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延暦寺文殊楼 

延暦寺文殊楼
 滋賀県大津市坂本本町に比叡山延暦寺があります。
 根本中堂正面の急な石段を上がったところに「文殊楼」が建てられています。貞観8年(868)、慈覚大師が常座三昧の修行を行なう道場として建立されたのが始まりです。
 比叡山の総門としての重要な役割を果たす重層和唐の混合様式の楼門です。寛永19年(1642)徳川家光により再建されました。寛文8年(1668)に焼失しすぐ再建されました。創建は根本中堂と同じくらい古いのですが再焼失したあとのものは一回り小さくなっているそうです。
 急勾配の階段を上がった楼上には学者の神様である「知恵の文殊菩薩」が祀られています。学業成就のご利益があるそうです。階段は2カ所ありますが直立に近い階段ですので行き違いもできないくらい狭いです。
 桁行3間、梁間2間、二重、入母屋造り、銅板葺きの構造です。全体的には唐様が取り入れられていますが、古い和様も入れてあり折衷様式になっています。昭和48年(1973)に大津市指定文化財に指定されています。

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延暦寺大書院 

延暦寺大書院
 滋賀県大津市坂本本町に比叡山延暦寺があります。
 大書院は根本中堂の東にあります。大書院はもとは東京赤坂にあった村井氏の山王荘の一部で、昭和3年(1928)比叡山開創1150年を記念して設けられた延暦寺の大本坊です。京都大学名誉教授であった武田五一博士が設計しています。棟梁は小林富蔵でした。唐破風の車寄を持つ玄関棟、旭光の間と呼ぶ大客室棟、観月台を持つ2階建の居間棟から構成されています。
 大書院は木造2階建て、瓦一部銅板葺き、建築面積839平方mの洗練された書院造りで、技術的にも優れた質の高い和風建築です。 昭和51年(1976)に天皇、皇后両陛下の行幸の際、休息所に当てられています。内外の要人の多くをここで迎えているそうです。大正8年(1919)頃に新築されている建物で、延暦寺大書院として国の登録有形文化財に指定されています。

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大黒堂 

大黒堂
 滋賀県大津市坂本本町に比叡山延暦寺があります。
 東塔の総合案内所の向かい大黒堂があります。伝教大師が根本中堂を建てられる折、守護神として大黒天を祀り一山の平安と一般庶民の財福を祈ったのが始まりだそうです。かっては政所、食堂ともいわれていたそうです。本尊の大黒天は、「三面出世大黒天」といわれ、大黒天と毘沙門と弁財天が一体になった姿をしているといわれています。
 豊臣秀吉も開運と福徳を祈願したといい伝えられています。一名「出世大黒天」といわれ、商売繁盛、五穀豊穣などのご利益があるとされ、人々に深く信仰されているようです。

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延暦寺大講堂 

延暦寺大講堂
 滋賀県大津市坂本本町に比叡山延暦寺があります。
 大講堂(だいこうどう)は、比叡山では根本中堂と共に最も重要な建物です。単に講堂とも呼ばれますが、横川の四季講堂などと区別するため「大講堂」といわれています。第一世天台座主の義真和尚によって建立されています。僧侶が法華経の講義を受けたり、お互いの問答をして勉強に励む学問修業の道場です。
 ことに古来比叡山の行事で慈恵大師以来5年目ごとに行なわれる「法華大会(ほっけだいえ)広学竪義(こうがくりゅうぎ)」は僧侶になる登竜門として現在に引き続いています。法華大会は「法華十講」ともいわれ、法華経8巻に無量義経1巻・観普賢経1巻をあわせた、(いわゆる「法華三部経」)10巻を講説する法会です。
 法華十講は古来、伝教大師最澄の忌月である6月に行なわれる「六月会(みなづきえ)」と、天台大師の忌月に行なわれる「霜月会(しもづきえ)」が実施されてきました。
 大講堂の本尊は大日如来です。脇には聖徳太子、桓武天皇が祀られています。比叡山で学んで一宗の開祖となった法然、親鸞、栄西、道元、日蓮など各宗祖の木像も安置されています。
 大講堂の創建は天長元年(824)と伝えられています。創建以来9度の火災に遭っています。前の大講堂は壮大な建物として知られ国の重要文化財に指定されていました。しかし、昭和31年(1956)に焼失しまったのです。
 昭和38年(1963)に山麓にあった坂本の東照宮の本地堂を移築したのが現存の大講堂です。寛永11年(1634)に建てられた建物です。
 大講堂は間口7間、奥行6間、単層の銅板葺き、入母屋造りの仏堂で正面に3間の向拝をもっています。外観は落ち着いた穏やかな姿を見せ、内部の仏壇のまわりは華やかな彫刻で飾られています。
 大講堂は和様を基調とした端正な意匠でまとめられ、寛永の建築として価値あるものと認められ、昭和62年(1987)に「延暦寺大講堂(旧東照宮本地堂)」として国の重要文化財に指定されています。

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根本中堂 

根本中堂
 滋賀県大津市坂本本町に比叡山延暦寺があります。
 根本中堂は最澄が建立した一乗止観院の跡に建っています。延暦寺一山の総本堂です。一乗止観院は薬師堂、文殊堂、経蔵の3棟を総称したものです。中心的な建物である薬師堂が3棟の中央にあったため、後に根本中堂と呼ばれるようになったそうです。
 現在の根本中堂の建物は寛永17年(1640)に徳川3代将軍家光によって再建されたものです。間口11間、奥行6間、単層、入母屋作り、銅瓦棒葺きの壮麗な建築物で、三方を廻廊(かいろう)でめぐらしています。 滋賀県内では最大の仏堂です。
 廻廊は間口折曲り41間、奥行2間、栩(とち)葺き、両下造り、正面前後軒唐破風が付き、両側面車寄各唐破風造りです。根本中堂と同じ寛永17年(1640)に造られています。延暦寺根本中堂廻廊として明治32年(1899)に国の重要文化財に指定されています。
 根本中堂の内部は外陣、中陣、内陣に分かれています。外陣より内陣が低い位置に設けられています。外陣は礼堂として板敷にしていて、内陣は土間になっています。これは天台宗の本堂建築の特徴です。中陣には格天井があります。鮮やかに極彩色で描かれていて、華やかな中に格式が感じられます。
 内陣須彌壇の上、中央の厨子内に最澄上人が自ら彫り込んだと伝わる秘仏の本尊薬師如来が安置されているといわれています。まわりには日光菩薩像、月光菩薩像、十二神将像などが安置されています。延暦寺根本中堂は昭和28年(1953)に国宝に指定されています。
 中陣に立ち並ぶ円柱の間に手すりがあり、内陣と空間的に分離されています。仕切格子から暗い内陣をのぞき込むと明かりが灯っています。これが延暦寺創始以来1200年間消えたことがないという「不滅の法灯」です。
 「不滅の法灯」は織田信長により根本中堂が焼き払われた時がありました。この時は山形の立石寺(山寺)に根本中堂から分灯されていた「法灯」を持ってきて「不滅の法灯」を継続させたそうです。

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戒壇院 

戒壇院
 滋賀県大津市坂本本町に比叡山延暦寺があります。
 戒壇院は東塔の拝観口から奥に入って右手の高台の上に建っています。ここは僧侶になるための受戒の儀式が行われる場所です。天長5年(828)、第1世義真座主が大乗戒(規律)を受ける施設として建立したと伝えられています。
 戒壇院は延宝年間(1673-1680)に再建された建物です。間口3間、奥行3間、栩(とち)葺き、宝形造り、正面に軒唐破風があり、2階建てのように見えますが一重もこしがある単層の建物です。
 和様と唐様が混在した形式を持ち、床は石畳で石造の戒壇が設けられています。内陣には得戒和尚釈迦牟尼仏と文殊菩薩像、弥勒菩薩像が安置されています。延暦寺戒壇院として明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。

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延暦寺己講坂 

延暦寺延暦寺己講坂
 滋賀県大津市坂本本町に比叡山延暦寺があります。
 大講堂前に石段の坂があります。己講坂(いこうざか)と呼ばれています。5年に一度大講堂で行われる法華大会の講師をつとめる役は己講(いこう)という天台職位最高の「探題」に次ぐ「探題次」がなります。
 己講のみがこの坂を殿上輿(てんじょうこし)に乗って、問答往復の想をねりながら登り、ここの菩提樹の元で意を決して入堂するそうです。近くには菩提樹があり、釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたという故事に習っているそうです。

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延暦寺開運平和の鐘 

延暦寺開運平和の鐘
 滋賀県大津市坂本本町に比叡山延暦寺があります。
 大講堂の前庭に鐘楼があります。この鐘は伝教大師の高弟光定が天長4年(827)に鋳造したものです。その後、徳川時代の初期に再鋳されています。一山の大事や、僧侶の問答の際に時金として用いられているそうです。
 この鐘は大晦日の除夜の鐘として有名で、「開運平和の鐘」と呼ばれています。昭和62年(1987)8月に開かれた「比叡山サミット」で世界中から集まった8大宗教の代表の方々の前で鳴らされ世界平和を皆で祈りました。

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比叡山延暦寺 

比叡山延暦寺
 滋賀県大津市坂本本町に比叡山延暦寺があります。
 延暦寺は、日光輪王寺、東叡山寛永寺とともに天台宗門の3大本山の1つです。杉木立にかこまれ、荘厳なたたずまいをみせる延暦寺からは、かずかずの名僧がを輩出されました。
 比叡山には延暦寺という名の建物はありません。比叡山そのものが延暦寺を表わしているのです。その寺域は広大で、標高848mの比叡山の山中に数百の建物があり、東塔(とうどう)・西塔(さいとう)・横川(よかわ)の三地域に分かれています。
 延暦7年(788)、比叡山の山頂に、唐から帰国した伝教大師最澄が、一乗止観院という草庵を建て、最澄自ら彫り込んだ薬師如来像を安置したのが始まりです。延暦12年(794)、桓武天皇が京都に遷都しました。比叡山は京都から鬼門となる北東になるため、翌年、鬼門鎮護の霊場となりました。
 延暦25年(806)には大乗戒壇が設立されて天台宗が開宗、最澄没後の弘仁14年(823)嵯峨天皇より延暦寺の寺号を賜りました。円澄が西塔、円仁が横川を開き、東塔(根本中堂)と合わせて三塔が出来上がりました。比叡山の山内は3塔16谷に3千坊を擁する大寺と発展します。
 叡山中興の祖・良源、融通念仏宗の開祖・源信、浄土宗の開祖・法然、浄土真宗の開祖・親鸞、臨済宗の開祖・栄西、曹洞宗の開祖・道元、日蓮宗の開祖・日蓮など輩出しています。円仁と円珍もすぐれた僧でしたが同時期に輩出したため対立し、円珍は三井寺(園城寺)に入り抗争が続きました。
 僧兵など約4千人をかかえていた延暦寺は、強大な力を恐れた織田信長によって、元亀2年(1571)全山が焼き討ちにされました。この時、延暦寺は根本中堂をはじめ大半の建物を失いました。僧侶や僧兵、信者などが斬殺され境内は荒廃しました。
 その後、豊臣秀吉の時代になると再興が許され、多くの堂宇が再建されました。徳川家康もこの政策を引き継ぎ、再建に尽力しました。3代将軍家光は根本中堂を再建し、天海僧正は再興に力を貸したほか、江戸の鬼門鎮護の目的で上野に東叡山寛永寺を創建しました。それからは宗務の実権は江戸に移っていきました。
 延暦寺は国の史跡に指定されています。中心寺院の根本中堂は国宝です。根本中堂回廊、戒壇院、大講堂、大書院、釈迦堂、にない堂(法華堂と常行堂)、転法輪堂、瑠璃堂、相輪とうなどが国の重要文化財に指定されています。
 根本中堂には「不滅の法灯」が1200年の間、輝きつづけています。平成6年(1994)12月に「古都京都の文化財」の一つとして世界文化遺産登録されました。

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旧石橋家住宅 

旧石橋家住宅
兵庫県伊丹市宮ノ前に旧石橋家住宅があります。
 旧石橋家住宅は「みやのまえ文化の郷」の中の伊丹郷町館(他には旧岡田家住宅、新町家があります)の一つです。江戸時代後期に建てられた商家で、虫籠(むしこ)窓や出格子窓が特徴です。
 平成8年(1996)に伊丹市の文化財に指定され、平成13年(2001)に兵庫県の文化財に指定されています。宮前商店街から現在地に移築され、平成13年から一般公開されています。

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旧岡田家住宅 

旧岡田家住宅
 兵庫県伊丹市宮ノ前に旧岡田家住宅があります。
 旧岡田家住宅は「みやのまえ文化の郷」の中の伊丹郷町館(他には旧石橋家住宅、新町家があります)の一つです。店舗、釜屋、酒蔵からなり、店舗は江戸時代の延宝2年(1674)に建てられています。間口15.4m、奥行14.8m、一部二階建て、切妻造り、本瓦葺きです。
 酒蔵は、正徳5年(1715)に増築され、建立年代が判明する現存の物では日本最古の酒蔵です。平成4年(1992)に店舗と酒蔵が国の重要文化財に指定されました。平成7年(1995)から解体調査・復元作業が施工され、平成13年(2001)から一般公開されました。

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本興寺御霊水井戸 

本興寺御霊水井戸
 兵庫県尼崎市開明町に本興寺があります。
 本興寺には御霊水井戸と呼ばれる井戸があります。応永27年(1420)日隆上人が境内の乾の方角に井戸を掘ったところ水が湧き続け、数世紀間、水の乏しい尼崎住民に飲まれたそうです。大正5年(1916)に上水道完備され役目を終えました。

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本興寺三重塔 

本興寺三重塔
 兵庫県尼崎市開明町に本興寺があります。
 本興寺の三重塔は銅板葺き、鉄筋コンクリート造り、地階付きの3間3層塔婆です。地階部分は広い納骨堂になっています。昭和49年(1974)に建立された新しい三重塔です。

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本興寺祖師堂 

本興寺祖師堂
 兵庫県尼崎市開明町に本興寺があります。
 本興寺の祖師堂は日蓮聖人像を祀っているお堂です。文政5年(1822)に焼失後、嘉永6年(1852)に再建された建物です。日登、日与、日諦、日承、日尭、日庸など歴代上人の木像も安置しています。

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本興寺鐘楼 

本興寺鐘楼
 兵庫県尼崎市開明町に本興寺があります。
 本興寺の鐘楼は間口3間、奥行2間、入母屋造り、本瓦葺き、袴腰(はかまごし)が付いた建物です。東面中央には片引きの出入口があります。寛永10年(1633)に建てられたといわれ、寛延3年(1750)に屋根の葺替えを行っています。昭和40年(1965)に兵庫県の重要文化財に指定されています。

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本興寺三光堂向唐門 

本興寺三光堂向唐門
 兵庫県尼崎市開明町に本興寺があります。
 本興寺の三光堂の向唐門(むかいからもん)は本瓦葺きの1間1戸の門で、三光堂の拝殿脇に建てられています。正面蟇股(かえるまた)には牡丹唐獅子の丸浮き彫り彫刻が刻まれ、背面蟇股には家紋を入れてあります。昭和60年(1985)に尼崎市の有形文化財に指定されています。

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本興寺三光堂 

本興寺三光堂
 兵庫県尼崎市開明町に本興寺があります。
 本興寺の三光堂は間口3間、奥行2間、正面軒唐破風付きの流造り、銅板葺きです。背面を除く正面と両側面に縁高欄(えんこうらん)をまわし、宝珠高欄を置いています。三光堂は日逕在職中に建てられたと記されており、天正17年(1589)から慶長14年(1609)の間に建立されました。その後、元和3年(1617)に現在地に移築されました。
 三光堂は本興寺の鎮守で、三光天子(日天・月天・明星天)、三十番神、鬼子母神などを祀っています。大正3年(1914)に旧国宝に指定され、現在は国指定重要文化財です。拝殿の方は慶長2年(1597)に豊臣秀吉、加藤清正によって再建された建物です。

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本興寺方丈 

本興寺方丈
 兵庫県尼崎市開明町に本興寺があります。
 本興寺の方丈は間口10間(19.8m)、奥行7間(14m)、単層、入母屋造り、本瓦葺きの建物で、前面に1間半の広縁、東側に1間の広縁がめぐっています。天文17年(1544)の棟札が残されていますが、元和3年(1617)に移築再建された建物です。昭和49年(1974)に国の重要文化財に指定されています。
 方丈は客殿とも呼ばれ、戒壇院として使用されていました。方丈の部屋の壁面や襖には、曽我招興(そがしょうこう)の水墨山水画や、法橋(ほっきょう)、高平春卜(たかひらしゅんぼく)の人物や花鳥画が華麗に描かれています。方丈は平成7年(1995)の阪神・淡路大震災で甚大な被害を受け半解体修理が行われました。

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本興寺開山堂 

本興寺開山堂
 兵庫県尼崎市開明町に本興寺があります。
 本興寺の開山堂は間口9間、奥行3間、単層、正面に唐破風が付いた撞木造り、本瓦葺きの建物です。建てられたのは文正元年(1466)、永正10年(1513)とする説があるそうです。(文化庁の国指定文化財には元和3年(1617)と移築した年が建立年とされています)
 昭和38年(1963)に発見された棟札に永禄元年(1558)と書かれていて、この時、最初の開山堂(御文庫堂)を現在の開山堂に改築したと考えられています。建立当時、3間四方の入母屋造り、本瓦葺きでしたが、明暦2年(1656)に前面に2間の外陣を追加しています。
 天和3年(1683)には後方に4間の内々陣と後陣を増築し、複雑な構造になっています。堂内には日隆上人像が安置されています。享徳3年(1454)堺の仏師浄伝(じょうでん)に刻ませ、自らが開眼させた像といわれています。開山堂とともに大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。

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本興寺 

本興寺
 兵庫県尼崎市開明町に本興寺があります。
 精進院本興寺は法華宗本門流の大本山です。応永27年(1420)京都本能寺の日隆上人に帰依した細川満元が日隆上人を開基として創建しました。日隆は八品派を起こした傑僧で、多くの学僧を輩出させました。当初は現在の尼崎城の本丸付近の大物浦にありました。
 日隆は京都本能寺の開山でもあり、兵庫県下だけでも13ものお寺を開創しています。寛正4年(1463)に日隆が書いた本能寺法度には、本能寺と本興寺の両山一寺の制を定めています。本能寺を布教の寺、本興寺は教学の寺としていました。
 本興寺は、伏見宮(ふしみのみや)家との関係を深め、8世の日承(にっしょう)以降の住職は伏見宮家から選ばれました。戦国時代には広大な土地の周辺を土塁や堀で囲み、自治都市のようになっていたそうです。
 元和3年(1617)、膳所藩主だった戸田氏鉄が5万石で尼崎に入封し、尼崎城築城の際、大物浦が本丸付近になったため、本興寺は現在地に移されました。境内地は6万平方mもあり、法華宗教学根本道場、法華宗4大本山の1つとして隆盛しました。
 広大な境内には様々な堂宇が建てられています。三光堂、開山堂、方丈は国の重要文化財に指定され、鐘楼は県の重要文化財に指定されています。日隆聖人坐像は堺の仏師浄伝に刻ませ、自ら開眼したもので、恒次(つねつぐ)銘太刀(たち)などとともに国の重要文化財に指定されています。

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長遠寺庫裏 

長遠寺庫裏
 兵庫県尼崎市寺町に長遠寺(ぢょうおんじ)があります。
 長遠寺の庫裏は間口7間、奥行6間、切妻造り、単層の本瓦葺きのほぼ正方形の建物です。平成5年(1993)に行われた部分修理の際、墨書が発見され、寛文8年(1668)に建てられていることが判明しました。昭和40年(1965)に兵庫県の有形文化財に指定されています。

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長遠寺客殿 

長遠寺客殿
 兵庫県尼崎市寺町に長遠寺(ぢょうおんじ)があります。
 長遠寺の客殿は間口7間半、奥行5間半、入母屋造り、平入り、単層の本瓦葺きの建物です。棟札から慶長16年(1611)に建てられ、宝永4年(1707)の大地震で倒れたことが判明しています。桃山時代の客殿として本興寺の客殿に次ぐ貴重な建物で、昭和40年(1965)に兵庫県の有形文化財に指定されています。

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長遠寺鐘楼 

長遠寺鐘楼
 兵庫県尼崎市寺町に長遠寺(ぢょうおんじ)があります。
 長遠寺の鐘楼は間口3間、奥行2間、袴腰付き、入母屋造り、本瓦葺きの建物です。棟札から寛永14年(1627)に建立後、寛延3年(1750)に屋根の葺替えをしています。平成7年(1995)の阪神・淡路大震災では大きな被害を受け、屋根の葺替えなどの修理が施工されました。
 鐘楼は二手先の組物、 蓑束など細部の様式手法は本堂や多宝塔と同様で、桃山時代の特徴を示しています。昭和40年(1965)に兵庫県の有形文化財に指定されています。

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長遠寺多宝塔 

長遠寺多宝塔
 兵庫県尼崎市寺町に長遠寺(ぢょうおんじ)があります。
 長遠寺の多宝塔は慶長12年(1607)、市場巽の旧境内地に正面を西に向けて建立され、元和3年(1617)現在地に正面を東に向けて移築されました。このことは阪神・淡路大震災後の保存修理の際の解体によって判明したそうです。
 多宝塔は上層は12本の円柱を円形に建て、下層は方3間2層、本瓦葺きの建物です。周囲に擬宝珠高欄付きの縁をめぐらせています。塔身は円形で軒そりの形が良く、組物や蟇股(かえるまた)などの形態には桃山時代の特徴がよく表れています。昭和49年(1974)に本堂とともに国の重要文化財に指定されています。

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長遠寺本堂 

長遠寺本堂
 兵庫県尼崎市寺町に長遠寺(ぢょうおんじ)があります。
 長遠寺の本堂は昭和56年(1981)から58年の解体修理により、慶長3年(1598)に建てられ元和9年(1623)に移築再建されたことがわかりました。日蓮宗のお寺の独特の造りを持っていて、昭和49年(1974)に国の重要文化財に指定されています。
 本堂は間口5間(9m)、奥行6間、単層の入母屋造り、本瓦葺きで、正面に3段の木の階段があり、1間の向拝を設けています。柱上の組物や軒屋根の傾斜などに桃山時代の建造美をうかがうことができます。

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長遠寺 

長遠寺
 兵庫県尼崎市寺町に長遠寺(ぢょうおんじ)があります。
 大堯山(だいぎょうざん)長遠寺は日蓮宗のお寺で、本興寺の西にあります。大堯山縁起によると、観応元年(1350)、永存院日恩(えいぞんいんにちおん)上人によって尼崎の北、七ツ松の地で創建されたと伝えられています。
 その後、尼崎の市場巽(現在の東本町)に再興されました。元和3年(1617)、尼崎城築城に際し、城主の戸田氏鉄が現在地に移しました。それまでは法花寺というお寺でしたが、この時に長遠寺と変えたそうです。

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http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


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近松門左衛門墓所 

近松門左衛門墓所
 兵庫県尼崎市久々知に広済寺があります。
 広済寺の境内に、緑泥片岩で、高さ約48cmの自然石で造られた近松門左衛門の墓があります。享保9年(1724)に72歳で生涯を終えたそうです。昭和41年(1966)に国の史跡に指定されています。

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広済寺 

広済寺
 兵庫県尼崎市久々知に広済寺があります。
 久々知山広済寺は妙見宮を祀る日蓮宗のお寺です。天徳元年(957)に多田満仲(みつなか)が創建したといわれています。近松門左衛門ゆかりのお寺で近松寺とも呼ばれています。
 荒廃していた広済寺を正徳4年(1714)に日昌上人が再興し、禅宗から日蓮宗に改めました。日昌上人の実家は大阪の船問屋の尼崎屋吉右衛門宅で、近松門左衛門は京都から大阪に来た時に逗留し昵懇の間柄でした。
 近松門左衛門は広済寺再興にも建立本願人となって大きく貢献し、母親が亡くなったときも、ここで法要を行い、供養のために色紙などを納めました。境内には近松の墓があり、明治の末までは本堂の裏に近松部屋と呼ばれる仕事部屋が残っていたそうです。

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近松記念館 

近松記念館
 兵庫県尼崎市久々知に近松の里があります。
 その一画にある近松公園の中に近松記念館があります。近松門左衛門終焉250年を記念して昭和50年(1975)にオープンしました。近松ゆかりの過去帳、愛用の文机、手紙など約100点あまりを展示しています。平成20年(2008)6月にリニューアルオープンしています。

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近松門左衛門像 

近松門左衛門像
 兵庫県尼崎市久々知に近松の里があります。
 その一画にある近松公園には、近松門左衛門の羽織はかま姿のブロンズ像が置かれています。近松門左衛門は日本を代表する江戸中期の劇作家です。本名は杉森信盛といい、人形浄瑠璃と歌舞伎の世界で有名になりました。「曽根崎心中」「女殺油地獄」「出世景清」など多くの名作を残しました。

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