吉田神社本宮

京都府京都市左京区吉田神楽岡町に吉田神社があります。
吉田神社の本宮は向かって右より、第一殿(建御賀豆知命)、第二殿(伊波比主命)、第三殿(天之子八根命)、第四殿(比売神)を祀っています。建御賀豆知命、伊波比主命は災難より逃れ幸福を勝ち取る厄除・開運の神、天之子八根命は神祇の祖神であり思慮深き学問の神、比売神は女神で女性に徳を授ける神です。平成24年(2012)京都府の有形文化財に指定されました。
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吉田神社

京都府京都市左京区吉田神楽岡町に吉田神社があります。
吉田神社は京の都から鬼門の方角にある吉田山に建てられています。周囲は古くから霊域として崇められた神楽岡に囲まれています。吉田神社には日本全国の神様を祀る大元宮(重要文化財)や料理やお菓子の神様などが鎮座しています。また、節分祭の追儀式・鬼やらいは有名です。
貞観元年(859年)、藤原山蔭(やまかげ)が一門の氏神として奈良の春日大社の四柱神「建御賀豆知命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いはいぬしのみこと)、天之子八根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)」を勧請したのが始まりです。
後に、平安京における藤原氏全体の氏神として崇敬を受けるようになりました。永延元年(987)より朝廷の公祭を預かるようになり、正暦2年(991)には22社の前身である19社奉幣に加えられました。鎌倉時代以降は卜部(うらべ)氏(後に吉田に改名)が神職を代々務めるようになります。
文明年間(1469-1487)には吉田兼倶(かねとも)が吉田神道を創始しました。神・儒・仏・道四教および陰陽道の関係を説き、神道を万法の根本とし、神主仏従の立場から反本地垂迹説を主張しました。唯一神道、唯一宗源神道、卜部神道とも呼ばれます。その拠点として文明16年(1484)、境内に末社の斎場所大元宮を建立しました。
その後も吉田兼右・兼見らの活躍により吉田神道は発展しました。寛永5年(1665)、徳川幕府が発布した諸社禰宜神主法度により、吉田家は全国の神社の神職の任免権(神道裁許状)などを与えられ、神祇界の長となりました。明治時代に神社が国の管理下におかれるようになるまで栄光の歴史は続きました。
吉田神社の境内には摂社、末社合わせて11もの社があります。斎場所大元宮は国の重要文化財に指定され、本殿4棟、中門、東御廊、西御廊、摂社若宮社本殿、末社斎場所中門は京都府の有形文化財に指定されています。
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後一条天皇陵

銀閣寺にほど近い吉田山公園の南、京都府京都市左京区吉田神楽岡町に後一条天皇陵があります。後一条天皇陵があります。ここには後一条天皇とその皇女であり後冷泉天皇皇后の章子内親王の陵が二基並んで築かれています。菩提樹院陵(ぼだいじゅいんのみささぎ)とも呼ばれています。
一条天皇の中宮で、藤原道長の娘・彰子の生んだ敦成(あつひら)が後一条天皇です。三条天皇の退位で、わずか8才で即位しました。祖父の道長が摂政を務め、続いてその子頼道が摂政、後に関白となり、藤原氏繁栄の中、在位しました。
後一条天皇は長元9年(1036)、29歳で病のため崩御されました。遺骨は浄土寺に安置され、火葬所の跡に母彰子は伽藍を建て、天皇の供養を行い、これを菩提樹院と号しました。その後、遺骨は菩提樹院へ移されましたが、荒廃したため、明治の中頃、現在の陵に移されました。
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祟源院供養塔

京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
ここには3代将軍徳川家光の乳母であった春日局が建てた2代将軍徳川秀忠の正室「お江」・祟源院の供養塔が残されています。家光の擁立に奔走した春日局と、次男・忠長を溺愛したお江との熾烈な跡継ぎ争いで、25歳の忠長は自害させられました。供養塔にはお江の遺髪が納められています。春日局の追善の気持ちが込められ、隣には忠長の供養塔も立てられています。
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鎧かけの松

京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
御影堂の東側に「鎧(よろい)かけの松」があります。熊谷次郎直実は、法然上人の弟子となり、この寺で出家しました。方丈裏の池(鎧池)で鎧を洗い、この松の木に鎧を掛けたと伝えられています。平成25年(2013)に2代目の古樹は枯れ、現在は3代目の松です。
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極楽橋

京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
金戒光明寺の蓮池には極楽橋が架けられています。源平の一ノ谷の合戦で平敦盛を討ち取った熊谷次郎直実は無常観を感じ、ここ黒谷の法然上人を尋ね、、建久4年(1193)、出家を決意しました。兜を置いて弓の弦を切り、その弓を池に架けた形から、極楽橋が架けられている蓮池は「兜之池」とも呼ばれています。
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金戒光明寺納骨堂

京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
金戒光明寺の納骨堂は、称悦法師が元禄2年(1689)に経蔵として建立されました。黄檗版一切経2087冊が納められていましたが、現在は観音堂(収蔵庫)に移設保管されています。平成23年(2011)の法然上人八百年遠忌の記念事業で大修理が行われ納骨堂として使用されるようになりました。本尊は納骨された骨で造立された阿弥陀如来像「骨仏」です。
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金戒光明寺大方丈

京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
金戒光明寺の大方丈は昭和19年(1944)に再建された建物です。間口13間、奥行11間、入母屋造り、桟瓦葺で、松平容保が駐屯した場所とされ、内部には謁見の間が再現されています。唐破風造り、銅板葺きの車寄を持つ玄関とともに、平成27年(2015)に登録有形文化財に指定されています。
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金戒光明寺阿弥陀堂

京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
金戒光明寺の阿弥陀堂は慶長10年(1605)に豊臣秀頼によって再建されたとされる寺内では一番古いお堂です。本尊は、恵心僧都源信の最後の作と伝えられている阿弥陀像が祀られています。源信が仏像彫刻に必要な「のみ」をお納めになって仏像彫刻を止められたというので「のみおさめの如来」、又は「お止めの如来」ともいわれています。
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金戒光明寺御影堂

京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
金戒光明寺の御影堂は間口7間、奥行7間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの堂々とした建物で、正面に3間向拝を付けています。昭和19年(1944)に再建された建物で、和様が基調の軸部に、尾垂木(おだるき)が付き、二手先組物をあげ、洗練された細部を持っています。御影堂は大殿とも呼ばれ、平成27年(2015)に登録有形文化財に指定されています。
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金戒光明寺山門

京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
金戒光明寺の山門は間口14.7m、奥行8.4m、入母屋造り、本瓦葺きの二重門で、万延元年(1860)に再建された建物です。正面に後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額がかけられています。
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金戒光明寺三重塔

京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
金戒光明寺の三重塔は境内の東側の石段の頂上に建てられています。この塔は、寛永11年(1634)、伊丹重好(豊永宗如堅斉)が以前に仕えていた2代将軍徳川秀忠の菩提を弔うために建立されました。文殊菩薩を本尊としているため、文殊塔とも呼ばれています。
三重塔は本瓦葺きの三間三層の塔婆で、高さは22mあります。塔の内部には文殊菩薩が祀られていましたが、平成20年(2008)に御影堂左脇檀に遷座されています。この文殊菩薩は、運慶作と伝えられ、善財童子・優填王・最勝老人・仏陀波利三蔵を従えた渡海文殊形式で日本三文殊の一つといわれています。現在は本尊として文殊菩薩のご分身(浄鏡)を祀っています。三重塔は昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。
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金戒光明寺

京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
紫雲山金戒光明寺は、「黒谷(くろだに)さん」と呼ばれ、知恩院、知恩寺、清浄華院(しょうじょうけいん)とともに浄土宗四ヶ本山の1つです。承安5年(1175)、法然上人が浄土宗の確立のため、比叡山西塔の黒谷にならって、ここに草庵を結んだのがこの寺の始まりであるとされています。
以後、浄土宗の念仏道場として栄え、仏殿や御影堂などの伽藍が建立されました。7世の運空(うんくう)の時、後光厳天皇に円頓戒を授けて金戒の2字を賜り、金戒光明寺と称するようになりました。正長元年(1428)には後小松天皇より「浄土真宗最初門」の勅額を賜りました。
その後、応仁元年(1467)の東岩倉の合戦によって焼失し荒廃しました。永正年間(1504-1521)に17世の理聖が堂宇の再興勧進を行い、慶長10年(1605)に豊臣秀頼が阿弥陀堂を再建し、慶長18年(1613)に前年に焼失した御影堂を再建しました。
文久2年(1862)、会津藩主松平容保が京都守護職の本陣となり、駐屯しました。境内には鳥羽・伏見の戦いで戦死した会津藩殉難者墓地があります。約25万平方mの広い境内には、寛永10年(1633)に建てられた国重文の三重塔をはじめ、御影堂、大方丈、庫裏、阿弥陀堂、吉備観音、山門、鐘楼、経蔵、塔頭など大寺院の寺観を整えています。
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聖護院

京都府京都市左京区聖護院中町に聖護院(しょうごいん)があります。
聖護院は本山修験宗の総本山です。開基は園城寺7世の増誉(ぞうよ)です。増誉は師である円珍の後を継ぎ、熊野での大峰修行を行い、修験僧として有名でした。寛治4年(1090)、白河上皇の熊野詣の先達(案内役)を務め、初代の熊野三山検校(熊野三山霊場の統括責任者)に任じられ、常光寺を下賜されました。
これが聖護院の創建になり、「聖体護持」の意から聖護院と名付けられました。増誉の後も、上皇の熊野御幸の先達を務め、後白河上皇の皇子の静恵法親王が入寺されたので、熊野との結びつきが一層深まりました。以後、代々法親王が入寺したため、門跡寺院として天台宗内で重視され、聖護院門跡といわれるようになりました。
聖護院は熊野の修験組織を束ね、最盛期には修験道の山は120余、全国に2万5千もの末寺を持ったそうです。応仁の兵火で焼失後、左京区の岩倉で再興しましたが、その後も火事に遭い、延宝4年(1676)現在地に再建されました。安永8年(1779)には聖護院門跡であった祐宮兼仁親王が光格天皇として即位しました。
天明8年(1788)、御所が炎上し、光格天皇は聖護院に避難し、3年間、仮御所となった聖護院で暮らしました。安政元年(1854)にも御所が炎上し、孝明天皇は10日間仮御所にしました。この経過から「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されています。
現在ある堂宇は本堂を除き江戸時代初期、延宝年間(1673-1681)の建立で、書院は御所にあった女院御殿を移築した建物だといわれ、国の重要文化財に指定されています。光格天皇宸翰神変大菩薩号勅書、後陽成院宸翰消息、絹本著色熊野曼荼羅図、木造智証大師坐像、木造不動明王立像などの国重文も所蔵しています。
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旧三井家下鴨別邸茶室

京都府京都市左京区下鴨宮河町に旧三井家下鴨別邸があります。
旧三井家下鴨別邸の茶室は主屋を移築する前からこの地にあった建物です。建築面積35.59平方m、木造、切妻造り、桟瓦葺き及び銅板葺きで、西面に渡廊下が付いています。四畳半は簡素な造りですが、三畳の次の間は円窓を開けた奇抜な構成です。平成23年(2011)に国の重要文化財に指定されました。
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旧三井家下鴨別邸主屋

京都府京都市左京区下鴨宮河町に旧三井家下鴨別邸があります。
旧三井家下鴨別邸の主屋は明治13年(1880)に建てられ、大正14年(1925)にこの地に移築された建物です。建築面積230.02平方m、木造3階建て、入母屋造り及び宝形造り、桟瓦葺き及び銅板葺き、北と東面に塀が付いています。3階に望楼をもつなど開放的な造りで、全体としては簡素な意匠でまとめられています。平成23年(2011)に国の重要文化財に指定されました。
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旧三井家下鴨別邸玄関棟

京都府京都市左京区下鴨宮河町に旧三井家下鴨別邸があります。
旧三井家下鴨別邸の玄関棟は大正14年(1925)に移築した主屋の玄関部分として建てられました。建築面積105.89平方m、木造、入母屋造り、桟瓦葺きで、南西隅袖塀が付いています。車寄を構えた式台付の表玄関で、主屋とは廊下で繋ぐ、一般用の入口として使われていました。平成23年(2011)に国の重要文化財に指定されました。
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旧三井家下鴨別邸

京都府京都市左京区下鴨宮河町に旧三井家下鴨別邸があります。
下鴨神社(賀茂御祖神社)の糺の森の南に旧三井家下鴨別邸があります。「主屋」「玄関棟」「茶室」の3棟から構成されています。明治13年(1880)に建てられていた木屋(きや)町別邸の主屋を、大正14年(1925)に、ここに移築、増築し、玄関棟を新築したものです。平成23年(2011)に3棟ともに国の重要文化財に指定されています。
三井家は京都で養蚕の神「木嶋神社」を信仰していました。宝暦元年(1751)、「顕名霊社」として勧請し、神社内に社殿を設けていました。明治31年(1898)、三井家はこの下鴨の地を手に入れ、明治42年(1909)、三井家の遠祖・三井高安の300年忌に、顕名霊社をここに遷座しています。
下鴨別邸で三井家による例祭が行われ、宿舎や茶室の新築・移築などして別邸として整備していきました。第二次大戦後、三井財閥は解体され、顕名霊社は三井総領家の油小路邸に移築され、別邸は昭和24年(1949)に国有化されました。そして隣接する京都家庭裁判所の所長舎として平成19年(2007)まで使用されていました。
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下鴨神社橋殿

京都府京都市左京区下鴨泉川町に下鴨神社(賀茂御祖神社)があります。
下鴨神社の橋殿(はしどの)は舞殿と細殿の間の、境内を流れる御手洗川の上に建てられています。間口4間、奥行3間、単層、入母屋造り、妻入、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建されています。御蔭祭のときご神宝を奉安するのに使われる社殿です。
葵祭(賀茂祭)の神事のとき、ここで神楽や倭舞が奉納されます。また天皇行幸のときなどに、公卿や殿上人の控え所として使われました。御手洗川の上に橋のように懸けられているので橋殿といわれています。
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下鴨神社楼門

京都府京都市左京区下鴨泉川町に下鴨神社(賀茂御祖神社)があります。
下鴨神社の楼門は南の入口に建てられています。入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの三間一戸の楼門です。高さが13mある朱塗りの堂々とした門で、寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物です。東西に回廊が接続し、西回廊の剣の間は、葵祭の時、勅使が剣を解く所です。楼門、回廊ともに明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
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下鴨神社細殿

京都府京都市左京区下鴨泉川町に下鴨神社(賀茂御祖神社)があります。
下鴨神社の細殿(ほそどの)は橋殿の東隣りにあります。間口5間、奥行2間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、1間の向拝が付けられています。寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物で、歌会、茶会などが行われる社殿です。
平安時代の下鴨神社の「神殿記」に「細殿」の記述があり、歴代天皇の行幸、上皇、法皇、院、関白などの賀茂詣の時に、歌会などが行われています。
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下鴨神社舞殿

京都府京都市左京区下鴨泉川町に下鴨神社(賀茂御祖神社)があります。
下鴨神社の舞殿(まいどの)は、楼門と中門の間に建てられています。間口4間、奥行3間、単層、入母屋造り、妻入、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建されています。御所が災害に遭われたとき、臨時の内侍所と定められている建物です。
葵祭(賀茂祭)の当日、ここ舞殿で勅使が祭文を神に捧げるほか、日本最古の歌舞といわれる「東游(あずまあそび)が奉納されます。舞殿は明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
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下鴨神社神服殿

京都府京都市左京区下鴨泉川町に下鴨神社(賀茂御祖神社)があります。
下鴨神社の神服殿はもとは御神服の奉製をする御殿でした。天皇の行幸の時には玉座となり、御所被災の時は、臨時の御座所になります。間口5間、奥行4間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建されています。明治36年(1903)に国の重要文化財に指定されています。
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下鴨神社摂社・出雲井於神社本殿

京都府京都市左京区下鴨泉川町に下鴨神社(賀茂御祖神社)があります。
下鴨神社の摂社・出雲井於神社(いずもいのうへのじんじゃ)は延喜式内に「愛宕郡 出雲井於神社」として名を連ねる古社です。神武天皇2年に「葛野主殿県主部」とある氏族が祖神として奉斎した社で、地主神である須佐之男命を祀っています。井於(いのへ)とは、川のほとりのことで、出雲郷の鴨川のほとりに坐す神社という意味です。
出雲井於神社本殿は檜皮(ひわだ)葺き、一間社流造りの建物です。寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物で、昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されています。この神社の周囲にどのような木を植えても、柊葉のようにギザギザになることから比良木社(柊社)とも呼ばれているそうです。
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下鴨神社供御所

京都府京都市左京区下鴨泉川町に下鴨神社(賀茂御祖神社)があります。
下鴨神社の供御所(くごしょ)は西鳥居と出雲井於神社の間に建てられています。間口9間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物です。明治36年(1903)に国の重要文化財に指定されています。
供御所の内部は東、中、西の三間に分かれています。東の間は神饌を調理する間、贄殿(中の間)は魚介鳥類を調理する間、待所(西の間)は神官など参集し、直会(なおらい)、勧盃の儀などを行う間になっています。
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下鴨神社言社

京都府京都市左京区下鴨泉川町に下鴨神社(賀茂御祖神社)があります。
下鴨神社の中門を入った弊殿前に「言社(ことしゃ)」とよばれる7つの小祠が鎮座しています。「大国さん」「えとの守り神」と呼ばれ、7つのお社が十二支の生まれ年の守護神を祀っています。一言社2社、二言社2社、三言社3社が鎮座し、一言社前の透塀も含め、本社の附(つけたり)で、昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されています。
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下鴨神社西唐門

京都府京都市左京区下鴨泉川町に下鴨神社(賀茂御祖神社)があります。
下鴨神社の西唐門は檜皮(ひわだ)葺きの一間一戸向唐門です。欄間にぶどうの紋様が彫刻されているところから「葡萄門」とも呼ばれ、寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物です。附指定の左右の透塀を含め、明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
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下鴨神社御料屋

京都府京都市左京区下鴨泉川町に下鴨神社(賀茂御祖神社)があります。
下鴨神社の御料屋(ごりょうや)は幣殿を入った東端と、西端に2つあります。神饌の準備や盛り付けを行う社殿で、2つの社殿とも間口4間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きです。寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物で、明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
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下鴨神社叉蔵

京都府京都市左京区下鴨泉川町に下鴨神社(賀茂御祖神社)があります。
下鴨神社の叉蔵 (またぐら)は西本殿の西側に建てられています。間口3間、奥行3間、入母屋造り、妻入、本瓦葺きの校倉で、社宝を安置しています。寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物で、昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されています。
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下鴨神社末社・印璽社

京都府京都市左京区下鴨泉川町に下鴨神社(賀茂御祖神社)があります。
下鴨神社の西本殿と叉蔵の間に印璽(いんじ)社が建てられています。印璽とは、印鑑、判子のことで、印鑑・契約守護の神様として信仰されています。古くから祀られている社殿で、本社の附(つけたり)で、国の重要文化財に指定されています。
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