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清涼寺座禅所

清涼寺座禅所
 滋賀県彦根市古沢町に清涼寺があります。
 清涼寺の座禅所では約80年間にわたって月例の坐禅会を開いているそうです。一般の人でも参禅できるそうです。井伊家は徳川幕府の重鎮であったので、全国から高僧が訪れ、修業道場として名声が高かったそうです。

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清涼寺客殿

清涼寺客殿
 滋賀県彦根市古沢町に清涼寺があります。
 清涼寺の客殿は本堂手前の右手に建てられています。大きな切妻屋根に小さな屋根が乗っています。正面には立派な唐破風の車寄せが備えられています。井伊家の「井」の入っている鬼瓦や家紋である橘も随所に見受けられます。

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清涼寺本殿

清涼寺本殿
 滋賀県彦根市古沢町に清涼寺があります。
 山門の奥正面に嘉永5年(1852)に建てられたという清涼寺の本殿があります。入り口が左に寄った左右非対称のつくりになっているのが特徴です。中には寺宝である歴代藩主の画像や狩野元信らの名画が所蔵されています。

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清涼寺

清涼寺
 滋賀県彦根市古沢町に清涼寺があります。
 祥寿山清涼寺は彦根市の北東、佐和山の麓にある曹洞宗のお寺です。嘉永年間(1624-1633)に彦根藩2代藩主井伊直孝が父である井伊直政の墓所として、旧領であった上野国の叢林寺から愚明正察(ぐみょうしょうさつ)禅師を招いて開山したのが始まりと伝えられています。
 以来、歴代彦根藩主井伊家の菩提寺となり、崇敬庇護され繁栄しました。裏山の高台には旧藩主の宝篋印塔が6基並んでいます。諸国から高僧が招かれ住職を務め、厳しい修業道場として有名だったそうです。最盛期には200人の衆徒が蒔水の修行をしていたと伝えられています。
 佐和山城は関が原の合戦で敗れた石田三成の居城でした。境内は、三成の重臣・嶋左近の屋敷があったところです。本堂左のタブの木は嶋左近手植えのものと伝えられています。清涼寺の七不思議といわれる伝説があり、それらすべてが佐和山落城に関連するものばかりだそうです。

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遠城謙道石碑

遠城謙道石碑
 滋賀県彦根市金亀町に彦根城があります。
 井伊直弼像の近くに遠城謙道の石碑があります。謙道は彦根藩士で遠城平右衛門といいました。桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されたことを悼み、清涼寺で仏門に入り、謙道と改め、37年もの間、江戸・井伊家の菩提寺、豪徳寺に移り、終生読経をして霊を慰めたそうです。

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花の生涯記念碑

花の生涯記念碑
 滋賀県彦根市金亀町に彦根城があります。
 花の生涯記念碑は、昭和39年(1964)に建立されました。作家・舟橋聖一が大老井伊直弼の波乱に富んだ一生を描いた「花の生涯」を発表し評判になりました。NHK大河ドラマ「花の生涯」も放映され大ブームになり、記念碑が生まれました。

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井伊直弼像

井伊直弼像
 滋賀県彦根市金亀町に彦根城があります。
 井伊直弼の銅像は彦根城金亀児童公園の中に建てられています。直弼は11代彦根藩主井伊直中の14男として生まれました。安政5年(1858)、幕府の大老となり「日米友好通商条約」に調印して開国を断行しました。しかし反対派によって万延元年(1860)に桜田門外で暗殺されました。46歳の若さでした。この銅像は、最後の官職だった正四位上左近衛中将の正装を映したものです。

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彦根城鐘の丸

彦根城鐘の丸
 滋賀県彦根市金亀町に彦根城があります。
 彦根城太鼓櫓門下にある時報鐘は築城当初は鐘の丸にありました。この付近には大広間御殿と御守殿も建てられていました。大広間御殿は享保17年(1732)に彦根藩江戸屋敷の広間として移築されています。

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家老脇家屋敷跡

家老脇家屋敷跡
 滋賀県彦根市金亀町に彦根城があります。
 表門橋の手前に家老だった脇家屋敷跡があります。海鼠壁の長屋門でかなり荒れ果てている感じです。脇家は、家老の一家として彦根藩に仕えました。 初代の脇豊久は武田家に仕え、武田家滅亡後徳川家康に仕え、井伊直政に預けられました。井伊家では2千石の知行で家老職を任されたそうです。

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彦根城時報鐘

彦根城時報鐘
 滋賀県彦根市金亀町に彦根城があります。
 時報鐘は太鼓門近くの高台にあります。城下にも響くようにと鐘の丸から移されたそうです。江戸時代の絵図には「鐘突所」と記されています。現在の鐘は愛知郡長村(東近江市長町)の鋳大工黄見新左衛門ら5人により制作されたもので、弘化元年(1844)に12代藩主井伊直亮が発注したそうです。今も定時に鐘が撞かれ「日本の音風百景」に選ばれています。

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彦根城表門橋

彦根城表門橋
 滋賀県彦根市金亀町に彦根城があります。
 彦根城の表門橋は佐和口二の丸から本丸へ内濠にかかる橋です。平成16年に再建されました。橋の先の冠木門があった場所は、石垣だけが残されています。この上には月見櫓もあったそうです。

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彦根城馬屋

彦根城馬屋
 滋賀県彦根市金亀町に彦根城があります。
 彦根城の馬屋は二の丸佐和口門の中に入った所にあります。東西棟は間口25.2m、奥行5.9m、単層、入母屋造り、井戸屋形附属、こけら葺きです。南北棟は間口31.1m、奥行5.9m、単層、南面入母屋造り、こけら葺きで北面が東西棟に接続しています。元禄時代(1688-1703)に建てられていて、昭和38年(1963)に国の重要文化財に指定されています。
 明和4年(1767)に佐和口多聞櫓が焼失した時に、罹災しましたが、多聞櫓の復興とともに修理されています。この時にこけら葺きの上に桟瓦をのせました。昭和42年(1967)の修理の時、このこけら板が当初のものとわかり、元禄頃の建立と判明しました。城郭の附属施設としての馬屋は、唯一の遺構で他に例がないそうです。

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彦根城太鼓門及び続櫓

彦根城太鼓門及び続櫓
 滋賀県彦根市金亀町に彦根城があります。
 彦根城の太鼓門及び続櫓は昭和26年(1951)に国の重要文化財に指定されています。太鼓門は単層、切妻造り、本瓦葺き、脇戸付櫓門で、東端が続櫓につながっています。続櫓は単層、入母屋造り、本瓦葺きの櫓です。石田三成が城主であった佐和山城から移築されたといわれ、慶長時代(1596-1614)に造られたと推察されます。
 太鼓門は本丸への最終関門にあたる重要な櫓門で、城中合図の太鼓を置いたことから太鼓門と呼ばれます。城門は両脇の石垣に渡された冠木(かぶき)中央に両開きの大扉があって、北側の脇間には片開きの潜戸(くぐりど)が設けてあります。太鼓門の垂木が白漆喰塗の角形に対し、続櫓では波形に塗りこまれています。

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彦根城天秤櫓

彦根城天秤櫓
 滋賀県彦根市金亀町に彦根城があります。
 彦根城の天秤櫓は大手門と表門からの道が合流する要の位置に築かれた櫓です。太鼓門から一段下った位置に東面して建ち、天秤のように左右対称になっています。上から見ると「コ」の字形をしています。両隅に2階建ての櫓があり中央に門があります。秀吉が築いた長浜城から移築したもので、慶長年間(1596-1614)に建てられています。
 嘉永7年(1854)に大規模な修理が施され、建物のみならず石垣まで積み替えています。右手の高石垣が、越前の石工たちが築いたと伝える築城当初の牛蒡積(ごぼう)みの石垣です。そして、左手が幕末に積み替えた切石の「落し積み」です。天秤櫓は昭和26年(1951)に国の重要文化財に指定されています。

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彦根城二の丸佐和口多聞櫓

彦根城二の丸佐和口多聞櫓
 滋賀県彦根市金亀町に彦根城があります。
  「いろは松」に沿った登城道の正面に佐和口(さわぐち)があります。南の京橋口、西の船町口、北の長橋口とともに濠に面した4つの門の1つで、大手の京橋口とともに彦根城の重要な城門の1つです。二の丸佐和口多聞櫓は佐和口に向かって左翼に伸びており、その端に2階2重の櫓が建ち、多聞櫓に連接しています。
 佐和口多聞櫓の内側は、扉以外には窓もなく、漆喰で塗り込められています。外側には窓や狭間を多く設けた攻撃的な造りです。昭和26年(1951)に国の重要文化財に指定されています。彦根城が完成した元和(げんな)8年(1622)に建立されていましたが、明和4年(1767)火災に遭いました。現在の建物は明和8年(1771)に再建された建物で、一部、昭和35年(1960)に復元された部分を含んでいます。

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彦根城西の丸三重櫓及び続櫓

彦根城西の丸三重櫓及び続櫓
 滋賀県彦根市金亀町に彦根城があります。
 西の丸三重櫓は、本丸に隣接する西の丸の西北隅に建っています。そして西に張り出した出曲輪(でぐわ)との間に設けられた深い堀切(ほりぎり)(尾根を切断して造られた空堀)に面して築かれています。浅井長政の小谷城から移築された建物といわれ、昭和26年(1951)に続櫓とともに国の重要文化財に指定されています。
 西の丸三重櫓は本瓦葺きの3階建て、3重の建物で、東側と北側にそれぞれ1階の続櫓を「く」の字に付設しています。装飾的な破風などはなく、櫓全体を総漆喰塗りとし簡素な気品のある櫓です。隅櫓1階は入側柱と中央に中柱が立ち、2階は中柱のみ、3階は中柱もなく、各1室です。西の搦手(からめて)方面からの敵に備えた守りの要の役割を担いました。。

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彦根城天守

彦根城天守

 滋賀県彦根市金亀町に彦根城があります。
 彦根城の天守は本瓦葺きの3階建て、3重の建物です。屋根は切妻破風(きりづまはふ)、入母屋破風、唐破風(からはふ)」を多様に配し、1階は突揚戸(つきあげど)、2階と3階には花頭窓(かとうまど)、3階には高欄付きの廻縁(まわりえん)を巡らせています。天守の部材に残る墨書によって慶長11年(1606)に天守は完成したことが明らかになっています。
 彦根藩主井伊家の歴史を記した「井伊年譜」に、「天守は京極家の大津城の殿守也」と記されています。彦根城の天守は大津城天守を移築したものなのです。昭和30年(1955)の修理の際に柱・梁・桁等に移築した形跡があると認めています。大津城天守は4重5階で1階と2階、4階と5階に通柱を持つ真壁造の天守であったようです。
 彦根城の天守は独立天守で北西隅に附櫓が付き、これから東へ長い多聞櫓が連なっています。天守と附指定で櫓及び多聞櫓が、昭和27年(1952)に国宝に指定されています。北面の東寄りには玄関があり、石垣内の地下入口に通じています。
 天守の構造は通し柱を用いないで、各階ごとに積み上げていく方式をとっていて、全体として櫓の上に高欄を付けた望楼を乗せる古い形式を残しています。牛蒡積(ごぼうずみ)と呼ばれる石垣は自然石を使い、重心が内下に向くように作られています。外見は粗雑な感じですが頑丈な積み方です。

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彦根城

彦根城
 滋賀県彦根市金亀町に彦根城があります。
 彦根城は彦根駅の西方にある海抜136mの金亀山(彦根山)にあります。この山には金の亀に乗った観音像が安置されており、金亀城とも呼ばれました。山頂付近の本丸を中心に西の丸、太鼓丸、鐘の丸があり、麓には二の丸、三の丸を配しました。琵琶湖の水を引き込んだ3重の堀がある堅固な構えで、連郭式平山城の名城とされました。
 井伊直政は、慶長6年(1601)徳川家康から18万石を与えられ、石田三成の居城であった佐和山城に入りました。新しい城の築城を考えていましたが他界し、跡を継いだのは嫡男の直継でした。若年だったため、家康の意向で、家老を中心に慶長8年(1603)、彦根城の建設に着手しました。
 豊臣秀頼が大阪城にいて、西国には豊臣恩顧の諸大名がいた事から、中間地点に徳川方の城を早急に築く必要がありました。築城には公儀御奉行3名が付けられ、尾張、越前、伊賀、伊勢、美濃、飛騨、若狭の7ヶ国12大名が作事を命じられる天下普請でした。
 短期間で築くため、天守閣は京極高次の大津城の天守閣、太鼓門櫓は佐和山城の城門、天秤櫓は長浜城の大手門、西の丸三重櫓は小谷城の天守閣を移築たといわれています。慶長11年(1606)には天守を完成させ、応急の築城を成し遂げました。
 慶長19年(1614年)の大坂の陣で、家康は直継の異母弟の直孝を井伊軍の大将に指名し、大坂冬の陣の後、直孝に正式に井伊氏の家督を継がせ、直継は上野国安中藩3万石の当主としました。2代彦根藩主になった直孝は御殿などを築き、元和8年(1622)に彦根城を完成させました。
 彦根城は築城から明治の廃藩置県まで、一度の領主替えもなく井伊氏14代が在城し続けました。彦根城の天守は国宝に指定され、佐和口多聞櫓、馬屋、天秤櫓、西の丸3重櫓及び続櫓が国の重要文化財に指定されています。城内は彦根城跡として国の特別史跡で、日本100名城に選定されています。

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甲良神社蔵

甲良神社蔵
 滋賀県犬上郡甲良町尼子に甲良(こうら)神社があります。
 甲良神社の蔵には4つの扉があります。一番左端には氏神さんの御輿、残り三つに各部落の太鼓が入っています。4月中旬の例祭に使われます。

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甲良神社拝殿

甲良神社拝殿
 滋賀県犬上郡甲良町尼子に甲良(こうら)神社があります。
 甲良神社の拝殿は、間口4間2尺 奥行3間2尺、単層、四方は吹き放しで舞殿のようで、大正15年(1926)に再建さた建物です。拝殿の棟鬼板(とうきばん)に佐々木神社の神紋と同じ四つ目が使われていたことから、近江源氏佐々木氏と関係の深い神社だと考えられています。

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甲良神社本殿

甲良神社本殿
 滋賀県犬上郡甲良町尼子に甲良(こうら)神社があります。
 甲良神社の本殿は、建物全体が直線的な神明造り(しんめいつくり)です。明治までは甲良大明神、松宮大明神と称していましたが、明治5年(1872)に甲良神社と改称し村社になりました。明治16年(1883)に郷社に昇格し、この年、本殿を新築しています。

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甲良神社権殿

甲良神社権殿
 滋賀県犬上郡甲良町尼子に甲良(こうら)神社があります。
 甲良神社の権殿はもとの本殿で、室町中期に火事で焼けた後再建された建物の一部といわれています。昭和25年(1950)の解体修理の際、向拝奥肘木から「寛永十一年」の墨書銘が発見され、寛永11年(1634)に昔の材料を残しながら再建された建物と推察されます。
 権殿の正面の柱間2.736m、奥行は母屋と向拝をあわせて4.687m、一間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きで、大正4年(1915)に国の重要文化財に指定されています。前の屋根が曲線形に長く延びて向拝になる流造りの形式です。蟇股や柱、梁などに彫刻が施され、装飾の豊かな建物です。
 正面を除く3面は一間社の板壁ですが、背面のみ中間に柱を立てて、2間となっています。内部は内陣と外陣に分れています。外陣の床は縁より一段高くなっています。正面では腰長押の下に格狭間の蹴込み板が入っています。この透模様の蹴込み板は松材で、その細工の仕方から室町時代のものと考えられています。

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甲良神社

甲良神社
 滋賀県犬上郡甲良町尼子に甲良(こうら)神社があります。
 甲良神社は尼子駅の東約1kmのところ、田園地帯の森の中に鎮座しています。祭神は武内宿禰(たけのうちのすくね)で、天武天皇の時代(7世紀後半)に筑紫国(福岡県)高良明神を勧請したのが始まりといわれる古社です。昔は甲良荘の総社で、松宮大明神と称していたそうです。
 明治16年(1883)、甲良神社が改築された時、旧本殿を西へ移してご神体を臨時に祀る仮殿にしました。これを権殿(ごんでん)といい、現在も本殿の横に鎮座し、国の重要文化財に指定されています。

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西明寺夫婦杉

西明寺夫婦杉
 滋賀県犬上郡甲良町池寺に西明寺があります。
 西明寺の夫婦杉は樹齢千年といわれています。もともと2本であった木が寄添って1つになり、ともに育っていることから夫婦杉と呼ばれています。うしろ側から子供のように若木がでていることから良縁、夫婦和合、子授け、安産の霊木と崇められています。

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西明寺三重塔

西明寺三重塔
 滋賀県犬上郡甲良町池寺に西明寺があります。
 西明寺三重塔は3間三重塔婆、檜皮(ひわだ)葺きで、鎌倉後期(1275-1332)に建てられた建物です。高さは約24mあり、伝統的な和様の意匠でまとめられ、 三重各層の間のバランスがよくとれ、安定感があります。若狭の明通寺の三重塔と1、2を争う名建築といわれています。明治33年(1900)に国宝に指定されています。
 三重塔の軒は優美な弓形を描いて上の層へ登っていきます。初重の戸口や窓の周りに、また各層の屋根の下に見える手の込んだ組物「斗拱(ときょう)」に鎌倉時代の特徴がよく表れています。初重の内部、須弥壇中央には大日如来坐像を安置し、その周りの四天柱には32体の仏画があり、天井・長押(なげし)(横木)には極楽に咲く草花や極楽鳥などが描かれているそうです。四方の壁には法華経の教えを表した精美な壁画、四隅の丸柱には八大竜王が描かれ、壁面がすべて絵で埋められているそうです。

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西明寺本堂

西明寺本堂
 滋賀県犬上郡甲良町池寺に西明寺があります。
 西明寺の本堂は瑠璃殿とも呼ばれ、天台密教の道場です。間口7間、奥行7間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、向拝3間が付けられています。鎌倉前期(1185-1274)を代表する純和風の建物で、飛騨の匠によって釘を1本も使わないで建てられています。明治30年(1897)に国宝の第1号に指定されました。
 本堂は鎌倉前期に5間堂として建てられ、室町時代に7間堂に拡張されたようです。本堂の正面の柱間はすべて蔀戸(しとみど)で、組物は出三斗(でみつと)、中備は蟇股です。蟇股は3種類あります。創建された当初の鎌倉時代初期の枠だけのもの、外部正面に増築された鎌倉時代中期のもの、向拝にある室町時代初期のもので増築の過程を示しています。
 本堂の柱間は切目長押(なげし)、内法長押、頭貫で固めていて、典型的な和様の手法がみられます。平安時代に作られた国指定重要文化財の秘仏本尊の薬師如来像は、本堂内陣に安置された厨子の中に鎮座しています。両脇には脇侍の日光菩薩と月光菩薩、二天王像などの鎌倉時代の諸仏が置かれています。

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西明寺二天門

西明寺二天門
 西明寺の二天門(にてんもん)は三間一戸、入母屋造り、こけら葺きの八脚門で、本堂の前に建てられています。応永14年(1407)の墨書があり、室町時代中期の造営です。
 門の左右には持国天、増長天を安置しています。この2体は院尋によって造られています。二天門は明治44年(1911)に国の重要文化財に指定されています。

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西明寺本坊庭園

西明寺本坊庭園
 西明寺本坊庭園は国の名勝に指定された庭園で、鶴亀の「蓬莱庭(ほうらいてい)」と名付けられています。延宝元年(1673)、望月越中守(友閑)により、西明寺の復興の記念として造園されました。池の中央の石組は折り鶴を形取った鶴島で、左側の島が亀島です。池は心字池で池泉回遊式です。
 本堂に祀る仏像を立石群に本尊薬師如来や日光・月光の三尊像、十二神将を象徴させ、植木の刈り込みは雲を形どって薬師の浄瑠璃浄土を具現化しています。山の傾斜などを巧みに生かし、調和がとれた庭園です。小掘遠州の作風を範とした造園で、鎌倉時代の八角石灯篭なども趣を添えています。

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西明寺

西明寺
 龍應山西明寺は天台宗のお寺です。金剛輪寺、百済寺とともに湖東三山の1つに数えられ、西国薬師四十九霊場第39番札所にもなっています。承和元年(834)、仁明天皇の勅願の命により、三修上人により開かれました。上人は修験道の霊山として有名な伊吹山開山と伝えられる伝説の行者です。
 三修上人は、琵琶湖の西岸にいた時に、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て、神通力で水面を飛び越え対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫の光がさしていたそうです。その池に祈念すると、薬師如来の像が出現し、その姿を刻んで祀ったのが寺の始まりだそうです。
 西明寺は平安、鎌倉、室町の各時代を通じて天台宗の祈願道場・修業道場として栄え、境内には17の諸堂と300以上の僧坊が建てられました。織田信長が焼討ちをかけた時は、境内は炎に包まれました。しかし本堂付近の建物を見せかけで燃やし、境内全域が炎上したかのように見せ、本堂、三重塔、二天門を守りました。
 当時の西明寺は広い寺域に土塁や堀切を持ち、僧侶だけでなく職人や商人が集まった宗教都市でした。信長の焼打ちは、宗教的権威、人々を支配する世俗的権威を打破する狙いもあったようです。江戸時代に入ると、西明寺は徳川家の庇護を受け、天海大僧正、公海大僧正の尽力で復興を遂げ、現在に至っています。
 本堂、三重塔は国宝に指定され、二天門、石造宝塔は国の重要文化財に指定されています。西明寺本坊の庭園は蓬莱庭と呼ばれ、国の名勝に指定されています。本尊の木造薬師如来立像、木造二天王立像、木造釈迦如来立像、木造不動明王及び二童子像、絹本著色十二天像、三重塔初層荘厳画4本8面、錦幡5旒(りゅう)も国の重要文化財に指定されています。

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