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2017_07
31
(Mon)04:25

行永家道具蔵

行永家道具蔵
 京都府舞鶴市小倉に行永家(ゆきながけ)住宅があります。
 行永家の道具蔵は江戸時代末期(1751-1829)に建てられています。土蔵造りで、間口5.9m、奥行3.9m、2階建て、切妻造り、東面に庇があり、桟瓦葺きです。主屋の南西、米蔵と味噌蔵の間にあります。平成15年(2003)に国の重要文化財に指定されています。

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2017_07
30
(Sun)03:18

行永家主屋

行永家主屋
 京都府舞鶴市小倉に行永家(ゆきながけ)住宅があります。
 行永家の主屋は文政8年(1825)に建てられています。間口18m、奥行9.9m、一部2階建て、入母屋造りで、四面に庇が付いています。西面の一部は葺きおろし、桟瓦葺きです。表門を入ってすぐの所にあります。昭和50年(1975)に国の重要文化財に指定されています。

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2017_07
29
(Sat)04:38

行永家住宅

行永家住宅
 京都府舞鶴市小倉に行永家(ゆきながけ)住宅があります。
 行永家住宅は舞鶴市の東、小倉川の谷筋に集落が散在する小倉地区にあります。行永家は元和年間(1615-1623)ここで農業を始め、天明年間(1781-1788)から旧小倉村の庄屋を務め、江戸時代末期には大庄屋になった家柄です。
 主屋は文政8年(1825)の建築で、丹後地方の江戸後期の民家として質が高く、平面形式の発展過程を知る上で貴重な建物です。庄屋という身分から武家との交流があるため、多くの部屋があり、格式が高い意匠が施されています。
 主屋を囲むように道具蔵、新蔵、味噌蔵、米蔵、木屋(離れ)などが建ち並んでおり、敷地も含めて国の重要文化財に指定されています。当主の行永氏は京都市に在住のため、昭和の日と勤労感謝の日の年に2日だけ一般公開をしています。

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2017_07
28
(Fri)04:59

松尾寺のイチョウ

松尾寺のイチョウ
 京都府舞鶴市松尾に松尾寺(まつのおでら)があります。
 松尾寺のイチョウは昭和52年(1977)に舞鶴市の指定文化財にになっています。胸高囲5.2m、根廻り6mで、樹齢870年と推定されています。元永2年(1119)に鳥羽天皇のお手植えと伝えられています。

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2017_07
27
(Thu)04:47

松尾寺経蔵

松尾寺経蔵
 京都府舞鶴市松尾に松尾寺(まつのおでら)があります。
 本堂前の石段を上がってすぐ左手に松尾寺の経蔵があります。享和2年(1802)に建てられた建物で、京都府指定文化財です。土蔵造りで、間口5.9m、奥行5.9mの宝形造り、桟瓦葺きで、正面に1間の向拝が付けられています。

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2017_07
26
(Wed)05:04

松尾寺仁王門

松尾寺仁王門
 京都府舞鶴市松尾に松尾寺(まつのおでら)があります。
 松尾寺の仁王門は江戸時代中期の享保15年から享和2年(1730-1802)の間に建てられたものといわれ、風格のあるどっしりとした建物です。三間一戸の八脚門で、入母屋造り、銅瓦葺きの建物です。「青葉山」の山号が掲げられています。仁王門は京都府指定文化財で、2体の金剛力士像は舞鶴市指定文化財です。

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2017_07
25
(Tue)04:31

松尾寺本堂

松尾寺本堂
 京都府舞鶴市松尾に松尾寺(まつのおでら)があります。
 松尾寺の本堂は享保15年(1730)、田辺藩主・牧野秀成が再建した建物です。天正9年(1581)に細川藤孝によって再建され、慶長7年(1602)には京極高知により修復されました。その後寛永7年(1630)、正徳6年(1716)の火災で被災しています。
 間口5間(9m)、奥行5間(9m)の二重の宝形造りで、正面に1間の向拝があり、軒唐破風(のきからはふ)が付いています。屋根は檜皮葺きの上を銅板で覆っています。堂内には凹形の外陣と、凸形の内陣があります。本堂は京都府指定文化財に指定されています。

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2017_07
24
(Mon)04:14

松尾寺

松尾寺
 京都府舞鶴市松尾に松尾寺(まつのおでら)があります。
 青葉山(あおばさん)松尾寺は、真言宗醍醐派のお寺で、舞鶴市と福井県大飯郡高浜町との境にある青葉山の山腹に位置しています。西国33所観音霊場第29番札所で、本尊は秘仏・馬頭観音坐像です。
 唐の僧・威光上人が青葉山の松の大木の下で馬頭観音を感得し草庵に安置したそうです。和銅元年(708)元明天皇の勅願により青葉山山頂に奥の院が建てら、これが松尾寺の始まりと伝えられています。鳥羽天皇や、皇后の美福門院の帰依を受け、元永2年(1119)には行幸されています。
 七堂伽藍が整備され、盛時には末寺は65に及んだそうです。戦国時代、織田信長の丹後平定の際、兵火で全山灰燼に帰し、荒廃しました。天正9年(1581)に細川藤孝(幽斉)によってが再興されましたが、戦乱や火災のため再び荒廃します。
 慶長7年(1602)に田辺藩主・京極高知により修復され、以後、歴代藩主の京極家や牧野家から庇護されました。寛永7年(1630)、正徳6年(1716)の火災で被災しましたが、享保15年(1730)に牧野秀成により再興されています。
 松尾寺では毎年5月8日に行われる国重要無形民俗文化財の仏舞(ほとけまい)が有名です。大日如来・釈迦如来・阿弥陀如来の面をつけた舞は、奈良時代に唐から伝わり、宮廷舞楽が松尾寺に定着したものと思われます。当日は正午頃に舞が披露され近隣からの参詣者で賑わいます。
 松尾寺には藤原時代に造られた国宝の普賢延命菩薩像をはじめ多くの寺宝を所蔵しています。 木造孔雀明王像、阿弥陀如来坐像、絹本著色法華曼荼羅、絹本著色如意輪観音像、絹本著色終南山曼荼羅はいずれも鎌倉時代のもので国の重要文化財に指定されています。

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2017_07
23
(Sun)04:06

金剛院本堂

金剛院本堂
 京都府舞鶴市鹿原に金剛院があります。
 金剛院の現在の本堂は天保11年(1840)に再建された建物です。間口5間、奥行4間、寄棟造り、鉄板葺きで、正面に唐破風がついた1間の向拝があります。京都府指定文化財に指定されています。石段から本堂に向かって左に懸崖造の拝殿の雲山閣があります。右には本堂の附指定の京都府指定文化財・鐘楼が建てられています。
 三島由紀夫の「金閣寺」の本堂の記述です。「石段の上には金剛院の本殿があり、そこから左へ斜めに渡殿が架せられ、神楽殿のような空御堂に通じている。その空御堂は空中にせり出し、清水の舞台を模して、組み合わされた多くの柱と横木が、崖の下からそれを支えているのである。」

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2017_07
22
(Sat)05:09

金剛院塔婆(三重塔)

金剛院塔婆(三重塔)
 京都府舞鶴市鹿原に金剛院があります。
 金剛院にある三重塔は室町時代後期(1467-1572)に再建された建物と推察されています。昭和25年(1950)に解体修理され、当初の姿に完全復元されました。方3間、こけら葺きの三重の塔婆です。
 三重塔の初重の内部は太い四天柱があり、来迎壁には室町風の花頭窓がついています。2、3層は三手先(みてさき)、二重繁垂木(しげだるき)の和様の造りです。軒の出が深く、趣があります。金剛院塔婆として大正6年(1917)に国の重要文化財に指定されています。

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2017_07
21
(Fri)04:42

金剛院

金剛院
 京都府舞鶴市鹿原に金剛院があります。
 鹿原山金剛院は真言宗東寺派のお寺で、寺号は慈恩寺です。舞鶴市の東部、志楽川支流・鹿原川の奥にあり、三島由紀夫の小説「金閣寺」の舞台となっています。寺伝によると天長6年(829)、平城天皇の第3皇子・高岳親王(たかおかしんのう)の創建と記されています。
 親王は嵯峨天皇の皇太子となりましたが、弘仁元年(810)薬子(くすこ)の変に連座して皇太子位を廃されました。空海の弟子となり、真如(しんにょ)法親王とも呼ばれました。貞観4年(862)、83歳の高齢で唐に渡り、さらにインドに向かう途中で客死したそうです。金剛院は親王がいなくなってからは荒廃しました。
 永保2年(1081)、白河天皇の勅願で、慈恩寺の名で、境内が整備され三重塔などが建立され再興されました。その時に、比叡山無動寺の相応和尚が造ったという不動明王像を勧請し、本尊が阿弥陀如来から波切不動尊になったそうです。
 久安2年(1146)鳥羽天皇の皇后・美福門院得子が御願寺として復興させました。室町時代には現在ある三重塔が再建され、田辺藩主でもあった細川藤孝(幽斎)・忠興などが庇護しました。藤孝は鶴亀の庭を作庭し「もみぢ葉の色をしかへて流るれば 浅くも見えず谷川の水」と詠んでいます。
 江戸時代に入ると歴代藩主である京極氏や牧野氏から庇護され寺領22石が安堵されました。現在は山腹に本堂、鐘楼、懸崖造の拝殿の雲山閣があり、山裾に室町期の国の重要文化財に指定されている三重塔があります。
 寺宝も多く所蔵しています。南北朝時代の絹本著色薬師十二神将像、平安時代の木造増長・多聞天立像、平安時代の木造阿弥陀如来座像、鎌倉時代の快慶が造った木造執金剛神立像と木造深沙(じんじゃ)大将立像、鎌倉時代の木造金剛力士立像(2体)など国の重要文化財に指定されています。

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2017_07
20
(Thu)04:45

田辺城本丸井戸跡

田辺城本丸井戸跡
京都府舞鶴市南田辺に田辺城跡(舞鶴公園)があります。
 復元された本丸の井戸跡があります。背後の本丸石垣に半円形の凹みがあった場所を発掘調査によって見つけたもので、直径1.5m、深さ約0.9mの桶を転用した井戸でした。

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2017_07
19
(Wed)05:09

田辺城跡(舞鶴公園)

田辺城跡(舞鶴公園)
京都府舞鶴市南田辺に田辺城跡(舞鶴公園)があります。
 田辺城は明治6年(1873)に廃城となり、本丸跡地が舞鶴公園として石垣と天守台を中心として整備されています。舞鶴の地名は、田辺城の別称である舞鶴城(ぶがくじょう)に由来しています。明治2年(1869)版籍奉還の際、紀伊田辺藩と同じ藩名解消のため太政官より指示があり舞鶴城に因んで舞鶴藩と改称したそうです。
 天正6年(1578)、織田信長の命によって細川藤孝(幽斎)は守護大名の一色義道を滅ぼし、丹後を制圧しました。宮津城を居城としましたが、交通の要所であったこの地に天正8年(1580)に田辺城を築きました。旧丹後守護所の八田という地名でしたが田辺と改めたのでした。
 本能寺の変の際は旧知の仲で親戚にもなっていた明智光秀に応じませんでした。その後、藤孝は忠興に家督を譲り、田辺城に隠居しました。慶長5年(1600)、徳川家康側の忠興は石田三成方の上杉討伐のため会津に向けて兵を動かしていました。留守を預った藤孝は、宮津城はじめ田辺以外の城をすへて自焼して田辺城に籠城しました。
 関ヶ原前哨戦であるこの戦いは田辺城籠城戦として有名です。田辺城に籠るわずか500の兵は、福知山城主小野木重勝や前田茂勝ら西軍・1万5千人に包囲されました。藤孝は古今相伝の箱に「古も今もかはらぬ世の中に心の種をのこす言の葉」と詠んで八条宮智仁親王の使者に献上しました。
 藤孝は古今和歌集の秘伝の唯一の継承者であったのです。2ヵ月後、後陽成天皇の勅命で和議が成立しました。田辺城は開城され、藤孝は前田茂勝の丹波亀山城に幽閉されました。関ヶ原の戦いで家康が勝利をおさめると藤孝は解放され、忠興は豊前中津39万9千石で転封となりました。
 田辺城には京極高知が12万3千石で入封。宮津城が再築され、本拠地が移り、慶長20年(1615)の一国一城令により田辺城は一時廃城となりました。高知は丹後国を宮津藩、田辺藩、峰山藩と3分割し、子供達に与えたため、次男・高三は3万5千石で田辺城に入り、城が復活しました。
 3代京極高盛が豊岡藩に移封になると牧野氏が攝津より3万5千石で入封しました。この時、田辺城も城門や石垣などを改修しています。以後、牧野家が10代、藩主を世襲し明治維新まで治めました。昭和15年(1940)に造られた二層櫓の彰古館、平成9年(1997)に復興された城門には田辺城資料館、天守台石塁などがあります。

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2017_07
18
(Tue)04:39

大村邸跡の長屋門

大村邸跡の長屋門
 京都府宮津市字柳縄手に大村邸跡の長屋門があります。
 宮津市の柳縄手付近は慶長までは柳町といわれ藩政時代の武家屋敷があったところだそうです。大村邸はもと藩医小谷仙庵が住んだという邸宅です。
 仙庵の次男謙次郎は明治13年(1880)に帰郷開業して立憲政党に加盟したそうです。その後旧藩士大村政智が住んだようです。昭和61年(1986)100年間維持されてきた邸宅が焼失しましたがこの長屋門だけが免れたということです。


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2017_07
17
(Mon)03:17

カトリック宮津教会

カトリック宮津教会
 京都府宮津市宮本にカトリック宮津教会があります。
 カトリック宮津教会の聖ヨハネ天主堂はフランス人のルイ・ルラーブ神父により明治29年(1896)に建てられました。外観はフランス風のロマネスク様式の構造ですが、堂内は畳敷きという和洋折衷の聖堂になっています。
 小規模ながら長崎の大浦天主堂にならぶ古いもので洋風建築として貴重な遺構です。内部は一部が中二階付きとなっています。外観の正面は中央屋根に大きな十字架が掲げられています。丸窓、ファンライト、円柱、柱飾りなどが施されています。
 ルイ・ルラーブ神父は宮津地方における伝道活動を50年にわたって行なった人物で教育振興にも献身的に努力した人として有名です。聖ヨハネ天主堂は明治時代中期に建てられた教会建築の貴重な建物で、「京都の明治文化財」に指定されています。

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2017_07
16
(Sun)04:43

京都府立丹後郷土資料館ふるさとミュージアム丹後

京都府立丹後郷土資料館ふるさとミュージアム丹後
 京都府宮津市字国分小字天王山に京都府立丹後郷土資料館ふるさとミュージアム丹後があります。
ふるさとミュージアム丹後は、丹後・丹波地域の歴史文化に関する考古・歴史・民俗資料を常設展示しています。敷地内には、丹後国分寺跡(国史跡)が所在します。
 また屋外施設として、江戸時代宮津藩の大庄屋であった旧永島家住宅(京都府指定有形文化財)を移築復元して一般公開しています。

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2017_07
15
(Sat)04:45

丹後国分寺跡

丹後国分寺
 京都府宮津市字国分に丹後国分寺があります。
 現在の国分寺は江戸時代に再建されました。丹後国分寺再興縁起や丹後国分寺跡から出土した瓦、木造毘沙門天面などを所蔵しているそうです。

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2017_07
14
(Fri)04:33

旧三上家主屋

旧三上家主屋
 京都府宮津市河原に旧三上家住宅があります。
 旧三上家の主屋は、天明3年(1783)の「晒屋火事」 により焼失した屋敷を同年中に再建した建物です。間口18m、奥行11.1m、一部2階、入母屋造り、南面、東面、西面に庇があり、北面には取合の間があります。屋根は桟瓦葺きと鉄板葺きです。土蔵造りとなっており、漆喰で塗込め、開口部も狭くしています。平成15年(2003)に国の重要文化財に指定されています。

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2017_07
13
(Thu)07:13

旧三上家住宅

旧三上家住宅
 京都府宮津市河原に旧三上家住宅があります。
 この旧三上家住宅は三上家より宮津市に寄付され、宮津市が文化財として管理している建物です。三上家は屋号を元結屋(もとゆいや)といい、江戸時代の宮津城下屈指の商家の一つでした。酒造業、廻船業、糸問屋などを営む一方、宮津藩の財政や城下の町政に深く関わってきた家柄です。
 天明3年(1783)、付近一帯を焼亡させた「晒屋火事」により、三上家の屋敷は焼失しました。主屋棟は同年中に再建され、その後、座敷・土蔵・玄関・酒造施設を順次増築して現在の屋敷構えとなりました。外に面した柱は漆喰で塗り込めた大壁造りという防火意識の強い造りになっています。
  天保9年(1838)には幕府巡見使の本陣となり、慶応4年(1868)には山陰道鎮撫使・西園寺公望の宿舎にもなったそうです。酒造施設もよく保存されており、主屋、新座敷、庭座敷、表門、酒造蔵、釜場、道具蔵、什器蔵が平成15年(2003)に国の重要文化財に指定されました。

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2017_07
12
(Wed)05:28

丹後国分寺跡

丹後国分寺跡
 京都府宮津市府中国分に丹後国分寺跡があります。
 天平13年(741)聖武天皇によって国分寺建立の詔が出されました。丹後国分寺跡は現国分寺の南に位置していて、金堂、塔、中門など礎石が残っています。
 丹後国分寺は名勝天橋立を阿蘇の海を隔てて正面に一望のもとにみる台地の上に建立されたのです。雪舟の「天橋立図」にも本堂と五重塔が描かれています。

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2017_07
11
(Tue)04:44

元伊勢籠神社末社・猿田彦神社

元伊勢籠神社末社・猿田彦神社
京都府宮津市大垣に元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)があります。
 元伊勢籠神社の末社である猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)は古来、大世多大明神(おおせただいみょうじん)と呼ばれていました。交通安全、建設守護、屋敷浄化、厄除長寿の効能があるそうです。

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2017_07
10
(Mon)04:30

元伊勢籠神社末社・春日大明神社

元伊勢籠神社末社・春日大明神社
京都府宮津市大垣に元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)があります。
 元伊勢籠神社の境内末社・春日大明神社は春日四神といわれる武甕槌命(たけみかづちのみこと)・経津主命(ふつぬしのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめかみ)を祀っています。電気関係守護、悪縁消滅。破邪顕正の効能があるそうです。

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2017_07
09
(Sun)04:38

元伊勢籠神社摂社・天照大神和魂社

元伊勢籠神社摂社・天照大神和魂社
京都府宮津市大垣に元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)があります。
 元伊勢籠神社の境内には、摂社である天照大神和魂社(あまてらすおおかみにぎみたましゃ)があります。天照大神の和魂(にぎみたま)を祭神として祀っています。古代から本宮に祀る大神を和魂の働きでお祀りしています。万物調和、地球浄化、霊格向上、子孫繁栄の効能があるそうです。

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2017_07
08
(Sat)04:40

元伊勢籠神社水琴窟

元伊勢籠神社水琴窟
京都府宮津市大垣に元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)があります。
 元伊勢籠神社の境内には地下を流れる水の音を聞くことができる水琴屈(すいきんくつ)があります。その不思議な音色は心を和やかにしてくれます。

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2017_07
07
(Fri)04:42

倭宿禰命像

倭宿禰命像
京都府宮津市大垣に元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)があります。
 倭宿禰命(やまとすくねのみこと)は倭国造であり、大倭国造の祖・大倭直の祖でもあります。今の宮司・海部(あまべ)家4代目の祖だそうです。宮司をつとめる彦火明命を始祖とする海部氏の系図は国宝に指定さており、この付近一帯の海民の首長であったと考えられています。

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06
(Thu)05:21

元伊勢籠神社狛犬

元伊勢籠神社狛犬
京都府宮津市大垣に元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)があります。
 神殿前の石段の脇にある狛犬2基は鎌倉時代の名作として国の重要文化財に指定されています。石の狛犬では日本一といわれています。作者の一心で魂の入った狛犬が天橋立に暴れ出て、通行人や元伊勢詣りの参拝者などを驚かせたそうです。
 たまたま親の仇討ちに来ていた豪傑・岩見重太郎がこのことを聞き鎮霊を決意して一夜待ち伏せました。音の方向に剛刀を一撃すると石の狛犬の前足が切れて出現が止んだそうです。それ以来魔除けの狛犬と云われ霊験があらたかになったといわれています。

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2017_07
05
(Wed)05:14

元伊勢籠神社(籠神社)

元伊勢籠神社(籠神社)
京都府宮津市大垣に元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)があります。
 元伊勢籠神社は伊勢神宮に奉られる天照大神、豊受大神がこの地から伊勢に移された事から名付けられています。奈良時代に丹後の国の一の宮となり、平安時代の延喜式には名神大社と記載され、山陰道唯一の大社として最高の社格を誇ります。
 社殿は伊勢神宮と同じ唯一神明造りです。主祭神に彦火明命 (ひこほあかりのみこと)、相殿神に豊受大神(とようけのおおかみ) 、天照大神(あまてらすおおかみ)、海神(わたつみのかみ) 、天水分神(あめのみくまりのかみ)を祀っています。
 元伊勢籠神社の歴史は神代の時代までさかのぼり、伊勢神宮の元になったとされています。大化改新以後に与佐宮を籠宮と改め、奈良時代の養老3年(719)に現在の地に社殿を移し、元の地を奥宮真名井神社としたそうです。
 中世の籠神社境内の様子は雪舟の「天橋立図(国宝、京都国立博物館蔵)」の天橋立の右上に境内が描かれています。「丹後国田数帳」には神領について、籠宮田46町210歩や朔弊料田12町など、計59町3段210歩と載せられているそうです。近世には社領を失い8斗4升4合のみです。
 明治に入り、国幣中社に列し、昭和20年(1945)には官幣大社になり、現在は別表神社です。毎年4月24日には、第4代懿徳(いとく)天皇の時代から続いているという葵祭が行われます。
 本殿と摂社の真名井神社本殿は天保3年(1832)に建造されたものです。神明造りの拝殿、幣殿、神撰所などは昭和3年(1928)から3年かけて建造されたそうです。
 神明造の本殿の高欄上に「五色の座玉」という飾りがあります。五行を示す、青(緑)・黄・赤・白・黒の五色の座玉です。伊勢神宮御正殿と、この籠神社のみに許されているものだということです。
 宮司の海部家には国宝の「勘注系図」が伝えられています。そこには「天祖が二璽神宝すなわち息津鏡と辺津鏡を天鹿児弓と天羽々矢をそえて火明命に授けた」と記されています。息津鏡と辺津鏡は日本最古の伝世鏡で国宝以上に重要な神宝だそうです。

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2017_07
04
(Tue)04:45

成相寺五重塔

成相寺五重塔
 京都府宮津市成相寺に成相寺(なりあいじ)があります。
 五重塔は開基1300年を記念して、平成12年(2000)に完成しました。雪舟の「天橋立図」にも描かれた成相寺五重塔は平成五重塔と呼ばれています。平面は方三間、屋根は銅板本瓦葺き、高さは108尺(約33m)です。内部は各層ごとにステンレス金物で緊結し、風や四天柱の突上げに耐えられるように設計されています。

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03
(Mon)04:38

成相寺鐘楼

成相寺鐘楼
 京都府宮津市成相寺に成相寺(なりあいじ)があります。
  成相寺の鐘楼は慶長14年(1609)の建築で京都府指定文化財です。撞かずの鐘と呼ばれる梵鐘は宮津市指定文化財です。   ____慶長14(1609)、お寺で新しく鐘を作ることになり寄付を募りました。 鐘が鳴らず3回も作り直しの寄進を求めました。長者の妻はお金の代わりに自分の子供を寄進すると言って寄付を断ったそうです。
 鋳造の日、長者の妻も乳児を抱えて見にきていました。そして誤って煮えたぎるルツボの中に乳児を落としてしまったのです。出来上がった鐘は美しい音色を響かせましたが、子供の泣き声のように聞こえました。子供の成仏を願って一切この鐘を撞くことをやめ、 それ以来「撞かずの鐘」と呼ばれるようになりました。

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2017_07
02
(Sun)05:28

成相寺本堂

成相寺本堂
 京都府宮津市成相寺に成相寺(なりあいじ)があります。
 本堂は天文17年(1548)に落雷のため焼失し、現在の本堂は安永3年(1774)に再建された建物です。身代り観音とよばれる聖観世音菩薩を本尊として祀っています。間口5間、奥行5間、銅板葺き、正面に千鳥破風を持つ3間向拝の入母屋造りです。
 内部には左甚五郎が彫刻した「真向きの龍」があります。この龍の彫刻は、正面から見ても、右から見ても 左から見ても、見ている人に向かって睨みを利かせています。成相寺本堂は、棟札2枚附と合わせて京都府指定文化財に指定されています。

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