常寂光寺多宝塔

京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町に常寂光寺(じょうじゃくこうじ)があります。
本堂と妙見堂の間の道を上ると常寂光寺の多宝塔があります。方三間、重層、宝形造り、檜皮葺き、塔高12mで、元和6年(1620)に建てられた均整の取れた美しい塔です。釈迦如来と多宝如来の両如来を本尊にしているので、並尊院という霊元天皇の勅額を掲げています。
棟札には、大檀家として辻藤兵衛尉直信、棟梁には藤原岡田仁助宗直、藤原沢村若狭守宗久らの名が記されています。多宝塔は常寂光寺塔婆として大正4年(1915)に国の重要文化財に指定されています。
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常寂光寺多宝塔

京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町に常寂光寺(じょうじゃくこうじ)があります。
本堂と妙見堂の間の道を上ると常寂光寺の多宝塔があります。方三間、重層、宝形造り、檜皮葺き、塔高12mで、元和6年(1620)に建てられた均整の取れた美しい塔です。釈迦如来と多宝如来の両如来を本尊にしているので、並尊院という霊元天皇の勅額を掲げています。
棟札には、大檀家として辻藤兵衛尉直信、棟梁には藤原岡田仁助宗直、藤原沢村若狭守宗久らの名が記されています。多宝塔は常寂光寺塔婆として大正4年(1915)に国の重要文化財に指定されています。
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常寂光寺鐘楼

京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町に常寂光寺(じょうじゃくこうじ)があります。
常寂光寺の鐘楼は、寛永18年 (1642) 、4世の光照院日選上人によって建てられています。梵鐘は第二次世界大戦中の金属供出のため失われました。現在の梵鐘は、昭和48年(1973)に青木一郎博士の音響設計により、古律黄鐘調の新鐘として鋳造されたものです。
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常寂光寺妙見堂

京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町に常寂光寺(じょうじゃくこうじ)があります。
常寂光寺の妙見堂に祀られている妙見大菩薩は、慶長年間(1596-1615)の保津川の洪水の際に上流から流れ着いた菩薩像を麓の角倉町の船頭が拾い上げ、長らく角倉町に祀られていたのを享和年間(1801-1803)に常寂光寺に遷座したものです。脇陣には、日禛上人開眼の鬼子母神と十羅刹女および大黒天が祀られています。
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常寂光寺本堂

京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町に常寂光寺(じょうじゃくこうじ)があります。
常寂光寺の本堂は2世の日韶(にっしょう)上人が小早川秀秋から伏見城客殿の寄進を受け、本堂として移築修造したものといわれています。一重寄棟屋根から、錣(しころ)屋根(兜の錣のように屋根の流れ面が途中で勾配が緩やかになり、全体として2段になっている屋根のことです)になり、江戸時代の姿に戻しています。
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常寂光寺仁王門

京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町に常寂光寺(じょうじゃくこうじ)があります。
常寂光寺の仁王門は山科にある本圀寺客殿の南門として貞和年間(1345-1349)に建てられたものです。元和2年(1616)に常寂光寺に移築され、仁王門となりました。境内にある建物の中で最も古い建物です。三間一戸、茅葺き屋根の仁王門には、左右に仁王像が安置されています。
身の丈七尺の仁王像は若狭小浜の長源寺から移したものといわれ運慶の作といわれています。仁王像は目と足腰の病にご利益があるといわれ、わらじが奉納され、病気平癒が祈願されています。仁王門をくぐると急な石段が山の斜面に沿って本堂へ続いています。
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常寂光寺山門

京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町に常寂光寺(じょうじゃくこうじ)があります。
常寂光寺の山門は太い角材を格子に組んで造られています。江戸後期に作り変えられたもので、江戸中期出版の「都名所図会」には、袖に土塀をめぐらした薬医門が描かれています。
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常寂光寺

京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町に常寂光寺(じょうじゃくこうじ)があります。
常寂光寺は日蓮宗のお寺で、嵯峨野を一望できる小倉山の中腹にあります。近くには落柿舎や二尊院があり、京都の風情がただよう静かなところです。平安時代より嵯峨野は、皇族や貴族の離宮、山荘をかまえる景勝地として有名でした。
特に小倉山、亀岡、嵐山の山麓は、後嵯峨上皇の亀山殿、兼明親王の雄倉殿、藤原定家の小倉山荘のほか、八条院高倉、待賢門院の中納言局、藤原公雄、藤原光経、飛鳥井雅有、覚性法親王や西行法師、涌蓮、向井去来など公家や歌人が好んで別荘や庵を構えたところです。
常寂光寺は藤原定家の山荘、時雨亭があったところだとされ、多宝塔の西南上方に時雨亭跡の石碑が建てられています(二尊院にも同じような石碑が建てられています。)。定家の小倉山荘は仁王門北側に有り、石碑が建てられています。
慶長年間(1596-1614)に大本山本圀寺に第16世になった究竟院日禛(にっしん)上人という高僧がいました。宗学と歌道への造詣が深く、加藤清正、三好吉房、小出秀政、小早川秀秋、瑞竜院日秀 (秀吉の実姉)など多くの人が帰依しました。文禄4年 (1595)、豊臣秀吉は東山方広寺大仏殿の開眼千僧供養に出仕をうながしました。
本山本圀寺は二派に分裂し、日禛上人は不受不施の宗制を守りました。秀吉の意向に逆らったため本圀寺を出て、この地に隠栖(いんせい)したのでした。小倉山は高瀬川開削で名を挙げた江戸初期の商人・角倉(すみのくら)一族の所有地でした。熱心な日蓮信者であった角倉了以(りょうい)の従兄・栄可は土地を寄進しています。
隠栖所はのちに寺に改められ、土地が常寂光土の感があるとして「常寂光寺」としました。寂光土(じゃっこうど)とは「永遠で絶対の浄土」のことで、日蓮宗や天台宗での浄土の一つです。その寂光土が常にあるお寺という意味なのです。
小早川秀秋らが堂宇の建立に寄与しました。日禛上人は元和3年 (1617)にここで57歳の生涯を終えました。跡を継いだ2世の日韶(にっしょう)上人はさらにお寺を整備したそうです。正徳5年(1715)、一道院日法上人が常寂光寺14世となりました。
京都鴨川において一千日の荒行を成し遂げた僧で、洛内外の人々の信仰を集め、正徳2年(1712)、堀川本蔵寺で、霊元上皇の平癒の祈祷をして、大験者及び上人となっています(以後本蔵寺は勅願所一道院と改めています。)。常寂光寺にも霊元上皇より多宝塔に「並尊閣」の勅額を賜わっています。
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角倉了以墓所

京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町に二尊院(にそんいん)があります。
角倉了以(すみのくらりょうい)は京都の「水運の父」と呼ばれています。小倉山は高瀬川開削で名を挙げた江戸初期の商人・角倉(すみのくら)一族の所有地でした。二尊院には了以と、息子・素庵のお墓があります。
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小倉あん発祥の地

京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町に二尊院(にそんいん)があります。
二尊院に小倉餡発祥之地と刻まれた石碑がります。大同4年(809)頃、空海が小豆の種を中国から持ち帰り小倉山で栽培し、菓子職人の和三郎がその小豆であんを作り、御所に献上したとされています。
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時雨亭跡

京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町に二尊院(にそんいん)があります。
二尊院には百人一首を編纂したという藤原定家が営んだ時雨亭跡(しぐれていあと)と伝わる場所があります。(近くの常寂光寺にも時雨亭跡の石碑が残されています。)
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二尊院本堂

京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町に二尊院(にそんいん)があります。
二尊院の本堂は永正18年(1521)、広明恵教が三条西実隆の援助で再建した方丈型建築です。後柏原天皇による「小倉山」、後奈良天皇による「二尊院」の勅額が架けられています。28畳の部屋を中心に6間あり、中央に木造釈迦如来立像と阿弥陀如来立像の本尊2像が祀られています。
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二尊院総門

京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町に二尊院(にそんいん)があります。
二尊院の総門は伏見城の薬医門であったものです。京の豪商・角倉了以によって慶長19年(1614)に移築されたそうです。右の門柱に「小倉山二尊院」、左には「九頭龍弁財天」とあり、左手前の石碑には 聖域を示す「大界外相(たいかいげそう)」と刻まれています。総門の先には紅葉の馬場と呼ばれる参道が続いています。
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二尊院

京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町に二尊院(にそんいん)があります。
二尊院は正しくは、小倉山二尊教院華台寺(にそんきょういんけだいじ)という天台宗のお寺です。平安時代初期の承和年間(834-847)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が創建したと伝えられています。
鎌倉時代に造られた「発遣(ほっけん)の釈迦」如来像と「来迎(らいごう)の阿弥陀」如来像の「二尊」の本尊の立像が並んで祀られているので、「二尊院」と呼ばれるようになったそうです。
発遣の釈迦如来は衆生に阿弥陀如来の極楽浄土へ行くように勧め、来迎の阿弥陀如来はその衆生を迎えます。この木造釈迦如来立像と阿弥陀如来立像は像高2像とも78.8cmで、国の重要文化財に指定されています。
のちに荒廃しましたが、法然が九条兼実の助力で再興し、弟子の湛空(たんくう)が堂宇を増築しました。嘉禄3年(1227)の嘉禄の法難の時、法然上人の遺骸を天台宗の僧兵から守るために法然廟所から二尊院まで六波羅探題の武士たちに守られながら遺骸が移送されました。
天台、真言、律、浄土の4宗兼学の寺となり隆盛しましたが、応仁の乱による延焼で堂塔伽藍が全焼しました。永正年間(1504-1521)に長門の僧・広明恵教(えきょう)が三条西実隆(さねたか)・公条(きんえだ)父子の援助で復興させました。
豊臣秀吉からは120石、徳川家康からは200石の寺領を与えられ、明治に天台宗に戻っています。境内には公家の二条家、三条家、四条家、三条西家、嵯峨家(旧・正親町三条家)、鷹司家の墓のほか、伊藤仁斎・伊藤東涯父子、角倉了以・角倉素庵父子、阪東妻三郎の墓などがあります。
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為朝の試し石

京都府京都市右京区梅ヶ畑宮ノ口町に平岡八幡宮があります。
平岡八幡宮には為朝の試し石があります。弓の達人といわれた鎮西(源)八郎為朝が射抜いたと伝えられています。
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山の神石

京都府京都市右京区梅ヶ畑宮ノ口町に平岡八幡宮があります。
平岡八幡宮に山の神石といわれる「さざれ石」があります。江戸時代の名所図絵にも紹介されています。神殿傍らに大石あり、里人山神とぞ怖れると記述されているそうです。
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やぶ椿

京都府京都市右京区梅ヶ畑宮ノ口町に平岡八幡宮があります。
平岡八幡宮のやぶ椿は花弁が三角形に開き始め、しべが赤みを帯び一般の藪椿とは異なる珍種です。境内の椿の中で最も古い木で樹齢300年とも500年ともいわれています。
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平岡八幡宮御神木

京都府京都市右京区梅ヶ畑宮ノ口町に平岡八幡宮があります。
平岡八幡宮御神木は樹齢600年とも800年ともいわれている樹高15mのツブラシイの木です。胸高幹周は4.8m、枝長は東西25m、南北30mあります。京都市では幹周り最大級の老椎であり 京都市景勝地植樹対策委員会より 巨樹名木の一つに指定されています。
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平岡八幡宮本殿

京都府京都市右京区梅ヶ畑宮ノ口町に平岡八幡宮があります。
平岡八幡宮の本殿は間口3間、奥行2間、単層、切妻造り、銅板葺きで、正面に1間の向拝があります。文政9年(1826)に再建された建物で、数少ない切妻造り本殿の一つです。平成12年(2000)に京都市の有形文化財に指定されています。
内部の前半部は広い1室で、後半部は柱間ごとに3室に分かれています。柱、長押、頭貫、板扉に朱の弁柄塗り、板壁は白い胡紛塗りです。組物、中備、内法長押などに極彩色の文様があります。内陣天井は極彩色の花絵44面が描かれ、「花の天井」とよばれています。
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平岡八幡宮

京都府京都市右京区梅ヶ畑宮ノ口町に平岡八幡宮があります。
平岡八幡宮は大同4年(809)、弘法大師により創建された京都最古の八幡宮です。高雄山神護寺の鎮守として大分県の宇佐八幡宮から勧請したといわれています。梅ヶ畑(うめがはた)八幡宮とも呼ばれ、応神天皇を祭神とし、梅ヶ畑の産土社(うぶすなしゃ)でした。
平安時代末に、廃絶した時期がありましたが、神護寺の文覚により再興されました。鎌倉時代に、文覚の高弟・浄覚(上覚とも)によって現在地に移されたそうです。応永14年(1407)に焼失しましたが、直ちに足利義満によって再建されました。
江戸時代の文政9年(1826)に第120代・仁孝天皇の命により現在の社殿が再建されました。大工は上嵯峨の宗兵衛と室町の中川常右衛門藤原忠寛と記されています。明治の神仏分離令後の廃仏毀釈により、神護寺から独立しました。
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高山寺仏足石

京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町に高山寺があります。
境内には覆いの下に仏足石が置かれています。釈迦の足をかたどって礼拝の対象としたもので、千輻輪宝(せんぷくりんぽう)、金剛杵(こんごうしょ)、双魚紋(そうぎょもん)などの紋様があります。境内には「仏足石参道」と刻まれた石碑が2つもあり、信仰を集めていたことがわかります。
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阿留辺幾夜宇和の石碑

京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町に高山寺があります。
墓域の入口に阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)と刻まれた石碑が建てられています。明恵の遺訓を記したもので、小川義章が筆をとっています。この7文字の言葉は、僧に対して説かれた言葉ですが、現にある規範規律を守り、その立場に応じて為すべき事を成せと一般の人々にも諭しています。
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高山寺如法経塔

京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町に高山寺があります。
高山寺の如法経塔(にょほうきょうとう)は重要文化財の宝篋印塔の隣に建てられています。宝篋印塔と同時代の鎌倉後期の建治から元徳年間(1275-1332)に造られたと思われます。高さ1.4mの石造一重塔で、昭和30年(1955)に国の重要文化財に指定されています。
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高山寺宝篋印塔

京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町に高山寺があります。
高山寺の宝篋印塔(ほうきょういんとう)は開山堂近くにあります。高さ3.2mのこの石塔は、明恵上人に帰依した富小路盛兼が寄進したものといわれています。近くにある為因寺のものとよく似ており、高山寺型と呼ばれる形式で、わが国の宝篋印塔の中で最も古い様式のものです。
宝篋印塔は鎌倉後期の建治から元徳年間(1275-1332)に造られたと思われます。相輪(そうりん)、笠、塔身、基礎の4つからなり、最上部の棒状の相輪は、頂上に宝珠(ほうじゅ)をのせ、その下に請花(うけばな)、九輪(くりん)、伏鉢(ふせばち)があります。九輪の上部を欠いていますが、昭和30年(1955)に国の重要文化財に指定されています。
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高山寺御廟

京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町に高山寺があります。
高山寺の御廟は開山堂の上にあります。御廟は明恵上人の墓所で、覆屋の中には古い五輪塔が納められているそうです。まわりには宝篋印塔、如法経塔などの石塔が並び、歴代住持である土宜法龍、土宜覚了、小川義章、葉上照澄などの墓もあります。
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高山寺開山堂

京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町に高山寺があります。
高山寺の開山堂は明恵上人が晩年を過ごし、入寂した禅堂院の跡地に建てられています。明恵上人坐像が安置され、御影堂信仰の対象となりました。室町時代に兵火により焼け落ち、今の堂宇は、江戸時代に再建されたものです。現在、法要はこの開山堂で営まれることが多いそうです。1月8日に明恵上人生誕会、1月19日に明恵上人命日忌法要などが行われるそうです。
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高山寺金堂

京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町に高山寺があります。
高山寺の金堂は仁和寺・真光院の古御堂を移築したもので、かつての本堂の位置に建てられています。承久元年(1219)に完成した本堂は、東西に阿弥陀堂、羅漢堂、経蔵、塔、鐘楼、鎮守に囲まれた5間4面の堂宇で、運慶の丈六盧舍那仏(るしゃなぶつ)などが置かれたそうです。しかし室町時代に焼失してしまいました。
現在の金堂は間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、銅板葺きで、正面に1間の向拝があります。江戸時代の寛永年間(1624-1644)に移築再建された建物です。内部は3間2間が外陣、残りが内陣で外陣の天井は格天井です。蔀戸、引違舞良戸、板戸、四方縁付きです。金堂の前には国の重要文化財指定の立札がありました。
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高山寺石水院

京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町に高山寺があります。
高山寺の石水院(せきすいいん)は五所堂(ごしょどう)ともいわれています。明恵上人の住居跡と伝えられています。間口正面3間、背面4間、奥行3間、正面1間通り庇、単層、入母屋造り、妻入、庇葺きおろし、1間の向拝付きの、こけら葺きの建物です。鎌倉初期の寝殿造りの遺構として、昭和28年(1953)に国宝に指定されています。
石水院は鎌倉前期の文治年間から文永年間の間(1185-1274)に建てられたと考えられています。当初は東経蔵として金堂の東にありました。安貞2年(1228)の洪水で、東経蔵の谷向いにあったもとの石水院が無くなりました。その後、東経蔵に春日・住吉明神を祀って、石水院としたそうです。明治22年(1889)に現在地に移築されました。
蟇股や舟肘木(ふなひじき)、庇の縋破風(すがるはふ)などに鎌倉時代の様式を見ることができます。また、建物の外周に壁は少なく、蔀戸(しとみど)仕様で寝殿造りの特徴が伺えます。南面に掲げられている「日出先照高山寺」(日出でてまず高き山を照らす)の額は後鳥羽上皇の勅額です。また西面の「石水院」の額は富岡鉄斎の揮毫です。
石水院にはガラスケースの中に有名な「鳥獣戯画」、正しくは「鳥獣人物戯画」の模本が展示されています。本物は東京国立博物館と京都国立博物館に委託してあるそうです。カエルやウサギなどが時代の世相を風刺しており、日本最古の漫画とも呼ばれています。
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高山寺

京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町に高山寺があります。
栂尾山(とがのをさん)高山寺は真言宗のお寺です。鳥獣人物戯画をはじめ、絵画、典籍、文書など、多くの文化財を所蔵する寺として知られています。寺伝によれば宝亀5年(774)、光仁天皇の勅願によって華厳宗「神願寺都賀尾(とがを)坊」の名で開創されたそうです。
平安時代には、神護寺の別院とされ、神護寺十無尽院(じゅうむじんいん)と称されたそうです。建永元年(1206)に後鳥羽上皇の院宣によって、明恵(みょうえ)上人が華厳宗復興の道場として再興し、寺名を高山寺と改めたと伝えられています。
応仁・文明の乱(1467-1477)では、山名宗全に占拠され、天文16年(1547)には細川晴元の兵火により、金堂など大半の伽藍が焼失しました。江戸時代の寛永11年(1634)に、永弁、秀融により再興され、仁和寺などから建物が移築され、金堂などが再建されました。
享保2年(1717)には火災により御廟、開山堂、護摩殿、禅堂院などが焼失しました。その後、開山堂と御廟は再建されています。明治に入り、神仏習合が破棄され、境内地を除く寺領・寺有地が没収されました。政府により華厳宗は廃止され真言宗に改宗されました。
高山寺は日本最古の茶園がある寺としても知られています。臨済宗の開祖・栄西は、南宋より茶の種と茶を抹茶にして飲むやりかたを持ち帰りました。明恵上人はその茶の種を受け取り、高山寺の境内に植えました。この栂尾の茶は本茶といわれ毎年宮中や将軍家へ献上したそうです。
高山寺の境内は昭和41年(1966)国の史跡に指定され、境内にある石水院は鎌倉初期の寝殿造りの遺構として国宝に指定されています。また御廟近くの宝篋印塔と如法経塔は国の重要文化財に指定されています。平成6年(1994)には古都京都の文化財として、世界文化遺産にも登録されました。
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為因寺宝篋印塔

京都府京都市右京区梅ケ畑奥殿町に為因寺(いいんじ)があります。
為因寺にある宝篋印塔は近くにある高山寺のものと作者が同じではないかと思われるほどよく似ており、わが国の宝篋印塔の中で最も古いものです。後面には「文永二年乙丑八月八日造立」の刻銘があり、鎌倉時代中期の文永2年(1265)に建てられています。
為因寺宝篋印塔
この宝篋印塔の正面には阿難塔と刻まれていて、女人成仏、女人救済の塔であったことがわかります。花崗岩製で、高さは2.1mあります。相輪は折れ、九輪上部の四輪と請花基礎の下部等がありません。笠は四隅が馬耳状で、大きく乗る四隅の隅飾は別の石でできています。昭和30年(1955)に国の重要文化財に指定されています。
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