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平康頼之塔 

平康頼之塔
 京都府京都市北区紫野大徳寺町に大徳寺があります。
 大徳寺の勅使門の傍らに鎌倉時代後期に建てられた「平康頼之塔」があります。康頼は、平家打倒の鹿ヶ谷の陰謀の首謀者の一人として、俊寛などと鬼界ヶ島に流されました。康頼は千本の卒堵婆を作り、「薩摩潟沖の小島にわれはありと 親には告げよ八重の潮風」と望郷の歌を書き海に流しました。それが厳島神社に流れ着き、老母に届けられたことから、都中の評判となり清盛は後に赦免しました。

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大徳寺勅使門 

大徳寺勅使門
 京都府京都市北区紫野大徳寺町に大徳寺があります。
 大徳寺の勅使門は桃山時代の建物で、東の総門を入った境内のほぼ中央に建てられています。勅使門、山門、仏殿、法堂がほぼ一直線に配されています。切妻造り、前後に軒唐破風が付き、檜皮葺きの四脚門です。慶長年間(1596-1614)、御所の陽明門として建立され、後に大徳寺に下賜されたもので、明治33年(1900)に国の重要文化財に指定されています。

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大徳寺 

大徳寺
 京都府京都市北区紫野大徳寺町に大徳寺があります。
 龍寶山(りゅうほうざん)大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山です。正和4年(1315)ないし元応元年(1319)に大澄国師(宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう))は赤松円心の帰依を受け、洛北紫野の地に小堂を建てました。これが大徳寺の起源です。

 花園上皇は宗峰に帰依し、正中2年(1325)に大徳寺を祈願所とする院宣を発しています。後醍醐天皇も大徳寺を保護し、建武元年(1334)には京都五山のさらに上位に位置づけるとする綸旨を発しています。嘉暦元年(1326)に龍宝山大徳寺となり、勅使を迎え開堂し、寄進が相次ぎました。
 足利時代になり3代義満の時に五山制度改定が行われ、大徳寺は南朝に付いたとして「五山十刹」のうち十刹の第九位に落とされ、その後、林下の禅寺となりました。そして火事や応仁・文明の乱(1467-1477)の兵火で多くの伽藍が焼失し衰退しました。
 文明6年(1474)、後土御門天皇の勅命(綸旨)により、一休宗純が大徳寺第48代住持になり、堺の豪商・尾和宗臨らの協力を得て次第に大徳寺は復興していきました。天正10年(1582)、豊臣秀吉は織田信長の葬儀を大徳寺で行い、総見院を建立し、寺領を寄進し、茶会も催しました。

 大徳寺と茶の湯との関係は深く、千利休ら堺の茶人や茶の湯好きな大名などが次々に帰依しました。塔頭が建立され大いに隆盛しました。天正17年(1589)、利休は三門の上層を完成させました。そこに利休の居士像を安置したことから秀吉の怒りをかい、後に切腹を命じられ、京都葭屋町聚楽の屋敷内で自刃しました。

 境内は広大で南北一直線上に典型的禅宗伽藍が配置されています。勅使門から三門、仏殿、法堂(いずれも国重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備しています。本坊の方丈庭園(特別名勝・史跡)は江戸時代初期を代表する枯山水です。方丈の正面に聚楽第から移築した国宝の唐門があります。

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常照寺 

常照寺
 京都府京都市北区鷹峰北鷹峰町に常照寺(じょうしょうじ)があります。
 寂光山(じゃっこうさん)常照寺は源光庵から東に100mほど下ったところに建てられています。元和2年(1616)、本阿弥光悦の寄進地に光悦の養子・光嵯が日蓮宗中興の1人である久遠寺の日乾(にっけん)を招いて創建しました。
 寛永4年(1627)には日乾により学問所「鷹峰檀林」が開かれ、堂宇30余棟、学僧200余人が勉学に励んだそうです。寛永5年(1628)には2代目吉野太夫により表門(赤門)が寄進されています。
 光悦の甥の子で京都の豪商で文化人の灰屋紹益(はいやじょうえき)は2代目吉野太夫に惚れ込み身請けしています。親の大反対で駆け落ちまでしたのですが、太夫は38歳という若さで亡くなり、遺言によりこの常照寺に葬られています。

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光悦寺 

光悦寺
 京都府京都市北区鷹峯光悦町に光悦寺(こうえつじ)があります。
 大虚山光悦寺は日蓮宗のお寺です。本阿弥光悦の死後、草庵の位牌堂が本法寺の日慈(にちじ)上人の開山で寺に改められました。江戸初期の文化人・光悦は刀剣の鑑定・研磨の家に生まれ、近衛信尹、松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」に数えらています。陶芸・漆芸でも光悦楽焼・光悦蒔絵(まきえ)の創始者でもあります。
 元和元年(1615)、徳川家康より洛北の鷹ヶ峰の地を与えられ、一族を率いて来住しました。光悦の交友関係は広く、雁金屋宗柏、茶屋四郎次郎道清、俵屋宗達などの豪商、芸術家がこの地に居を構えるようになり、「鷹ヶ峰芸術村」と呼ばれるようになりました。
 境内には、大虚庵、三巴亭、了寂軒、徳友庵、本阿弥庵、騎牛庵、自得庵という7つの茶室があります。竹を粗く斜めに組んだ垣根は光悦垣と呼ばれ、大虚庵露地の仕切りに用いられています。

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小野篁冥土通いの井戸 

小野篁冥土通いの井戸
 京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町に六道珍皇寺があります。
 六道珍皇寺には小野篁が亡き母に会うための冥土(めいど)通いの井戸が残されています。また、夜になるとこの井戸をくぐってあの世に行き、閻魔大王に仕えていたともいわれています。

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六道珍皇寺閻魔・篁堂 

六道珍皇寺閻魔・篁堂
 京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町に六道珍皇寺があります。
 六道珍皇寺の閻魔・篁堂には小野篁が自ら彫ったとされる閻魔大王像と等身大の小野篁像が祀られています。江戸時代に造られた小野篁立像は右手に笏しゃくを持ち、等身大で衣冠束帯姿です。「今昔物語」をはじめとする色々な説話集に小野篁が冥官として閻魔大王の補佐役をしていた話しが語られています。

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六道珍皇寺 

六道珍皇寺
 京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町に六道珍皇寺があります。
 大椿山(だいちんざん)六道珍皇寺は建仁寺の塔頭で「六道さん」と呼ばれています。平安・鎌倉時代には東寺に属して盛えましたが、その後衰退し、室町前期の正平年間(1346-1370)に建仁寺の僧・良聡(りょうそう)によって再興され、臨済宗に改宗しています。
 この付近は死者を鳥辺野(とりべの)へ葬送する時の野辺送りの場所で、「六道の辻」と呼ばれ、この世とあの世の境といわれていました。本堂の裏にある井戸は、昼は嵯峨天皇、夜は閻魔大王に仕えた小野篁(おののたかむら)が冥土へ通った入り口だといわれています。
 境内には閻魔・篁堂があります。小野篁(802-852)は平安初期の公卿で歌人、文学者です。小野妹子の後裔(こうえい)で歌人、漢詩人として名高い峯守の子です。漢詩文「令義解(りょうのぎげ」の撰修に参画。遣唐使の副使に任命されましたが拒否したため隠岐に流されたこともありました。
 京都のお盆は、六道珍皇寺の「精霊迎え」から始まるそうです。鐘楼の「お迎え鐘」をつくと、鐘の音が冥土まで響き渡り、響きに応じて精霊がこの世に呼び寄せられるそうです。「六道まいり」といってお盆に先祖の霊を迎えるため鐘をつくのだそうです。

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六波羅蜜寺本堂 

六波羅蜜寺本堂
 京都府京都市東山区轆轤(ろくろ)町に六波羅蜜寺(六波羅蜜寺)があります。
 六波羅蜜寺の本堂は間口7間、奥行6間、単層、寄棟造り、本瓦葺きで、正面に3間の向拝を付けています。貞治2年(1363)僧観実によって再建された建物です。応仁の乱でも被災せず、慶長10年(1605)には大規模な解体修理をしています。明治30年(1897)に国の重要文化財に指定されています。
 本堂中央の厨子には国宝の木造十一面観音立像が安置されています。12年に一度辰年にのみ開帳される秘仏です。像高258cmの大きな像で、頭・体の根幹部を一材から彫り出す一木造りです。本堂は昭和44年(1969)に解体修理されています。

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六波羅蜜寺 

六波羅蜜寺
 京都府京都市東山区轆轤(ろくろ)町に六波羅蜜寺(六波羅蜜寺)があります。
 補陀洛(ふだらく)山・六波羅蜜寺は真言宗智山派のお寺です。空也上人により六原に西光寺を創建したのが六波羅蜜寺の始まりです。醍醐天皇の第2皇子であった空也は、村上天皇から京都で流行していた悪病をなくすよう勅命を受けました。
 十一面観世音菩薩を刻み車に乗せて洛中を引き巡って病気平癒を祈り、天暦5年(951)に一宇を建て観音像を祀りました。蔓延した病気もおさまり上人を慕う人々が増え、応和3年(963)には高僧600人による諸堂の落慶供養が盛大に行われました。
 この地は京都の葬送地鳥辺野の入口で「六道(ろくどう)の辻」と呼ばれるところでした。貞元2年(977)空也が亡くなると高弟の中信が伽藍を整備し、六波羅蜜寺に改めました。地名の六原から、または、仏教の教義「六波羅蜜」から寺号にしたようです。
 それ以降、天台別院となり法華講を催すと大勢の人が集まったそうです。鎌倉時代には六波羅探題が置かれたため幾度か兵火に遭いましたが、貞治2年(1363)僧観実(かんじつ)の勧進によって堂宇が再建されました。
 応仁の乱(1467-77)でも焼失しましたが、豊臣氏により復興し、桃山時代に真言宗智積院の末寺となりました。徳川幕府にも庇護され大伽藍を連ねましたが、明治維新の廃仏毀釈を受けて大幅に寺域は縮小し、本堂、弁財天堂、宝物収蔵庫のみです。
 六波羅蜜寺は運慶、快慶の菩提寺・十輪院の寺宝を集めたため多くの貴重な仏像を所蔵しています。国宝の本尊・十一面観音立像をはじめ、薬師如来坐像、地蔵菩薩坐像・立像、平清盛坐像、空也上人立像、四天王像、弘法大師坐像、閻魔大王像、運慶・湛慶坐像、吉祥天立像は国の重要文化財に指定されています。

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高台寺庭園 

高台寺庭園
 京都府京都市東山区高台寺下河原町に高台寺があります。
 高台寺の庭園は、小堀遠州の作と伝えられる桃山時代を代表する池泉回遊式庭園です。昭和2年(1927)に国の史跡・名勝に指定されています。東山のなだらかな曲線を背景に、山裾の大地に広がっています。開山堂を正面に左右に二つの池があります。東側が臥龍池、西側が偃月池です。
 偃月池中央には、小方丈より開山堂へ渡る廊橋があり、中央に観月台が置かれています。偃月池の護岸は石組みで廻らされています。臥龍池の北東には滝石組みがあり、山裾の湧水をたたえた自然風の池です。東岸の山腹にはもみじが多く、紅葉の時期は多くの人が訪れます。
 池の北側には臥龍の廊下がかかり、霊屋へとつないでいます。その姿は、あたかも昇龍のごとくに見え、人工と自然との美しさがここに調和しています。

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高台寺時雨亭 

高台寺時雨亭
 京都府京都市東山区高台寺下河原町に高台寺があります。
 高台寺の時雨亭(しぐれてい)は、伏見城内にあった茶室で、秀吉が時雨のように不意に訪れたことから名付けられたといわれています。現在の建物は元和年間から万治年間(1615-1660)と考えられています。開け放った階上からは、西南方面を眺望でき、茶の湯以外にも宴会や歌会にも使われたようです。昭和11年(1936)に国の重要文化財に指定されています。

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高台寺傘亭 

高台寺傘亭
 京都府京都市東山区高台寺下河原町に高台寺があります。
 高台寺の傘亭(からかさてい)は安閑窟(あんかんくつ)とも呼ばれています。内部には天井がなく、竹が放射状に組み込まれ、カラカサを開けたように見えるところから傘亭といわれるようになったそうです。間口2間、奥行3間で、下屋は間口1、奥行1間の宝形造りで、茅葺きの茶室です。
 傘亭は、伏見から移築された建物で天正から慶長年間(1573-1614)の間に建てられたと考えられています。傘亭は昭和11年(1936)に国の重要文化財に指定されています。隣にある時雨亭とは土間廊下でつながっています。

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高台寺表門 

高台寺表門
 京都府京都市東山区高台寺下河原町に高台寺があります。
 高台寺表門は切妻造り、本瓦葺きの三間の薬医門です。慶長年間(1573-1614)の間に建てられたと考えられ、加藤清正が伏見城に建てたものだと伝えられています。明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。

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高台寺観月台 

高台寺観月台
 京都府京都市東山区高台寺下河原町に高台寺があります。
 高台寺の観月台は開山堂と書院をつなぐ楼船廊の途中にあります。屋根の下から月を観るため設けられたようです。間口1間、奥行1間、単層、三方に唐破風があり、檜皮葺きです。慶長年間(1573-1614)の間に建てられたと考えられています。観月台は昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。

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高台寺霊屋 

高台寺霊屋
 京都府京都市東山区高台寺下河原町に高台寺があります。
 高台寺の霊屋(おたまや)は創建時の建築で、伏見城の遺構といわれています。間口4間、奥行3間、単層の宝形造り、檜皮葺きで、正面には唐破風が付いた1間の向拝があります。慶長10年(1605)に建てられたと考えられています。
 霊屋の内陣に桃山時代の華麗な蒔絵を施した階段や厨子(ずし)が残されています。高台寺蒔絵と呼ばれ、総黒漆塗りに、金箔の秋草文様などの豪華な装飾が特徴です。北政所像が安置されている厨子須弥檀の下に北政所の墓所があるそうです。霊屋は明治33年(1900)に国の重要文化財に指定されています。

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高台寺開山堂 

高台寺開山堂
 京都府京都市東山区高台寺下河原町に高台寺があります。
 高台寺の開山堂は建仁寺からきた三江紹益禅師を祀る塔所です。元は北政所の養父である浅野長勝の持仏堂であったといわれています。間口5間、奥行3間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの建物で慶長10年(1605)に建てられています。
 三江和尚像のほか北政所の兄の木下家定、その妻の雲照院の像も安置されています。開山堂の天井は秀吉が瀬戸内で使用していた御座船の天井だったものです。北政所が使っていた御所車の遺材も使用しているそうです。開山堂は明治33年(1900)に国の重要文化財に指定されています。

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高台寺勅使門 

高台寺勅使門
 京都府京都市東山区高台寺下河原町に高台寺があります。
 高台寺の勅使門は方丈の南にあります。大正元年(1912)に方丈とともに再建された門です。勅使門と方丈の間に波心庭があります。勅使門にはうさぎが彫られています。

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高台寺 

高台寺
 京都府京都市東山区高台寺下河原町に高台寺があります。
 鷲峰山(じゅぶさん)高台寺は臨済宗建仁寺派のお寺です。慶長8年(1603)、豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)は後陽成天皇より、「高台院」の号を賜り、慶長11年(1606)北政所が秀吉の菩提を弔うために号にちなんで高台寺として創建しました。

 秀吉没後の権力者となった徳川家康は、北政所を手厚く扱い、酒井忠世・土井利勝を高台寺造営御用掛、京都所司代板倉勝重を普請奉行、堀監物直政を普請掛に任じ、福島正則・加藤清正・浅野長政らの北政所の子飼いの大名たちも創建に協力しました。

 秀吉が没したのは慶長3年(1598)で、北政所は寛永元年(1624)に没しました。その後の高台寺は秀吉と北政所を祀る霊廟となりました。方丈には本尊の釈迦如来像が安置され、秀吉とねねの位牌があり、霊屋には左右に秀吉と北政所の坐像が置かれています。

 表門、開山堂、観月台、霊屋、茶室の傘亭(安閑窟)と時雨亭は国の重要文化財に指定されています。西庭は小堀遠州の作庭といわれる池泉観賞式庭園の高台寺庭園は国の名勝・史跡にしていされています。霊屋の厨子扉、須弥壇に施された高台寺蒔絵(まきえ)は桃山期を代表する蒔絵で国の重要文化財に指定されています。

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七卿碑 

七卿碑
 京都府京都市東山区妙法院前側町に妙法院があります。
 妙法院は、幕末には、三条実美ら尊皇攘夷派の公卿7人が京都から追放された「七卿落ち」の舞台となったことから七卿碑(しちきょうひ)が建てられています。文久3年(1863)公武合体派と対立する勤王急進派の三条実美卿一行が妙法院に集結、合議の末、市内戦を回避し、西国に向け出京した記念碑です。

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妙法院普賢堂 

妙法院普賢堂
 京都府京都市東山区妙法院前側町に妙法院があります。
 妙法院の普賢堂は寛政期(1790頃)の建立と考えられています。堂の中央には国の重要文化財に指定されている本尊普賢菩薩像が安置され、後壇には元三大師、五大明王像が祀られています。

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妙法院唐門 

妙法院唐門
 京都府京都市東山区妙法院前側町に妙法院があります。
 妙法院の唐門は境内の南西隅、東大路に面して建てられています。江戸時代中期のもので、桜町天皇から下賜されたといわれる勅使門です。切妻造り、桧皮葺き、平入りの四脚門です。

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妙法院宸殿 

妙法院宸殿
 京都府京都市東山区妙法院前側町に妙法院があります。
 妙法院の伽藍の中心を担うのは、境内中央に建つ宸殿です。宸殿とは門跡寺院特有の建物で、法要などに使われます。殿内仏間には、中世よりの天皇・皇后の位牌が安置されています。宸殿はまた幕末に三条実美ら7卿が長州藩士と西下し長州に逃れる「8・18の政変(七卿の都落ち)」の舞台となりました。

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妙法院玄関 

妙法院玄関

 京都府京都市東山区妙法院前側町に妙法院があります。
 妙法院の玄関は、大書院とともに元和5年(1619)、2代将軍徳川秀忠の娘である中宮東福門院和子(後水尾天皇中宮)が、入内の際に建築された女御御所の建物を移築したものと伝えられています。
 玄関は間口7間、奥行4間、単層、入母屋造り、こけら葺きで、大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。3室20面の襖絵は狩野派による「松之図」で飾られ、これも国の重要文化財に指定されています。

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妙法院庫裏 

妙法院庫裏
 京都府京都市東山区妙法院前側町に妙法院があります。
 妙法院の庫裏は豊臣秀吉が亡父母や先祖の菩提を弔うため千僧供養を行った際の台所として建てられたと伝えられています。内部は土間、板間、座敷の3つの部分に分かれ、土間・板間部分は天井板を張らず、貫・梁などの構造材をそのまま見せた豪快な造りとなっています。
 間口21.8m、奥行23.7m、単層、本瓦葺きで、庫裏にはめずらしく入母屋造りの、妻入です。高さは60尺といわれ大きな建物です。慶長年間(1573-1614)の間に建てられたと考えられています。桃山時代建築の庫裏は昭和32年(1957)に国宝に指定されました。

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妙法院 

妙法院
 京都府京都市東山区妙法院前側町に妙法院があります。
 妙法院は天台宗に属する寺院で、天台三門跡(三千院の梶井門跡、青連院門跡)のひとつに数えあげられている名刹です。近世には方広寺(大仏)や新日吉社、蓮華王院(三十三間堂)を管理下に置き、蓮華王院は現在も妙法院所管の仏堂となっています。
 妙法院という名称は、平安後期、比叡山西塔本覚院の快修がこの別号で呼称されたことに始まります。後白河上皇の護持僧昌雲(しょううん)が祈祷の験により、新日吉(いまひえ)御所の地を与えられ創建したという説と、最澄が創建したという説とがあります。
 暦応3年(1340)佐々木道誉によって攻撃され灰燼に帰しました。道誉の嫡男秀綱が妙法院のモミジを折ったことから僧侶と争いになり、道誉・秀綱親子が300騎を率いてことごとく焼き払ったそうです。その後、復興した後に応仁の乱に巻き込まれ荒廃しました。豊臣秀吉が方広寺の大仏殿を建立したとき大仏の経堂として再興しました。
 秀吉は亡父母や先祖の菩提を弔うため、当時の日本仏教の八宗(天台、真言、律、禅、浄土、日蓮、時、一向)の僧を集めた千僧供養を大仏経堂で行いました。この経堂は妙法院に所属し、千僧供養に出仕する千人もの僧の食事を準備した台所が、現在の妙法院庫裏だといわれています。
 寺領も1600石となり江戸時代には新日吉神社、蓮華王院、方広寺なども管理し繁栄しました。天明の大火の際には光格天皇の皇后がここに避難したそうです。明治に入り、神仏分離令が出され、寺地は20分の1まで削られてしまったそうです。
 庫裏は桃山期の豪快な建築で国宝に指定されています。大書院は東福門院の旧殿を移築したものといわれ、玄関とともに国の重要文化財に指定されています。幕末に七卿落ちが行われた宸殿、小堀遠州が作庭したといわれる庭園もあります。所蔵するポルトガル国印度副王信書は国宝に指定されています。

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東寺宝物館 

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 京都府京都市南区九条町に東寺(教王護国寺)があります。
 東寺の宝物館は鉄筋コンクリート3階建て、切妻造りで、昭和38年(1963)に完成し、2年後に一般に公開されました。食堂の本尊で6mもある国重文「千手観音立像」や、平安京の玄関口羅城門の楼上に祀られていたといわれる国宝「兜跋(とばつ)毘沙門天」など、密教芸術の宝庫といわれ、国宝や重要文化財指定のものだけでも1万5千点にのぼる寺宝を所蔵しています。

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東寺観智院客殿 

東寺観智院客殿
 京都府京都市南区九条町に東寺(教王護国寺)があります。
 観智院(かんちいん)は、東寺の塔頭の中でも最も格式が高いお寺です。現在の観智院の客殿は、慶長元年(1596)の慶長伏見地震の後、慶長10年(1605)、北政所の寄進によって再建されたものです。昭和34年(1959)に国宝に指定されました。園城寺の勧学院客殿、光浄院客殿と共に、桃山時代の住宅様式の典型を示し、当時の僧侶の居室の姿を今に伝えています。
 客殿は間口12.7m、奥行13.7m、入母屋造り、妻入で、銅板葺きです。建立時はこけら葺きでした。正面右よりに軒唐破風があり、間口1間、奥行1間の中門が付随しています。床の間の「鷲の図」と襖絵の「竹林の図」は宮本武蔵によって描かれています。
 延慶元年(1308)、後宇多法皇が東寺の西院に3年間参籠され、21院を建立されました。観智院はその中の一つです。大学の研究室のような場所で、杲宝(ごうほう)が開基しました。師の頼宝(らいほう)、弟子の賢宝(けんぽう)とともに東寺の三宝(さんぽう)といわれる名僧です。杲宝は東寺の歴史を記した「東宝記(とうほうき)」を編纂し、賢宝によって完成されました。東宝記は東寺の歴史を語る貴重な史料として、国宝に指定されています。観智院では代々学僧が住し、観智院の住持が東寺の別当職を兼ねていました。多くの経文、書籍を所蔵しています。

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東寺夜叉神堂 

東寺夜叉神堂
 京都府京都市南区九条町に東寺(教王護国寺)があります。
 東寺の夜叉神堂(やしゃがみどう)は食堂の前に2堂建っています。東側の雄夜叉は本地文殊菩薩を祀り、西側の雌夜叉は本地虚空蔵菩薩を祀っています。最初、南大門の左右にありましたが、旅人が拝まないで通ると罰を与えるので、中門の左右に移されました。中門倒壊の後、現在地に移りました。歯痛に効能があるそうです。

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東寺鐘楼 

東寺鐘楼
 京都府京都市南区九条町に東寺(教王護国寺)があります。
 東寺の鐘楼は大師堂近くにあります。足利尊氏が寄進した鐘が貞和4年(1348)に完成したと東宝記にも記されています。梵鐘は痛みがひどくなったため宝物館に保管され、全く同じ形をした鐘が鐘楼に吊るされています。

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