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雙栗神社のクスノキ

雙栗神社のクスノキ
 京都府久世郡(くせぐん)久御山町(くみやまちょう)佐山双栗に雙栗神社(さぐりじんじゃ)があります。
 雙栗神社の御神木でもある大クスノキは、本殿の北側に聳えています。樹高30m、幹回り5.35mの巨樹で、樹齢は400~500年と推定されています。平成3年(1991)に京都の自然200選に選定され、平成8年(1996)に久御山町の天然記念物に指定されています。

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雙栗神社本殿

雙栗神社本殿
 京都府久世郡(くせぐん)久御山町(くみやまちょう)佐山双栗に雙栗神社(さぐりじんじゃ)があります。
 雙栗神社の本殿は室町時代後期の明応3年(1494)に再建された建物です。石清水八幡宮の分霊を祀っていたことから三間社流造りの社殿です。檜皮葺きで、正面に1間の向拝を付けています。蟇股や脇障子上部に花と鳥、鹿と紅葉などの精巧な彫刻が施されています。明治40年(1907)に国宝に指定されましたが、戦後は国の重要文化財になっています。

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雙栗神社本殿門

雙栗神社本殿門
 京都府久世郡(くせぐん)久御山町(くみやまちょう)佐山双栗に雙栗神社(さぐりじんじゃ)があります。
 雙栗神社の本殿門は本殿と拝殿の中間に建てられています。間口1間2.4m、奥行1間、切妻造り、妻入の一戸門で、左右に玉垣を廻らしています。江戸時代後期(1751-1830)の建立で、虹梁や木鼻には極彩色が施されています。本殿門と玉垣は平成26年(2014)に国の有形文化財に登録されています。

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雙栗神社拝殿

雙栗神社拝殿
 京都府久世郡(くせぐん)久御山町(くみやまちょう)佐山双栗に雙栗神社(さぐりじんじゃ)があります。
 雙栗神社の拝殿は天明5年(1785)に建てられています。間口3間、奥行2間の木造平屋建て、本瓦葺きです。中央の間を馬道とし、左右に広い板間を設けています。天井が高く、開放的です。割拝殿形式で、板間の外回り三方は壁にしています。平成26年(2014)に国の有形文化財に登録されています。

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雙栗神社

雙栗神社
 京都府久世郡(くせぐん)久御山町(くみやまちょう)佐山双栗に雙栗神社(さぐりじんじゃ)があります。
 雙栗神社は久御山町(くみやまちょう)の南東部、久御山団地の南にあります。「雙」は「双」の古字体で羽栗郷(佐山村)と殖栗郷(えくり・佐古村)の両郷に祀られていたため「双栗」と名付けられたようです。また豪族「羽栗」氏の祖神を祀ったという説もあります。
 平安時代の貞観元年(859)に従五位下の神位が授けられたと「三代実録」に記載され、延長5年(927)の「延喜式神名帳」には、山城国久世郡の「雙栗神社三座」と書かれています。大きな椏(あて)の木(アスナロ)があったことから「椏本(あてもと)八幡宮」と称し、明治15年(1882)に雙栗神社に戻されました。
  祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)・素盞鳴命(すさのおのみこと)など7神が祀られています。室町時代末の本殿は国の重要文化財に指定され、拝殿、本殿門、玉垣、石鳥居は国の登録文化財です。町の天然記念物のクスノキの巨樹があり、数百本の山つばきが自生する寒椿の名所です。

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妙喜庵

妙喜庵
 京都府乙訓郡(おとくにぐん)大山崎町竜光に妙喜庵(みょうきあん)があります。
 JR山崎駅のすぐ南に臨済宗東福寺派に属する妙喜庵があります。室町時代の文明年間(1469- 1487)に東福寺の春嶽士芳が開いたといわれています。3世功叔士紡(こうしょくしぼう)は千利休の弟子といわれ、利休がよく訪れ、長期滞在しました。
 山崎の合戦後、秀吉は天王山に城を築き、千利休に茶室を作らせ、茶会も催しています。茶室はその後解体され、慶長年代(1596-1615)に妙喜庵に移されたといわれています。これが日本最古の茶室で、国宝に指定されている「待庵(たいあん)」です。
 待庵は切妻造り、こけら葺きで、書院の南側に接して建てられています。茶席は2畳、次の間と勝手の間を含んだ全体の広さが4畳半大という狭少の建物です。また書院も創建の文明年間(1469- 1487)の建物で国の重要文化財に指定されています。

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宝積寺出世石

宝積寺出世石
 京都府乙訓郡(おとくにぐん)大山崎町大字大山崎字銭原に宝積寺(ほうしゃくじ)があります。
 宝積寺の境内には「出世石」が残されています。本能寺で織田信長が明智光秀に討たれたとの知らせを受け、羽柴(豊臣)秀吉は急ぎ中国攻めをやめ、山崎まで戻り、宝積寺に布陣しました。秀吉が座して 天下統一を考えたという「出世石」です。

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宝積寺縁結びの桜

宝積寺縁結びの桜
 京都府乙訓郡(おとくにぐん)大山崎町大字大山崎字銭原に宝積寺(ほうしゃくじ)があります。
 宝積寺の境内には縁結びの桜があります。平成9年(1997)に京都嵯峨野の桜守・佐野藤衛門の苗床より移植したものです。境内には千年桜もあります。

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宝積寺待宵の鐘

宝積寺待宵の鐘
 京都府乙訓郡(おとくにぐん)大山崎町大字大山崎字銭原に宝積寺(ほうしゃくじ)があります。
 宝積寺の鐘楼に吊るされた梵鐘は「待宵の鐘」と呼ばれています。室町時代の永正16年(1519)に大山崎の松田宗誠から寄進されています。近くには待宵小侍従の碑があることから粋な名になったようです。「待つ宵のふけゆく鐘のこゑきけば あかぬ別れの鳥は物かは」と詠んだことから、待宵小侍従と呼ばれるようになったそうです。

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宝積寺石造五重塔

宝積寺石造五重塔
 京都府乙訓郡(おとくにぐん)大山崎町大字大山崎字銭原に宝積寺(ほうしゃくじ)があります。
 宝積寺にある石造五重塔は鎌倉時代に造られた聖武天皇の供養塔です。五重塔として建てられ、その後九重に積み上げられました。大山崎町の有形文化財に指定されています。

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宝積寺閻魔堂

宝積寺閻魔堂
 京都府乙訓郡(おとくにぐん)大山崎町大字大山崎字銭原に宝積寺(ほうしゃくじ)があります。
 宝積寺の閻魔堂は本堂の右にあります。ここには、木造閻魔王坐像、木造司録・司命坐像2体、木造倶生神坐像、木造闇黒童子坐像を安置しています。いずれも鎌倉時代の作で国の重要文化財に指定されています。天王山西麓の大阪府島本町にあった西観音寺にあったもので、同寺が廃寺になったため宝積寺に移された仏像です。

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宝積寺本堂

宝積寺本堂
 京都府乙訓郡(おとくにぐん)大山崎町大字大山崎字銭原に宝積寺(ほうしゃくじ)があります。
 宝積寺の本堂は入母屋造り、単層、本瓦葺きで、慶長11年(1605)に改築された建物です。京都府の有形文化財に登録されています。内陣の厨子に本尊十一面観音立像を安置しています。仏師・院範(いんぱん)、院雲(いんうん)が天福元年(1233)に造った像で、国の重要文化財に指定されています。

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宝積寺三重塔

宝積寺三重塔
 京都府乙訓郡(おとくにぐん)大山崎町大字大山崎字銭原に宝積寺(ほうしゃくじ)があります。
 宝積寺の三重塔は参道の右側の奥にあります。大日如来坐像を安置しています。羽柴(豊臣)秀吉が山崎の合戦で亡くなった武将を弔うため一晩で建立したといわれています。高さ19.5m、本瓦葺きの三重塔婆で、慶長9年(1604)に室町時代の和様復古調を踏襲して建てられました。国の重要文化財に指定されています。

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宝積寺仁王門

宝積寺仁王門
 京都府乙訓郡(おとくにぐん)大山崎町大字大山崎字銭原に宝積寺(ほうしゃくじ)があります。
 宝積寺の仁王門は切妻造り、本瓦葺きの三間一戸の重厚な門です。京都府有形文化財に登録されています。仁王門に安置されている彩色された寄木造りの2体の木造金剛力士像は国の重要文化財に指定されています。阿形(那羅延金剛力士)像は284.2cm、吽形(密迹金剛力士)像は277.5cmと大きなものです。

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宝積寺

宝積寺
 京都府乙訓郡(おとくにぐん)大山崎町大字大山崎字銭原に宝積寺(ほうしゃくじ)があります。
 天王山宝積寺は天王山の中腹にある真言宗智山派のお寺です。神亀元年(724)、行基が山崎橋という対岸八幡への往来の橋を建てた際に、橋寺として創建した「山崎院」の後身といわれています。竜神が伝えたという打出と小槌があることから「宝寺」(たからでら)とも呼ばれています。
 長徳年間(995-999)に寂昭が中興しています。俗名を大江定基といい、最愛の女性を亡くし出家した人で、今昔物語集に収められている説話で知られています。建仁2年(1202)、藤原定家も宝積寺を訪れたことが日記「明月記」に記されています。
 貞永元年(1232)の火災で全山焼失しました。天正10年(1582)、天王山が羽柴秀吉と明智光秀が戦った山崎の戦いの主戦場となり、宝積寺には秀吉の本陣が置かれました。勝利した後も天王山の山崎城(宝積寺城、宝寺城とも)を改修して、翌年大坂城に移るまで本拠地にしました。
 元治元年(1864)、久留米藩士で尊皇攘夷派の真木和泉守は、脱藩浪士を率いて、禁門の変の長州軍側に加わります。長州軍の京入りに合わせ、300名が船に分乗、淀川を上り、山崎の天王山、離宮八幡宮、大念寺、宝積寺に布陣しました。
 山崎に陣どった真木、久坂玄瑞らは向日町、物集女、桂方面に出撃しましたが敗れ、長州軍は総くずれとなり、真木以下、17名は天王山に踏みとどまり、しんがりをつとめ、全員割腹自刃しました。十七士の墓は、宝積寺にありましたが、明治元年(1868)天王山の山頂近くへと移されています。
 秀吉が一日で建てたと伝えられる三重塔は国の重要文化財に指定され、本堂、仁王門は京都府登録文化財、石造五重塔は大山崎町文化財です。本尊の木造十一面観世音菩薩立像をはじめたくさんの仏像などが国指定重要文化財です。本堂左横の「小槌宮」に大黒天が祀られ、打出と小槌もこの堂に祀られています。

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小林家住宅

小林家住宅
 京都府木津川市山城町上狛東林に小林家住宅があります。
 小林家住宅は、京都府南部、木津川が大きく湾曲して方向を変える地点の右岸の上狛の集落にあります。永正3年(1506)、摂津からここに移り住み、近世には村に設けられた禁裏御料にかかる庄屋を務めていたそうです。平成15年(2003)に小林家住宅の主屋が国の重要文化財に指定されました。

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笠置型燈籠

笠置型燈籠
 京都府相楽郡笠置町笠置山に笠置寺(かさぎでら)があります。
 笠置型灯篭とは、平安時代に笠置寺参道に建てられていた燈籠と伝えられていますが、現存するものは1基もなく、資料も残されていないため、幻の灯篭といわれてきました。愛知県岡崎市の石材業者組合が大正期に発行された本に形式や、寸法が記載されていたことを見つけ出し今回復元されました。

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笠置寺椿本護王宮

笠置寺椿本護王宮
 京都府相楽郡笠置町笠置山に笠置寺(かさぎでら)があります。
 笠置寺の椿本護王宮(つばきもとごおうぐう)は、笠置寺の鎮守社で、祭神として椿本護法善神を祀っています。延喜8年(908)吉野金峯山より勧請されています。しかし元弘元年(1331)の元弘の戦乱で焼失しました。現社殿は桃山時代の豊臣好みの建築手法から考え、豊臣氏が再興した可能性が高いと思われます。

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春日明神社

春日明神社
 京都府相楽郡笠置町笠置山に笠置寺(かさぎでら)があります。
 笠置寺の春日明神社は興福寺の貞慶上人(解脱上人)が春日明神の信託を受けたため勧請した社殿です。般若壷に建立されましたが、元弘元年(1331)の元弘の戦乱で焼失しました。平成28年(2016)に奈良の春日大社・摂社本宮神社社殿を移譲され、再興されたものです。

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笠置寺毘沙門堂

笠置寺毘沙門堂
 京都府相楽郡笠置町笠置山に笠置寺(かさぎでら)があります。
 笠置寺の毘沙門堂は笠置寺にあった49の塔頭・多門院の本堂です。本尊は鎌倉時代の像高50cmの木造毘沙門天像です。伝説では、楠木正成の念持仏で、信貴山の毘沙門天と並んで戦勝の神、福徳の神、財宝の神として多くの人々に信仰されたそうです。現在の建物は平成16年(2004)に改築されています。

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笠置寺大師堂

笠置寺大師堂
 京都府相楽郡笠置町笠置山に笠置寺(かさぎでら)があります。
 笠置寺の大師堂は天平勝宝3年(751)に、東大寺の実忠(じっちゅう)和尚が建立した旧正月堂の跡地にあり、石仏・弘法大師像(室町期))を安置しています。東大寺のお水取りは、天平勝宝4年(752)正月に旧正月堂で始めて行われ、翌2月から東大寺二月堂で執り行われるようになりました。大師堂は明治30年(1897)笠置駅にあった大師堂を旧正月堂跡地に移築したものです。

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笠置寺本坊

笠置寺本坊
 京都府相楽郡笠置町笠置山に笠置寺(かさぎでら)があります。
 笠置寺本坊は塔頭だった旧福寿院の建物です。全盛期の平安時代には49もの塔頭があったと伝えられています。明治時代まで山内塔頭を総称して笠置寺といい、笠置寺という建物自体は無かったそうです。明治に丈英和尚が入山し、福寿院を本坊に、多門院を毘沙門堂とし、残る知足院、文殊院は取り壊したそうです。

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笠置寺正月堂

笠置寺正月堂
 京都府相楽郡笠置町笠置山に笠置寺(かさぎでら)があります。
 笠置寺の本堂にあたるのが正月堂です。本尊の弥勒大磨崖仏の前にあり、礼拝堂でもあります。大平勝宝4年(752)に東大寺の実忠和尚が千手窟で修行の末に感得した十一面観音を祀っています。現在奈良東大寺のお水取りは二月堂で執り行われますが第一回目は正月堂で行われたそうです。その後、元弘の戦乱で焼失しました。

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解脱鐘

解脱鐘
 京都府相楽郡笠置町笠置山に笠置寺(かさぎでら)があります。
 笠置寺の梵鐘は「解脱鐘」と呼ばれ、コンクリートの鐘楼に吊るされています。鐘の基底部は6つに切り刻まれているもので日本には1つしかありません。中国風の独特な意匠で、建久7年(1195)に東大寺の俊乗坊重源が造ったとされています。
 当時、日本の宗教改革者といわれた笠置寺の貞慶上人(解脱上人)に、重源和尚はこの鐘と中国より持ち帰った紺紙金泥の大般若経六百巻を寄進したそうです。しかし大般若経とそれを納めた六角堂、鐘楼は、元弘の戦乱で焼亡しました。解脱鐘は国の重要文化財に指定されています。

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笠置寺弥勒大磨崖仏

笠置寺弥勒大磨崖仏
 京都府相楽郡笠置町笠置山に笠置寺(かさぎでら)があります。
 笠置寺の本尊である弥勒大磨崖仏は本堂、正月堂の前に立つ高さ16m、幅15mの花崗岩です。かつては日本最大最古の天人彫刻として崇められていました。しかし元弘元年(1331)の後醍醐天皇の元弘の戦乱により焼かれ、巨大な光背のみが残されています。

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笠置寺五輪塔

笠置寺五輪塔
 京都府相楽郡笠置町笠置山に笠置寺(かさぎでら)があります。
 笠置寺五輪塔は十三重塔石塔の左にあります。元弘の乱の際に、後醍醐天皇のもとに駆け付けた石川義純(よしずみ)の墓といわれています。六波羅軍を支援する20万の足利幕府軍と戦いましたが、敗れて自害しています。

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笠置寺十三重石塔

笠置寺十三重石塔
 京都府相楽郡笠置町笠置山に笠置寺(かさぎでら)があります。
 笠置寺にある十三重石塔は高さ4.35m(4.7mとも)の花崗岩の石塔です。室町時代前期(1333-1392)に建てられたと考えられています。初重軸部に薬師、釈迦弥陀、弥勒の四方仏が半肉彫りされています。貞慶上人(解脱上人)が母の供養ために建立したとも、元弘の乱の戦死者供養塔ともいわれています。
 この場所には建久7年(1196)貞慶上人によって木造瓦葺きの十三重塔が建てられていました。元弘元年(1331)の後醍醐天皇の元弘の戦乱により焼失してしまったそうです。十三重石塔は昭和32年(1957)に国の重要文化財に指定されています。

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笠置寺

笠置寺
 京都府相楽郡笠置町笠置山に笠置寺(かさぎでら)があります。
 笠置寺は真言宗智山派のお寺です。寺の歴史は古く、2千年前から笠置寺の巨岩は信仰の対象になっていたようです。天智天皇の時代、大海人皇子が狩りに来て弥勒仏に感得して寺を建立したのが始まりといわれています。
 奈良時代に東大寺の良弁(ろうべん)、実忠(じっちゅう)和尚によって大岩石に仏像が彫刻され、その仏を中心に笠置山全体が一大修験行場として栄えました。平安末期の末法思想の流行とともに本尊弥勒大磨崖仏は天人彫刻の仏として貴族・庶民の信仰を集めました。
 建久2年(1191)、興福寺の藤原貞慶(じょうけい)上人(解脱上人)が笠置寺に隠遁(いんとん)して諸堂を建立し全盛を極めました。しかし元弘元年(1331)に倒幕に失敗した後醍醐天皇の行宮(あんぐう)となり、全山焼亡し衰亡します。江戸末期には荒廃し、明治初年、無住寺となりましたが、明治9年(1876)、丈英和尚が復興に力を尽くし、ようやく現在の姿に整えられました。
 境内には大修験行場であった厳しい自然の中に、弥勒大磨崖仏、虚空蔵菩薩磨崖仏が聳え、胎内くぐり、蟻の戸渡り、ゆるぎ石などがあります。十三重石塔、解脱鐘は国の重要文化財に指定され、笠置寺再興勧進状1巻、紙本著色笠置寺縁起3巻は京都府有形文化財に指定されています。

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和束天満宮本殿

和束天満宮本殿
 京都府相楽郡和束町(わづかちょう)園大塚に和束(わづか)天満宮があります。
 和束天満宮の本殿は南北朝の兵乱で焼失後、貞和4年(1348)に再建された建物です。彩色豊かな一間社流造り、檜皮葺きで、室町時代の特色が細部にも色濃く現われています。本殿は昭和16年(1941)に国の重要文化財に指定されています。

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和束天満宮

和束天満宮
 京都府相楽郡和束町(わづかちょう)園大塚に和束(わづか)天満宮があります。
 和束天満宮は町のほぼ中央の小高い丘の上にあります。永観元年(983)、円融天皇が京都の北野天満宮より勧請し、菅原道真の画像を祀ったのが始めとされています。奈良の興福寺に属し、探題、公文、下司などにより神社は守られてきました。
 建武3年(1336)、南北朝の兵乱の兵火により社殿は焼失してしまいました。その後、貞和4年(1348)に再建されたのが現在の社殿で、本殿は国の重要文化財に指定されています。拝殿は社務所を兼ね、檜皮葺きの唐破風の本瓦葺きで、社殿の中に鳥居が組み込まれた特殊な造りです。
 本殿手前と本殿の上に小さな臥牛が並んでいます。緑に包まれた境内には熊野神社、春日神社、梅宮神社、御霊神社、若宮、神明神社、住吉神社、恵比須神社、八坂神社、八幡宮などが建ち、鐘楼も神宮寺の名残りで残されています。

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