榊原忠次墓所唐門

兵庫県姫路市白国に随願寺があります。
榊原忠次墓所唐門は享保16年(1731)に建てられています。間口1間、奥行1間、本瓦葺きの向唐門です。この唐門は姫路藩主であった榊原忠次の墓所の正門になります。朱色の門で、彫刻などは極彩色で彩られています。垂木鼻、挙鼻、桟唐戸、柱などに錺金具の跡が残っていて煌びやかな建物だったようです。平成21年(2009)に国の重要文化財に指定されています。
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随願寺鐘楼

兵庫県姫路市白国に随願寺があります。
鐘楼は瓦銘から享保3年(1718)に建てられています。間口3間、奥行2間で、入母屋造り、本瓦葺きです。廻縁付きの正規の袴腰付き鐘楼です。全体的に形が整った建築で、腰組が変形の二手先にするなどの独特な手法も見受けられます。
鐘楼は江戸時代中期に建てられた鐘楼建築の遺構として大変貴重な存在で、平成21年(2009)に国の重要文化財に指定されています。
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随願寺経堂

兵庫県姫路市白国に随願寺があります。
経堂は宝暦13年(1763)頃に建てられています。間口6間、奥行3間で1間の向拝があり、撞木造り、本瓦葺きの一重です。正面に礼堂、背後に正堂を配して、正堂の床には磚(せん)敷きを残しています。これは比叡山の延暦寺の根本中堂などに見られ、昔の正堂の名残りをとどめています。
経堂は撞木造りという珍しい構成をとる堂です。軒を外陣では背面も正規に造り、後の厚板軒と巧みに取り合わせ、物組の出組も見られます。経堂は正堂の仏壇下に建立されている石碑とともに平成21年(2009)に国の重要文化財に指定されています。
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随願寺本堂

兵庫県姫路市白国に随願寺があります。
随願寺の本堂は大鬼瓦に「元禄5年(1692)3月10日」という銘があることから、その頃に再建されました。間口7間、奥行6間で3間の向拝があり、背面張出があります。屋根は入母屋造りで本瓦葺き、一重の建物です。全体が装飾的で力感ある意匠によってまとめられています。
本堂は姫路藩主榊原忠次が菩提寺整備のために再建したといわれています。江戸時代中期に建てられた大型寺院本堂建築の遺構として大変貴重なことから内部に安置されている厨子(唐様)と鬼瓦(1面)とともに平成21年(2009)に国の重要文化財に指定されています。
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随願寺開山堂

兵庫県姫路市白国に随願寺があります。
奥の院にあたる開山堂は間口3間、奥行3間、側面半間通り下屋付きの方三間で、寄棟造り、本瓦葺き、一重のお堂です。寛永18年(1641)と承応3年(1654)の墨書が平成9年(1997)から行われた解体修理中に発見されたことから、随願寺の中で最も古い建物だということが判明しました。
平面では仏壇の前を広げるために四天柱の位置を側柱通りより後方にずらしています。開山堂は厨子(一間厨子、寄棟造り、板葺き)とともに平成21年(2009)に国の重要文化財に指定されています。
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随願寺

兵庫県姫路市白国に随願寺があります。
増位山(ますいさん)随願寺は広峯山の東に続く増位山の頂上にある天台宗のお寺です。播州増位山随願寺集記によると聖徳太子が高麗の僧の慧便(えべん)に増位寺を開基させたのが始まりといわれています。
当初は出井村という現在地よりも南にあったようですが、天平7年(735)に僧行基が出井に泊まった時、夢に薬師如来が現れ、増位山上に寺を建立するように告げた事から、朝廷に上奏しました。そして薬師如来を安置し、諸堂を建立し、国土安穏を祈願するところとなったそうです。
集記によると、当初は法相宗寺院でしたが、承和元年(834)仁明天皇の勅命により天台宗に改宗し、嘉承2年(849)に増位寺から随願寺に寺号を改めています。最盛期には36坊を擁する大寺院となり、円教寺、八葉寺、神積寺、一乗寺、普光寺などと播磨天台六山を形成しました。
宇多法皇、白河法皇などの行幸、平清盛による伽藍改修、源頼朝による一切経奉納などが伝えられています。天正元年(1573)三木の別所長治によって全山焼失しましたが、天正13年(1585)豊臣秀吉により再興され多くの堂宇が再建されました。
江戸時代以降は歴代姫路藩主から庇護され、特に榊原忠次は随願寺を菩提寺とし、再建、整備に努めました。今の本堂は、忠次によって再建されたものです。本堂、開山堂、経堂、鐘楼、榊原忠次墓所唐門などが国の重要文化財に指定されています。
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広峯神社天神社

兵庫県姫路市広嶺山に広峯神社があります。
広峯神社の天神社は流造り、本瓦葺きの一間社です。享保9年(1724)に建立され、昭和58年(1983)に姫路市の重要文化財に指定されています。学問の神である菅原道真を祭神として祀っています。
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広峯神社蛭子社

兵庫県姫路市広嶺山に広峯神社があります。
広峯神社の蛭子社は隅木入春日造り、檜皮葺きの一間社です。嘉永元年(1848)に建てられ、昭和58年(1983)に姫路市の重要文化財に指定されています。蛭子命を祭神として祀っています。
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広峯神社熊野権現社

兵庫県姫路市広嶺山に広峯神社があります。
広峯神社の熊野権現社は流造り、本瓦葺きの三間社です。慶応4年(1866)に建立され、昭和58年(1983)に姫路市の重要文化財に指定されています。広峯神社鎮守とされ、菊理姫命、速王男命、頼織津姫命を祭神としています。
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広峯神社冠者殿社

兵庫県姫路市広嶺山に広峯神社があります。
広峯神社の冠者殿社(かんじゃでんしゃ)は流造り、本瓦葺きの一間社です。19世紀初頭に建立され、昭和58年(1983)に姫路市の重要文化財に指定されています。祭神は神皇産霊神、高皇産霊神、木花咲哉姫神で縁結びや安産など女性の守護神です。
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広峯神社大鬼社

兵庫県姫路市広嶺山に広峯神社があります。
広峯神社の大鬼社は享保20年(1735)に建てられています。流造り、本瓦葺きの一間社です。昭和58年(1983)に姫路市の重要文化財に指定されています。祭神は伊弉諾尊(いざなみのみこと)で厄災を除く神とされています。
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広峯神社庚申社

兵庫県姫路市広嶺山に広峯神社があります。
広峯神社の庚申社は流造り、本瓦葺きの一間社です。寛延4年(1751)に建立され、昭和58年(1983)に姫路市の重要文化財に指定されています。猿田彦命、天うずめを祭神として祀り、怪我諸災除けに効能があるそうです。
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広峯神社地養社

兵庫県姫路市広嶺山に広峯神社があります。
拝殿の左側にある地養社は流造り、檜皮葺きの一間社です。貞享4年(1687)に建てられ、牛頭天王をもてなしたという 蘇民将来を祭神として祀っています。蘇民将来の子孫なりと書かれた護符を付けた茅の輪を腰につければ厄災から逃れることができるといわれています。
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広峯神社稲荷社

兵庫県姫路市広嶺山に広峯神社があります。
広峯神社の稲荷社は切妻造り、本瓦葺きの一間社です。宝暦11年(1761)に建てられ、昭和58年(1983)に姫路市の重要文化財に指定されています。商売繁盛の神とされる倉稲魂命を祭神として祀っています。
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広峯神社山王権現社

兵庫県姫路市広嶺山に広峯神社があります。
広峯神社の山王権現社は流造り、本瓦葺きの一間社です。安永6年(1777)に建立され、昭和58年(1983)に姫路市の重要文化財に指定されています。工業の守護神とされる金山昆古神を祭神として祀っています。
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息吹木千年松

兵庫県姫路市広嶺山に広峯神社があります。
天然記念物に指定されている霊木の息吹木(いぶき)は千年松と呼ばれています。白幣山から現在地に移される時、この一体はこの木が繁茂していたそうです。社殿に障りないように東隅に残されたそうです。
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広峯神社宝篋印塔

兵庫県姫路市広嶺山に広峯神社があります。
神社への石段脇にある宝篋印塔は室町時代初期のもので、昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。高さ約2mで四方に梵字を刻み、宝珠の一部が 欠けていますが形もよく整っています。
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広峯神社本殿

兵庫県姫路市広嶺山に広峯神社があります。
広峯神社の本殿は間口11間(約20m)、奥行4間の入母屋造り、檜皮葺きで、 室町時代の文安元年(1444)に再建された大建築です。昭和35年(1960)に国の重要文化財に指定されています。内陣、外陣を分け、奥まった位置に内内陣がある独特の構造になっています。
内内陣には2間の神座が3室と、1間の空間(納殿)1室があります。真ん中と、西の神座は向かって左寄りに、東の神座は向かって右寄りに一間社流造りの宮殿を置いて、3社が並列の形となっています。平成24年(2012)2月に火渡り神事で使われた火が燃え移り、本殿の屋根の一部が約30平方m燃えた火災があったそうです。
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広峯神社拝殿

兵庫県姫路市広嶺山に広峯神社があります。
広峯神社の拝殿は間口10間、奥行4間の入母屋造り、本瓦葺きの大建築で、寛永3年(1626) に姫路城主の本多忠政によって再建された建物です。 昭和35年(1960)に国の重要文化財に指定されています。
拝殿は本殿の前面に軒を接して建てられています。敷地が本殿に向かって上り斜面になっているために、建物前面は舞台造りになっています。柱筋は本殿に合わせていますが、本殿に比べて右端が1間狭くなっています。
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広峯神社随神門

兵庫県姫路市広嶺山に広峯神社があります。
広峯神社の表門にあたる随神門は 元禄10年(1697)に建てられています。三間一戸、入母屋造り、本瓦葺きの八脚門です。中央の通路の幅をかなり広めにとり、親柱を省略して平入門とした珍しい門です。兵庫県の重要文化財に指定されています。
大部分は和様で造られていますが、たるきなどに唐様がみられます。全体の形がどっしりしていて落ち着きがあり江戸中期の播磨の神社の門の代表的なものとして価値があります。
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広峯神社

広峯神社(廣峯神社)は姫路市の北方、海抜311mの広峰山山頂にあります。天平5年(733)、中国から帰国した吉備真備(きびのまきび)が都へ向かう途中、白幣山に登臨して牛頭(ごず)天王の神威を感じ、聖武天皇の勅を得て、翌年の天平6年(734)に大社殿を造営したそうです。
主祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。 この神は星の運行を司り、祇園精舎の守り神である牛頭天王の化身で、日本の暦を司る神であったようです。播州の守護神として崇敬され、古くは、大鳥居が瀬戸内海に浮かんでいたとも伝えられています。
貞観11年(869)に平安京の祇園観慶寺感神院(現在の八坂神社)に牛頭天王(素戔嗚尊)を分霊したという説から、京都八坂神社と現在でも本社、分社の争いが続いています。天禄3年(972)には現在地の広峰山頂に遷座し、牛頭信仰祇園信仰の総本宮として繁栄しました。
最盛期には75の社家を持つ大社となりました。筆頭の廣峯氏は社務職を代々世襲し、鎌倉幕府の御家人・地頭を兼ね繁栄しました。湊川の戦いにも北朝側に味方して出陣したそうです。室町時代には赤松氏配下の有力国人になりました。
江戸時代、幕府から安堵されたのは72石でしたが、広峰信仰によって広範囲にわたる多数の信徒の支えがあり、繁栄を維持しました。御師(おし)は檀那をまわって3種類の神符(おふだ)を配りました。家の神棚に祀るもの、苗代に立てるもの、田の水口に立てるものでした。それで御初穂料を得ていたのです。
黒田官兵衛の祖父の重隆は御師が配る神符とともに黒田家秘伝の目薬を売り、富を築き、各地の情報を得て、黒田家発展の基礎を築きました。そして御着城を中心に西播磨で大きな勢力を持っていた小寺家に仕え、姫路城の城代になったのです。
広峯神社の本殿と拝殿は国の重要文化財に指定されています。境内にある宝篋印塔も国指定重要文化財です。摂社、末社として、西の白幣山には吉備神社、荒神社、本殿周辺に熊野権現社、稲荷社、天神社、冠者殿社、大鬼社、庚申社、山王権現社、蛭子社、軍殿八幡社、地養社があり、昔の繁栄が偲ばれます。
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斑鳩寺講堂

兵庫県揖保郡太子町鵤に斑鳩寺があります。
斑鳩寺講堂は、弘治2年(1556)に再建され、明和6年(1765)に再修造されています。国指定重要文化財の釈迦如来像・薬師如来像・如意輪観音像の三尊を本尊として祀っています、丈六の巨大な三体の座像で止利仏師一刀三礼の作ともいわれますが、室町時代の斑鳩寺復興時の造立と思われます。着衣の形式などが古様で、飛鳥時代の古像を手本に造られたものと推定されています。
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斑鳩寺聖徳殿中殿

兵庫県揖保郡太子町鵤に斑鳩寺があります。
斑鳩寺聖徳殿中殿は木造平屋建て、瓦葺き、建築面積73平方mで、大正5年(1916)に増築竣成され、平成19年(2007)に国の登録有形文化財に指定されました。中殿は前殿と後殿をつないでいます。奥行4間の身舎が二重折上格天井の内陣で、両側面の裳階は廊下としています。両妻の柱は前殿と後殿の柱を兼用しています。
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兵庫県揖保郡太子町鵤に斑鳩寺があります。
聖徳殿後殿は法隆寺夢殿を模して作られたという八角円堂です。奥殿は大正5年(1916)に増築竣成された比較的新しい建物です。聖徳太子16才のとき、父の用明天皇の病気平癒を祈り、自らの髪を切って植えたとされる「聖徳太子立像」を安置しています。平成19年(2007)に国の登録有形文化財に指定されています。
聖徳殿後殿は木造平屋建て、銅板葺きで建築面積212平方mです。3層の屋根を重ねた八角円堂の形をしていて、中殿取合い部の南北に入母屋造り翼部を突出しています。上層は三手先に扇垂木、中間の庇は平三斗に疎垂木、下層は出組に繁垂木と変化を付けています。内部は中殿に面して唐破風を飾り、中央には厨子があります。平成25年(2103)に銅板屋根のふき替え工事が完了し、落慶法要が営まれています。
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斑鳩寺聖徳殿前殿

兵庫県揖保郡太子町鵤に斑鳩寺があります。
聖徳殿前殿は聖徳太子立像を祀っていた太子堂です。前殿は間口5間、奥行5間、単層、向拝1間付きの入母屋造り、本瓦葺きの建物です。天文20年(1551)に再建され、寛文5年(1665)に修造されされた建物です。内部中央の3間四方を内陣としており、斑鳩寺で最も重要な堂宇です。
嘉暦4年(1329)の鵤荘絵図に前殿は描かれています。永正16年(1519)に政所僧が寺の門を閉め、太子堂に立てこもり、赤松氏の兵が鵤荘に入るのを阻止したとの記録があるそうです。平成18年(2006)に兵庫県の有形文化財に指定されています。
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斑鳩寺三重塔

兵庫県揖保郡太子町鵤に斑鳩寺があります。
聖徳殿に対峙するように三重塔が建っています。方三間、本瓦葺きの三重塔です。一辺は4.64m、高さは24.85mです。天文10年(1541)、斑鳩寺全焼の後、永禄8年(1565)再建された塔です。斑鳩寺の伽藍の中で最古の建物で、昭和3年(1928)に国の重要文化財に指定されています。塔は、四方に石段があり、擬宝珠高欄を付した縁をめぐらしています。中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは三間とも蓑束です。二層部は軒は二軒繁垂木、組物は三手先、中備えは中央間のみ間斗束です。三層部は、軒は二軒繁垂木、組物は三手先です。
輪柱には太子伝来の仏舎利が納められているそうです。露盤には永禄5年(1562)に龍野城主赤松下野守正秀が天下太平を祈願して発願したという銘文が刻まれています。均斉がとれた壮麗な古塔です。
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斑鳩寺

兵庫県揖保郡太子町鵤に斑鳩寺があります。
推古天皇14年(604)、聖徳太子は、飛鳥の豊浦宮、今の橘寺において、推古天皇のために勝鬘経・法華経を講じ、これに感じた天皇から播磨国揖保の水田百町を寄進されたと日本書紀に記されています。太子はこの地を斑鳩寺(奈良法隆寺)に納め、平安時代に法隆寺の荘園となり聖徳太子の聖霊地として保護されました。平安後期に法隆寺によって太子の聖地であるこの地に伽藍が建立されました。これが斑鳩寺の始まりです。
往古には、七堂伽藍、数十の坊庵がある壮大な寺で壮麗を極めましたが、天文10年(1541)、守護大名である赤松氏、山名氏、出雲の尼子氏との争いで戦禍を受け灰燼に帰しました。その後、円光院昌仙らが龍野城主赤松下野守正秀らの援助を受け、永禄年間(1558-70)までにほぼ再建しました。
長い間、法隆寺の支院でしたが江戸時代に入ってからは天台宗へ改宗しました。寺域は1万7800平方mあり、現在でも「お太子さん」として広く信仰を集めています。仁王門を入ると正面に講堂、左側に聖徳殿、右側に三重塔(国指定重要文化財)があります。今の伽藍配置は創建時と変わっていないそうです。
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近藤源八宅跡長屋門

兵庫県赤穂市上仮屋に近藤源八宅跡長屋門があります。
近藤源八正憲は甲州流軍学を修め千石番頭の重職にありました。源八の妻は大石内蔵助の叔母にあたりましたが義盟には加わらなかったそうです。源八の父は赤穂城築城の際縄張り設計をしたそうです。ここは「源八長屋」の愛称で親しまれています。 赤穂城内の江戸期の建物は大石内蔵助宅跡長屋門とここの長屋門だけだそうです。
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大石内蔵助屋敷長屋門

兵庫県赤穂市上仮屋に大石内蔵助屋敷長屋門があります。
大石内蔵助の屋敷は、間口28間(約50.5m)、奥行45間5尺(約83m)、畳数にして308畳の広い家でした。享保14年(1729)の火災で建物の大半が焼失し、現在、長屋門だけが残っています。この門は国の文化財に指定されています。
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