南池・洲浜

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
南池の西岸には洲浜があり、壮大な海辺を現しています。京都御所の御庭池や桂離宮にも洲浜はありますが、仙洞御所の洲浜が最も大きなものです。柔らかなカーブと、丸い石が浜辺のように敷き詰めた光景は開放的で優しい印象を与えています。
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醒花亭

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
醒花亭(せいかてい)は庭園の最も南にある茶亭で、南池を一望できる格好の場所に建てられています。延享4年(1747)に桜町上皇が歌人・冷泉為村に命じて選ばせた仙洞十景の中に「醒花亭の桜」があります。醒花亭の池の西岸には春を告げる桜の木が植えられています。
醒花亭はこけら葺きで、正面の玄関には庇を付け出しています。腰高障子を入れ、正面から向かって左には奥に4畳半の書院、手前に5畳の入側(縁側)を取っています。書院と入側の境に建具を入れてないのが特異です。醒花亭は敷地内で最も古い建物で、手前には織部燈籠(キリシタン燈籠)があり、東の庭には加藤清正によって献上されたと伝わる朝鮮灯籠があります。
醒花亭の東側の入り口の鴨居の上に唐の詩人・李白の詩の扁額が飾られています。額の字は中国、明の時代の郭子章の筆によるものです。醒花亭の名は、この李白の詩の一節「夜来月下臥醒花影」から名づけられました。
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南池・八つ橋

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
南池の西岸と中島の間に八つ橋が架けられています。「伊勢物語」の三河八つ橋の八枚板橋に由来しているそうです。この橋は、稲妻形にジグザグとつながっているのが特徴です。もとは木橋でしたが、明治になってから石橋に架け替えられました。その時に橋の西半分に下り藤、東半分に上り藤が植えられました。
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南池・舟着場

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
南池に舟着場があります。階段状に数段低くなっているところに、一艘の舟がとめられていました。現在でも舟遊びの舟は用意されているのです。
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南池・草紙洗の石

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
雄滝の近くの出島西岸の根元に突き出た三畳敷ほどの平らな石は「草紙洗(そうしあらい)の石」と呼ばれています。この名には六歌仙の一人、小野小町のエピソードが含まれています。宮中歌合で小野小町と争うことになった六歌仙の一人、大伴黒伴は歌合の前夜、小町の邸に忍び込みました。
そして、小町の詠んだ歌を万葉の草紙に書き写したのです。歌合当日、小町の歌は万葉時代に詠まれた古歌だと主張したのです。草紙を見た小町はすぐに偽物だと見抜き、この平らな石から草紙を池の中に入れて洗いました。すると古い墨なら落ちるはずがない文字が消えてなくなり、大伴黒伴の悪事を見破ったのです。
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南池・雄滝

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
南池には雄滝があります。出島の入り江にある滝で、幅80cm、落差は180cmぐらいあるそうです。雄滝の上流には鵲橋(かささぎばし)と呼ばれる橋があるそうです。七夕の夜、牽牛星が織女星の年の一度の逢瀬のために、鵲に天の川に橋を架けさせるという中国の鵲橋の故事に由来しています。
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南池・土佐橋

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
南池の東岸の出島との間に土佐橋と呼ばれる平橋が架けられています。土佐の山内家から献上された橋です。この橋の下方の池畔には自然石と切石を組んだ出島の護岸があります。小堀遠州が作庭した当初の意匠が現在も残る部分です。
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仙洞御所・南池

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
南池は仙洞御所の庭園の中の池です。寛永4年(1627)に小堀遠州が作事奉行として作庭しました。庭園は御所の造営などのたびに改変、拡張されました。東岸の土佐橋の下方の池畔に自然石と切石を組んだ出島の護岸があります。この付近には作庭当初の姿が残されています。
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北池と南池の間・紅葉橋

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
紅葉橋は北池と南池を結ぶ掘割に架けられています。もとは板橋でしたが、大正3年(1914)に現在のような土橋に架け替えられました。北西にある紅葉山には今はなき仙洞御所の御殿が建てられていました。この紅葉橋からは北池は見えず、南池の世界が広がります。
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北池・雌滝

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
北池の東岸の苑路が西へと曲がるあたりに雌滝と呼ばれる滝があります。南池の雄滝に対する滝ですが、滝というよりも遣水(やりみず)で、なだらかな傾斜面を曲がりながら北池に流れていきます。修学院離宮でも雄滝と雌滝がありました。後水尾上皇の好みなのでしょう。
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北池・石橋

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
鷺島から東岸へ渡るところに石橋が架けられています。もとは土橋でしたが、大正3年(1914)に三条白川橋の石材を転用して架け替えられました。長さ5m、幅と厚さが同じ50cmの切石を2本ずつ組み、中央付近で側面が繋がる配置にされています。
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北池・土橋

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
六枚橋から東へと苑路をいくと、鷺島といわれる中島があります。そこに架けられている土橋を渡ります。刀の柄に似ていることから束橋と呼ばれています。また中島の鷺島の名をとって鷺橋とも呼ばれるそうです。
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北池・紀氏遺蹟石碑

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
阿古瀬淵の北の小高い丘の上に紀貫之(きのつらゆき)の邸宅跡を示す石碑が建てられています。平安時代、この周辺に紀貫之の邸があったといわれ、「阿古瀬(あこせ)」の名の由来は、貫之の幼名であった阿古久曾(あこくそ)からきているといわれています。
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北池・阿古瀬淵

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
阿古瀬淵(あこせがふち)は北池の北西端にある小さな入江です。かつてこの付近に聚楽第のあとに建てられた豊臣秀吉の本邸「京都新城」があり、阿古瀬淵はその邸の庭園の遺構だといわれています。延享4年(1747)に桜町上皇が歌人・冷泉為村に命じて選ばせた仙洞十景の中に「古池の山吹」があります。阿古瀬淵に晩春に咲く一重の山吹が選ばれています。
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北池・六枚橋

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
北池にある六枚橋は阿古瀬淵(あこせがふち)に架かる石橋です。長さ1m90cm、幅1m余りの御影石の切石を6枚並べ、反りを持たせた優雅な橋です。
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北池(大宮御所の庭園)

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
仙洞御所の池は、紅葉谷の掘割を境にして北側に北池が広がっています。造営当時は女院御所(大宮御所)の庭園でした。池の東に寄せた中島は、西から見る景色に奥行きを与え、対岸の樹木の上にはるか紫に霞む東山の峰が借景として造られています。かつては如意岳の大文字を見ることもできたそうです
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仙洞御所庭園

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
仙洞御所の庭園は大宮御所の北池を中心とした庭園と、仙洞御所の南池を中心とした庭園が一緒になったものです。仙洞御所の御殿は2つの池の中心に位置する紅葉山付近に建っていたようですが、嘉永7年(1854)の大火で焼失しその後も再建される事はありませんでした。延享4年(1747)、2つの池は掘割で結ばれ、1つの庭園となり、「もみじ橋」が架けられています。
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大宮御所・御常御殿

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
大宮御所の御常御殿(おつねごてん)は歴代皇后の女院御所として用いられましたが、嘉永7年(1854年)に焼失しました。現在の大宮御所は慶応3年(1867)、英照皇太后(えいしょうこうたいごう・孝明天皇皇后)のために女院御所の跡に建てられた建物です。
大宮御所には御常御殿の他には車寄、御文庫、庭園(北池)があります。大正時代にガラス窓やレースのカーテンなど現代的な洋室へ改めています。庭には紅梅・白梅、竹林、松が植樹され、「松竹梅の庭」と呼ばれています。近年までは国賓の宿泊所として使用され、天皇、皇后、皇太子及び皇太子妃の入洛、行幸啓(帰京)の際の滞在に使用されています。
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大宮御所・御車寄

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
大宮御所の御車寄(おくるまよせ)は大宮御所、仙洞御所の玄関になります。現在も天皇、皇后、皇太子及び皇太子妃が入洛された時に使用されています。
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仙洞御所・大宮御所

京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
京都御苑内には京都御所の南東に仙洞御所があります。仙洞御所は、退位した天皇(上皇・法皇)のお住まいのことをいいます。後水尾上皇のために寛永7年(1630)に完成されたもので、正式には桜町殿といわれました。
それと同時に後水尾上皇の皇后(2代将軍徳川秀忠の娘・和子)である東福門院の女院(にょいん)御所も建てられました。これが大宮御所です。現在の大宮御所は慶応3年(1867)、英照皇太后(えいしょうこうたいごう・孝明天皇皇后)のために女院御所の跡に建てられた建物です。
英照皇太后が東京に移られた後は、御常御殿(おつねごてん)のみを残して整理され、それが現在に伝えられています。仙洞御所と大宮御所は1つの築地の中にあり、、建物は大宮御所の御常御殿を除けばほとんどなく、仙洞御所は茶室はありますが、広大な日本庭園となっていることです。
後水尾天皇が在任中、紫衣事件(しえじけん)が起こりました。慶長18年(1613)、幕府は「勅許紫衣竝に山城大徳寺妙心寺等諸寺入院の法度」を出し、その2年後には禁中並公家諸法度を定めて、朝廷がみだりに紫衣や上人号を授けることを禁じました。
しかし後水尾天皇は従来の慣例通り、僧侶に紫衣着用の勅許を与えました。幕府は、寛永4年(1627)、事前に勅許の相談がなかったことを法度違反とみなし、多くの勅許状の無効を宣言し、法度違反の紫衣を取り上げるよう命じました。
大徳寺住職の沢庵宗彭や、妙心寺の東源慧等ら大寺の高僧は、朝廷に同調し、幕府に抗弁書を提出し、反抗した高僧を流罪に処しました。元は朝廷の官職のひとつに過ぎなかった征夷大将軍とその幕府が、天皇よりも上に立ったという事を公にした事になります。
寛永9年(1632)、徳川秀忠の死により大赦令が出され、紫衣事件に連座した者たちは許されました。寛永18年、事件の発端となった大徳寺、妙心寺の寺法旧復が家光より正式に申し渡されたのです。後水尾天皇がこのことで退位されたので、修学院離宮をはじめ仙洞御所、大宮御所の造営に幕府が破格の援助をしたのでした。
仙洞御所、大宮御所の地は、かつて聚楽第の後身として豊臣家の本邸「京都新城」のあった所です。太閤御所とか太閤上京御屋敷などと呼ばれたそうです。豊臣秀吉が没したあとは大坂から秀吉の正室の北政所が住んだそうです。
仙洞御所と大宮御所は塀を隔てて並んで建てられていましたが、仙洞御所の御殿が安政元年(1854)の火災以後再建されず、慶応3年(1867)の大宮御所改修時に敷地が組み込まれ1つの御所となりました。それぞれあった庭園の池も掘割(ほりわり)でつながっています。
大宮御所(北池、庭園を含む)の面積は約1万6千平方m、仙洞御所(南池を含む)の面積は約7万5千平方m、合わせて9万1千平方mと広大です。近年までは国賓の宿泊所としての役割も担っており、天皇、皇后、皇太子及び皇太子妃の入洛、行幸啓(帰京)の際の滞在に使用されています。
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京都御所・御三間

京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
御常御殿の西隣に御三間があります。 上段、中段、下段の三間よりなる建物で南と西に御縁座敷があります。この御三間では涅槃会(ねはんえ)、茅輪、七夕や盂蘭盆(うらぼん)などの宮中内の儀式が行なわれ、内々の御対面にも使われたそうです。
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京都御所・御内庭

京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
御常御殿の東側に御内庭(ごないてい)があります。御池庭のような大きな池は無く、曲折した小川を中心に土橋や石橋を架けた、趣向を凝らした庭です。江戸時代初期に作庭され、中期に改修されているようです。
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京都御所・御常御殿

京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
御常御殿(おつねごてん)は御学問所の北側に位置します。京都御所の中で最も大きな御殿です。入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺き、書院造りで、内部は15室あります。 天皇の日常のスペースとして使われた建物です。 平安遷都当初、天皇のお住まいとして仁寿殿がありましたが、以後長く清涼殿がそれに当てられました。
やがて清涼殿も居住様式の変化に対応できなくなってきました。豊臣秀吉の行った天正の造営で御常御殿が別棟で設けられました。現在の建物は安政2年(1855)に再建されたもので、実用性のある機能的な造りで、剣璽(けんじ)を奉安する「剣璽の間」など格式のある間も備えられています。
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京都御所・御学問所

京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
小御所の北側に御学問所があります。入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺き、書院造りの建物です。格子の蔀(しとみ)に代えて舞良戸(まいらど)という引戸で四囲を閉ざす所や、床や違い棚を備えている所は書院造りの本髄に近い造りです。天皇の学問のために使われた建物ですが、臣下との対面する行事の時にも使用されたそうです。
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京都御所・御池庭

京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
小御所と御学問所の前に、御池庭(おいけにわ)があります。大きい池を中心とした回遊式庭園です。前面には洲浜(すはま)があり、その中に飛石を配して舟着きに導いています。樹木の中に欅橋が架けられ、さまざまな景色を楽しめます。
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京都御所・蹴鞠の庭

京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
小御所と御学問所の間の四角い庭を、蹴鞠(けまり)の庭、または鞠懸(まりかがり)と呼んでいます。この場所で鹿の革で作られた鞠を何人かの貴族が落とさないように足で蹴る遊びが行われました。
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京都御所・小御所

京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
小御(こごしょ)所は紫宸殿の北東、御池庭に面して建てられています。入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺き、寝殿造りの建物です。母屋は3室に仕切られ、畳を敷き詰めて天井を張った書院造り風になっています。蔀(しとみ)は半蔀で上部を外側に釣り上げ、下部ははめ込み式になっています。
皇太子の元服の儀式や、天皇が将軍や諸侯と対面する場所で、慶応3年(1867)王政復古の大号令が発せられた後の「小御所会議」にも使われました。昭和29年(1954)に鴨川の花火大会の花火が落下して焼失しました。現在の建物は昭和33年(1958)に再建されたものです。
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京都御所・滝口

京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
清涼殿の北側に滝口という場所があります。ここは御溝水(みかわみず)の落ちるところだったので、滝口とよばれていました。平安、鎌倉時代、この場所に蔵人所に属して禁中の警備にあたっていた武士が詰めていました。そのため、滝口の武士と呼ばれました。
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京都御所・漢竹と呉竹

京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
清涼殿の東庭に、向かって左に漢竹(かわたけ)、右に呉竹(くれたけ)が植えられています。それぞれ源氏垣という木製のすかし垣で囲まれています。枕草紙には呉竹が、徒然草には漢竹と呉竹が登場します。
徒然草には、「呉竹は葉細く、河竹(かはたけ)は葉広し。御溝(みかは)に近きは河竹、仁寿殿(じじゅうでん)のかたに寄りて植ゑられたるは呉竹なり」と書かれています。「呉竹は葉が細く、河竹は葉の幅が広い。清涼殿の前庭を流れる御溝に近くあるのは河竹で、仁寿殿(今は存在しません)の方に寄って植えられているのは呉竹です。」
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京都御所・清涼殿

京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
紫宸殿の北西に隣接するように清涼殿があります。紫宸殿と同じ入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺き、寝殿造りで、床は低く、内部の間仕切りも多くなっています。清涼殿は御常御殿が建てられるまでの長い間、天皇の日常生活の場として使用されていました。四方拝、小朝拝、叙位、除目(じもく)、官奏などの公事も清涼殿で行われました。
中央のカーテンのような蔀(しとみ)で囲まれた部分が母屋です。母屋の南5間が昼御座(ひのおまし)、北側が夜御殿(よんのおとど)、南廂が殿上(てんじよう)の間となっています。殿上の間には蔵人(くろうど)や公卿などが伺候(しこう)し、奉仕しました。西廂には御湯殿上(おゆどののうえ)、御手水間(おちょうずのま)などがあります。
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