篠津神社表門

滋賀県大津市中庄に篠津神社があります。
篠津神社の表門は明治3年(1807)に膳所(ぜぜ)城が廃城となった後、膳所城の北大手門を移築したものです。明治5年(1872)に表門として修築されています。門は背面に特色がある高麗門形式です。正面の主体部から両方に袖のように直角に屋根が出ている造りです。
大扉は内開きで、太い竪格子、腰部横板張りとなっており、脇門を付けています。屋根は本瓦葺きで、本多家の家紋である立葵(たちあおい)紋がみられます。慶長年間(1596-1614)に建てられたと推察されています。大正13年(1924)4月に国の重要文化財に指定されています。
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篠津神社

滋賀県大津市中庄に篠津神社があります。
京阪電鉄中ノ圧駅から東に5分ほど歩いたところに篠津神社があります。古くから膳所(ぜぜ)中圧の産土神(うぶすながみ)として庶民の信仰を集めています。古くは大梵天王と号し天王社と称されていましたが、のちに天王宮さらに牛頭天王社と改称され、明治4年(1871)には篠津神社となりました。
常尊法親王や覚淳法親王、有栖川家などから崇敬庇護され、鳥居の寄進や社参記録などが残されています。江戸時代には歴代膳所藩主から社領22石が安堵されていました。ここ篠津神社の表門、膳所神社の表門、鞭崎神社の表門は元膳所城の城門で国の重要文化財に指定されています。
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膳所神社表門

滋賀県大津市膳所(ぜぜ)に膳所神社があります。
膳所神社の表門は、旧膳所城の二の丸より本丸への入り口にあった城門です。明治3年(1870)の膳所城取り壊しの際に、ここに移築されました。明暦元年(1655)に建立されたケヤキの城門です。本瓦葺き、脇戸付きの薬医門で、大正13年(1924)4月に国の重要文化財に指定されています。
膳所神社の表門は、棟筋と扉筋とが同一の垂直面にない薬医門で城門として多く用いられている造りです。屋根瓦には旧膳所城主本多氏の立葵(たちあおい)紋がみられます。脇には潜り戸を付け、頑丈な造りで、城門としての貫禄を持っています。
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膳所神社

滋賀県大津市膳所(ぜぜ)に膳所神社があります。
膳所(ぜぜ)神社は膳所本町駅の南東、京阪電鉄の線路沿いにあります。天智天皇6年(667)、天皇が大津遷都にあたって、この地を御厨(みくりや)と定め、大和から大膳職の御厨神として豊受比売命(とようけひめのみこと)を勧請、奉祀したのがはじまりと伝えられています。
古くから諸武将の崇敬を集めて栄え、戦国期には豊臣秀吉や北政所、徳川家康などが神器を奉納したことが社伝に記されています。慶安4年(1651)、本多俊次が7万石で入封し、明治維新まで本多氏が13代220年間膳所藩主を世襲し、庇護されました。
明治維新後、膳所城は解体され、城の門の多くが別の場所に移築されました。ここ膳所神社の表門、篠津神社の表門、鞭崎神社の表門は国の重要文化財に指定されています。膳所神社には南門の高麗門、北門の薬医門も同様に膳所城から移築されたものです。
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和田神社表門

滋賀県大津市木下町に和田神社があります。
和田神社の表門は文化5年(1808)に創建された膳所藩の藩校である遵義堂(じゅんぎどう)の門を移築したものといわれています。
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和田神社イチョウ

滋賀県大津市木下町に和田神社があります。
境内にある和田神社のイチョウは和田神社の御神木で推定樹齢約600年、樹高約24m、目通り周囲約4.4mの大木です。琵琶湖上から和田浜の目標樹となっていたようです。昭和53年(1978)に大津市の天然記念物に指定されています。関が原の合戦の後、捕らえられた石田三成が京へ護送される途中、このイチョウの木につながれたといわれています。
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和田神社本殿

滋賀県大津市木下町に和田神社があります。
和田神社の本殿は檜皮(ひわだ)葺きの一間社流造り(ながれづくり)で、正面に1間の軒唐破風(のきからはふ)の向拝を付けています。滋賀県内では珍しい造りです。鎌倉時代の建築で、明治35年(1902)に国宝に指定され、その後、法改正により国の重要文化財に指定し直されています。
側面にあるすっきりとした美しい蟇股(かえるまた)などの細部に鎌倉時代の様式を残しています。屋根正面に長く突き出した唐破風造りの向拝も建物の特色の一つになっています。
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和田神社

滋賀県大津市木下町に和田神社があります。
和田神社は膳所本町駅の北東、膳所高校東方の旧東海道筋の街並みの中にあります。八大龍王社とか正霊天王社などと呼ばれていましたが、明治維新後に、仏式が廃され、和田神社となったそうです。この地の湖岸が和田浜と呼ばれていたことから名付けられたようです。
和田神社は白鳳時代に創祀されたと伝えられ、本殿は国の重要文化財に指定されています。近くには旧藩主本田家歴代の菩提寺である縁心寺があります。粟津町にかけての一帯はかって湖南地区で最も松林が多く、「粟津の晴嵐」として近江8景の一つにもなっていたところです。
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大津別院本堂

滋賀県大津市中央に大津別院があります。
大津別院の本堂は慶安2年(1649)に建てられています。間口9間、奥行10間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで1間の向拝が付いています。真宗の寺院の特徴である外陣が広くとってあり、欄間や蟇股の彫刻に宗派や時代の特色がみられます。
入母屋造り、単層、本瓦葺きの書院は寛文10年(1670)に建てられています。床・棚付きの上段8畳の間、18畳の間、5つの8畳間、縁などで構成された格式が高い建物です。大津別院の本堂、書院とも昭和36年(1961)に国の重要文化財に指定されています。
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大津別院

滋賀県大津市中央に大津別院があります。
JR大津駅から北東へ約500mのところに大津別院があります。真宗大谷派・東本願寺の別院です。慶長5年(1600)に教如(きょうにょ)上人が敷地を拝領し、翌年に内陣が出来たと伝えられています。
教如は石山本願寺で,、父親の顕如とともに元亀元年(1570)、織田信長と戦い、和議が成立し、顕如が鷺森(現在の和歌山市)に退去した後も、籠城し抗戦しました。顕如の死後、浄土真宗12世を継ぎましたが、豊臣秀吉の命で、文禄2年(1593)に弟の准如(じゅんにょ)に譲って退隠しました。
慶長7年(1603)、徳川家康の援助を受けて京都烏丸に東本願寺を創建しました。これ以後本願寺は東西2派に分裂しました。大津別院の本堂と書院は国の重要文化財に指定されています。
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円満院庭園

滋賀県大津市園城寺町に円満院があります。
円満院庭園は円満院宸殿の南側にある広大な庭園で、国指定の名勝・史跡です。縁下のすぐわきから池が掘られ、背後は山すそを利用して枯滝の石組みが組まれています。池の中には亀石や夜泊石が点在しています。石橋や、築山の巨岩など卓越した造園技術がうかがえます。
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圓満院宸殿

滋賀県大津市園城寺町に円満院があります。
圓満院宸殿は間口19.7m、奥行15.8m、単層、入母屋造り、柿(こけら)葺きです。付き指定の玄関1棟は間口9.4m、奥行4m、向唐破風造り、檜皮(ひわだ)葺きです。内部は5部屋に区切られ、上壇書院の2畳間をもつ主室があるなど、古い形式をとどめる書院造りの代表的な遺構とされています。
圓満院宸殿は三井寺の勧学院客殿とよく似た造りで、寝殿造りの流れをくむ中門が設けられています。仁和寺の金堂などと共に江戸時代初期の寝殿造り宮廷建築の遺作として重要で、明治35年(1902)に国の重要文化財に指定されています。
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円満院

滋賀県大津市園城寺町に円満院があります。
三井寺(園城寺)の大門(仁王門)の前の道を北に少し行ったところに円満院があります。円満院門跡ともいわれ、もと三井寺の門跡寺院でした。緑に恵まれた5万平方mの境内には、国の重要文化財に指定されている圓満院宸殿(しんでん)や、国の名勝・史跡に指定されている円満院庭園があります。
円満院は寛和3年(987)、村上天皇の第3皇子である悟円法親王によって創建されたといわれています。以来、歴代門主には皇族の出身者が多く、三井寺山内では最も高い格式を誇っていました。現在は三井寺から離れ、天台宗の単立寺院になっています。
徳川秀忠と江の娘の徳川和子(東福門院)が後水尾天皇に嫁がれた元和5年(1619)に御所の中に「東福門院の御局」が造営されました。正保4年(1647)に圓満院にこの建物が移築され、圓満院宸殿となっています。
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三井寺百体堂

滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
百体堂は札所伽藍の観月舞台の隣にあります。堂内の正面中央に三井寺観音堂(正法寺)本尊と同じ如意輪観音像を奉安し、その左右に西国礼所の三十三観音像を二段に祀っています。右には坂東三十三箇所、左には秩父三十四箇所の本尊を安置し、合わせて百体の観音像を安置することから百体堂と呼ばれています。
百体堂は宝暦3年(1753)に建てられています。間口3間、奥行2間、宝形造り、本瓦葺きです。園城寺南院札所伽藍百体堂として昭和61年(1986)に滋賀県の有形文化財に指定されています。
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観月舞台

滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
南院の観音堂を中心とする札所伽藍の一角に観月舞台があります。琵琶湖を眼前に見通すことのできる位置にあり、観月の名所として知られています。謡曲「三井寺」はここが舞台となっています。中秋の名月の三井寺で、母親と行方知れずになった我が子が感動の再会を果たした名曲として知られています
観月舞台は嘉永3年(1849)に再建された建物です。間口1間、奥行1間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、外壁は吹き放しで周囲には高欄が廻っています。園城寺南院札所伽藍観月舞台として昭和61年(1986)に滋賀県の有形文化財に指定されています。
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三井寺観音堂

滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
三井寺の境域の南端近くの長等神社上の山腹に観音堂があります。西国33箇所観音霊場の第14番礼所で、本尊は平安時代に造られ、国の重要文化財に指定されている如意輪観音を祀っています。貞享3年(1686)、火災で焼失し、元禄2年(1689)に再建された大きなお堂です。
観音堂は仏像を安置する正堂(しょうどう)と礼堂(らいどう)・合の間の複合建築です。礼堂は間口9間、奥行5間、重層、入母屋造り、本瓦葺きです。内部には多くの絵馬が奉納されています。観音堂は園城寺南院札所伽藍観音堂として昭和61年(1986)に滋賀県の有形文化財に指定されています。
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三井寺南院鐘楼

滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
南院の鐘楼は文化11年(1814)に上棟されています。間口3間、奥行3間、袴腰付き、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの総欅の鐘楼です。組物は尾垂木(おたるき)を使わない三手先(みてさき)で、中備えは蟇股または蓑束(みのずか)で飾っています。園城寺南院札所伽藍鐘楼として昭和61年(1986)に滋賀県の有形文化財に指定されています。
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三井寺毘沙門堂

滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
南院の観音堂近くの北西方向に三井寺の毘沙門堂があります。この毘沙門堂は、もともと三井寺5別所の一つ尾蔵寺の南勝坊境内に建てられていました。明治以降に三尾社の下に移築され、戦後、現在地に移った堂宇です。
毘沙門堂は間口1間、奥行2間、単層、宝形造り、檜皮(ひわだ)葺きの小堂で、元和2年(1616)の建てられています。内部には文様などが彩色で描かれており、組物、軒廻り内部天井などに桃山時代の特徴が出ています。園城寺毘沙門堂として昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されています。
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微妙寺

滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
村雲橋の方から南院に入ると、微妙寺(びみょうじ)があります。三井寺5大別所寺院の1つで、三井寺の周辺に広く衆生を救うために設けられた別院です。比叡山延暦寺が山外に置いた5別所に対抗して建てられたようです。ほかに水観寺、近松寺、尾蔵寺、常在寺が三井寺5別所ですが、尾蔵寺と常在寺は廃絶、微妙寺と水観寺は三井寺の山内に移されました。
微妙寺の本堂は安永5年(1776)に再建された建物で、本尊は国の重要文化財でもある十一面観音菩薩です。この本尊は、廃絶した尾蔵寺の本尊だったといわれ、除病、除難、滅罪で霊験あらたかで知られていました。往時には参詣者が押し寄せ、かぶっている笠がすれあい脱げるほどであったことから「はずれ笠の観音」「笠ぬげ観音」と呼ばれたそうです。
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三井寺文化財収蔵庫

滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
文化財収蔵庫が微妙寺の近くに平成26年(2014)10月に開館しました。勧学院客殿障壁画のオリジナルを公開収蔵し、仏像、仏画、仏具など多くの重要文化財が展示、収蔵されています。
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勧学院客殿

滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
勧学院の客殿は桃山時代の書院造建築の代表作とされ、昭和27年(1952)に国宝に指定され、池泉式庭園は、園城寺勧学院庭園として国の名勝に指定されています。客殿内部の各部屋は襖で仕切られ、それを払えば大広間となり、学問所であったことがうかがえます。
間口7間、奥行7間、入母屋造り、妻入、正面軒唐破風付、単層、総柿(こけら)葺きで、光浄院客殿よりもやや規模が大きめです。中門は間口1間、奥行1間、単層、切妻造りで、中門や広縁は光浄院とほぼ同じで、中世の主殿造の様式です。
勧学院客殿は東を正面とし、軒唐破風の下に車寄、その北を蔀戸・吹放しの広縁としています。内部は南北を大きく三列に分け、南列の一之間と 広い二之間には、狩野光信(かのうみつのぶ)による華麗な障壁画が部屋を飾っています。
狩野光信は狩野永徳の長男で、永徳のあとを継いで織田、豊臣、徳川の3氏に仕えました。勧学院客殿の他、安土城、肥前名護屋城、二条城、伏見城などの城郭や寺院、禁裏の障壁画なをを制作しました。その筆法は父永徳の豪放とは対照的で、繊細、優美な画風で、宗秀、山楽らとともに永徳没後の桃山画壇を支えました。
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勧学院

滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
勧学院(かんがくいん)は唐院の南、村雲橋を渡った右手にあります。三井寺子院の中でも格式の高い子院の一つで、かつては三井寺の学寮でした。勧学院とは、学を勧めるところ、つまり講学の場(学問所)です。南都・北嶺の諸大寺には必ず設けられ、その歴史は、古く平安時代9世紀にまで遡るそうです。
三井寺の勧学院は「三井続灯記」に正和元年(1312)に創立と記されています。文禄4年(1595)、豊臣秀吉に闕所(けっしょ、寺域の没収)を命じられ破却されました。その後、秀吉は、死の直前に闕所を解除しました。以後、北政所や秀頼によって再建が進められ、慶長5年(1600)毛利輝元の手により再建されました。
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長日護摩堂

滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
三井寺の長日護摩堂は間口3間、奥行3間、単層、宝形造り、本瓦葺きの小堂で、灌頂堂と渡廊下によってつながっています。簡素な建物で、後水尾天皇(1611-1629)の祈願により建てられたといわれています。昭和35年(1960)に滋賀県の有形文化財に指定されています。
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唐院灌頂堂

滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
唐院の灌頂堂(かんじょうどう)は大師堂と四脚門の間に位置し、大師堂の拝殿としての役割を備えています。間口5間、奥行5間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、園城寺唐院灌頂堂として昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されています。
灌頂堂は密教の儀式である灌頂(かんじょう)の道場です。伝法潅頂をうけると僧の学位が得られたのです。内部は前室と後室に分けられ、伝法潅頂を行うプランを備えています。仁寿殿下賜の伝えそのままに、縁を廻らせ、蔀戸などをしつらえています。装飾が少ない落ち着いたお堂です。
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唐院四脚門

滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
唐院の四脚門は唐院の表門です。切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きの四脚門で、寛永元年(1624)に建立されています。この門は棟門(むねもん)形式で建てられましたが、建立後まもなく四脚門に変更されています。園城寺唐院四脚門として昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されています。
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三井寺唐院

滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
唐院は中院の中にあり、三井寺を開いた智証大師(円珍)が中国伝来のお経をおいた所です。また唐院には智証大師像が安置されています。唐門、大師堂、長日護摩堂、灌頂堂などがあります。天安2年(856)に持ち帰った経巻、法具などを貞観10年(868)に納め、伝法潅頂の場としました。伝法潅頂をうけると僧の学位が得られました。
唐院は最も神聖な場所とされ、一段高い石垣と塀に囲まれています。四脚門、灌頂堂、唐門、大師堂と一直線に続いています。国重文の唐門と大師堂は特別公開の時に見学できます。唐門は慶長3年(1598)建築で1間1戸向唐門、檜皮葺き。大師堂は同じ慶長3年(1598)の建築で、間口3間、奥行2間、単層、宝形造り、檜皮葺きです。
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三井寺三重塔

滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
三井寺の三重塔は経蔵の南、唐院の北よりに建っています。園城寺塔婆といわれ、大和地方における中世の塔の風格を持っています。中世の園城寺には、中院に、五重塔、三重塔、別所水観寺三重塔、北院に、新羅社三重塔、別所常在寺三重塔、南院に、別所徴妙寺三重塔、別所尾蔵寺三重塔、別所近松寺三重塔、別院如意寺三重塔、別院世喜寺三重塔など10基の堂塔があったそうです。
文禄4年(1595)、三井寺は豊臣秀吉の怒りに触れ、寺領の没収、事実上の廃寺を命じられました。現在の三重塔は秀吉によって慶長2年(1597)伏見城に移築された大和国(奈良県)の比蘇寺(現在の世尊寺)の東塔だったものです。南北朝時代の頃に建立された塔とみられています。
慶長6年(1601)、徳川家康がこの塔を三井寺に寄進し建立しました。塔は方3間、塔婆の形式で造られ、高さ24.7mの本瓦葺きです。一層目の須弥壇には、木造釈迦三尊像が安置されています。三重塔は鎌倉時代の和様の様式で、軒が深く、三重の屋根が見事な線を描いています。相輪の水煙などに中世仏塔の風格が漂っています。園城寺塔婆(三重塔)として明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。
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三井寺孔雀園

滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
三井寺にはたくさんの孔雀が飼われています。修験道の祖、役の行者「神変大菩薩」は孔雀明王の咒文を唱えて苦修練行し、遂に五色の雲を呼び、孔雀に乗って霊山に飛び去られたといわれています。
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弁慶の引摺り鐘

滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
弁慶の引摺り鐘と呼ばれる梵鐘は三井寺の初代の梵鐘で、奈良時代の作とされています。昔、俵藤太秀郷が百足退治のお礼に龍神よりもらい受け三井寺に寄進したと伝えられる有名な鐘です。
その後、比叡山にいた武蔵坊弁慶が奪って比叡山へ引摺り上げて撞いてみると 「イノー・イノー」(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといわれています。
この鐘には弁慶が引摺ったという疵痕や破目などが残っています。この鐘は寺に変事があるときには、その前兆として不可思議な現象が生じ、鳴らなくなったりしたそうです。
建武の争乱時には、略奪を恐れ鐘を地中にうめたところ、自ら鳴り響き、これによって足利尊氏軍が勝利を得たといわれるなど、まさに霊鐘というにふさわしい様々な不思議な事件をいまに伝えています。
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