苗村神社西本殿

滋賀県蒲生郡竜王町大字綾戸に苗村神社(なむらじんじゃ)があります。
苗村神社の西本殿は玉垣内の中央に建てられています、徳治3年(1308)に再建された社殿で昭和30年(1955)に国宝に指定されています。三間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、流造りの庇の部分に前室をつけ、さらに1間の向拝を設けています。正面の蟇股には、左右相称の華麗な透彫(すかしぼり)が施されています。
西本殿の内部には厨子が納められています。これもまた本殿と同時期に作られたもので、西本殿の附けたりとして国宝に指定されています。西本殿は滋賀県に多くみられる中世の本殿形式で、その中でも最も古く、形態、意匠に優れている建物といわれています、
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苗村神社八幡社本殿

滋賀県蒲生郡竜王町大字綾戸に苗村神社(なむらじんじゃ)があります。
苗村神社の境内社である八幡社本殿は西本殿の向かって左側の建物です。建立年代は、明らかではありませんが、東本殿や楼門などと同時代の室町時代中期の建立と考えられています。一間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きで、側面に幣軸板扉の出入り口が付いています。
八幡社本殿は小型の一間社ですが、組物出三斗に蟇股(かえるまた)などの装飾が施され、少し華美な建物です。正面柱間に装置をつけず、それより30cm奥に内外陣境の板扉をつけるなど、特異な手法を用いています。明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。
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苗村神社十禅師社本殿

滋賀県蒲生郡竜王町大字綾戸に苗村神社(なむらじんじゃ)があります。
苗村神社の境内社である十禅師社(じゅうぜんじししゃ)本殿は西本殿の向かって右側の建物です。一間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きで、室町時代中期に建てられています。蟇股(かえるまた)など装飾を施さない古式をとどめた社殿で、母屋の内部は一室とし、正面に幣軸板扉を設け、他の三面を板壁としています。
十禅師社は山王二十一社のうち上七社の一社十禅師の分霊社です。天台宗護法神の一社で、台密(だいみつ)勢力のもとに苗村神社社域に勧請されたと思われます。身舎は船肘木、向拝は連三斗と簡素で装飾が少ないのが特徴です。昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。
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苗村神社神輿庫

滋賀県蒲生郡竜王町大字綾戸に苗村神社(なむらじんじゃ)があります。
神輿庫は西本殿の近くにあって正面は西を向いて建てられています。庫内には33年に一度の秋季大祭や、毎年4月20日に行なわれる苗村祭りに担がれる神輿3基が置かれています。間口4間、奥行2間、単層、切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きで、天文5年(1536)に建てられています。昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。
神輿庫は正面と北側面に各一ヶ所の出入口があるほかは柱間のすべてを板壁とした簡素な建物です。天文5年(1536)に正一位の神位を受けた時に、勅使の装束召替仮殿として建築され、後に神輿庫に用いられています。出入口の他に開口部のない事から、当初から神輿庫、御供所などにする予定で建てられたようです。
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苗村神社楼門

滋賀県蒲生郡竜王町大字綾戸に苗村神社(なむらじんじゃ)があります。
苗村神社の楼門は大永2年(1522)に建てられた、この地方最大規模の雄大な楼門です。三間一戸の楼門で、入母屋造り、茅葺きです。下段の中央間に扉はなく、すべての柱間を開放しています。上段は楼門の型通りの柱間装置を備え、腰組には高欄を巡らしています。
楼門は全体的には和様を基調としています。上層の扉や連子窓は古式を示していて、軒尾垂木(のきおだるき)の先端を斜めして、強い反りをつけている所は禅宗様の手法です。下層は、縦横に貫で組まれ、斗拱間の小壁に至るまで開放されています。明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。
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苗村神社

滋賀県蒲生郡竜王町大字綾戸に苗村神社(なむらじんじゃ)があります。
苗村神社は、琵琶湖の東岸、近江八幡より陸側に入った竜王町の中央の田園地帯にあります。大きな鎮守の森の中にあり、近郷一帯33カ村にわたって氏子を有し、33年に一度行われる大祭は有名です。
苗村神社には、東と西に2つの本殿があります。東側には国の重要文化財の東本殿があり、西側には国宝の西本殿をはじめ、楼門、八幡神社本殿、十禅師社本殿、神輿庫など国の重要文化財に指定された歴史のある建物が建てられています。
創建の年代は明らかではありませんが、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に、長寸(なむら)神社の名で記されているのが苗村神社の前身であると考えられています。
寛仁元年(1017)、朝廷に長寸郷より門松用の松苗を献上し、後一条天皇より苗村の称号を賜り苗村神社と改称したといわれています。安和2年(969)に大和国吉野の金峯山から国狭槌命が勧請されると、本殿の西にも社殿が造営され、そこに国狭槌命が鎮座されました。
元来あった東本殿には苗村の産土神である那牟羅彦神(なむらひこのかみ)と那牟羅姫神(なむらひめのかみ)が祀られ、新しくできた西本殿には国狭槌命(くにのさづちのみこと)が祀られるようになりました。
苗村神社は歴代の領主からも崇敬され天正年間(1573-1592)には織田信長より馬鞍一基と大刀七振が奉納されています。神仏分離令までは、神仏習合であったので境内には苗村宮庵室と称する僧坊があり護摩堂もありました。明治14年(1881)には郷社、大正6年(1917)には県社に列しています。
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勝手神社本殿

滋賀県蒲生郡竜王町岡屋に勝手神社があります。
勝手神社の本殿は三間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きで、庇(ひさし)の間に建具をもうけて前室とし、さらに孫庇(まごひさし)を向拝(こうはい)とする形式の本殿です。前室の建具を菱組格子戸としていて、前室を開放的にして優美な曲線を出しています。
本殿の母屋柱上の組物は連出三斗組(つれでみつどぐみ)、前室および向拝は出三斗組に手狭(たばさみ)を入れ、3間の向拝各間に蟇股(かえるまた)をそなえています。応永7年(1400)の棟札が残っていて、大正4年(1915)に国の重要文化財に指定されています。
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勝手神社

滋賀県蒲生郡竜王町岡屋に勝手神社があります。
勝手神社は竜王町の南部、祖父川右岸の岡屋に位置しています。祭神は天孫降臨の際、32社の神とともに天降られたという受鬘命 (うけかづらのかみ)です。大和の国より移住した豪族が故郷を偲び、平安前期の貞観元年(859)に清和天皇即位を祝し、明神谷に勧請したといわれています。
清和天皇より正一位の神階を賜り、相殿の神は若宮神八王子神を祀り、勝手大明神と称しました。その後氏子の住家が応永7年(1400)、現在地に遷座したそうです。静寂な境内には国指定の重要文化財の本殿のほか、拝殿、八幡神社、大神宮などが建ち並んでいます。
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善水寺霊水場

滋賀県湖南市岩根に善水寺があります。
桓武天皇の病気平癒を祈祷し、この霊水を天皇に献上したところ、病気がたちどころに平癒したと伝わる霊水場があります。最澄は夢の御告げで「百伝の池」に辿り着き、池の中から薬師如来の金像を発見したそうです。最澄はこの池の水を霊水と悟り桓武天皇にこの霊水を献上したのでした。
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善水寺元三大師堂

滋賀県湖南市岩根に善水寺があります。
良源僧都は正月三日に亡くなったので元三大師と呼ばれ、比叡山横川中堂にも元三大師堂があります。良源僧都の住房跡で、江戸時代の正徳3年(1713)に再建された建物で、元三慈恵大師良源大僧正の等身大尊像を本尊として安置しています。
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善水寺本堂

滋賀県湖南市岩根に善水寺があります。
善水寺の本堂は南北朝時代の延文5年(1360)に焼失しましたが、貞治3年(1364)院主延海阿闍梨が再建しました。現在の巨大な本堂はこの時に再建された建物で、明治32年(1899)に国宝に指定されています。間口7間、奥行5間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きです。
本堂の中は外陣と、内陣に分かれていて、その境を菱格子で仕切っています。内陣は小組格天井で、中央の須弥壇上に入母屋造り、こけら葺きの1間厨子を置いています。厨子の中には本尊の木造薬師如来坐像を安置し、厨子外の左右には脇侍の梵天・帝釈天の2木像を置いています。
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善水寺

滋賀県湖南市岩根に善水寺があります。
岩根山善水寺は標高406mの岩根山の中腹にある天台宗のお寺です。岩根山には、かつて12の天台の修行場の僧坊があり、隣の菩提寺山には織田信長の焼き討ちまでは、36坊を有する小菩提寺があったそうです。また阿星山を中心とした阿星山三千坊と岩根山の寺々は、良弁僧都と深く結びついていたようです。
善水寺は阿星山近くにある長寿寺、常楽寺と共に「湖南三山」と呼ばれています。南北朝時代に再建された本堂は国宝に指定されています。寺宝が多く、本尊の木造薬師如来坐像をはじめ、金銅誕生釈迦仏立像、木造不動明王坐像など15体の仏像が国の重要文化財に指定されています。
善水寺は奈良時代の中期、和銅年間(708-714)に元明天皇の勅願により、国家鎮護の道場として建立され、和銅寺と称したようです。延暦年間(782-806)に最澄上人が入山し、天台宗に改め延暦寺の別院とし、諸堂を建立しました。
桓武天皇が病気にかかった時、最澄上人が密教の厄難消除祈願の薬師法を行い、霊水を献上したところ、たちどころに平癒したそうです。これにより「岩根山医王院」の号を賜り、寺名を善水寺に改めたといわれています。
元亀2年(1571)、織田信長の比叡山焼き討ちの兵火が善水寺にまで及び多くの堂宇が焼失しましたが、本堂など4棟は火災を免れ、仏像の多くも退避させたことで今に残されました。明治32年(1899)、昭和22年(1947)、昭和49年・50年(1974-1975)に屋根の葺替工事やその他補修が行われています。
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白山神社本殿

滋賀県湖南市東寺に白山神社があります。
白山神社の本殿は長い石段の上に建てられています。覆屋の中に間口1間、奥行1間の一間社流造りの建物が垣間見えます。
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白山神社拝殿

滋賀県湖南市東寺に白山神社があります。
白山神社拝殿は室町時代の末期の建築で、昭和34年(1959)に国の重要文化財に指定されています。間口3間、奥行3間の方三間の簡素な建物で、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きです。四方にぬれ縁をめぐらし、吹き返しの柱間に格子戸をはめています。
柱上に舟肘木(ふなひじき)をのせ、垂木(たるき)は一軒疎(まばら)割りとした簡素な構造です。天井は一面の平面をなす鏡天井です。棟や軒などの反りが美しく、建物の高さと屋根の形が調和のとれた軽快な建物になっています。長押(なげし)に飾られていた板絵著色三十六歌仙扁額は永享8年(1436)土佐将監によって描かれ、滋賀県の有形文化財に指定されています。
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白山神社

滋賀県湖南市東寺に白山神社があります。
白山神社(しらやまじんじゃ&はくさんじんじゃ)は長寿寺本堂の西側の高台にあります。祭神は白山比咩神(しらやまひめのかみ)で、長寿寺の鎮守社として、奈良時代に建立されました。境内の西一帯はホコバの森になっていて、社殿の北西には長寿寺の三重塔の跡が残っています。その三重塔は織田信長が安土城に創建した摠見寺に移してしまいました。
社伝によれば第56代清和天皇の貞観年中(859-877)に長寿寺の沙門貞海阿闍梨が勧請し、天台宗長寿寺の境内にあって白山権現と称し、同寺の護法神であり寿永2年(1183)源頼朝が長寿寺とともに本社を再興した、と伝えられています。
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長寿寺本堂

滋賀県湖南市東寺に長寿寺があります。
長寿寺の本堂は鎌倉時代初期に建てられたと推定される建物で明治31年(1898)に国宝に指定されています。間口5間、奥行5間、単層、寄棟造り、檜皮(ひわだ)葺きで、正面に3間の向拝を設けています。屋根は低く、廻廊が四方をぐるりと巡っています。
本堂の中は前方2間を外陣、後方3間を内陣とし、その境を格子戸と欄間で仕切っています。内陣の須弥壇上に、文明12年(1480)に造られた板葺きの一間造り春日厨子が置かれ、厨子内に本尊の子安地蔵尊と脇侍の聖観音・毘沙門天の3像が安置されています。厨子の左右には国重文の釈迦如来と阿弥陀如来坐像が安置されています。
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長寿寺弁天堂

滋賀県湖南市東寺に長寿寺があります。
本堂手前の向かって右側に大きな池があり、池の中島に長寿寺の弁天堂が建てられています。弁天堂は間口1間、奥行1間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、正面に軒唐破風を付けた小さな建物です。
長寿寺の弁天堂は規模は小さいのですが、仏堂としては本格的な建築で、優美な外観を持った建物です。古材の墨書銘から室町後期の天文19年(1550)造立とみられています。昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されています。
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長寿寺石造多宝塔

滋賀県湖南市東寺に長寿寺があります。
長寿寺の石造多宝塔は参道からそれた本堂に向かって右側にあります。日本最大級石造多宝塔と案内されている聖武天皇の菩提を弔う鎌倉時代の石造物です。高さは3.6m余りあり、相輪が揃っていれば4mを優に超える花崗岩の巨塔です。湖南市の有形文化財に指定されています。
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長寿寺山門

滋賀県湖南市東寺に長寿寺があります。
長寿寺の山門には「阿星山」という額が掲げられています。入ってすぐ右に入山料を徴収する受付があります。ここから本堂までの参堂には楓の並木が続いていて紅葉の時期はたくさんの人でにぎわいます。
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長寿寺

滋賀県湖南市東寺に長寿寺があります。
阿星山(あぼしさん)長寿寺(ちょうじゅじ)は阿星山(あぼしやま)の北東麓にあります。常楽寺の西寺に対して東寺と呼ばれる天台宗の古刹です。常楽寺、善水寺とともに「湖南三山」と呼ばれています。創建ははっきりしませんが、奈良時代後期、聖武天皇の勅願によって良弁(ろうべん)によって開かれたと伝えられています。
天平・奈良時代に、阿星山を中心に「阿星山三千坊」と呼ばれる寺が建ち並び、巨大な宗教圏を作っていたようです。山頂には阿星寺という中心的なお寺がありましたが、現在はありません。聖武天皇が、阿星山の南東に造った紫香楽宮の鬼門鎮護のお寺として長寿寺は常楽寺とともに繁栄しました。
平安時代初期に中興されましたが、一時衰え、鎌倉時代初期には源頼朝が、室町時代には足利将軍家が諸堂を修築、造営したことが寺伝に記されています。柱に享徳3年(1454)の墨書がある三重塔がありましたが、織田信長が領主になると安土城の城内に創建された摠見寺に移されてしまいました。
長寿寺の山門をくぐり楓の並木を進むと、二手に分かれます。鳥居のある左側は長寿寺の鎮守社であった白山神社があります。参道の正面には寄棟造りの国宝・本堂が建てられています。本堂前には弁天堂があり、白山神社とともに国の重要文化財に指定されています。
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常楽寺薬師堂

滋賀県湖南市西寺に常楽寺があります。
薬師如来は盗難に合い薬師堂は空でした。もともとあった十二神将も、本堂下陣に移動しています。常楽寺は無住であるため、仏像が盗難に逢っています。今は住職が一人で管理しているらしいのですが、本堂内部に書かれたたくさんのきたない禁止条項の看板は訪ねた人を不快にさせます。
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常楽寺石燈籠

滋賀県湖南市西寺に常楽寺があります。
常楽寺の本堂の前に立つ石燈籠は花崗岩で造られていて、高さが2.6mあります。竿に「応永十三年(1406)丙戌・・・」と彫られた造立銘があります。この石燈籠は国の重要文化財に指定されています。
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常楽寺三重塔

滋賀県湖南市西寺に常楽寺があります。
常楽寺の三重塔は本堂の左手後方、一段高い山腹に建てられています。室町時代に建てられた貴重な建物として常楽寺の本堂と同じく昭和28年(1953)に国宝に指定されています。本瓦葺きの三間四方三重塔婆で、高さは77.88尺(約22.8m)あります。瓦に応永7年(1400)の紀年銘が残されていて、この年に建立されました。
三重塔は純和様で、塔の廻りに縁をめぐらせ、正面に階段があります。初重は四方とも柱間3間で、その中央に板戸、左右に連子窓があります。塔の初層にある須弥壇(しゅみだん)には、釈迦如来像が安置され、来迎壁には「釈迦説法図」、四天柱には雲と仏菩薩、四方の壁には「真言八祖像」、「十王断罪の図・地獄図」などが描かれているそうです。
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常楽寺本堂

滋賀県湖南市西寺に常楽寺があります。
常楽寺の本堂は延文5年(1360)に火災で焼失し、観慶らによって同じ年に再建された建物です。間口7間、奥行6間、向拝3間が付き、入母屋造り、檜皮葺きです。正面の柱間中央5間に格子造りの蔀戸(しとみど)をはめ、その左右は連子窓(れんじまど)とし、側面には棧唐戸(さんがらと)を用いています。天井は格天井です。
堂内は外陣と内陣に分かれ、内陣の須弥壇上に寄棟造り、板葺きの厨子が安置されています。厨子の中に平安時代に造られた木造千手観音坐像が安置されています。厨子の両側には徳治年間(1306-1308)から正和年間(1312-1317)に造られた二十八部衆の立像が並んでいます。本堂は昭和28年(1953)に国宝に指定されています。
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常楽寺

滋賀県湖南市西寺に常楽寺があります。
阿星山(あぼしさん)常楽寺はJR石部駅の南東約3kmにある天台宗のお寺です。長寿寺、善水寺と共に「湖南三山」と呼ばれています。長寿寺が「東寺(ひがしでら)」に対して、常楽寺は「西寺(にしでら)」と呼ばれており、近江西国三十三箇所観音霊場第一番札所になっています。
常楽寺の創建ははっきりしませんが、聖武天皇の勅願で良弁(ろうべん)によって開かれたといわれています。良弁が愛用したと伝えられる錫杖(しゃくじょう)が、国の重要文化財に指定されています。
標高693mの阿星山(あぼしやま)という山が近くにあり、天平・奈良時代に、この山を中心に「阿星山三千坊」と呼ばれる寺が建ち並び、巨大な宗教圏を作っていたようです。聖武天皇は、この山の南東に紫香楽宮を造りました。常楽寺は長寿寺とともに紫香楽宮の鬼門鎮護とされていました。
平安から鎌倉時代にかけては、皇室・武門の帰依をうけて寺運は隆盛しました。延文5年(1360)に火災で焼け落ちましたが、その年に観慶らによって再興されました。南北朝時代に再建された本堂と、室町時代に建てられた三重塔はともに国宝に指定されています。本堂前の石燈籠は国の重要文化財に指定されています。
仏涅槃図(ほとけねはんず)や源信(げんしん)が描いたといわれる浄土曼荼羅図(じょうどまんだらず)、木造釈迦如来坐像、木造千手観音坐像、木造二十八部衆立像などの他、金銅飲食器、銅飲食器、金銅火舎など国の重要文化財に指定されている寺宝を数多く所有しています。
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春日神社本殿

滋賀県栗東市荒張に春日神社があります。
春日神社の本殿は一間社流造り、単層、檜皮(ひわだ)葺きの建物です。応永年間(1394-1428)に改築され、現在の本殿は明和8年(1771)に再建されたものです。今にも壊れそうな覆屋の中に鎮座しています。
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春日神社表門

滋賀県栗東市荒張に春日神社があります。
春日神社の表門は本殿の正面に東向きに建てられています。間口2.68m、奥行2.04m、切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きの四脚門です。紅梁中央に板蟇股があり、そのの上に桁行平三斗を組んで棟木を受けています。慶長18年(1613)に建てられた表門で、明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。
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春日神社

滋賀県栗東市荒張に春日神社があります。
春日神社は金勝山(こんぜやま)の麓の「こんぜの里」にある大野神社から南約100mのところにあります。開基の年代は明らかではありませんが、奈良興福寺文書に狛坂春日社と記されていることから金勝寺(こんしょうじ)の別院狛坂(こまさか)寺の守護神として創建され、昔は金勝山上の石臼谷というところにあったといわれています。
応永年間(1394-1428)に現在の場所に遷座したようです。大野神社とは関係が深く現在は御旅所となっています。石段の上に建つ表門は国の重要文化財に指定されています。拝殿、本殿、雑庫などがありますが老朽化しています。
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大野神社摂社本殿

滋賀県栗東市荒張に大野神社があります。
大野神社の摂社本殿は出雲大神・恵比寿大神・八幡大神を祀っているため三社殿(さんしゃでん)とも呼ばれます。大野神社本殿に向かって右側の階段の上に東面して建てられています。室町時代の建物で、昭和43年(1968)に栗東市の有形文化財に指定されています。
一間社流見世棚造(流造の縁、木階等を省略して簡素化した形式)、檜皮(ひわだ)葺き、単層の建物で、間口2.29m、奥行1.83mの社殿です。身舎は円形で、礎石上に組んだ土台上に建ち、内法長押と腰長押が廻っています。すべて反り垂木で、小規模の建築であるが均整美があります。
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