無動寺

兵庫県神戸市北区山田町福地新地に無動寺があります。
若王山無動寺(むどうじ)は、高野山真言宗の古刹です。初め普救(ふく)寺とか福寺という名のお寺で、推古天皇の時代(593-628)に、聖徳太子が物部氏討伐の戦勝祈願したのが始まりだといわれています。
本尊の大日如来坐像は高さが278cmあります。釈迦如来坐像は120cm、阿弥陀如来坐像は119cmで本尊の左右に安置されています。不動明王坐像、十一面観音立像の5体が国の重要文化財に指定されています。平安時代初期から中期の作とみられています。
宝暦2年(1752)、真源和尚が荒廃した堂宇を再建し再興を果たしましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後の廃仏毀釈運動で廃寺に追い込まれました。廃寺後は末寺の蓮華院地蔵寺に移され、無動寺と改称しています。
無動寺の境内の本堂西の高台に若王子神社があります。明治の初めまでは無動寺の鎮守社で、若王子権現と呼ばれていました。神仏分離令によって無動寺から分離しています。本殿は国の重要文化財に指定され、この一帯は神戸市の文化環境保存区域に指定されています。
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http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/

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八幡神社大銀杏

兵庫県神戸市北区山田町中字宮片に六條八幡神社(八幡神社)があります。
八幡神社には大いちょうの木があります。昭和49年(1974)に市民の木に指定されています。
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八幡神社薬師堂

兵庫県神戸市北区山田町中字宮片に六條八幡神社(八幡神社)があります。
八幡神社の薬師堂は間口3間、奥行3間、 単層、寄棟造り、本瓦葺きの建物です。基灯上人が創建した円融寺の遺構だといわれています。
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八幡神社本殿

兵庫県神戸市北区山田町中字宮片に六條八幡神社(八幡神社)があります。
八幡神社の本殿は三間社流造り、銅板葺きの建物です。貞享5年(1688)に再建されたと推察されています。平成9年(1997)に神戸市の有形文化財に指定されています。
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八幡神社三重塔

八幡神社の三重塔は高さ19.1m、三間三重塔婆で桧皮葺きです。初層内部には仏壇を置いて阿弥陀三尊像を安置しています。文正元年(1466)に建てられた和様の三重塔で、この地の有力土豪であった鷲尾綱貞・平盛俊が協力して造立したそうです。棟梁は藤原周次と小工藤原光重と記されています。
組物は三手先、総円柱を立て、中備えに間斗束を配し、腰に細縁勾欄を付けています。屋根の反りも流麗です。大正3年(1914)に国宝指定され、戦後は国の重要文化財に指定されています。昭和36年(1961)には棟札3枚が附指定で、国の重要文化財になりました。平成14年(2002)には屋根の大規模修復が行われました。
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六條八幡神社(八幡神社)

兵庫県神戸市北区山田町中字宮片に六條八幡神社(八幡神社)があります。
六条八幡神社は旧山田村13村の総鎮守です。古くは若宮八幡宮と称し、神功皇后がこの地で行宮を営んだのが起源とされています。長徳元年(995)、周防国の僧、基灯(きとう)が円融寺という草庵を建てるとともに、黒木の宝殿を建て、八幡3神を祀りました。これが六条八幡神社の創建です。
保安4年(1123)、山田庄領主の六條判官源為義が、夢想の霊感によって、京都にある六条西洞院の自邸に祀られていた石清水八幡宮の分霊である左女牛(さめうし)八幡宮を勧請合祀し、八幡宮を再造しました。そのため六條八幡宮と呼ばれるようになりました。
神仏習合の霊山として足利家代々の篤い尊崇を受け、歴代領主に庇護され社運も隆盛しました。明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後の廃仏毀釈運動により神宮寺の円融寺が廃寺となり、神社として独立し、八幡神社と改称しています。
境内には国の重要文化財に指定されている三重塔、神戸市の有形文化財に指定されている本殿、能舞台があります。稲荷神社、住吉神社、山王神社、大歳神社、猿田彦神社などの境内社も点在しています。10月第2日曜日に行われる流鏑馬(やぶさめ)神事は無形民俗文化財に指定されています。
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箱木家住宅主屋

兵庫県神戸市北区山田町衝原(つくはら)に箱木家住宅があります。
主屋は間口11.4m、奥行8.4m、単層、入母屋造りの茅葺きです。昭和43年(1968)に国の重要文化財に指定されました。この時は室町後期とみられていましたが、移築時にもっと古い建物であることが判明しました。主屋と後設の離れ座敷は以前は一体でしたが、修復の際に主屋は当初形式に、離れ座敷は近世の姿に復原されました。
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箱木家住宅

兵庫県神戸市北区山田町衝原(つくはら)に箱木家住宅があります。
箱木家住宅は一般には「箱木千年家」の名で知られています。江戸時代の元禄期にすでに「千年家」と呼ばれていました。呑吐(どんと)ダムの建設に伴い、昭和52年(1977)から2年にわたり移築工事が行われました。現在の建物は、前にあった所から数十m離れた高台に建っています。
移築の際に調査が行われ、現存する日本最古の室町時代の民家であることが確認されました。室町時代の民家は他には姫路市安富町にある古井家住宅、奈良県西吉野村にある堀家住宅しかないそうです。
箱木家はこの地方の土豪でした。戦国時代、別所氏に仕え、三木城で羽柴秀吉に敗れた後は衝原で代々庄屋を勤めたそうです。室町時代建立の主屋と江戸時代に建てられた離れの2棟が国の重要文化財に指定され、他に築山、中庭、納屋、土蔵などが残されています。
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伽耶院断層

兵庫県三木市志染町大谷に伽耶院があります。
かつて伽耶院付近を襲った大地震のあとを物語る断層です。柱状節理と呼ばれる特異な露岩で、右寄りにタテに直線の断層が走りその左右では岩層が約1m食い違い更に右側部分は大きく波打っています。
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伽耶院臼稲荷

兵庫県三木市志染町大谷に伽耶院があります。
伽耶院に臼稲荷と呼ばれる小さな祠があります。多くの丸い石臼が積みあげられた上に祠が乗っています。この辺りでは田に水を溜めておくため、水の出口に古い石臼を置いて自分の田から水が出るのを防いでいました。ある干害の年、狐が老人に化け村中の田から全ての石臼を取って水を均等に配分したそうです。これを恥じた村人たちが石臼をここに奉納したそうです。
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伽耶院三坂明神社

兵庫県三木市志染町大谷に伽耶院があります。
伽耶院にある三坂明神社本殿は慶長15年(1610)に再建された建物です。三間社の流造り、こけら葺きで、当山の鎮守である三坂大明神を祀っています。昭和50年(1975)に国の重要文化財に指定されています。
正面の虹梁、蟇股、組物彫刻及び側面の懸魚(けぎょ)などは江戸時代初期の様式を示していて、本堂とほぼ同時期に再建されたと推察されます。
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伽耶院多宝塔

兵庫県三木市志染町大谷に伽耶院があります。
伽耶院の多宝塔は正保5年(1648)に小倉城主であった小笠原忠政の寄進で再建されたようです。方三間、二重の多宝塔で、本瓦葺きです。相輪は長い間失われていましたが、昭和60年(1985)に復元されました。多宝塔は昭和50年(1975)に国の重要文化財に指定されています。
多宝塔の初層は和様二手先斗で方型・扇垂木、その間に白塗りの亀腹を持ち、中央に蟇股があります。蟇股と連子窓は彩色されています。上層は和様四手先斗で扇垂木です。多宝塔内には弥勒菩薩が安置されています。10月の採燈大護摩の日には開扉されるそうです。
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伽耶院本堂

兵庫県三木市志染町大谷に伽耶院があります。
伽耶院の現存の本堂は金堂ともいわれ、慶長15年(1610)に再建された建物といわれています。間口5間、奥行5間、単層、寄棟造り、本瓦葺き、回縁付きです。正面戸口上部には厚肉唐草模様の欄間があります。本堂は昭和50年(1975)に国の重要文化財に指定されています。
本堂の外陣と内陣は格子戸と欄間で分離されています。典型的な密教寺院の建築様式です。宮殿と内陣の柱・長押には華麗な極彩色が施されています。安置されている毘沙門天は国の重要文化財に指定され、平安末期の秀作です。
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伽耶院黄金水

兵庫県三木市志染町大谷に伽耶院があります。
本堂の西側に「黄金水」と呼ばれている小さな池があります。12月中旬から2月中旬にかけ水面が虹色や金色に輝くそうです。ヒカリモが繁殖し、太陽に当たって反射した色だそうです。伽耶院には本尊毘沙門天は法道仙人が金色に輝く滝壺から感得されたという言い伝えがあることから黄金水と呼んだそうです。
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伽耶院行者堂

兵庫県三木市志染町大谷に伽耶院があります。
伽耶院の行者堂は土佐藩第2代藩主であった山内忠義(源忠義)の寄進により寛永7年(1631)に再建されたといわれています。屋根・軒まわり・縁まわりは後世の修理により改変されていますが内部の厨子・脇仏壇等は当初のものです。役行者の尊像を安置し、何のかざりけものないこもり堂としての性格を保っています。三木市の重要文化財に指定されています。
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伽耶院開山堂

兵庫県三木市志染町大谷に伽耶院があります。
伽耶院開山堂は丹後峰山藩第2代藩主の京極高供(たかとも)の寄進により、明暦2年(1656)に再建されたものといわれています。ここには法道仙人が祀られています。兵庫県の重要文化財に指定されています。
開山堂の内部の壁面には極彩色の飛天を描かれています。長押天井回りや須弥壇上の宮殿には入念な彩色文様が施され、山内では最も華麗な堂といえます。
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伽耶院二天堂

兵庫県三木市志染町大谷に伽耶院があります。
伽耶院の二天堂は中門にあたる門です。現存の建物は慶安4年(1651)に再建されました。屋根や軒回りは大正14年(1925)の修理で改変されていますが、それ以外は当初の形式を残しています。側面の妻飾りは古い架構法である二重虹梁蟇股式が用いられている八脚門です。二天堂は三木市の重要文化財に指定されています。
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伽耶院仁王門

兵庫県三木市志染町大谷に伽耶院があります。
伽耶院の仁王門は大正時代に再建された建物です。花頭窓のみが前の時代の遺物です。安置されている尊像は行基が刻んだ金剛力士といわれ、天正年間の秀吉の三木城攻めの時に頭部と脚部を焼失したということです。
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伽耶院

兵庫県三木市志染町大谷に伽耶院があります。
大谷山(おおたにさん)伽耶院(がやいん)は本山修験宗の古刹で、毘沙門天を祀り、山伏の寺として知られています。寺伝では孝徳天皇の勅願寺として、大化元年(645)に法道仙人が開基したと記されています。
大谷山大谿寺(だいけいじ)東一坊と称していましたが、天和元年(1681)に後西上皇の勅により仏陀伽耶に因む寺号、伽耶院と改称しています。平安中期には堂宇数十、坊塔130余と記され、花山法皇の行幸を得るなど隆盛を極めました。
天正8年(1580)当寺の僧が別所長冶に組して三木籠城に加わったため、三木城落城後、秀吉によって諸堂宇のすべてを焼き払われてしまいました。翌年より多聞坊隆恩が復興に努め、中興開山となりました。しかし、慶長14年(1609)の大火により伽藍は灰燼に帰しました。
慶長15年(1610)本堂が再建され、寛永6年(1629)明石城主であった小笠原忠政が諸堂を再興しました。忠政は小倉に移封後も深く崇敬し、京都にあった小倉領100石を寺領として寄進しています。
伽耶院は徳川3代将軍から7代将軍までの祈願所となり、明石、小倉、豊岡、土佐、姫路藩主の祈願所にもなり、寺運は隆盛しました。境内地は約1万2000平方mもあり、モミや老松がうっそうと茂っています。
中世以降は聖護院末の修験寺院として活動を続け、江戸時代には天台系山伏を統率する四院家の一つに数えられました。その伝統は今も10月の体育の日の採燈大護摩として伝えられています。山伏姿の修験者が近畿一円から集まり、全山にホラの音がこだまします。
本堂、多宝塔、三坂明神社本殿、木造毘沙門天立像は、国の重要文化財となっており、開山堂は県指定重要文化財です。二天堂、行者堂は市指定重要文化財です。他にも庫裏、仁王門、黄金水、臼稲荷などがあります。ヒカリモが生息し、ホタルが乱舞し、秋の紅葉は壮観です。
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石峯寺仁王門

兵庫県神戸市北区淡河町神影に石峯寺があります。
石峯寺仁王門は大正時代に再建された建物です。花頭窓のみが前の時代の遺物です。安置されている尊像は行基が刻んだ金剛力士といわれ、天正年間の秀吉の三木城攻めの時に頭部と脚部を焼失したということです。
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石峯寺三重塔

兵庫県神戸市北区淡河町神影に石峯寺があります。
石峯寺の三重塔は嵯峨天皇の勅願により弘仁14年(823)に建立されたといわれています。嘉吉元年(1441)の嘉吉の乱の兵火で焼失してしまいました。現在の三重塔は室町中期に建てられたとものと推察されています。三重塔は高さ24.41m、三間、銅板葺きの三重塔です。この時代に造られた三重塔の中では最も大きいものの一つです。
第一層の高さに比べて第二層、第三層の軒の高さが著しく低いのが特徴で、相輪も完備しています。当初はこけら葺きか、桧皮葺きでしたが、現在は銅板葺きになっています。大正4年(1915)に薬師堂とともに国の重要文化財に指定されています。
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石峯寺薬師堂

兵庫県神戸市北区淡河町神影に石峯寺があります。
石峯寺の薬師堂は間口5間、奥行5間、単層、入母屋造り、本瓦葺きです。天平19年(747)に行基が建立したといわれています。現在の薬師堂は明応年間(1492-1500)頃に再建されたと推察されています。聖武天皇の勅願で行基が開眼した薬師佛、十二神将、日光月光菩薩を祀っています。
かつては屋根の上部が茅葺きで、下部が瓦葺きでしたが、昭和41年(1966)から43年の解体修理の際に、入母屋造りの本瓦葺きに復元されました。前面には桟唐戸が付けられ、両端は連子窓を持つ土塀です。内部は内陣・下陣に分かれていて、和様を基調として天竺様をあしらう折衷様式です。大正4年(1915)に国の重要文化財に指定されています。
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石峯寺

兵庫県神戸市北区淡河町神影に石峯寺があります。
岩嶺山(がんれいさん)石峯寺(しゃくぶじ)は高野山真言宗の古刹です。寺伝によれば白雉2年(651)、孝徳天皇の勅願により法道仙人によって開基されたそうです。天平19年(747)に行基が薬師堂を建立し、弘仁14年(823)に嵯峨天皇の勅願により三重塔を建立したと伝えられています。
石峯寺は鎌倉時代には東西2里、南北1里の寺領の中に70余りの僧坊があったようです。応仁の乱、嘉吉の乱、織田・豊臣の毛利征伐などで、伽藍は焼失し、衰退しました。江戸時代に入り、明石城主より70石、のちに3代将軍徳川家光より13代にわたり70石の朱印寺領を受けました。
石峯寺入口には仁王門があり、鐘楼、鼓楼、本堂と続いています。薬師堂と三重塔は国の重要文化財に指定され、塔頭の竹林寺の庫裏は神戸市の歴史的建造物に指定され、竹林寺と十輪院の庭園は神戸市の庭園に指定されています。
昭和49年(1974)に「石峯寺及びその周辺」として石峯寺は塔頭の十輪院、竹林寺とともに文化環境保存区域に指定されました。平成9年(1997)には「新・こうべ花の名所50選」の1つに選定されています。
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東光寺鐘楼

兵庫県三木市吉川町福吉に東光寺があります。
境内に残る鐘楼の銅鐘は三木市の指定文化財です。口径65.2cm、高さ114.1cm、竜頭高21.5cmで、慶長6年(1601)に奉鋳されています。
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東光寺多宝塔

兵庫県三木市吉川町福吉に東光寺があります。
東光寺の多宝塔は境内の奥の石段の上に建てられています。本堂と同じ頃の永正14年(1517)以前に再建された建物と思われます。多宝塔は兵庫県の有形文化財に指定されています。
間口3間(約4m)、奥行3間の多宝塔で、上層の屋根は鉄板葺き、下層の屋根は本瓦葺です。高欄のない縁をめぐらし、中央間桟唐戸、脇間連子窓、中備えは3間とも蓑束を用いています。高さ約13mというこの多宝塔は内部には四天柱があり、来迎壁を設け、須弥壇に五智如来像を安置しています。
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東光寺本堂

兵庫県三木市吉川町福吉に東光寺があります。
東光寺の本堂は間口5間、奥行5間、単層の寄棟造りで、本瓦葺きです。密教本堂で、本尊は子安地蔵です。室町後期の永正14年(1517)以前に再建された建物です。
本堂は和様を中心とし唐様、天竺様が交じった折衷様式です。全体的に落ち着いた佇まいの中、細部の建築技法は高度な仕上がりです。本堂は昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されています。また寄棟造り、板葺きの1間厨子と、棟札2枚が附指定で国の重要文化財に指定されています。
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東光寺

兵庫県三木市吉川町福吉に東光寺があります。
姑射山東光寺は高野山真言宗のお寺です。地元の人には「小屋寺(こやでらさん)」と親しみをこめて呼ばれています。神亀年間(724-728)に行基上人の手で建てられたといわれています。最盛期には広大な寺域に28もの寺院や塔頭があったといわれています。
東光寺は桜と紅葉の名所としても知られています。本堂前の石段脇には、見事な桜の老木があります。本堂は、国の重要文化財に指定され、多宝塔は県指定有形文化財です。また銅鐘は三木市指定文化財です。
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御霊神社夜なき石

御霊神社境内には、「貴志のぬけ石」といわれる石が2つあり「夫婦石」とも呼ばれています。そのうちの1つは「夜泣き石」として有名です。三田藩主の九鬼家が城の庭石にしたところ、毎夜、「前にあった神社に戻りたい」と泣き出したので、再び境内に戻すと泣き止んだと伝えられています。
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御霊神社本殿

兵庫県三田市貴志字美内に御霊神社があります。
御霊神社の本殿は室町時代の文明2年(1470)に再建された建物です。間口2間(3.6m)、奥行正面3間、背面2間、入母屋造り、檜皮葺きで、1間の向拝を付けています。
彫刻には神仏習合の名残が見られ、木鼻の象頭は左右ともに開口の「阿形」です。細部の手法にも優れた室町時代中期の特徴が出ています。明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。
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御霊神社

兵庫県三田市貴志字美内に御霊神社があります。
御霊神社の創建は明らかではありませんが、古くは貴志宮とか貴志神祠と称し、周辺住民から信仰されてきました。大比古(おおひこ)神、比売(ひめ)神を祀っていましたが、伊弉諾(いざなぎ)命・伊弉冊(いざなみ)命を合祀して御霊神社と改めたそうです。
建武5年(1338)、領主であった貴志義氏は南朝方に属し、戦勝を祈願して社領を寄進し、社殿を造営したそうです。それ以来この地方の総社として崇敬を集めてきました。文明2年(1470)に再建された本殿は国の重要文化財に指定されています。
社宝である御霊神社神事講名簿は永禄元年(1558)から明治45年(1912)まで祭礼に参加した役名や人物名などを書き留めたもので三田市の指定文化財に指定されています。
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