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京都御所・紫宸殿

京都御所・紫宸殿
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 安政2年(1855)に再建された紫宸殿は京都御所で最も格式の高い正殿です。天皇の即位式をはじめ、各種儀式が執り行われます。大正天皇や昭和天皇の即位礼もここで行われました。入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺き、寝殿造りの高床式宮殿建築です。間口約37m、奥行約26.3m、高さ約20.5mの純木造平屋建ての建物です。
 正面に18段の階段があり、四方に高欄を付けた簀子(すのこ)を廻らしています。紫宸殿手前には、向かって右には左近の桜、左に右近の橘が配置されています。階段の上の中央が、高御座(たかみくら)つまり玉座で、天皇の席です。その東(向かって右)に皇后の御座の御帳台(みちょうだい)があります。

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京都御所・宜陽殿

京都御所・宜陽殿
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 紫宸殿の東側に隣接して宜陽殿(ぎようでん)があります。天皇累代の楽器や書籍などの歴代の御物を保管する納殿として用いられました。西庇に左近衛陣座が置かれ、そこで陣定(摂関を座長とする朝議)が盛んに行われたそうです。後に陣定の会場は紫宸殿につながる軒廊へと移っていきました。

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京都御所・春興殿

京都御所・春興殿
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 紫宸殿の東側、日華門を出だところに、春興殿があります。檜造り、銅板葺きで、反りのない向拝を付けています。大正天皇の即位礼の時に建てられたもので、三種の神器を奉安し、ここで賢所大前の儀が行われました。現在は武具が収蔵されています。

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京都御所・日華門

京都御所・日華門
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 回廊の東面にあり、月華門と相対しているのが日華門(にっかもん)です。扉が開けられていますが、本来は御即位、立后、立太子その他の厳儀の時のみに開かれたそうです。

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京都御所・承明門

京都御所・承明門
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 回廊の南中央に承明門(じょうめいもん)があります。承明門を入るとそこには紫宸殿があります。外側には建礼門があります。三戸からなっていて、中央は天皇陛下専用になっているそうです。

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京都御所・月華門

京都御所・月華門
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 新御車寄の東側に月華門(げっかもん)があります。門の内側には紫宸殿があり、月華門を含む朱塗りの梁や柱の回廊は、紫宸殿を取り囲むように配置されています。

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京都御所・新御車寄

京都御所・新御車寄
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 諸大夫の間のすぐ南側に新御車寄(しんみくるまよせ)があります。大正4年(1915)、大正天皇の即位礼に際して、天皇皇后両陛下のための玄関として建てられたものです。 その後、昭和天皇や今上天皇(現在の天皇陛下)もご利用されています。 

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京都御所・諸大夫の間

京都御所・諸大夫の間
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 御車寄のすぐ南側に諸大夫の間(しょだいぶのま)があります。ここは、正式な用向きで参内した者の控の間となっています。襖の絵にちなんで格の高い順に「虎の間」「鶴の間」「桜の間」となっています。「虎の間」は岸岱(がんたい)筆による虎が描かれ「公卿の間」ともいわれます。
 「鶴の間」は狩野永岳(えいがく)筆による鶴が描かれ「殿上人(てんじょうびと)の間」ともいわれます。「桜の間」は原在照(はらざいしょう)筆による桜が描かれ「諸大夫の間」といわれます。本来はこの部屋が諸大夫の間といわれたのですが、今では3つの部屋の総称として使われています。

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京都御所・御車寄

京都御所・御車寄
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 宜秋門を入ってすぐ南に、玄関にあたる御車寄(おくるまよせ)があります。昇殿を許された者が正式に参内する時の場所です。牛車などを寄せられるように建物よりせり出しています。屋根は檜皮(ひわだ)葺きで、優雅な反りをなしています。

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京都御所・朔平門

京都御所・朔平門
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 朔平門(さくへいもん)は京都御所の東側に建てられています。皇后が使われた正門です。朔平門外の変で有名です。文久3年(1863)尊王攘夷を唱える過激派公家として知られた姉小路公知(右近衛少将、国事参政)が、朔平門外の猿ヶ辻で覆面をした刺客3人に暗殺された事件です。当時の中央政局に大きな影響を与えました。

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京都御所・建春門

京都御所・建春門
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 建春門(けんしゅんもん) は京都御所の東側に建てられています。向唐破風の屋根を持つ四脚門です。勅使の出入りに用いられましたが、明治以降は皇后陛下や皇太子殿下の御門とされ、また外国の首相にも使用されています。

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京都御所・皇后門

京都御所・皇后門
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 皇后門(こうごうもん)は京都御所の西側の北に建てられています。後宮の通用門として用いられた門です。屋根は本瓦葺きです。築地の瓦には菊の紋章が焼き込まれています。

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京都御所・宣秋門

京都御所・宣秋門
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 宣秋門(ぎしゅうもん)は西側の一番南にあります。切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きの四脚門です。唐門ともいわれ、宮、摂家、親王、門跡、公家などが参内する際に使われました。葵祭りはここから出発します。

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京都御所・建礼門

京都御所・建礼門
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 建礼門(けんれいもん)は御所正面入口の正門で南にあります。素木、切妻造り、檜皮(ひわだ)葺き、柱間1間の四脚門です。天皇や国賓の来場や一般公開など、特別な行事の時のみ使用されます。軒下の金色の建具や透かし彫りが施され、気品あふれる厳かな門です。

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京都御所・清所門

京都御所・清所門
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 清所門(せいしょもん)は西側の中央付近にあります。御所の勝手口といえる門で御台所御門ともいわれています。皇子女の参内初めに使われました。一般公開の時の入口になり、特別公開の時は出口となってます。

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京都御所

京都御所
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 京都御所は明治維新まで天皇の住まわれたところで、京都御苑の中央北寄りにあります。築地塀で囲まれ、南北約450m、東西約250mの方形で、11万平方mの面積があります。建礼門、建春門、朔平門、宜秋門、清所門、皇后門の6つの門があります。
 桓武天皇は延暦3年(784)に都を奈良の平城京から京都の長岡京へ移し、さらに延暦13年(794)平安京に遷都しました。現在の京都御所は、土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)といわれる里内裏の一つで、元弘元年(1331)光厳天皇がここに即位してから明治2年(1869)まで皇居として使われてきました。
 その間、度々火災に見舞われ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などにより再建されてきました。江戸時代だけでも慶長(1613)、寛永(1642)、承応(1655)、寛文(1662)、延宝(1675)、宝永(1709)、寛政(1790)、安政(1855)と8回も再建されています。
 慶長と寛永の時は旧殿を取り壊しての建て替え、それ以外は火災焼失による再建となっています。特に寛政の再建の時は、裏松光世による平安内裏の考証を多く取り入れた復古様式にしています。現存の内裏は幕末の安政2年(1855)に、寛政内裏の様式をほぼ踏襲して再建されたもので、安政内裏と呼ばれています。

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京都御苑

京都御苑
 京都府京都市上京区京都御苑に京都御苑があります。
 京都御苑は、京都御所、大宮御所、仙洞御所を含む緑地で、国民公園になっています。京都市の中心部に位置し、東は寺町通、西は烏丸通、南は丸太町通、北は今出川通まで東西約700m、南北1300m、総面積は66万平方mに及ぶ広い公園です。
 京都御苑の地には、江戸時代、京都御所を囲んで200件もの皇族、公家の屋敷が建ち並んでいました。天正年間(1573-1592)に豊臣秀吉が大規模な都市改造の一環として公家などを御所周辺に移住させていたのです。
 明治になり、明治天皇が東京に移ると、多くの公家が東京へ移りました。華族制度が発足し、すべての華族の東京移住が義務付けられ、京都の公家屋敷は荒廃しました。岩倉具視は明治10年(1877)御所の保存を建議し、火除け地の確保と治安維持のために家々は取り壊されたのでした。
 大正4年(1915)、大正天皇即位の礼が京都御所紫宸殿で行われました。建礼門前大通に大規模な改修工事が施され、現在の姿になっています。苑内には広い芝生が広がり、玉砂利を敷き詰めた道が縦横に走っています。禁門の変で有名な蛤御門など9つの門から自由に出入りでき、梅林や季節の花を観賞しながらくつろげる格好の散策地になっています。

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同志社大学・クラーク記念館

同志社大学・クラーク記念館
 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町に同志社大学があります。
 クラーク記念館はR・ゼールが設計したドイツ風のネオ・ゴシック様式で、明治27年(18940)に建てられたレンガ造りの建物です。2階建てで屋根は桟瓦葺き、鉄板葺きです。西南隅に銅板葺きの八角の塔屋があります。亡くなった息子のためにと多額の資金を同志社に寄付したB.W.クラーク夫妻の名をとって「クラーク神学館」とし、神学教育と研究に利用されました。
 現在の神学館が完成したため「クラーク記念館」と改名されています。玄関には神学館と書かれた扁額があり、昔を偲ばせています。本館にキリスト教文化センターがあり、教室のほか、クラーク・チャペルも備わっています。昭和54年(1979)に国の重要文化財に指定されています。

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同志社大学・ハリス理化学館

同志社大学・ハリス理化学館
 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町に同志社大学があります。
 ハリス理化学館はA・N・ハンセルが設計した建物で、明治23年(1890)に建てられたレンガ造りの建物です。2階建て、桟瓦葺きで、東北隅に実験室があります。高等教育レベルの理科教育機関設立のために寄せられたJ・N・ハリス氏からの寄付により、ハリス理化学校(理工学部の前身)の校舎として建てられました。
 昭和54年(1979)に国の重要文化財に指定され、同志社の歴史と創立者・新島襄の今に息づく精神を、貴重な資料によって紹介する、ハリス理化学館同志社ギャラリーとなっています。

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同志社大学・有終館

同志社大学・有終館
 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町に同志社大学があります。
 有終館(ゆうしゅうかん)はダニエル・C・グリーンが設計した建物で、明治20年(1887)に建てられています。レンガ造り、2階建て、地下1階、桟瓦葺きで、建物を上から見ると十字の形になっています。「書籍館」と呼ばれた同志社の最初の図書館で、レンガ造りの建物です。
 図書館の役目を終えた際に、時の海老名弾正第8代同志社総長が「有終館」と名付けました。昭和3年(1928)に火災で燃え、残った建物を取り壊す予定でした。しかし、その時に保存運動が起こり、改修、補修され現在に至っています。昭和54年(1979)に国の重要文化財に指定されています。

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同志社礼拝堂

同志社礼拝堂
 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町に同志社大学があります。
 通称チャペルと呼ばれる同志社礼拝堂はダニエル・C・グリーンが設計した建物で、明治19年(1886)に建てられています。プロテスタントのレンガ造りチャペルとしては日本に現存する最古の建物です。レンガ造り、1階建て、一部2階、地下室があり鉄板葺きです。
 正面中央に円形のバラ窓、左右にアーチ窓を設け、その前に屋根と尖りアーチの入口を持つアメリカン・ゴシック様式の建物です。この同志社礼拝堂は現在でも礼拝が行われ、週末には同志社の卒業生などの結婚式の会場にもなっています。昭和38年(1963)に国の重要文化財に指定されています。

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同志社大学・彰栄館

同志社大学・彰栄館
 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町に同志社大学があります。
 彰栄館(しょうえいかん)はアメリカン・ボードの寄付によりダニエル・C・グリーンが設計した建物で、明治17年(1884)に建てられています。アメリカン・ゴシック調の瓦葺きのレンガ造り、2階建てで、中央正面の時計塔と鐘塔を兼ねた鉄板葺きの塔屋があります。京都市内に現存するレンガ建築の中でも最も古い建物だということです。
  外観は洋風ですが、内部は純和風で、真壁式、和小屋組みになっているそうです。昭和54年(1979)に国の重要文化財に指定されています。ダニエル・C・グリーンは明治2年(1869)に来日し、明治14年(1881)から同志社英学校で神学や旧約聖書学などを教えていた宣教師でした。建築にも造詣が深く、同志社の彰栄館、礼拝堂、有終館を設計しています。

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同志社大学

同志社大学
 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町に同志社大学があります。
 同志社大学があるこの地は二本松屋敷と呼ばれた薩摩藩邸があった場所です。文久2年(1862)薩摩藩は相国寺から土地を借り受けて京都に新たな藩邸を造営しました。大政奉還後、戊辰戦争が勃発し、会津藩士の山本覚馬は捕縛されここに幽閉されました。
 山本は同志社創立者の新島襄の妻である新島八重の実の兄でした。幽閉中にまとめた建白書は京都の近代化の指針として大きな影響を与えました。明治になりこの薩摩藩邸は京都府に接収され、山本が払い下げを受け取得していました。
 慶応3年(1876)、新島は山本から薩摩藩邸跡地を買受け、寺町丸太町にあった同志社英学校をここに移転しました。キャンパス内には、明治期に建てられた、彰栄館、同志社礼拝堂、有終館、ハリス理化学館、クラーク記念館の5棟が現存し、国の重要文化財に指定されています。

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冷泉家表門

冷泉家表門
 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町に冷泉家住宅があります。
 冷泉家の表門は江戸後期の寛政2年(1790)に建てられています。本瓦葺きの一間の薬医門で、桟瓦葺きの両袖塀が続いています。昭和57年(1982)に国の重要文化財に指定されています。

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冷泉家住宅

冷泉家住宅
 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町に冷泉家住宅があります。
 冷泉家住宅は同志社大学内の今出川通側にあります。寛政2年(1790)に建てられた、現存する最古の公家住宅です。歌人、藤原定家の孫で、為家の3男である冷泉為相(ためすけ)を祖とする家柄です。為相の母は「十六夜日記」を書いた阿仏尼です。
 明治時代に入ると、ほとんどの旧公家は明治天皇に従って東京に移住しました。現在の京都御苑内にあったほとんどの公家住宅は空家となり、治安維持のために取り壊されました。しかし、冷泉家には御文庫といわれるかつては勅封だった蔵があり、京都御苑の外に建てられていたため、取り壊しを免れました。
 冷泉家の座敷及び台所、御文庫、台所蔵、表門が国の重要文化財に指定されています。和歌を家業としたことから、和歌に関する貴重な資料が多数保存されています。定家自筆の「古今和歌集」をはじめとして、国宝、重要文化財を含む約2万点の古文書などが冷泉家時雨亭文庫に収蔵されています。

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中岡慎太郎寓居之地

中岡慎太郎寓居之地
 京都府京都市中京区河原町通四条上る東側に中岡慎太郎寓居之地の石碑があります。
 脱藩後の中岡慎太郎(1838-67)が身を寄せていた土佐藩御用達・書林菊屋の鹿野安兵衛宅の跡を示す石碑です。中岡は土佐藩郷士で坂本龍馬とともに薩長同盟成立に活躍し、陸援隊を組織し隊長となった人物です。
 慶応3年(1867)、中岡は河原町通りの向こう側にある近江屋で坂本龍馬らと大政奉還後の協議を重ねていました。津川郷士と名乗る男たちによる襲撃を受け、龍馬はその場で絶命、中岡も2日後に亡くなりました。龍馬33歳、中岡30歳、王政復古の大号令が出る一ヶ月前の出来事でした。

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新島襄墓石

新島襄墓石
 京都府京都市左京区若王子山頂に新島襄(にいじまじょう)墓石があります。
 新島襄の墓は若王子神社の右手を登った若王子山頂(標高約200m)の「同志社墓地」に建てられています。新島襄は万延元年(1860)幕府の軍艦操練所入所、元治元年(1864)国禁を犯して箱館からアメリカに密航しました。理学、神学を学び、明治5年(1872)には岩倉使節団に随行、2年後に宣教師として帰国しました。
 明治8年(1875)京都に同志社英学校を創設、2年後には女学校も開校させました。明治23年(1890)神奈川県大磯で客死。遺体は開通直後の東海道線列車で運ばれ、葬儀は同志社チャペルで行われ、葬儀の後、生徒達によりこの山頂に運ばれ土葬されました。隣りに妻の新島八重(京都初のプロテスタント教徒)の墓もあります。


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熊野若王子神社

熊野若王子神社
 京都府京都市左京区若王子町に熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)があります。
 熊野若王子神社は、京都三熊野の一つで 「哲学の道」の起点、また、東山三十六峰のふもととに位置しています。
 熊野若王子神社は永暦元年 (1160)、平安時代の末期に、後白河法皇が紀州の熊野権現を勧請して建てられれました。永観堂(禅林寺)の守護神としての神社です。社名は天照大神の別称「若一王子」(にゃくいちおうじ)に由来しています。
 背後の東山中に滝があり、熊野三山の那智大社に見立てています。熊野詣の時には、この滝で浄めを行ってから出発したといわれています。花見の名所としても有名で、寛正6年(1465)、足利義政により花見の宴が催されています。
 御神木の梛(なぎ)の大木は樹齢400年で京都で最も古いものです。熊野詣、伊勢参宮などの際に諸々の罪けがれを祓い清めるみそぎの木として用いられ、いまも、この葉で作ったお守りはすべての苦難をなぎ倒すといわれています。
 応仁の乱により荒廃しましたが豊臣秀吉によって再興され、社殿、境内が整備されました。境内には末社として恵比寿神社、三解社が祀られ、背後の若王子山頂には新島襄の墓が建てられています。
 花乃影  澄や岩間の  和すれ水      梅通 (梅通は京の俳人です。)

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永観堂庭園

永観堂庭園
 京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
 永観堂の庭園は釈迦堂(方丈)の前に広がっています。捕らえた魚などを殺さずに放す放生会(ほうじょうえ)を行うための池である放生池(ほうじょうち)を中心に、東山を借景にした池泉廻遊式の庭園です。松や楓の老樹が多く紅葉の名所にもなっています。弁天島には歌人で尼僧の太田垣連月が寄進した弁天社があります。

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永観堂画仙堂

永観堂画仙堂
 京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
 永観堂にある画仙堂は大正3年(1914)に日本画家・鈴木松僊(しょうせん)の発願で建てられました。堂内には松僊が描いた天龍図があるそうです。

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