伊弉諾神宮があります。
参道の正面に建つ伊弉諾神宮の表神門は、明治16年(1883)に建てられた門です。切妻造りの四脚門で、屋根は柿葺きです。それ以前は随神門が建てられていたそうです。
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伊弉諾神宮

兵庫県淡路市多賀に伊弉諾神宮があります。
伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は国生み神話の主人公である、伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)の2神を祀る古社です。天照御大神(あまてらすおおみかみ)の両親にあたり、日本民族の大祖先神です。
古事記、日本書紀には、国生みに始まるすべての神功を果たされた伊弉諾大神が、天照大御神に国家統治の大業を委譲し、最初にお生みになられた島、淡路の多賀の地にかくりの宮を構えて余生を過ごされ、その住居跡に神陵 (みささぎ)が営まれ最古の神社が創始されたとあります。
古代には、淡路島神、津名神、多賀明神などと呼ばれていました。大同元年(806)に神封13戸が充てられ、貞観元年(859)、神位一品が授けられたそうです。延喜式神名帳には「淡路国津名郡 淡路伊佐奈伎神社」と記載され、名神大社に列しています。
平安時代末期より淡路国一宮とされるようになり、一宮大神とも呼ばれるようになりました。明治4年(1871)に国幣中社に列格し、明治18年(1885)官幣大社に昇格しています。3万平方mの境内地には古木が茂り格式の高い古社の佇まいを感じさせます。
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北淡歴史民俗資料館

兵庫県淡路市浅野南に淡路市立 北淡歴史民俗資料館があります。
淡路市立北淡歴史民俗資料館は合併する前は北淡町歴史民俗資料館でした。昭和50年に開館し、旧北淡町の歴史や民俗に関する資料を展示しています。
保存館・展示館・収蔵庫の3棟で構成しています。保存館は江戸中期の農家の主屋()を移築復元していて、衣・食・住・行事等の民俗資料を展示しています。この建物は兵庫県の重要有形民俗文化財にしていされています。展示館では日本有数の量のタコツボをはじめ、歴史・民俗資料を展示しています。収蔵庫では町内出土の土器等を保存・展示しています。
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江崎灯台

兵庫県淡路市野島江崎に江崎灯台があります。
江埼灯台は淡路市の江崎に立つ白亜の石造の大型灯台です。慶応3年(1867)幕府と英国公使は兵庫開港に備えて大坂条約を結びました。その時に、江埼、六連島、部埼、友ヶ島、和田岬の5つの灯台建設を約束し、最初に建設されたのが、この灯台です。
イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブライトンによって設計され、我が国で8番目に建設された洋式灯台です。この石造りの灯台は、明治4年(1871)4月27日に初点灯しています。
平成7年(1995)兵庫県南部地震によってこの灯台も大きな被害を被りました。当時の状況をできる限り残すとともに、石造り灯台は耐震補強がされて復旧されています。
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淡路城

兵庫県淡路市尾崎住居谷に淡路城があります。
淡路城は、瀬戸内の播磨灘を見下ろす丘陵地に建てられています。平成2年(1990)に観光目的に建てられた城や庭園です。
1万坪以上の敷地の中に日本庭園を囲むように天守閣や美術館などが建っています。天守閣には武具、甲冑が展示され、萬翠美術館には堀江優の作品、錦翠集古館にはインド、タイを経たブロンズの仏像などが展示されています。
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ひかげつつじ群生地

兵庫県朝来市生野町小野に生野銀山があります。
生野銀山の一帯はひかげつつじの群生地としても有名です。常緑低木で花は淡黄色で少し緑色を帯び、4月中旬頃咲くそうです。
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吹屋資料館

兵庫県朝来市生野町小野に生野銀山があります。
鉱山資料館の近くに吹屋資料館があります。吹屋とは、銀を精錬することにあたります。 吹屋の作業は素吹、真吹、南蛮絞、荒灰吹、上銀吹の5つの工程に分かれています。銀ができるまでの工程が一目でわかるように展示しています。
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鉱山資料館

兵庫県朝来市生野町小野に生野銀山があります。
鉱山資料館は大鉱山である生野銀山の栄光の歴史、銀の歴史、日本全国の鉱床についての説明、銀山での作業の様子、生活の様子などを写真や資料をパネルにして展示、紹介しています。
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