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長安寺大方丈

長安寺大方丈
 京都府福知山市奥野部に長安寺があります。
 長安寺の大方丈は天明4年(1784)に再建された建物で本堂に当たります。堂内には本尊である釈迦如来像を安置しています。また、福知山城主であった杉原家次の念仏地蔵菩薩(室町時代作)も安置しています。

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長安寺

長安寺
 京都府福知山市奥野部に長安寺があります。
 医王山長安寺は臨済宗南禅寺派のお寺です。西国薬師霊場第26番札所、丹波古刹15ヶ寺霊場13番札所で、「丹波のもみじ寺」として有名です。聖徳太子の実弟・麻呂子親王が勅命により、丹波の国大江山に棲む鬼征伐に出かけ、戦勝祈願のため薬師如来像を刻んだのが始まりです。
 古くは善光寺と号し、平安時代末期に真言宗の鎮護道場として院坊25で偉容を誇りました。応永年間(1394-1428)に火災にて灰燼に帰しました。文明6年(1474)夢窓国師の法嗣悦堂(えつどう)禅師が諸国巡錫の際、七堂伽藍を再建し禅宗に改め、瑞鳳山長安寺と改めました。
 堂宇は再三焼失し、天文13年(1544)、福知山初代城主・杉原家次が開基となり醍醐寺6世・眼光恵透禅師(げんこうえとう)を招き、医王山長安寺として中興開山し、再興しました。
 杉原家次は豊臣秀吉の正室・寧々(高台院)の母・朝日殿の兄になる人です。天正10年(1582)の山崎の戦い後、秀吉によって明智光秀の丹波福知山城を与えられ、京都奉行も兼任しました。

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佐藤太清記念美術館

佐藤太清記念美術館
 京都府福知山市内記に福知山城公園があります。
 公園の一角に佐藤太清記念美術館があります。城の外観をした櫓風建物は、平成2年(1990)4月に開館しました。福知山市出身で文化勲章を受章した現代日本画家・佐藤太清画伯の見ごたえのある花鳥画を中心に、日本画を展示しています。

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豊磐井

豊磐井
 京都府福知山市内記に福知山城があります。
 本丸に残る井戸は、「豊磐井」(とよのいわい)と呼ばれています。福知山城主・朽木植昌の父である植綱の神号「豊磐植綱彦命」にちなんだものです。城郭用湛水井戸としては日本一の地表下50m、海面下7mにまで達しているそうです。

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福知山城転用石

福知山城転用石
 京都府福知山市内記に福知山城があります。
 福知山城の石垣には宝篋印塔(ほうきょういんとう)、五輪塔を始め、石仏、石臼、灯籠など寺院などで使われていた石造物などが大量に使用されています。これを「転用石」と呼んでいます。延文4年(1539)銘の五輪塔地輪は転用石では最古の銘です。再建時の発掘調査で500余りが確認されているそうです。

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福知山城天守閣復元鯱瓦

福知山城天守閣復元鯱瓦
 京都府福知山市内記に福知山城があります。
 福知山市と旧大江町との合併を記念して福知山城の天守閣の鯱(しゃち)瓦を原寸復元したものです。高さ150cm、基部たて80cm、横45cmもあります。平成18年(2006)に30日かけ91名の鬼師が協力し完成させたそうです。

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銅門番所

銅門番所
 京都府福知山市内記に福知山城があります。
 この銅門番所は福知山城の銅門の脇(市役所東付近)にあった番所です。大正時代のはじめに天守台(小天守台)に移され、昭和59年(1984)に現在の場所に移築されています。

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福知山城

福知山城
 京都府福知山市内記に福知山城があります。
 福知山は、丹波、丹後、但馬をおさえる交通の要衝の地です。福知山城の築城は戦国時代、塩見頼勝が築いたといわれています。掻上城と称しましたが、頼勝の子である横山頼氏の時に横山城と呼ばれました。天正7年(1579)織田信長の命を受けた明智光秀は横山城を落城させ、城主横山大膳信房は自害しました。
 光秀は丹波平定後に福智山と改称し、自ら指揮して福知山城を築城しました。城主には光秀の甥で女婿にあたる明智秀満を置きました。天正10年(1582)の本能寺の変で織田信長を討ち取りましたが、山崎合戦で敗れ、坂本に退却中、落武者狩りの土民に襲われ死亡しました。
 秀満は坂本城に火を放って自刃しました。天正14年(1586)、福知山城には羽柴秀勝配下の杉原家次が城代として2万石で入封しました。家次は豊臣秀吉の正室・寧々(高台院)の母・朝日殿の兄になる人です。家次が病没後、土豪から出世した小野木重勝が3万石の城主になりました。
 慶長5年(1600)の関が原の戦いで、小野木重勝は西軍につき、宮津城攻略に参加しました。その後東軍の攻勢にあい細川幽斎らが率いる大軍に福知山城は包囲され、重勝は開城の後、自刃させられました。その後、苛酷な有馬検地で有名な有馬豊氏が20年支配しました。
 元和7年(1621)、亀山からきた岡部長盛が5万石で入封しました。寛永元年(1624)、稲葉紀通が城主となりましたが発狂し家臣などを殺害したため除封、松平忠房の後に常陸土浦から来た朽木植昌が寛文9年(1661)、3万2千石で入封し、明治まで13代200年間統治しました。
 城は明治5年(1872)廃城令で取り壊され、石垣と銅門番所だけしか残りませんでした。昭和61年(1986)、市民の瓦1枚運動などの熱意によって3層4階の天守閣が復元され、小天守、続櫓なども再建されています。天守閣は郷土資料館で城に関する資料や福知山地方の歴史文化財を紹介しています。

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観音寺本堂

観音寺本堂
 京都府福知山市観音に観音寺があります。
 観音寺の本堂は天正7年(1579)に再建された旧本堂が大破したため、天明4年(1784)に棟上され、寛政7年(1795)に擬宝珠(ぎぼうし)などが取り付けられました。天保4年(1833)に内陣回りの欄間がはめられ、現在の姿になりました。間口5間、奥行5間、単層、入母屋造り、桟瓦葺きで、正面に1間の向拝があります。京都府指定文化財です。

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観音寺仁王門

観音寺仁王門
 京都府福知山市観音に観音寺があります。
 観音寺の仁王門は明治29年(1896)の台風で倒壊し、昭和6年(1931)に鎌倉時代の様式で再建された建物です。安置されている木造金剛力士像は貞永2年(1233)に造られています。像高は阿形像293cm、吽形象296cm、鎌倉時代の大型の木像で福知山市指定文化財に指定されています。

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観音寺

観音寺
 京都府福知山市観音に観音寺があります。
 補陀洛山観音寺は高野山真言宗のお寺です。関西花の寺25霊場の第1番札所で、あじさい寺として有名です。養老5年(720)中国の僧、法道仙人が本尊十一面千手観音菩薩を刻み草堂に安置したのが始まりだといわれています。
 応和元年(961)、空也により中興され七堂伽藍が建立され、鎌倉時代には、北条時頼、貞時らの庇護を受け、25あまりの寺坊が軒を連ね繁栄しました。応仁の乱後、寺領を土豪に奪われ、天正4年(1576)に明智光秀の兵火で全山焼失しました。
 江戸中期の天明4年(1784)に大聖院、多聞院、本堂が再建されました、明治29年(1896)、補陀洛山觀音寺として統合され、昭和42年(1967)に観音寺、金剛院、明王院、安養院が一山合併し、現在の観音寺となっています。
 境内には本堂、観音堂、仁王門が建ち並びます。本尊は現世の災いを取り除き奇跡を持って救うという千手千眼観音です。本堂、鐘楼、表門は京都府指定文化財に指定されています。6月から7月にかけて1万本のアジサイの花で彩られます。

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恵比須神社本殿

恵比須神社本殿
 京都府綾部市安国寺町(あんこくじちょう)宮ノ腰に石田神社があります。
 石田神社の境内社恵比須神社の本殿は延慶4年(1311)に建てられた建物で、現在は三間社流造の庇の部分が失われています。間口3間、奥行2間、切妻造り、平入、単層、銅板葺きの建物です。木割りが太く、蟇股の形状から棟礼に記された石田神社の旧本殿であったと考えられています。
 この本殿は京都府北部最古の神社本殿建築です。妻飾の虹梁大瓶束に禅宗様を取り入れてあり、全国的にみても、このような様式が神社建築に取り入れられた早い例で大変貴重です。昭和62年(1987)に国の重要文化財に指定されています。

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石田神社本殿

石田神社本殿
 京都府綾部市安国寺町(あんこくじちょう)宮ノ腰に石田神社があります。
 石田神社の本殿は拝殿と接続した覆屋の中にあります。三間社流造り、正面向拝に軒唐破風、千鳥破風を付けるこけら葺きの建物です。正徳3年(1713)に棟梁・四方好兵衛政重、小兵衛、源兵衛父子により建てられています。
 本殿の身舎(もや)の組物は非常に立体的で、中備(なかぞえ)、手挟(てばさみ)、正面の扉などの装飾は手が込み見事なものです。江戸時代中期の神社本殿建築の遺構として貴重なことから京都府指定文化財に指定されています。

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石田神社

石田神社
 京都府綾部市安国寺町(あんこくじちょう)宮ノ腰に石田神社があります。
 石田神社は清和天皇、六孫王経基、多田満仲を祭神として祀っています。創建ははっきりしませんが、治承年間(1177-1180)頃に開かれたと思われます。明治6年(1873)に村社に列し、大正5年(1916)に神饌幣吊供進社に指定されています。
 石田神社の境内社で西宮大神宮とも呼ばれる恵比須神社本殿は延慶4年(1311)に石田神社の本殿として建てられた建物です。三間社流造りの庇の部分が失われていますが、棟札によって建立年代や大工名がわかり、数少い鎌倉時代後期の神社本殿の遺構として国の重要文化財に指定されています。

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御霊神社叶石

御霊神社叶石
 京都府福知山市中ノ町に御霊神社があります。
 御霊神社の境内には叶石という悲願成就の岩があります。 この岩は知恵者の思兼神と大力無双の手力男命を悲願成就神として祀っています。もともとは子持ち石と呼ばれ、奉納された霊石でした。合格必勝・縁談・災難などに悲願成就神の霊験あらたかな力をもらえるとのことです。

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御霊神社境内社堤防神社

御霊神社境内社堤防神社
 京都府福知山市中ノ町に御霊神社があります。
 福知山市の由良川はたびたび洪水被害を起こしました。明智光秀は、その被害を防ぐため大堤防を築きました。堤防の恩恵に感謝し、先人の偉業を称え、水害の苦渋を忘れないため昭和59年(1984)に御霊神社境内に堤防神社が建立されました。堤防が御神体となっている神社は他にはないようです。

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御霊神社

御霊神社
 京都府福知山市中ノ町に御霊神社があります。
 御霊神社は福知山市街地の中心にあります。もとは稲荷社で商売とのかかわりも強く、町の鎮守、庶民の神社として親しまれていました。御霊神社となったのは明智光秀の霊を合祀したことに由来しています。
 光秀の霊は菱屋町の常照寺境内の祠に祀られていましたが、水害など度重なる災害を光秀の霊と結びつけ、その霊を慰めるため宝永2年(1705)に御霊神社に合祀したと伝えられています。現在地には大正7年(1918)に遷座しています。
 御霊神社には、光秀の軍隊の規律が書かれた明智光秀家中軍法が残されています。天正9年(1581)の日付があり、光秀の部隊の戦陣における心掛けが記されているそうです。他にも光秀にかかわる2通の古文書もあり、福知山市指定文化財になっています。

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八十八ケ所の石像

八十八ケ所の石像
 京都府綾部市睦寄町君尾に光明寺があります。
 光明寺に八十八体の石仏が安置されている小さなお堂があります。文政8年(1825)に近くの住民が日々の安寧と子々孫々の繁栄を祈願して寄進したものです。四国88寺の本尊が刻まれていて、お堂の前で手を合わせれば霊場を参拝したのと同じご利益があるそうです。

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光明寺本堂

光明寺本堂
 京都府綾部市睦寄町君尾に光明寺があります。
 現在の光明寺の本堂は天保7年(1836)に藤懸氏の援助で再建された建物です。正面の鰐口には「応永17年(1410)」の銘があります。本堂と鰐口は京都府指定文化財に指定されています。

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光明寺二王門

光明寺二王門
 京都府綾部市睦寄町君尾に光明寺があります。
 光明寺の二王門は丹塗りの色彩が味わい深い二重門(下層と上層の境に屋根がある門)です。三間一戸、入母屋造り、とち葺きで、鎌倉時代の仁治3年(1242)に着工され、宝治2年(1248)に建立されています。昭和29年、京都府北部の建造物としては唯一国宝に指定されました。
 仁王門は永正13年(1516)、享保14年(1729)、安政6年(1859)に改修されています。昭和20年頃には大破寸前で、昭和25年から27年にかけて解体修理が行われました。その際に上層の柱から宝治二年(1248)の墨書銘が発見されました。この門には10枚の巡礼札が納められ、四国33ケ所観音霊場した僧の活動がわかります。

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光明寺

光明寺
 京都府綾部市睦寄町君尾に光明寺があります。
 君尾山(きみのおさん)光明寺は真言宗醍醐派のお寺です。推古天皇7年(599)、聖徳太子によって創建されたと伝えられています。役行者がこの地で修業し、延喜年間(901-923)には聖宝理源大師が真言宗の大道場として中興しています。
 盛時は72坊を数え、室町時代は丹波守護の細川氏の庇護を受けました。大永7年(1527)、兵火により二王門を除く全山が焼失し、天文2年(1533)に上羽丹波守が大施主になって再建しました。しかし、元亀3年(1572)と天正7年(1579)の明智光秀の兵火で再び焼失しました。
 慶長6年(1601)に領主となった藤懸永勝によって堂宇や鐘楼が再建されました。享保18年(1733)に火災があり、山下の23坊も焼失しています。明治初頭には山上に残っていた4坊もなくなり、大正3年(1914)には庫裏、方丈、客殿を焼失しました。
 二王門は鎌倉時代に建てられた二重門で国宝に指定されています。天保7年(1836)に再建された本堂は、応永17年(1410)の鰐口、室町時代の光明寺制札とともに京都府指定文化財です。 また南北朝時代の宝篋印塔と、室町時代の紙本墨書勧進帳奉加帳は綾部市指定文化財です。

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るり渓

るり渓
 京都府南丹市園部町大河内に「るり渓」があります。
 るり渓は、大堰川の支流である園部川が侵食してできた長さ4kmの渓谷です。上流部は花崗岩、下流部は石英粗面岩からなっています。浸蝕による奇岩が多く見られ、瀑布が点在しています。水晶簾、錦繍巌、双龍渕、玉走盤、渇蚪澗、座禅石などの名所があります。
 渓谷上部にある通天湖は周囲3kmの人造湖です。そこから流れ出る清流が、光の反射によって瑠璃色の輝石のように見えることから「るり渓」と名づけられたようです。
 るり渓は昭和7年(1932)に琉璃溪で国の名勝に指定されました。日本の音風景100選にも選定され、京都府立自然公園にも指定されています。ここには特別天然記念物のオオサンショウウオも生息しています。

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九品寺大門

九品寺大門
 京都府南丹市園部町船阪に九品寺(くほんじ)があります。
 九品寺の大門は三間一戸、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの楼門です。鎌倉時代後期の建立で、鎌倉時代の特色をよく示しています。明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。

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九品寺

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 京都府南丹市園部町船阪に九品寺(くほんじ)があります。
 鴫尾山九品寺は真言宗御室派のお寺です。寺伝によると弘仁元年(810)に弘法大師(空海)によって創建されたと伝えられています。その後、白河天皇の勅願により皇子の覚行法親王を入寺させ、七堂伽藍を建立し中興し、門跡寺院となったそうです。
 室町時代以降は寺領没収や火災などで荒廃しました。元和9年(1623)に明治の神仏分離で九品寺は荒廃し、山の方に本堂はありますが、大門と呼ばれる仁王門のみが残されています。
 大門は鎌倉後期の建築で、本尊の千手観音立像とともに国の重要文化財に指定されています。しかし本尊は京都の正法寺本堂に安置されています。寺宝であった木造不動明王立像と木造十一面観音立像はニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵しています。

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九手神社本殿

九手神社本殿
 京都府船井郡京丹波町豊田九手に九手神社(くてじんじゃ)があります。
 九手神社の本殿は三間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物です。棟札によると明応7年(1498)に再建されています。大正10年(1921)に特別保護建造物に指定され、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。昭和61年(1986)には棟札2枚も附指定で重要文化財に指定されています。

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九手神社

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 京都府船井郡京丹波町豊田九手に九手神社(くてじんじゃ)があります。
 九手神社は平安時代の長元2年(1029)、豊田の地頭であった藤原定氏が京都の松尾大社より勧請し、創建したと伝える古社です。安政4年(1857)には、御室御所より九手大明神の鳥居額と菊御紋章付釣堤燈一対を賜っています。
 祭神は丹波開拓の始祖といわれる大山咋命(おおやまくいのみこと)です。丹波が湖であったころ、大山咋命がスキで水を山城の葛野平野に流れるようにしたので、丹波は陸となり、田畑ができて栄えるようになったという伝説が残っています。
 九手神社本殿は国の重要文化財に指定され、境内にある幹回り4m、樹高15mの樹齢300年のアラカシの巨木は町指定文化財で、京都自然200選に選ばれています。九手神社の鳥居があった場所を鳥居野といい、丹波ワインの「鳥居野」の名前の由来となっています。

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澤井家住宅主屋

澤井家住宅主屋
 京都府京田辺市大住岡村に澤井家住宅があります。
 澤井家住宅主屋は間口20.2m、奥行12.6m、入母屋造り、茅葺きです。四面に庇が付いていて、その屋根は本瓦や桟瓦です。西面にL字型につながった間口9m、奥行6m、入母屋造り、茅葺きの建物があり、西面と北面に庇が付いていて、本瓦、桟瓦葺きの屋根があります。元文5年(1740)から寛保元年(1741)の建立で、昭和50年(1975)に国の重要文化財に指定されています。

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澤井家住宅

澤井家住宅
 京都府京田辺市大住岡村に澤井家住宅があります。
 京田辺市の大住部落で道路がクランクしているところに国重要文化財指定の澤井家の茅葺きの住宅があります。澤井家は近江の佐々木義賢の家来だったようです。佐々木氏が織田信長に敗れた後、慶長年間に大住で帰農しました。
 大住は三条東洞院にあった門跡寺院の曇華院宮(どんげいんぐ)の所領で、澤井家は享保17年(1732)からこの地の代官を務めました。元治元年(1864)の蛤御門の変で焼失した時、仮御所となっています。
 澤井家には、住宅建築の際の「普請願書」などの古文書が残っていて元文5年(1740)から翌年にかけて建て替えたことが判明しています。天井板の墨書にも大工半右衛門が澤井久左衛門の家を寛保元年(1741)に建てたことが記されています。

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酬恩庵三本杉

酬恩庵三本杉
 京都府京田辺市薪里ノ内に酬恩庵(一休寺)があります。
 酬恩庵の三本杉は一休禅師、蓮如上人、蜷川新衛門の3人が1本ずつ植えたともいわれています。昭和36年(1961)の第2室戸台風で被害を受け、倒れてしまいました。今の杉は3本とも昭和40年(1965)に植え直したものです。

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酬恩庵開山堂

酬恩庵開山堂
 京都府京田辺市薪里ノ内に酬恩庵(一休寺)があります。
 酬恩庵の開山堂は大正時代に改築された新しい建物ですが、様式は昔の形式で建てられています。ここには妙勝寺を創建した大応国師(南浦紹明)の木像が安置されています。

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