永観堂鐘楼

京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
永観堂の鐘楼は宝永4年(1707)の建立で、京都府の有形文化財に指定されています。鐘楼は本瓦葺き、方一間吹放ちです。梵鐘は寛保3年(1743)に鋳造されたもので、第二次大戦の時に供出されましたが無事戻された鐘です。毎夕4時に鐘が撞かれています。
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http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/

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三鈷の松

京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
御影堂の横に三鈷(さんこ)の松があります。葉先が3つに分かれていることからこの名がつけられています。三鈷とは三叉の金剛杵(こんごうしょ)(密教で煩悩を破砕し菩提心を表す金属製の法具)を指します。智慧、慈悲、真心を表し、この松葉を持っていると3つの福が授かり、財布に入れておくとお金が貯まるといわれています。
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永観堂多宝塔

京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
永観堂の多宝塔は境内でもっとも高い140段の石段の上に、昭和3年(1928)に建てられています。上部は円形、下部は方形の二重塔です。五重塔のように屋根の上の心柱に九輪と水煙が付けられています。多宝塔からは京都市内が一望できます。
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永観堂開山堂

京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
臥龍廊を登った先に開山堂が建てられています。堂宇の先には派祖西山国師霊廟と刻まれた石碑が建ち、赤い鳥居の上には多宝塔へ続く参道があります。
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臥龍廊

京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
水琴窟から開山堂へ向かう廊下は臥龍廊(がりゅうろう)と呼ばれています。山の斜面に沿って木を組み合わせた廊下です。起伏が激しく龍が臥しているような様からこの名前がつけられています。
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永観堂水琴窟

京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
永観堂にある水琴窟は阿弥陀堂と開山堂の通路の間に設けられています。井戸の上に竹が敷かれ、ここに水が落ちると琴管楽器のような涼やかな音色を聴くことができます。
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永観堂阿弥陀堂

京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
永観堂の阿弥陀堂は本堂にあたります。間口7間、奥行6間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの大きな建物で、正面に3間の向拝が付けられています。元は慶長2年(1597)に大坂の四天王寺に建立された曼荼羅堂で、慶長12年(1607)に豊臣秀頼の命でこの地に移築されました。内部は極彩色で飾られ、格天井には「百花」が描かれています。
阿弥陀堂には国指定重要文化財の像高77cmの本尊の阿弥陀如来が安置されています。平安時代末期の作で、首を左に傾け、振り向いた姿をしているので「みかえり阿弥陀」と呼ばれ親しまれています。阿弥陀堂は京都府の有形文化財に指定されています。
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永観堂御影堂

京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
永観堂の御影堂はすべて欅が使われ、内陣須弥壇には宗祖法然上人が祀られています。永観堂の中では一番大きい建物で、大正元年(1912)に再建されています。仏説無量寿経の阿弥陀四十八本願に因んで、48本の丸柱を使用しています。
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永観堂釈迦堂

京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
永観堂の釈迦堂は方丈にあたります。室町時代の永正年間(1504-1521)に後柏原天皇によって建立されたと伝えられています。現在の建物は寛永4年(1627)に再建されたものです。室内の襖絵などは慶長期の作品も残されています。
釈迦堂は禅宗寺院の方丈と同形式の6間取りで入母屋造り、桟瓦葺きです。正面に釈迦如来、向かって右に文殊菩薩、左に普賢菩薩の釈迦三尊像が安置されています。鮮やかな襖絵のある本格的な書院造りです。釈迦堂は京都府の有形文化財に指定されています。
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悲田梅

京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
悲田梅(ひでんばい)は釈迦堂(方丈)の前庭にあります。永観は、この梅の実を悲田院の役割を果たしていた薬王寺 (廃寺) に収容されていた貧しい病人に与えました。いつしか悲田梅という名が付いたそうです。現在も小さな実をつけるそうです。
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唐門盛り砂

京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
唐門の内側は釈迦堂の前庭になっていて、白砂を小判形に盛って市松模様をあしらった盛り砂が作られています。勅使はこの盛り砂を踏んで身を清めてから参内したそうです。
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永観堂唐門(勅使門)

京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
永観堂の唐門(勅使門)は文政13年(1830)に再建された門で、京都府の有形文化財に指定されています。天皇の使いを迎える時に使われました。檜皮葺きの入母屋造りの四脚門で、木鼻には「獏」(ばく)が置かれ、雲龍や唐草の彫刻が施されています。
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永観堂中門

京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
永観堂の中門は延享元年 (1744)に建てられたと思われます。切妻造り、本瓦葺きの、一間一戸の四脚門で、薬医門(やくいもん)形式です。本柱の後方に控え柱を立て、その上に女梁・男梁をかけ、切妻屋根をのせています。中門は京都府の有形文化財に指定されています。
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永観堂総門

京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
永観堂の総門は天保11年(1840)の建築で、鹿ヶ谷通りに面しています。堂々とした切妻造り、本瓦葺きの一間一戸の四脚門です。城郭の外門などに多く見られる高麗門と呼ばれる形式です。正面左右の二本の本柱に切妻の屋根をかけ、これと直角に控柱を本柱の背後に立てて切妻屋根をかけています。
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永観堂(禅林寺)

京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
永観堂は、浄土宗西山禅林寺派総本山で、正式名称は聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)無量寿院(むりょうじゅいん)禅林寺といいます。斉衡2年(855)空海の弟子である真紹(しんしょう)が藤原関雄の山荘を密教道場に改めたのが始まりで、貞観5年(863)に清和天皇より禅林寺の勅額を賜りました。
2世の宗叡は清和天皇の帰依厚く、3世真如法親王は平城天皇の皇子、5世寛如は宇多天皇の皇孫敦固親王の子と、朝廷との結びつきが深く寺運も隆盛しました。その後一時衰えましたが、平安時代の末、承暦年間(1077-1081)に三論宗の学匠として名声を得ていた永観が入山しました。
永観は境内に東南院を建て、三論および浄土の念仏を広め、寺を中興しました。毎日1万遍の念仏を称え、後には6万遍もの念仏を称えたといわれています。東五条の悲田院の近くの薬王寺に阿弥陀像を安置して、病人救済などの慈善事業も盛んに行いました。この頃から禅林寺は永観堂と呼ばれるようになったようです。
その後、治承年間(1177-1181)に高倉天皇の勅により法然に帰依した静遍(せいへん)が12世になりました。法然は禅林寺に住したことはありませんが、静遍は法然を11世にしています。法然の高弟の証空(西山上人)は、静遍の後を継ぎました。
証空の門弟の浄音の時代、浄土宗西山派(小坂流)の本山の基礎を固めました。その後、応仁の乱により堂舎が焼失しましたが明応6年(1497)、後土御門天皇の命により再建され、以後、遂次諸堂が建てられ、現在の伽藍となりました。
東山のふもとに建つ閑静な古刹は「もみじの永観堂」として知られています。約3万平方mの境内には、東山を背景にした池泉廻遊式の庭園があり、古今集でも詠まれるほど紅葉がきれいな所として有名です。
本尊の阿弥陀如来像は「みかえり阿弥陀」と呼ばれています。左後方を振り返っためずらしいもので、京都6阿弥陀の一つにされています。また絹本著色山越阿弥陀図(やまこしあみだず)と、金銅蓮華文磬などの寺宝は国宝に指定されています。
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真如堂斉藤利三墓

京都府京都市左京区浄土寺真如町に真如堂(真正極楽寺)があります。
真如堂の墓地には春日の局の父で明智光秀の家老、斉藤利三の墓があります。利三は山崎の合戦で奮戦しましたが敗れ、近江の堅田で打ち首となりました。その晒された利光の首を親友の海北友松が奪い取って京都真如堂に手厚く葬ったという逸話が残されています。墓地には海北友松や東陽坊長盛、俳人の向井去来などの墓もあります。
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真如堂京都映画誕生の碑

京都府京都市左京区浄土寺真如町に真如堂(真正極楽寺)があります。
真如堂の本堂の前に京都・映画誕生の碑が建てられています。京都で映画が創られて100年の記念すべき年に、牧野省三が本能寺合戦をこの真如堂境内で撮影しました。その足跡を刻み映画発展を願って平成20年(2008)にこの碑を建立したものです。
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真如堂萬霊堂

京都府京都市左京区浄土寺真如町に真如堂(真正極楽寺)があります。
真如堂の萬霊堂は宝蔵の横に建てられています。三井家によって建立され、地蔵菩薩を中心に有縁無縁の精霊を祀っています。真如堂は三井家の菩提寺で、墓所があります。
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真如堂鎌倉地蔵堂

京都府京都市左京区浄土寺真如町に真如堂(真正極楽寺)があります。
真如堂の鎌倉地蔵堂は元々鎌倉にあり、本尊は玄翁和尚(室町時代の僧)が自ら割った殺生石によって作ったといわれています。能の演目「殺生石」の物語に由来する地蔵尊で、江戸時代初期にこの地に遷座されました。家内安全、福寿、延命などの他、冤罪を晴らし心の病を治すご利益があるとされています。
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真如堂薬師堂

京都府京都市左京区浄土寺真如町に真如堂(真正極楽寺)があります。
真如堂の薬師堂は病気平癒のご利益があるという薬師如来像を祀っています。平安遷都の頃、蓬華のつぼみのような大きな石の上に祠を建て、石の頭で彫った薬師如来を安置したそうです。元禄年間に現在の真如堂の境内に移されました。薬師堂は昭和41年(1966)に東山五条の金光院より寄進・移築された建物です。
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真如堂鐘楼堂

京都府京都市左京区浄土寺真如町に真如堂(真正極楽寺)があります。
真如堂の鐘楼堂は元禄年間(1688-1704)に建てられています。建立当時は極彩色で今も部分的に名残があります。梵鐘は宝暦9年(1759)に鋳造されたものです。第2次世界大戦中に供出されましたが、後に返還されています。鐘楼堂は京都府の有形文化財に指定されています。
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真如堂新長谷寺

京都府京都市左京区浄土寺真如町に真如堂(真正極楽寺)があります。
真如堂の新長谷寺は「洛陽三十三所観音霊場巡礼」の第5番札所になっています。明治時代の神仏分離令により吉田山から移築されました。奈良県の長谷寺の御本尊十一面観音を模した観音像が祀られています。
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真如堂元三大師堂

京都府京都市左京区浄土寺真如町に真如堂(真正極楽寺)があります。
真如堂の元三(がんざん)大師堂は霊験あらたかな高僧である元三大師良源を祀る大師堂です。元禄9年(1696)に再建された堂宇で「京洛十八大師めぐり」の第3番札所になっています。良源の月命日3日に護摩供法要が執り行われます。堂内には本尊の元三大師の画像が掲げられ、地蔵菩薩と不動明王像が安置されています。京都府の有形文化財に指定されています。
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真如堂三重塔

京都府京都市左京区浄土寺真如町に真如堂(真正極楽寺)があります。
真如堂の三重塔は多宝塔を祀った本瓦葺きの三重塔婆で、約30mの高さがあります。江戸時代の文化14年(1817)に再建された建物です。紅葉とも新緑とも、雪景色でも写真映えのする趣深い古塔です。三重塔は京都府の有形文化財に指定されています。
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真如堂本堂

京都府京都市左京区浄土寺真如町に真如堂(真正極楽寺)があります。
真如堂の本堂は享保2年(1717)に再建された建物です。京都市内の天台宗寺院の本堂では最大規模を誇り、国の重要文化財に指定されています。本堂正面に掲げられた「真如堂」の大額は、享保11年(1726)に宝鏡寺宮から寄付されたものです。7間4面の総欅、入母屋造り、本瓦葺きのどっしりとした重量感のある建物です。
本堂内部は外陣(げじん)と、内陣(ないじん)、内々陣に分かれています。内陣は金箔の天蓋や瓔珞(ようらく)で厳かに飾られ祈祷や修行の場になっています。内々陣の須弥壇(しゅみだん)には本尊の阿弥陀如来が祀られています。内陣左脇の仏間には、中央に文殊菩薩像、両脇に天台大師像と伝教大師像が祀られています。
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真如堂総門

京都府京都市左京区浄土寺真如町に真如堂(真正極楽寺)があります。
真如堂の総門は江戸時代初期の元禄8年(1695)に再建された門です。真如堂の西側の神楽岡(吉田神社)の神々が夜参拝する際につまずかないように敷居をなくしています。総門は「赤門」と呼ばれて親しまれ、京都府の有形文化財に指定されています。
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真如堂(真正極楽寺)

京都府京都市左京区浄土寺真如町に真如堂(真正極楽寺)があります。
真如堂は天台宗の別格本山で、洛東の神楽岡に建てられています。正式には鈴聲山(れいしょうざん)真正極楽寺と号し、真如堂とは本堂の名です。真如堂の建立は古く永観2年(984)です。比叡山延暦寺の常行堂の阿弥陀如来像を、神楽岡の東にあった一条天皇の母である東三条女院(藤原詮子・円融天皇女御)の離宮に、安置したのが始まりです。離宮の跡は現寺地の東北に当り「元真如堂」といわれています。
正暦3年(1079)、戒算を開山とした寺になり、同5年(1081)に一條天皇の勅願寺となりました。不断念仏の道場として浄土宗の開祖である法然上人や、浄土真宗の開祖である親鸞聖人など多くの念仏行者や民衆の信仰を集め、伽藍も整備されて繁栄しました。
しかし応仁の乱では東軍の陣が布かれたため兵火で諸堂宇は全焼し、荒廃しました。文明17年(1485)、足利義政が再興しましたが、その後、幾たびか火災に遭い、寺地も変わりました。元禄6年(1693)、現在地に移り、再興を果たしました。
現在の堂舎は宝永2年(1705)に再建されたものが中心になっています。約4万2千平方mの広い境内には国指定重要文化財の本堂をはじめ、総門、三重塔、鐘楼堂、元三大師堂、開山堂、薬師堂、鎌倉地蔵堂など40もの堂宇と子院8院が建ち並び別格本山の寺格をそなえています。
国の重要文化財に指定されている本尊の阿弥陀如来像は、慈覚大師が刻んだといわれています。平安時代(藤原朝)の名作で、日本3大如来像の一つとされています。また寺宝の大仏師運慶の発願になる法華経6巻は国宝に指定されています。
浄土宗の重要な仏教行事である「お十夜」は真如堂から始められました。10月6日から10日10夜の間、念仏勤行を修する儀式です。永享2年(1430)、平貞経・貞国父子らが真如堂に籠ったのが最初です。今でも真如堂では11月5日から15日まで十夜念仏が執り行われています。
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峰定寺仁王門

京都府京都市左京区花背原地町に峰定寺(ぶじょうじ)があります。
峰定寺の仁王門は本堂と同じ頃の南北朝時代の貞和6年(1350)に再建された建物です。単層、入母屋造り、こけら葺きの三間一戸の八脚門です。明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。
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峰定寺本堂

京都府京都市左京区花背原地町に峰定寺(ぶじょうじ)があります。
峰定寺の本堂は久寿元年(1154)頃に建立されました。山腹の斜面にあるため舞台造りになっています。現在の堂宇は貞和6年(1350)頃に再建されたもので、間口5間、奥行5間、単層、寄棟造り、こけら葺きで、我国最古の舞台造りといわれています。供水所(阿伽井屋)を含め明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。
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峰定寺

京都府京都市左京区花背原地町に峰定寺(ぶじょうじ)があります。
大悲山峰定寺は本山修験宗のお寺で、鞍馬の北約20kmの大悲山(標高747m)の山腹にあります。平安末期の久寿元年(1154)に鳥羽法皇の勅願により観空(かんくう)が三間堂を建て、十一面千手観音像を安置したのが始まりといわれています。
平清盛が平治元年(1159)に本堂などを建立、享保年間(1716-1736)には後西上皇の勅により、聖護院宮道祐親王が貴船成就院の元快に命じて、伽藍を再興させています。それ以後、聖護院の直末寺として今日まで続いています。
大悲山は奈良の大峯山に対して、、「北大峯」と呼ばれ、古来より修験者の修行の場として知られました。大悲山中には屏風岩、飛石、獅子岩などの奇岩怪石がそそり立ち、「鐘掛岩」「蟻の戸渡り」などの行場が点在しています。
桂川の源流の1つである寺谷川沿いに峰定寺の仁王門が建っています。仁王門から険しい山道を15分ほど登ったところに舞台造りの本堂が建てられています。本堂と、本堂の中にある供水所(阿伽井屋)、仁王門は国の重要文化財に指定されています。
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