宇治上神社

京都府宇治市宇治山田に宇治上神社(うじがみじんじゃ)があります。
宇治上神社は宇治神社と二社一体の存在でした。明治以前は宇治上神社は「上社」・「本宮」、宇治神社は「下社」・「若宮」と呼ばれ、両社を合わせて「宇治離宮明神(八幡宮)」と呼ばれました。明治に入って宇治神社と分離しています。
延長5年(927)の「延喜式」神名帳に山城国宇治郡に「宇治神社二座 鍬靫」と記載されています。この2座が宇治上神社と宇治神社を指していると思われます。鍬(くわ)靫(ゆぎ)は祈年祭の際に朝廷から鍬・靫の奉献があったことを記しています。
宇治上神社の境内は菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の離宮「桐原日桁宮」の旧跡といわれ、そのため離宮明神と呼ばれたようです。菟道稚郎子は応神天皇の皇子で、天皇に寵愛され皇太子になりましたが、異母兄の大鷦鷯尊(のちの仁徳天皇)に皇位を譲るため自殺したといわれています。
平安時代に平等院が建立されるとその鎮守社となりました。その後、近隣住民の崇敬を集め社殿が維持されてきました。本殿は日本最古の神社建築です。拝殿は鎌倉初期の宇治離宮を移築したものといわれ、2つとも国宝に指定されています。また摂社春日神社本殿は国の重要文化財です。
宇治上神社の境内外には「天降石」や「岩神さん」と呼ばれる巨石があり、磐境(いわさか)信仰による創祀という一説もあります。
宇治上神社は平成6年(1994)12月に、「古都京都の文化財」のひとつとして、ユネスコの世界遺産に登録されました。
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http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/

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白山神社拝殿

京都府宇治市白川娑婆山に白山神社があります。
白山神社の拝殿は久安2年(1146)に宇治離宮から移築され、建治3年(1277)に再建された建物です。間口3間、奥行3間、単層、寄棟造り、茅葺で、鎌倉中期の様式で、、腰高障子をもつ住宅風の堂宇です。明治43年(1910)に国の重要文化財に指定されています。
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白山神社本殿

京都府宇治市白川娑婆山に白山神社があります。
白山神社の本殿は拝殿の後ろの、一段高いところに鎮座しています。一間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きで、伊邪那美命(いぎなみのみこと)を祀っています。
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白山神社

京都府宇治市白川娑婆山に白山神社があります。
白山神社は娑婆山にある藤原氏ゆかりの神社です。8世紀後半に疱瘡(ほうそう)が流行し、治癒を願って創建されたといわれますが定かではありません。白川は、藤原頼道の山荘があった所といわれています。頼道の娘で後冷泉天皇の皇后寛子(かんし)が康和4年(1102)ここに方2町の平等院に匹敵する金色院を造営しました。
金色院は平泉の金色堂よりも20年も早く建立され、七間四面が金でできていたそうです。金色院16坊といわれる塔頭が近世初頭まで残存していましたが、江戸時代に衰退し、残った3坊も明治維新後に廃絶しています。白山神社は金色院の鎮守社でした。惣門、寛子の供養塔といわれる九重石塔が金色院の名残りで残されています。
白山神社は伊邪那美命(いぎなみのみこと)を祀り、平安時代後期に刻まれた木造伊邪那美命坐像は国の重要文化財に指定されています。宇治離宮の遺構といわれる拝殿は国の重要文化財に指定されています。
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許波多神社本殿

京都府宇治市五ヶ庄古川に許波多神社(こはたじんじゃ)があります。
許波多神社の本殿は三間社流造り、檜皮葺きの建物で、内陣厨子(扉)に「永禄五年」の銘があります。柳山で永禄5年(1562)に建立された社殿で、遷座にともない移築されたものです。正面の蟇股には、柳、馬の象形彫刻、棟の両端にも柳の文様が彫られています。明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。
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許波多神社

京都府宇治市五ヶ庄古川に許波多神社(こはたじんじゃ)があります。
許波多神社(こはたじんじゃ)は孝徳天皇大化元年(645)に勅願により、皇祖の神霊を奉祀するため創建されたようです。壬申の乱(672)を前に大海人皇子(のちの第40代・天武天皇)が戦勝を祈願し、征夷大将軍・坂上田村麻呂も東征に際し武運を祈ったようです。
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)、神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみことー即位前の神武天皇)、諡神武天皇を祀っています。延長5年(927)の延喜式神名帳には山城国宇治郡許波多神社三座月次新嘗と記載され、当時は官幣にあずかる大社であったようです。神名帳記載の3132のうち天忍穂耳尊を奉祀する大社は唯一、許波多神社だけです。永禄12年(1569)には最高位の正一位の神位を与えられています。
大海人皇子は鞭の柳の枝を社頭に挿し、戦勝祈願をしたそうです。その柳が芽吹いて繁茂したため、柳山という名がつきました。許波多神社(または木幡神社)は柳大明神と呼ばれるようになり、正式の社名が「柳神社」となりました。その後、戦国時代になり、兵火により社殿のほとんどは焼失し、貴重な古文書も失われました。
寛永17年(1640)、牛疫平癒の祈祷のため 「憐をたるゝ 柳の神ならは 死(ぬる)をうしと 思(ひ)やはせぬ」 という歌を詠むと激しかった牛疫が治まり、大評判になったようです。また寛文元年(1661)隣接地に萬福寺が建立され、以後境をめぐって何度も争いが頻発しました。
明治9年(1876)、陸軍省火藥庫建設のため社地すべてが官有地として召し上げられ、御旅所のあった現在地に遷座させられました。その際に、柳神社から許波多神社の旧称に戻されました。許波多神社の本殿は室町時代の三間社流造りで国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺威徳殿

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺の威徳殿は法堂の裏の一段高いところに建てられています。 間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、正面に1間の向拝が付いています。 元禄14年(1701)の建築で歴代将軍を祀っています。平成元年(1989)に国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺鼓楼

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺鼓楼は鐘楼と対称の位置にあります。寛文8年(1668)に建てられています。間口1間、奥行1間、入母屋造り、本瓦葺きで、一重もこし付きです。階上に梵鐘と太鼓があり、賓客が来山した時など撞いたり、叩いたりするそうです。大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺祖師堂

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺の祖師堂は伽藍堂と対称位置にあります。寛文9年(1669)に今津浄水居士の寄進によって建てられています。間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、中国禅宗の祖である達磨の像と歴代住職の位牌を安置しています。大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺禅堂

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺禅堂は選佛場とも呼ばれます。斎堂と対称位置にあり、前大老・酒井忠勝の寄金により、寛文3年(1663)に建てられています。座禅が行われるところで、両側に畳敷きの単があります。間口5間、奥行6間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、背面に庇が付いています。大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺西方丈

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺の西方丈は寛文元年(1661)に建てられています。間口17.8m、奥行11.9m、単層、切妻造り、こけら葺きです。東面、西面、北面に庇が付き、廊があります。総門とともに最初に建てられた建物です。西方丈は大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺東方丈

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺の東方丈は寛文3年(1663)の建築です。間口21m、奥行14.9m、単層、入母屋造り、こけら葺き、式台、中門、廊があります。中央に寿位の間があり、1日、15日の朝礼、式礼の時使用されます。襖、壁には池大雅の「五百羅漢の図」「虎渓三笑の図」「西湖の図」が描かれました。大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺法堂

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺の法堂(はっとう)は寛文2年(1662)の建築です。間口5間、奥行6間、単層、入母屋造り、桟瓦葺きです。内部には須弥壇のみが置かれ、仏像は安置されていません。上堂や住持の晋山式などに用いられています。前にある「卍くずし」の勾欄が中国風です。
法堂は寛文2年(1662)に円通殿として建てられ、寛文4年(1664)に法堂となりました。酒井忠勝が寄進しています。須弥壇上の額「法堂」は隠元禅師の書で、黄檗山では唯一の楷書で書かれています。昆尼垣の額は4代・独湛の書で、「聯(れん)」とともに国指定重文です。法堂は大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺大雄寶殿

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺の本堂にあたる大雄寶殿(だいおうほうでん)は寛文8年(1668)年に建てられています。萬福寺で最も大きな建物で、間口3間22m、奥行3間22m、一重裳階(もこし)がある山重檐式(二重重ね入母屋屋根)、本瓦葺きで、建物の前には白砂を敷いた月台があります。
大雄とは釈迦如来を意味していて、本尊の釈迦三尊像を安置しています。豪商・勝性印居士、徳川幕府の寄進によって、すべてチーク材で建てられています。大雄宝殿は廊8棟、廊棟札1枚、鎮守社1棟、伽藍絵図5点、作事関係文書7冊を附指定で含め、大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺開版

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
斎堂前には開版(かいぱん、「ぱん」は木へんに邦)が吊り下げられています。時を知らせる木でできた法具で、巨大な魚の形をしています。木魚の原型といわれています。
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萬福寺斎堂

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺の斎堂は寛文8年(1668)に建てられています。間口5間、奥行6間、単層、入母屋造り、本瓦葺きです。僧の食堂であり、緊那羅王像を安置しています。斎堂は浴場、禅堂とともに三黙道場の一つになっています。斎堂は大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺伽藍堂

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺の伽藍堂は寛文9年(1669)に古川堅物の寄進によって建てられています。間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの建物で、伽藍を守護する伽藍神を祀っています。伽藍堂は大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺鐘楼

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺の鐘楼はつり鐘堂とも呼ばれ、寛文8年(1668)に建てられています。長崎の元奉行・黒川与兵衛が寄進しています。間口1間、奥行1間、入母屋造り、本瓦葺きで、一重もこし付きです。反対側の鼓楼と同じ大きさになっていて、朝4時半と夜9時に階上の梵鐘が撞かれます。大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺天王殿

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺の天王殿は間口5間、奥行3間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、寛文8年(1668)に徳川家綱の寄進によって建てられています。中国のお寺では玄関にあたるお堂で、弥勒菩薩の化身とされる布袋像を安置しています。堂内左右の四天王像、布袋像の背後の韋駄天像も安置しています。これらの像は明の仏師・范道生の作です。
天王殿の正面一間通りは吹き放しになっています。堂内には2本の円柱がありますが、方柱は日本ではめずらしいチーク材を使っています。天王殿は黄檗宗のお寺にしかみられません。チベット仏教寺院(ラマ教寺院)からもたらされたといわれています。 大正2年(1913)に天王殿は国の重要文化財に指定されています。
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怨親平等塔

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺境内に怨親平等塔という宝篋印塔が建てられています。昭和12年(1937)に当時の住職山田玉田和尚が日本と中国との戦争に心を痛め、両国の将兵と国民の精霊を慰め、両国が友好の関係に戻れるよう祈願して建立したそうです。宝篋印塔の中に妙法蓮華経が納められているそうです。
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萬福寺・菩提樹

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
八幡宮祠堂の横に菩提樹(ぼだいじゅ)の木があります。隠元禅師が明から伝えたといわれています。釈迦が、菩提樹の下で悟りを開いたといわれ、憂樹(むゆうじゅ)、沙羅双樹(さらそうじゅ)とともに、仏教の三大聖木とされています。
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萬福寺八幡宮祠堂

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺の八幡宮祠堂(しどう)は寛文7年(1667)に建立されています。萬福寺の鎮守社で、一間社流造り、本瓦葺きです。大雄宝殿の附指定で大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺・香椿

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺の鼓楼下に香椿(チャンチン)という木があります。隠元禅師が明から伝えたといわれる木です。センダン科落葉樹で、高いものは10mにもなるそうです。若葉は食用となり、天ぷら、炒め物で食するそうです。
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萬福寺合山鐘

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺の合山鐘(がっさんしょう)は鼓楼近くの回廊の中にあります。6代・千呆により元禄9年(1696)に鋳造されています。開山堂、寿蔵、舎利殿で行われる儀式の出頭時にのみ鳴らされるそうです。
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萬福寺石碑亭

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺の石碑亭は鼓楼の近くにあります。甲羅から顔を出した亀の石像の上に石碑が建てられています。延宝元年(1673)に後水尾天皇から隠元禅師に贈られた「特賜大光普照國師塔銘」という文字が刻まれています。石碑亭は開山堂の附指定で昭和40年(1965)に国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺寿塔

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺の寿塔(寿蔵・真空塔)は、寛文3年(1663)に建立された本瓦葺きの六角堂です。屋根は宝形造りで、頂には露盤・宝珠を載せています。寿堂は隠元禅師の生前に築造された墓であり、木庵禅師を中心に、法子・法孫らが尽力しています。寿塔は昭和40年(1965)に国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺松隠堂・開山堂

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺松隠堂の開山堂は通玄門の正面にあり、ここに隠元禅師が祀られています。一重裳階付き、入母屋造り、本瓦葺きの建物で、延宝3年 (1675)に建てられています。毎年4月3日には他山の僧も迎え、開山忌が営まれ、毎月3日に月例忌が営まれています。開山堂は昭和40年(1965)に国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺松隠堂・客殿

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺松隠堂の客殿は通玄門を入った左側に建てられています。隠元禅師が居住していた建物で、移築されて、客殿として使われていました。元禄7年(1694)に建てられた書院造りの和様、単層、入母屋造りの建物です。平成元年(1989)に国の重要文化財に指定されています。
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萬福寺松隠堂・通玄門

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺松隠堂の通玄門(つうげんもん)は山門を入った左側にあります。これより中に隠元禅師と関係が深い客殿、開山堂、舎利殿などが建てられています。朱色の通玄門は切妻造り、本瓦葺きの四脚門で寛文5年 (1665)に建てられています。昭和40年(1965)に国の重要文化財に指定されています。
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中和門院御宮跡

京都府宇治市五ヶ庄三番割に萬福寺があります。
萬福寺の通玄門の前に中和門院御宮跡の石碑があります。この地、宇治の大和田は、第108代の後水尾天皇の生母・中和門院の別邸「大和田(おわだ)殿」でした。通玄門の中は松隠堂という隠元禅師の隠居所になりました。禅師の死後は開山塔院(墓所)となり、昭和34年(1959)までは萬福寺と別の宗教法人でした。
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