外村宇兵衛邸

滋賀県東近江市五個荘金堂町に外村宇兵衛邸があります。
五個荘金堂町にある五個荘商人の家は重要伝統的建造物群保存地区の中にあります。外村宇兵衛は、五個荘商人として活躍していた外村与左衛門浄秋(6代)の末子嘉久が、享和2年(1802)に分家して興したものです。
文化10年(1813)に与左衛門との共同事業から独立して商いを始めました。努力の末に東京・横浜・京都・福井などに支店を有し呉服太物類の販売を中心に商圏を広げ、明治時代には全国の長者番付にも名を連ねたそうです。
明治29年(1896)頃の最盛期には、2720平方mの敷地に主屋、書院、大蔵の他、蔵が十数棟立ち並んでいたそうです。庭も作庭当時神崎郡内(今は東近江市)一番の庭ともいわれたそうです。
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弘誓寺太鼓堂

滋賀県東近江市五個荘金堂町に弘誓寺(ぐぜいじ)があります。
弘誓寺の太鼓堂は国の登録有形文化財に指定され、寺前・鯉通りに面しています。切妻造り、桟瓦葺きで、東西棟の入母屋造り、桟瓦葺きの2階をのせています。2階は各面とも中央に柱を立て、内部の中央に太鼓を吊っています。太鼓堂は、通りから見ると2層の櫓に見え、鯉の泳ぐ水路とともに金堂の町並み景観に貢献しています。
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弘誓寺鐘楼

滋賀県東近江市五個荘金堂町に弘誓寺(ぐぜいじ)があります。
弘誓寺の鐘楼は間口1間、奥行1間、入母屋造り、本瓦葺きで、寛政12年(1800)に石積の基壇の上に再建されています。すべて欅材を使用し、四本柱を円柱にし、上下に粽をつけて頭貫台輪で固めています。組物を詰物にしてその中間位置に蟇股を置いています。国の登録有形文化財に指定されています。
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弘誓寺茶所

滋賀県東近江市五個荘金堂町に弘誓寺(ぐぜいじ)があります。
弘誓寺の茶所(ちゃじょ)は木造2階建て、入母屋造り、桟瓦葺きで、本堂の前方に建てられています。内部は南端に土間を設け、その北側西寄りに棹縁天井の広い板間があります。真宗寺院の茶所の形態を伝えていて、国の登録有形文化財に指定されています。
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弘誓寺庫裏

滋賀県東近江市五個荘金堂町に弘誓寺(ぐぜいじ)があります。
弘誓寺の庫裏は間口11間、奥行9間の木造2階建て、切妻造り、桟瓦葺きで、本堂の北側に建てられています。江戸中期の天保11年(1840)から嘉永元年(1848)の間に建立されたようです。庫裏の正面に建つ庫裏門は切妻造り、桟瓦葺きで、庫裏とともに国の登録有形文化財に指定されています。
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弘誓寺表門

滋賀県東近江市五個荘金堂町に弘誓寺(ぐぜいじ)があります。
弘誓寺の表門は入母屋造り、本瓦葺きの一間薬医門で、元禄5年(1692)に建てられています。棟札には八鳥村の上林武右衛門が棟梁で建立したと記されているそうです。ぼたんの籠彫・龍頭・獅子頭などの木鼻や、組物の間に詰めた彫刻は華麗で優美です。瓦には、那須与一に由来する扇の紋が残されています。国の登録有形文化財に指定されています。
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弘誓寺本堂

滋賀県東近江市五個荘金堂町に弘誓寺(ぐぜいじ)があります。
弘誓寺の本堂は宝暦14年(1764)に高木作右衛門を棟梁に建立されました。高木家は江戸時代に蒲生郡を中心に活躍した大工集団で、京都の東寺五重塔や三重の専修寺如意堂など多くの社寺建築を手掛けました。
本堂は間口5間、奥行5間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、正面に3間の向拝があり、背面に後堂が付いています。外周3面にゆったりとした落縁や広縁を巡らしています。柱は全て丸柱を使い、高い天井のある外陣の柱間には紅梁形飛貫を縦横に架け、柱上に出組組物を置き、紅梁上にも中備に出組組物と蟇股を配しています。
本堂の天井はすべて小組格天井をきれいに割り付けています。18世紀の典型的な大型真宗本堂で、京都の東本願寺阿弥陀堂のモデルにもなっています。弘誓寺本堂は昭和62年(1987)に国の重要文化財に指定されています。
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弘誓寺

滋賀県東近江市五個荘金堂町に弘誓寺(ぐぜいじ)があります。
石畠山弘誓寺は浄土真宗大谷派の古刹です。重要伝統的建造物群保存地区に指定されている金堂(こんどう)地区に、国指定重要文化財の本堂をはじめ、表門、太鼓堂、庫裏、庫裏門、鐘楼などの国の登録有形文化財に指定された堂宇が建ち並んでいます。
正応3年(1290)、源平の屋島合戦で有名になった那須与一の孫の愚咄坊(ぐとつぼう)(俗名・那須資長)が開基となり石畑に一宇を設けたのが始まりです。正応5年(1292)に現在の弘誓寺という寺号を受け、神崎郡の躰光寺(たいこうじ)村に移りました。そして天正9年(1581)に現在地に移転しました。
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老蘇の森

滋賀県近江八幡市安土町東老蘇に奥石神社(おいそじんじゃ)があります。
老蘇(おいそ)の森は万葉の昔から和歌に詠まれています。奥石神社が延喜式神名帳に載せられたのは、繖山や老蘇の森と深い結びつきのある神社であったからともいわれています。本居宣長は「夜半ならば 老蘇の森の郭公 今もなかまし 忍び音のころ」と詠んでいます。
日本武尊(やまとたけるのみこと)を救うために、妃の弟橘姫命(たちばなひめのみこと)が身代わりになり荒海に身を投げたという伝説があります。その時身ごもっていて、老蘇の森にとどまって永遠に女人の安産を守ると言い残し、波間に消えたそうです。このことから奥石神社は安産の神といわれ、今でも広く信仰されています。
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奥石神社境内社諏訪社本殿

滋賀県近江八幡市安土町東老蘇に奥石神社(おいそじんじゃ)があります。
奥石神社境内社諏訪社本殿は本殿に向かって左に鎮座しています。正面柱間1.32mの一間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きで、近江八幡市の有形文化財に指定されています。建築年代は明らかではありませんが舟肘木(ふなひじき)、向拝の木鼻、連三斗組(つれみつどぐみ)の特徴から本殿と同じく桃山時代に造られたと思われます。
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奥石神社本殿

滋賀県近江八幡市安土町東老蘇に奥石神社(おいそじんじゃ)があります。
奥石神社の本殿は桃山時代の天正9年(1581)に、織田信長が家臣の柴田家久(勝家の一族)に命じて造立させたもので、明治35年(1902)、 国の重要文化財に指定されています。
本殿は三間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きです。流造りの庇の間に建具を設けて前室とし、さらに向拝1間をつけています。滋賀県内の中世の流造りの形式を受け継ぎ、優美に発達させたものです。唐草文様を透彫りした蟇股や、彫刻を施した手挟(てばさみ)、格狭間(こうざま)など華麗な装飾は見事です。
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奥石神社

滋賀県近江八幡市安土町東老蘇に奥石神社(おいそじんじゃ)があります。
繖山(きぬがさやま)の南麓、国道8号線と東海道新幹線が立体交差するところに老蘇(おいそ)の森があります。万葉の昔から多くの歌人や旅人によって歌に詠まれ「歌枕」としても名高い森で国史跡に指定されています。その森の中に奥石神社は建てられています。
奥石神社は延喜式内社で祭神には繖山の祭神でもある「天児屋根命」(あめのこやねのみこと)を祀っています。藤原氏の祖の神で、奥石神社は繖山山頂の磐座を遠拝する祭祀場として建てられたのではないかと推察されています。
社伝によると中世には鎌宮(かまみや)神社と称し、崇神天皇の時代に、吉備武彦が武運祈願のために勧請し、孝霊天皇の時代、石辺大連が社殿を建立したと伝えられています。鎌宮は「蒲生野宮(かまふのみや)」がなまって付けられたといわれています。大正13年(1924)に鎌宮神社から奥石神社と改称しています。
石の鳥居をくぐり 杉の大木の中の参道を進むと、奥石神社の社殿が現れます。玉砂利が敷き詰められた境内には、国指定重要文化財の本殿、市指定文化財の境内社諏訪社本殿のほか、拝殿や稲荷神社などが建てられています。
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浄厳院釈迦堂・観音堂

滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺に浄厳院(じょうごんいん)があります。
浄厳院の釈迦堂は観音堂の左隣りにあります。入母屋造り、桟瓦葺きで、天保10年(1839)に建てられた仏堂です。不動堂とよく似た観音堂は入母屋造り、本瓦葺きで、享保6年(1721)に建てられています。
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浄厳院不動堂

滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺に浄厳院(じょうごんいん)があります。
浄厳院の不動堂は宝形造り、桟瓦葺きで禅宗様を取り入れた小堂です。隅鬼瓦銘から、元禄16年(1702)に建てられた建物で、近江八幡市有形文化財に指定されています。基壇上に建ち、正面は桟唐戸両開きで、両脇の小間に火頭窓を付けています。
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浄厳院鐘楼

滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺に浄厳院(じょうごんいん)があります。
浄厳院の鐘楼は腰袴付きの本格的なもので、寛保2年(1741)に建てられたものです。切石三段積基壇の上に建つので高く感じさせます。腰袴の裾の広がりと、軒の出の深さが荘厳な感じを出しています。鐘楼は近江八幡市有形文化財に指定されています。
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浄厳院本堂

滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺に浄厳院(じょうごんいん)があります。
浄厳院の本堂は浄厳院創建に当たり、織田信長が多賀村の興隆寺の弥勒堂を移したもので、室町後期の建物です。間口7間、奥行6間、単層、入母屋造り、向拝3間、背面下屋付属、本瓦葺きです。明治36年(1903)に国の重要文化財に指定されています。
前身の興隆寺は天台宗寺院であったため、移築前の弥勒堂は、内部を前後に分割して内陣と外陣に分け、格子扉で区切っていました。移築した時に、内陣と外陣の間の格子を取り払い、浄土宗の本堂に改変されました。 和様を主体とした古い様式を残した室町時代末期の遺構です。
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浄厳院楼門

滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺に浄厳院(じょうごんいん)があります。
浄厳院の楼門は慈恩寺の楼門として天平年間(1532-1555)に建立された朱塗りの門です。三間一戸、八脚、中央に板扉を構える2階建ての楼門で、入母屋造り、本瓦葺きです。南向きで、左右に二王像を配しています。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
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浄厳院

滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺に浄厳院(じょうごんいん)があります。
金勝山浄厳院はJR安土駅の南西約700m、歩いて10分くらいのところにある浄土宗のお寺です。天正5年(1577)、織田信長は六角氏の菩提寺であった慈恩寺を破壊したあとに、近江、伊賀の浄土宗の総本山として金勝寺の僧・浄厳坊応誉明感を開基として招き、浄土宗金勝山浄厳院として創建しました。
天正7年(1579)浄厳院本堂で浄土宗と日蓮宗との宗教論争「安土問答」(安土宗論)が行われたことで有名です。裁定は日蓮宗の敗北と決し、日蓮宗側は処罰され、これ以後他宗への法論を禁じられたそうです。他宗と衝突する日蓮宗を抑えようとする信長の思惑があったようです。
信長は、浄厳院の本堂として多賀村(現・近江八幡市)の興隆寺の弥勒堂を移しました。本尊の阿弥陀如来坐像も愛知郡二階堂の古寺からを移し、安置させました。国の重要文化財に指定されているこの本尊は、平安時代につくられた丈六仏で、高さが2.7mもあり、飛天光這背を負い、結跏趺坐(けっ かふざ)をしている像です。
本堂と楼門は国の重要文化財に指定され、鐘楼、不動堂、宝篋印塔は近江八幡市有形文化財に指定されています。境内には他にも釈迦堂、観音堂、書院、庫裏、勅使門などが建てられています。
寺宝の絹本着色山王権現像、厨子入銀造阿弥陀如来像、厨子入銅製舎利塔などは国の重要文化財に指定され、織田信長朱印状、称讃浄土仏摂受経が県有形文化財に、木造釈迦如来立像、絹本著色観無量寿経変相図が市有形文化財に指定されています。
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八幡社本殿

滋賀県近江八幡市馬淵町に八幡社があります。
八幡社の本殿は三間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物です。側面は1間として外陣はなく、向拝は3間のところを中間の柱を除いて1間としています。文禄5年(1596)に大岡作衛門尉藤原長広により再建された建物で、大正12年(1923)に国の重要文化財に指定されています。
本殿の組物は出三戸(でみつど)、蟇股(かえるまた)は向拝と身舎正面にそれぞれ3個ずつ設けられています。蟇股、手挟(たばさみ)の彫刻には総丹塗りの彩色が施されています。毎年5月1日から5日の宮座神事で猿楽が奉納されています。
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八幡社

滋賀県近江八幡市馬淵町に八幡社があります。
八幡社は近江八幡駅の南約3kmの国道8号線の馬渕の交差点近くにあります。社伝によると源義家が奥洲に出陣の折、乗っていた馬が熱病にかかり、本村の淵で水を与えて休ませところ快癒したので、そこに八幡宮を創建し、応神天皇の霊を勧請し、武運長久を祈願したと伝えています。
馬渕氏の祖となった佐々木定綱の第5子馬渕広定が堂宇を再建し、繁栄しましたが、元亀2年(1571)の信長の兵火にあって焼失しました。文禄5年(1596)、大岡作衛門尉藤原長広により現在の本殿が再建されました。境内には国重文の本殿の他に拝殿、中門透塀、神輿庫、今宮社、祇園社などが建てられています。
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近江日野商人館

滋賀県蒲生郡日野町大窪仕出町に近江日野商人館があります。
近江商人とは 高島商人、八幡商人、日野商人、湖東商人などの総称です。その中の 「日野商人」 はおもに、日野椀と薬が主力商品だったようです。地元の豪商山中家が邸宅を寄付したことから近江日野商人館ができました。
山中家は静岡県御殿場に出店して大成功した日野商人の名家です。近江守護佐々木氏の一族を先祖に持つ山中兵右衛門(やまなかひょうえもん)の旧宅が資料館になっています。
典型的な日野商人本宅の特徴を示す建物です。館内には初期の行商品や道中具、店頭品をはじめ、代々伝わる家訓10カ条などが展示され、日野商人の歴史と商いぶりなどがよくわかります。
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正明寺本堂

滋賀県蒲生郡日野町大字松尾に正明寺があります。
正明寺の本堂は、正保2年(1645)後水尾天皇から京都御所の清涼殿を下賜され建立されたものです。間口5間、奥行4間、単層、寄棟造り、檜皮(ひわだ)葺き、1間の軒唐破風向拝が付いています。
檜皮葺きの屋根の流れは実に美しく、随所に桃山建築の枠を凝らした跡が見られます。昭和5年(1930)に国の重要文化財に指定されています。
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正明寺山門

滋賀県蒲生郡日野町大字松尾に正明寺があります。
正明寺の山門は参道の石段の先に南面して建てられています。18世紀中頃に再建された建物です。1間1戸の四脚門で、正面に軒唐破風を付けています。屋根の両端には大きな鯱が乗り、中央に宝珠を載せています。
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正明寺

滋賀県蒲生郡日野町大字松尾に正明寺があります。
法輪山正明寺は黄檗宗のお寺です。黄檗宗は臨済宗の1分派で、明の黄檗山萬福寺の隠元が、承応3年(1654)に来日し、京都宇治に黄檗山萬福寺を建立し、広めた宗派です。 正明寺境内には山門、本堂、禅堂、鐘楼、経蔵、開山堂が建ち並んでいます。
正明寺は聖徳太子の創建と伝えられる古刹で比叡山延暦寺系の地方大寺として栄えましたが、織田軍の兵火で消失してしまいました。江戸時代の初め、後水尾天皇の命により、寛文4年(1664)龍渓(りゅうけい)禅師が入山して再興されました。黄檗禅の中本山になり、数多くの名僧を輩出しました。
本堂は旧京都御所の清涼殿で国の重要文化財です。本尊である千手観音立像及び脇侍の毘沙門天と不動明王は、室町期の作といわれ、国の重要文化財に指定されています。千手観音の像高は約120cm、毘沙門天は約70cm、不動明王約64cmで、寄木造り、玉眼の造りです。
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苗村神社東本殿

滋賀県蒲生郡竜王町大字綾戸に苗村神社(なむらじんじゃ)があります。
東本殿の参道の入り口には「式内長寸神社」と刻まれた石碑が建てられています。苗村神社の東本殿は西本殿とは離れたところにぽつりと建っています。一間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物は室町時代中期に建てられた社殿で大正13年(1924)に国の重要文化財に指定されています。
東本殿の正面は格子戸ですが、少し入ったところに幣軸を廻らして板扉を建て、東側面にも同様の扉口を設けています。大きめで、簡素な一間社ですが、蟇股には優美な彫刻が施されています。前庭にある石灯籠には永享4年(1432)の銘があり本殿建立の時に造られたとの見方もあります。
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苗村神社不動堂

滋賀県蒲生郡竜王町大字綾戸に苗村神社(なむらじんじゃ)があります。
苗村神社の不動堂には国の重要文化財の木造不動明王立像が安置されています。明治の神仏分離令までは、神仏習合であったので境内には苗村宮庵室と称する僧坊があり護摩堂もありました。不動明王像はその庵室の護摩堂の本尊だったものです。
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子守の像

滋賀県蒲生郡竜王町大字綾戸に苗村神社(なむらじんじゃ)があります。
苗村神社の神輿庫の手前に子守の像が建てられています。祭神である国狭槌命(くにのさづちのみこと)は山の神の大山祇命、野の神の鹿屋野比売命(かやぬひめのみこと)二神から生まれた神で、縁結びや商売繁盛、厄除け、安産や子宝にご利益があるといわれています。
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苗村神社拝殿

滋賀県蒲生郡竜王町大字綾戸に苗村神社(なむらじんじゃ)があります。
楼門をくぐった先に苗村神社の拝殿が建てられています。間口3間2尺、奥行3間2尺、入母屋造りです。舞殿のようなこの地方特有な拝殿で、南向きに配置されています。その奥の玉垣内には西本殿が鎮座しています。
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