桂離宮書院

京都府京都市西京区桂御園に桂離宮があります。
桂離宮の書院は、東から古書院、中書院、楽器の間、新御殿と、雁行形に連なっています。古書院には、池に面して月見台が設けられています。智仁親王が実際に建設されたのは古書院だけだったそうです。智忠親王により中書院、新御殿が建てられました。中書院は、一の間、ニの間、三の間からなり、楽器の間は楽器などを格納していたところです。新御殿は後水尾上皇をお迎えするために増築されました。
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桂離宮笑意軒

京都府京都市西京区桂御園に桂離宮があります。
笑意軒(しょういけん)は、池の南岸、離宮敷地の南端近くにある茶屋です。池に面した北側を正面とした寄棟造り、茅葺きの建物で、北、東、西の三方にこけら葺きの庇をめぐらしています。笑意軒という名は李白の「山中問答歌」からつけられています。「問余何意栖碧山 笑而不答心自閑」(余に問ふ何の意ありて碧山に栖むと 笑ひて答えず心自ら閑かなり)
内部は襖で区切られていますが、天井は一つながりになっており、広く見せる工夫がなされています。前に敷かれた延段は「草の飛石」といわれています。「中の間」の窓からは、木立とともに田園風景が眺められます。
笑意軒の戸板の引手は鉄で造られた弓矢で、戸板にはめこんであります。縁側のある口の間の腰高障子の上は、横並びに6つの丸い下地窓を設けています。下地の組み合わせをそれぞれに違えてあり、連子窓の格子の材質にも木や竹を微妙に使いわけています。
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桂離宮園林堂

京都府京都市西京区桂御園に桂離宮があります。
園林堂(おんりんどう)は本瓦葺き、宝形(ほうぎょう)造りで、正面に唐破風の向拝をつけた小堂です。池の南側にある大きな島の西端に建てられています。智仁親王と、彼から始まる「桂宮家」代々の位牌を置いていた持仏堂です。現在は安置されているものはなく建物だけが残っています。
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桂離宮賞花亭

京都府京都市西京区桂御園に桂離宮があります。
賞花亭(しょうかてい)は中島の頂上にあり、苑内で最も高いところに建てられています。切妻造り、茅葺きで、皮付きの柱を用いています。松琴亭と同じようにほぼ北に向いていて、暑い夏を快適に過ごす休息茶屋の様相です。竹の連子窓を通してみる景色は深山幽邃の趣きを備えています。
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桂離宮土橋

京都府京都市西京区桂御園に桂離宮があります。
賞花亭から古書院や中書院の中間に「土橋」が架けられています。優美な丸みを帯びた橋です。土橋から池に浮かぶ二つの小島や、橋、池の水面や対岸の木々の緑など広く見通せます。
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桂離宮松琴亭

京都府京都市西京区桂御園に桂離宮があります。
松琴亭(しょうきんてい)は池の東岸、間に小島を挟んで対岸の古書院と向かい合う位置にあります。桂離宮の中で最も格の高い入母屋造り、茅葺きの田舎風の母屋にこけら葺きの茶室を持つ建物です。屋根の妻に「松琴」の扁額が掲げてあります。後陽成天皇の筆で拾遺集の「琴の音に峯の松風通ふらし・・」から命名されています。
松琴亭は、北に正面を向けた建物ですが、その南側半分は後に増築されています。そのため複雑な形の屋根となっています。一の間の正面には一間幅の床の間があります。床の内側の三方の壁は、紺と白の石畳模様の斬新な張りつけ壁になっています。この模様は二の間との境の襖(ふすま)にも使われています。
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桂離宮洲浜

京都府京都市西京区桂御園に桂離宮があります。
外腰掛から松琴亭の間に洲浜(すはま)があります。黒く扁平な石が敷き詰められ、池に突き出しています。その先にある中島と石橋のつながりは天橋立に見立てたものです。
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桂離宮蘇鉄山

京都府京都市西京区桂御園に桂離宮があります。
外腰掛の向いの小山には蘇鉄が植えられている「蘇鉄山」があります。薩摩島津家から献上されたと伝えられています。
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桂離宮外腰掛

京都府京都市西京区桂御園に桂離宮があります。
外腰掛(そとこしかけ)は松琴亭で茶会が催される時の待合になります。間口3間、奥行1間、寄棟造り、茅葺きの建物です。深々とした屋根を皮付丸太で支えているだけの吹き放しの腰掛で、屋根裏は葭(ヨシ)を竹垂木で押さえています。北端には雪隠が付いています。
外腰掛前には延段(敷石道)が池の方向へ向かって長く伸びています。自然石と切り石を巧みに混ぜたもので、古書院御輿寄前の「真の延段」、笑意軒前の「草の延段」に対して「行の延段」と呼ばれています。延段の北端には「二重升形(ますがた)手水鉢」と呼ばれる手水鉢があります。
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桂離宮御幸門

京都府京都市西京区桂御園に桂離宮があります。
御幸門(みゆきもん)は表門の先にある素朴な門です。後水尾上皇を迎えるために智忠親王が造られました。その後失われ、家仁(いえひと)親王の時に再建されています。切妻造り、茅葺の棟門形式の門です。門の手前脇にある方形の切石は「御輿石」といって、天皇が輿を下すところです。
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桂離宮

京都府京都市西京区桂御園に桂離宮があります。
桂離宮は桂宮家の別邸で、桂山荘と呼ばれました。創建以来火災に遭うこともなく、ほとんど完全に創建当時の姿を今日に伝えています。八条宮家(後に桂宮家と改称しました)の智仁(としひと)親王によって開かれました。後陽成天皇の弟で、江戸時代皇室に最も近い関係にあった宮家です。
智仁親王は和歌に長じており、後に関白職を譲られる約束をもらって、天正16年(1588)に豊臣秀吉の養子となりました。しかし翌年秀吉の実子・鶴松が生まれたため、皇籍にもどり、天正18年(1590)に八条宮家を立てました。
親王は元和元年(1615)頃に山荘の造営に着手され、数年ほどの間に簡素の中にも格調を保った桂山荘を完成させました。桂山荘は明治16年(1883)に桂離宮と改められました。桂離宮の書院の中で古書院は智仁親王によって建てられています。
2代智忠(としただ)親王は加賀藩主前田利常の息女富姫と結婚しています。財政的に余裕もでき、桂山荘の修理や増築に力をそそぎました。慶安2年(1649)頃までに中書院、新御殿、月波楼、松琴亭、賞花亭、笑意軒などを新増築しました。
八条宮家はその後、京極宮、桂宮と改称されて明治に至り、明治14年(1881)11代淑子(すみこ)内親王が亡くなられるとともに断絶しました。宮家の別荘として維持されてきた桂山荘は、明治16年(1883)に宮内省所管となりました。
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宝筐院

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町に宝筐院(ほうきょういん)があります。
宝筐院は清涼寺の仁王門の近くにあります。平安時代に白河天皇の勅願寺として建立され、善入寺と称しました。南北朝時代に夢窓疎石の高弟・黙庵周諭が再興しました。黙庵に帰依した楠木正行は正平3年/貞和4年(1348)の四條畷の戦いで敗れ、首級はこの寺に手厚く葬られました。
足利幕府2代将軍・足利義詮も黙庵に帰依していました。敵であった正行の墓の傍らで眠りたいと遺言を残し、貞治5年(1367)、正行の墓(五輪石塔)の隣の墓(宝筐印塔)に葬られました。8代将軍・足利義政の時に義詮の院号である宝筐院と寺号が改められました。
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清涼寺霊宝館

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
清涼寺の霊宝館には、国の重要文化財に指定されている阿弥陀三尊像、十大弟子像、四天王立像、文殊(もんじゅ)菩薩騎獅像、普賢菩薩騎象像、兜跋(とばつ)毘沙門天立像などが安置、所蔵されています。また国宝の絹本著色十六羅漢像16幅は、中国・北宋時代の羅漢像として唯一の遺品で、東京と京都の国立博物館に8幅ずつ寄託されています。
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嵯峨天皇・皇后石塔

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
嵯峨天皇(右)と壇林皇后塔との伝承がある石塔が建てられています。嵯峨天皇は桓武天皇の子です。子供が大勢いたので、弘仁6年(815)このうち32人に源朝臣を与えて臣籍にしました。源融もその一人です。嵯峨天皇の皇后は橘嘉智子(たちばなのかちこ)といい、嵯峨野に日本最初の禅院・檀林寺を創建したことから檀林皇后と呼ばれます。
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生の六道

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
「生の六道 小野篁(おののたかむら)公遺蹟」と刻まれた石碑が建てられています。昔は、ここに六道の辻があったようです。六道珍皇寺には地獄で閻魔大王に仕えていたという小野篁の「冥土通いの井戸」がありますが、ここは地獄からの戻り口「生の六道」であると伝えています。
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秀頼公首塚

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
秀頼公首塚は昭和55年(1980)に大阪城の三の丸跡地の発掘現場から出土した豊臣秀頼の首を昭和58年(1983)に納めたものだそうです。首に介錯の跡があったといわれています。
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清涼寺狂言堂

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
清涼寺の狂言堂では重要無形民俗文化財の嵯峨大念仏狂言が演じられます。千本閻魔堂の閻魔堂狂言、壬生寺の壬生狂言とともに京都3大念仏狂言の一つに数えられています。嵯峨大念仏狂言は壬生狂言と同じく円覚上人が創始されたものといわれています。
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清涼寺薬師堂

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
境内西北にある清涼寺の薬師堂は、かつては竜幡山薬師寺といい、平安時代の、弘仁9年(818)、嵯峨天皇の勅により空海が建立したといわれています。薬師如来像を安置し、疫病の平癒を祈願したそうです。当初は真言宗でしたが、後に浄土称に改宗しています。
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棲霞観跡

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
棲霞観(せいかかん)は嵯峨天皇の第12皇子、左大臣・源融(とおる)(822-895)の山荘です。棲霞寺は棲霞観に建てられた阿弥陀堂を創始としています。現在、棲霞寺は阿弥陀堂にのみ名残りをとどめています。
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清涼寺鐘楼

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
鐘楼にさがる梵鐘は「清凉晩鐘」「五台晨鐘」といわれ、嵯峨八景、嵯峨十景の一つに選ばれています。総高212.2mというおおきな鐘で、南北朝時代の文明16年(1484)に鋳物師・河内国堺宿院、総大工・藤原長家ら4人で鋳造されています。梵鐘は京都府の有形文化財に指定されています。
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清涼寺阿弥陀堂

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
清涼寺の阿弥陀堂は、間口5間、奥行6間、入母屋造り、本瓦葺きの建物です。平安時代、この地には、棲霞寺の阿弥陀堂がありました。その後、釈迦如来像が安置され、清凉寺の阿弥陀堂となりました。現在の建物は、江戸時代末期の文久3年(1863)に再建された堂宇です。
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清涼寺多宝塔

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
清涼寺の多宝塔は元禄16年(1703)に再建された建物で、京都府の有形文化財に指定されています。下層は3間、本瓦葺き、上層は本瓦型銅瓦葺き、江戸風に尾垂木を竜頭としています。元禄13年(1700)に江戸護国寺で釈迦如来像の出開帳を行い、江戸の人々の寄進で資金を集めたそうです。
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清涼寺本堂1

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
清涼寺の本堂は釈迦堂とも呼ばれ、仁王門から入った広い境内の参道正面にあります。本堂は元禄14年(1701)に徳川5代将軍綱吉(つなよし)と、その母・桂昌院(けいしょういん)、大阪の豪商泉屋(後の住友)吉左衛門らの発起により再建されました。間口14間、奥行13間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの大きな建物です。
本堂内には、国宝の本尊・釈迦如来立像、国指定重要文化財の地蔵菩薩立像を安置しています。本堂正面には隠元筆の「栴壇瑞像(せんだんずいぞう)」の大額が架けられています。仏は栴檀の香木を刻んだ生身の仏、釈迦の生き姿をそのまま写したものという意味です。
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清涼寺山門

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
清涼寺の山門は応仁の乱で五大堂とともに炎上し、江戸時代の安永6年(1776)に再建された建物です。昭和62年(1987)に京都府の有形文化財に指定されています。三間一戸、2階二重門、入母屋造り、本瓦葺きの八脚門です。総ケヤキ造りで、禅宗様、和洋の折衷様式になっています。上層に十六羅漢像を安置、初層左右に室町時代作の阿吽の金剛力士像が安置されています。
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清涼寺経蔵

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
清涼寺の経蔵には釈迦が説いた法経典が収められています。輪蔵には明版一切経が納められていて、これを回すことで一切経を読んだのと同じ功徳が得られるそうです。輪蔵の正面には傅大士(ふだいし)坐像、両脇に音浄普現像、四隅に四天王像が祀られています。
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清涼寺

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
五台山(ごだいさん)清涼寺は大覚寺入口から西へ300mほどのところにあります。「嵯峨の釈迦堂さん」の愛称で親しまれる浄土宗のお寺です。融通念仏の道場としても知られ、浄土宗の元祖・法然上人が、24歳の時に、このお寺の釈尊像の前に7日間籠ったという由緒あるお寺です。
清涼寺はもとは棲霞(せいか)寺の境内にあった釈迦堂でした。この地は嵯峨天皇の仙洞(嵯峨院)の地で、嵯峨天皇の第12皇子、左大臣・源融(とおる)が譲り受けていました。そして、棲霞観(せいかかん)という山荘を建てていました。
融は源氏物語の光源氏のモデルになった人物といわれています。熱心な阿弥陀信仰者で、阿弥陀像を造立しようとしましたが亡くなり、遺族が阿弥陀三尊像を完成させました。融の一周忌の寛平8年(896)に阿弥陀堂を建立して安置し、法会を行い、棲霞寺を開いたのです。
永観元年(983)、東大寺の僧・奝然(ちょうねん)は五台山巡礼のため宋(中国)に渡りました。優填(うてん)国王が造ったとされる栴檀(せんだん)釈迦像を拝して感激し、香木を買い求めて宋で作成し日本に持ち帰りました。奝然は愛宕山を五台山に見立て、清涼寺を創建しようとしましたが夢果たせず亡くなりました。
その後、弟子の盛算(せいさん)が奝然の志を継ぎました。勅許を得て、棲霞寺の釈迦堂を清涼寺とし、栴檀釈迦像を安置して華厳宗の寺としました。その後、釈迦如来に対する信仰から、他宗の天台、真言、念仏宗を含め、融通念仏の大道場になり、棲霞寺よりも清凉寺の方が高名となりました。
建久元年(1190)、火災に遭い、その後も度々被災し、応仁元年(1467)の乱では兵火を受け、釈迦堂を除く多くの堂宇が焼失しましが、その度に再建されてきています。享禄2年(1529)には正親町天皇の綸旨を受け、五代堂などの再建に着手し、慶長17年(1612)には徳川家康から97石の寺領が与えられています。
境内には山門、本堂、聖徳太子殿、阿弥陀堂、一切経蔵、薬師堂、宝物館、弁天堂、狂言堂、鐘楼、多宝塔など多くの堂塔が建ちならんでいます。境内には、奝然上人、源融、嵯峨天皇、檀林皇后の墓などのほか豊臣秀頼公首塚などがあり、境外北側墓地には、十萬上人や遊女夕霧太夫の墓があります。
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落柿舎

京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町に落柿舎(らくししゃ)があります。
落柿舎は松尾芭蕉の弟子・向井去来(1651-1704)の別荘として使用されていた草庵です。貞享2年か3年(1685-1686)に豪商の別邸を買って修繕した庵で、芭蕉もしばしば訪れ、ここに来訪した門人たちの動静や自身の心境を記した「嵯峨日記」を残しています。
現在の落柿舎は後年に再建されたもので、去来が使用していた当時のものとは場所も異なっています。明和7年(1770)に井上重厚(じゅうこう)が嵯峨小倉山下の弘源寺跡に再興し、さらに明治初年に復興した建物だといわれています。
去来の「落柿舎ノ記」に落柿舎の名の由来が記されています。庭にあった40本の柿の実が嵐で一夜のうちにほとんど落ちてしまったそうです。翌朝、その柿の代金をすでに支払っていた柿の商人が受取りに来たので全額返したというエピソードが元になっているそうです。
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有智子内親王墓所

有智子内親王の墓が嵯峨野の落柿舎の隣にあります。有智子内親王は第52代・嵯峨天皇の第八皇女です。豊かな文才に恵まれた女性で、弘仁14年(823)、嵯峨天皇が斎院へ行幸した際に優れた漢詩を披露したことから、感嘆した天皇は内親王を三品に叙したそうです。
その詩作は「経国集」などに10首ほど残されています。日本史上数少ない女性漢詩人の一人に数えられ、また初代賀茂斎王となった女性でもありました。斎王とは神社に奉仕した未婚の内親王です。41歳で崩御されましたが、斎院は400年近く続きました。
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謌僊祠

京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町に常寂光寺(じょうじゃくこうじ)があります。
謌僊祠(かせんし)には鎌倉時代の歌人、藤原定家、藤原家隆の木像が安置されています。以前は仁王門の北にあったそうですが、常寂光寺が建立された時、山上に移されたそうです。平成6年(1994)に改築されています。
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時雨亭跡

京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町に常寂光寺(じょうじゃくこうじ)があります。
多宝塔の近くに時雨亭跡(しぐれていあと) の石碑が建てられています。藤原定家が「小倉百人一首」をこの時雨亭で編纂したといわれています。(近くの二尊院にも時雨亭跡の石碑が残されています。)
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