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二条城鳴子門

二条城二の丸・鳴子門
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二条城の二の丸と本丸の間の北側に鳴子門があります。切妻造り、本瓦葺きの単層の戸付一間門で、北を正面としています。北側には番所があったそうです。南側の桃山門より小ぶりの門です。
 鳴子門は慶長7年(1602)から翌年の慶長8年(1603)に建てられ、寛永2年(1625)から翌年の寛永3年(1626)にかけて改修・拡張されています。昭和14年(1939)に附指定の袖塀を含め国の重要文化財に指定されています。

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二条城・西門

二条城・西門
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二条城の西にある西門は埋門(うずみもん)です。隠門(かくれもん)とも呼ばれ、裏門などに用いられた小さな門で、土塁、塀、石垣などの下部をくり抜いたようにして造られています。かつては木橋が架けられ、日常的に使われていたようですが、現在は橋はありません。
 西門は慶長7年(1602)から翌年の慶長8年(1603)に建てられ、寛永2年(1625)から翌年の寛永3年(1626)にかけて改修・拡張されました。昭和14年(1939)に附指定の多聞塀を含み、国の重要文化財に指定されています。

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二条城・北大手門

二条城・北大手門
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二条城の北大手門は北側の夷川通りに面しています。屋根は入母屋造りの本瓦葺きの櫓門です。東大手門と同じ造りですが、2階の渡櫓が小規模になっています。慶長7年(1602)から翌年の慶長8年(1603)に建てられ、寛永2年(1625)から翌年の寛永3年(1626)にかけて改修・拡張された櫓門です。
 昭和14年(1939)に附指定の多聞塀を含み、国の重要文化財に指定されています。この北大手門の内壁に平成28年(2016)2月、門の左右のしっくい壁(高さ7m)に幅9mにわたり、ゴルフボールを押し付けたようなくぼみがつけられたそうです。40カ所もあり、被害届を出し、捜査をしているとのことです。

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二条城東大手門

二条城・東大手門
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二条城の東大手門は二条城の正門で、江戸時代前期の寛文2年(1662)に造られました。間口13間、奥行3間の櫓門です。屋根は入母屋造りの本瓦葺きで、妻は木連格子、棟には鯱が飾られています。櫓の武者窓の左右に設けられた2つの出窓は、物見や銃眼の役を果たしていました。
 東大手門は寛文2年(1662)に完成された建物で、翌年、後水尾天皇の行幸の際、この門から入城したということです。当時は単層で、高麗門だったようです。この近世城郭の典型的な櫓門は昭和14年(1939)に附指定の多聞塀を含み、国の重要文化財に指定されています。

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二条城東南隅櫓北方多門塀

二条城・東南隅櫓北方多門塀
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二条城の東南隅櫓の北方多門塀(ほっぽうたもんべい)は慶長7年(1602)から翌年の慶長8年(1603)に建てられ、寛永2年(1625)から翌年の寛永3年(1626)にかけて徳川家光によって改修・拡張された東南隅櫓の北方方面の多門塀です。延長41.9m、本瓦葺きです。昭和14年(1939)に国の重要文化財に指定されています。

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二条城・東南隅櫓

二条城・東南隅櫓
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二条城の東南隅櫓(とうなんすみやぐら)は西南隅櫓と同様に、慶長7年(1602)から翌年の慶長8年(1603)に徳川家康によって建てられ、寛永2年(1625)から翌年の寛永3年(1626)にかけて徳川家光によって改修・拡張された櫓です。西南隅櫓よりも一回り大きく造られています。
 東南隅櫓は伏見城から移築されたともいわれています。木造二重2階櫓、屋根は入母屋造りで、本瓦葺き、千鳥破風付きです。壁は真っ白な漆喰塗りごめです。出窓、石落とし、矢狭間が備えています。昭和14年(1939)に国の重要文化財に指定されています。西方に延びる多門塀も附指定されています。

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二条城・西南隅櫓

二条城・西南隅櫓
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二条城には四隅に隅櫓(すみやぐら)がありましたが、天明8年(1788)の大火により、2つの櫓が焼失し、西南隅櫓と東南隅櫓のみが残されています。西南隅櫓は木造2階建ての二重櫓、屋根は入母屋造りで、本瓦葺き、唐破風付きです。1階は間口5間、奥行4間で、2階部分は間口4間、奥行3間です。
 西南隅櫓は慶長7年(1602)から翌年の慶長8年(1603)に徳川家康によって建てられ、寛永2年(1625)から翌年の寛永3年(1626)にかけて徳川家光によって改修・拡張されています。外堀に面する2箇所の出窓に、石落とし用と、横矢掛り用の窓を付けています。昭和14年(1939)に国の重要文化財に指定されています。北方、東方に延びる多門塀も附指定されています。

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二条城

二条城
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二条城は、京都の中心地に築かれた典型的な平城で、桃山文化の粋が結集されたところです。慶長8年(1603)、徳川家康は京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として、京都所司代板倉勝重を奉行とし、畿内の諸大名に命じて築城しました。
 慶長16年(1611)、後水尾天皇の皇位継承のために上洛した家康は、この城で豊臣秀頼と会見しています。また慶長19年(1614)の大阪冬の陣、翌年の夏の陣では徳川方の作戦本部になりました。
 寛永3年(1626)3代将軍家光が後水尾天皇を迎えた際、大規模な増改築を行い、現在の体裁に整えました。しかし家光以後は将軍の上洛もなく、寛延3年(1750)の落雷で、伏見城から移築した天守閣が焼失してしまいました。
 天明8年(1788)の天明の大火で、本丸の櫓門以外のすべての建物と二の丸の櫓や門の一部が焼失しました。幕末、開国をめぐり公武の緊張が高まり、14代将軍家茂が2度、二条城に滞在し、最後の15代将軍慶喜は慶応2年(1866)ここで将軍職を拝命し、翌年大政奉還をしています。
 堀川通の正面に堀を巡らし、石垣に囲まれた敷地は東西約500m、南北400mで、総面積27万5千平方mという広大な広さがあります。建築面積は7300平方mで、全域が旧二条離宮として国の史跡に登録され、平成6年(1994)には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。
 二の丸御殿は遠侍及び車寄、式台、大広間、蘇鉄之間、黒書院(小広間)、白書院(御座の間)の6棟が国宝です。二の丸庭園は国の特別名勝に指定され、二の丸御殿の障壁画1016面が美術工芸での国の重要文化財に指定されています。
 本丸では本丸御殿(旧桂宮邸)の玄関、御書院、御常御殿、台所及び雁之間、二の丸では二の丸御殿の唐門、築地、台所、御清所、そして本丸櫓門、東大手門、北大手門、西門、鳴子門、桃山門、北中仕切門、南中仕切門、東南隅櫓、西南隅櫓、土蔵3棟、東南隅櫓北方多門塀が国の重要文化財に指定されています。

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教諭所(宣教館)跡

教諭所(宣教館)跡
 京都府京都市中京区三条通東洞院北西角に京都電信電話発祥の地があります。
 京都電信電話発祥の地の碑の隣に教諭所(宣教館)跡の案内板があります。幕末、京都の庶民の教育機関であった教諭所が天保9年(1838)この場所に新築され開講しました。元治元年(1864)の蛤御門の戦いの兵火で消失し、再建されましたが、維新後の明治2年(1869)に小学校ができ、教諭所はなくなりました。

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京都電信電話発祥の地

京都電信電話発祥の地
 京都府京都市中京区三条通東洞院北西角に京都電信電話発祥の地があります。
 京都電信電話発祥の地の碑は、NTT京都支店の裏側に建てられています。明治5年(1872)、明治政府は郵便事業開始に続き、全国的な電信網敷設に着手しました。京都ではここに西京(さいきょう)電信局を開設しました。電話は明治10年(1877)に輸入され、明治23年(1890)に公衆電話事業が始まりました。
 明治29年(1896)、京都電話交換局が開設され、翌年に交換業務を開始しました。この石の碑は京都における電信電話発祥地である西京電話局・京都電話交換局の跡を示しています。その背後に京都電話百年を記念したタイムカプセルが埋めてあります。

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極楽院光勝寺(空也堂)

極楽院光勝寺(空也堂)
 京都市中京区蛸薬師通油小路西入る亀屋町に極楽院光勝寺(空也堂)があります。
 極楽院光勝寺は天台宗のお寺です。開山が空也上人であることから空也堂と呼ばれています。空也は平安中期の民間浄土教の始祖で、念仏踊りを編みだした人です。念仏を唱えながら洛中をまわったので市聖(いちひじり)と呼ばれました。
 毎年11月の第2日曜日に、空也上人を偲んで空也忌が行われます。王服(おうぶく)茶の献茶式の後、ひさご・鉦・太鼓を持った空也僧による歓喜踊躍(かんぎゆやく)念仏と、国重要無形民俗文化財の六斎(ろくさい)念仏焼香式が催されます。

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頂法寺鐘楼堂

頂法寺鐘楼堂
 京都府京都市中京区堂之前町に頂法寺(六角堂)があります。
 頂法寺の鐘楼堂は六角通りを隔て、飛地に建っています。慶長10年(1605)、堀尾吉晴の嫡男・忠氏が寄進しました。天明の大火などで焼失し、現在のものは昭和29年(1954)に再鋳復元されたものです。

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頂法寺(六角堂)

頂法寺(六角堂)
 京都府京都市中京区堂之前町に頂法寺(六角堂)があります。
 紫雲山(しうんざん)頂法寺は本堂が六角の宝形造りであることから六角堂と呼ばれています。用明天皇2年(587)、聖徳太子が創建したと伝えられる古刹で、西国33札所霊場の18番札所です。境内にある「へそ石」は京都の中心といわれています。
 弘仁13年(822)、嵯峨天皇により勅願所となっています。親鸞上人は毎夜比叡山から本堂に百日参籠をし、95日目に、霊夢により本尊のお告げを得て浄土真宗を開いたと伝えられています。
 創建以来度々火災にあい、現在の建物は明治5年(1872)に再建されたものです。寺の社務所は池坊と呼ばれます。ここは聖徳太子沐浴の池の跡といわれ、池のほとりに小野妹子が開いた坊があり、名を専務と改め朝夕仏前に花を供えたことから池坊と言われるようになったそうです。
 これが今日の華道の始めとされ、池坊の発祥の地(生け花発祥の地)になっています。 本堂東に回廊状の花席があり、常時生け花が展示されています。代々住職は池坊家が務めているそうです。

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本能寺

本能寺
 京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町に本能寺があります。
 本能寺は京都市役所と御池通を隔てた南側に位置しています。法華宗本門流の大本山で、本能寺の変で知られています。恵昇院、蓮承院、定性院、高俊院、本行院、源妙院、龍雲院の7つの塔頭を持っています。
 応永22年(1415)、門祖日隆(にちりゅう)が五条坊門に創建し、本応寺と称しましたが、永享8年(1436)に本能寺と改めています。寺地は度々変わり、天文(てんぶん)の乱(1536)で全焼後、天文14年(1545)に四条西洞院(にしのとういん)に広大な寺域を賜り再建しています。
 子院も30を超える大寺になりましたが、天正10年(1582)、織田信長が当寺に宿泊中、明智光秀の襲撃で亡くなり、その兵火で焼失しました。天正15年(1587)、再建中に豊臣秀吉の区画整理にあい、現在地に移転しています。
 元治元年(1864)の蛤御門(はまぐりごもん)の変で全焼し、現本堂は昭和3年(1928)に建てられています。境内には信長本廟があり、寺宝に花園天皇宸翰(しんかん)、藤原行成(ゆきなり)筆と伝えられる書巻などの国宝を所蔵しています。

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慈受院門跡

慈受院門跡
 京都府京都市上京区寺之内掘川東入百々町に慈受院門跡(じじゅいんもんぜき)があります。
 広徳山慈受院門跡は臨済宗単立の門跡で、薄雲(うすぐも)御所、烏丸御所、竹之御所とも呼ばれます。開基は将軍足利義持の夫人の慈受院浄賢竹庭(日野栄子)で、正長元年(1428)、皇室代々の菩提を弔うために創建したと伝えられています。
 後西天皇の皇女瑞光内親王、伏見宮息女が入衛家・花山家から交互に住持が入りました。応仁の乱や宝永5年(1708)の大火によって衰弱し廃絶しました。大正8年(1919)に縁故関係にあった総持院と統合し慈受院として、現在地に再興しています。

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京都府庁旧本館

京都府庁旧本館
 京都府京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町に京都府庁旧本館があります。
 京都府庁旧本館は文部技師久留正道の指導のもとで、京都府技師の松室重光が設計しました。煉瓦造り、一部石造り、スレート葺き、2階建て、一部に地下室があり、正面と背面に車寄があります。建築面積は2822.43平方mと大きな建物で、平成16年(2004)に国の重要文化財に指定されました。
 ルネッサンス様式の建物は南側が正面で、中庭を囲むロ字型です。執務室はロ字型の外部にあり、中庭側が廊下になっています。南面中央には車寄せが設けられ、3連窓と上部に丸窓があります。広間を入ると正面に大理石を贅沢に用いた中央階段があります。壁面は四隅の一画が強調して見えるように段違いになっています。

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京都府庁旧本館

京都府庁旧本館
 京都府京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町に京都府庁旧本館があります。
 京都府庁旧本館は府庁東門の中にあります。明治37年(1904)に完成し、昭和46年(1971)まで京都府庁の本館でした。現在も執務室や会議室として使用され、創建時の姿をとどめる現役の官公庁建物としては日本で最も古い建物です。平成16年(2004)に国の重要文化財に指定されています。

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旧京都中央電話局西陣分局舎

旧京都中央電話局西陣分局舎
京都府京都市上京区油小路通中立売下る甲斐守町に旧京都中央電話局西陣分局舎があります。
 旧京都中央電話局西陣分局舎は鉄筋コンクリート造3階建て、一部木造部も含めて建築面積は1178平方mです。設計は逓信省技師・岩元禄で、外観の意匠は極めて独創的です。明治期の洋式建築から脱し、設計者の個性によってデザインされた建築として評価されています。
 正面1階に半楕円形断面の柱3本を立て、各頂部にヴィーナスのトルソーを載せています。最上部にライオンの彫刻が顔を出し、2階弓形出窓の周囲や東面2階庇下には踊り子のレリーフ・パネルが飾られています。平成18年(2006)に国の重要文化財に指定されました。

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引接寺塔婆

引接寺塔婆
京都府京都市上京区千本通蘆山寺上ル閻魔前町に千本閻魔堂(引接寺)があります。
 千本閻魔堂には圓阿上人が至徳三年(1386)に建立した紫式部の供養塔があります。貴重な十層の多重石塔で、引接寺塔婆として、昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されています。

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千本閻魔堂(引接寺)

千本閻魔堂(引接寺)
京都府京都市上京区千本通蘆山寺上ル閻魔前町に千本閻魔堂(引接寺)があります。
 千本閻魔堂は百人一首の歌人として知られる小野篁(おののたかむら)(802-853)が自ら閻魔法王の姿 を刻み祠を建てたのが始まりといわれています。篁は小野小町のの祖父といわれ、現世と冥土を行き来して閻魔王とも交流したという伝承のある人物です。 千本閻魔堂は光明山歓喜院引接寺が正式な寺名です。諸人化導引接仏道から名づけられています。朱雀大路(現千本通)頭に位置するこの辺りはあの世へ通ずる処として信じられ、精霊迎えの根本霊場として有名です。

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旧京都中央電話局西陣分局

旧京都中央電話局西陣分局
京都府京都市上京区油小路通中立売下る甲斐守町に旧京都中央電話局西陣分局舎があります。
 旧京都中央電話局西陣分局舎は現在NTT西日本西陣ビルとなっていて、油小路通と中立売通との交差点西南角にあります。このビルは京都市内で3番目の電話分局となり、大正9年(1920)に起工され、翌年の大正10年(1921)に完成し、京都中央電話局西陣分局として開局しました。

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報土寺本堂

報土寺本堂
 京都府京都市上京区仁和寺街道六軒町西入四番町に報土寺があります。
 報土寺の本堂は間口7間、奥行6間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、3間の向拝が付けられています。舟肘木を用いた簡素な造りですが、全体の木組が太く力強い建物で、江戸前期の寛永6年(1794)に造られています。昭和60年(1985)に国の重要文化財に指定されています。

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報土寺表門

報土寺表門
 京都府京都市上京区仁和寺街道六軒町西入四番町に報土寺があります。
 報土寺の表門は切妻造り、本瓦葺きの一間薬医門です。元和・寛永・正保・慶安・承応・明暦・万治年間(1615-1660)に建てられたと推測されています。質のよい標準的な一間薬医門で、昭和60年(1985)に国の重要文化財に指定されています。

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報土寺

報土寺
 京都府京都市上京区仁和寺街道六軒町西入四番町に報土寺があります。
 報土寺は北野天満宮と二条城の中間にあります。浄土宗知恩院派のお寺で、貞観元年(859)、行教(ぎょうきょう)が真言宗の寺として創建したと伝えられています。その後、応仁の乱などにより堂宇は荒廃しましたが、永禄2年(1559)、選誉照阿(せんよしょうあ)により、浄土宗の寺院として、相国寺惣門の東南に再興されました。
 以後、浄土宗の念仏道場として栄え、寛文3年(1663)頃に、現在地に移転しました。四番町、五番町は西陣の遊郭として栄え、報土寺境内の離れには遊女の遺体安置所があったそうです。本堂と表門は国の重要文化財に指定されています。本尊の木造阿弥陀如来立像も、正嘉2年(1258)の造立で国の重要文化財です。

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土蜘蛛灯篭

土蜘蛛灯篭
京都市上京区御前通今出川上ル馬喰町に北野天満宮があります。
 北野東向観音寺には土蜘蛛(つちぐも)灯篭があります。この蜘蛛灯籠は源頼光を悩ませた土蜘蛛が棲んでいたといわれる七本松通一条にありました。ある人が貰いうけ庭に飾っていたところ家運が傾むき「土蜘蛛の祟り」といわれたので、この観音寺に奉納したそうです。

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北野東向観音寺

北野東向観音寺
京都市上京区御前通今出川上ル馬喰町に北野天満宮があります。
 北野東向観音寺は正式には朝日山観音寺といい、真言宗泉涌寺派の準別格本山です。かっては北野天満宮の神宮寺でした。平安時代の初めに創建された古刹で、北野天満宮より古い歴史をもっています。本堂は礼堂と造合でつながれた複合形式の建物です。17世紀前期に本堂が建てられ、元禄7年(1694)に礼堂と造合が本堂正面に総築されています。平成13年(2001)に京都市の有形文化財に指定されています。

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北野天満宮末社・猿田彦社

北野天満宮末社・猿田彦社
京都市上京区御前通今出川上ル馬喰町に北野天満宮があります。
 北野天満宮の末社である猿田彦社は猿田彦神(さるたひこのかみ)を祀っています。 猿田彦神は日本の国をよく治めるようにという天照大神の命令を受けた瓊瓊杵命が、高天原より地上に降りた時、先頭に立って道案内をした神です。2mをこえる巨体と長い鼻を持ち「天狗さま」として親しまれ、交通安全の神として崇められています。

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北野天満宮末社・稲荷神社

北野天満宮末社・稲荷神社

京都市上京区御前通今出川上ル馬喰町に北野天満宮があります。
 北野天満宮の末社である稲荷神社は倉稲魂神 (うかのみたまのかみ)・猿田彦命(さるたひこのみこと)・大宮女命(おおみやめのみこと)を祀っています。祭神は稲生りの神といわれ、五穀(米・麦・粟・豆・稗)豊穣をつかさどり、商売繁盛の守護神として神徳があるそうです。昔この付近で大火があった時、この神社の手前で火の手が止まったことから「火除け稲荷」ともいわれます。

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