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吉村寅太郎寓居之跡

吉村寅太郎寓居之跡
 京都府京都市中京区三条木屋町上る上大阪町に吉村寅太郎寓居之跡があります。
 土佐四天王の一人・吉村寅太郎が文久3年(1863)に住んでいたところです。武市瑞山寓居跡の四国屋丹虎の隣に石碑が建てられています。寅太郎は土佐の庄屋の息子で、瑞山に師事し、尊皇攘夷に傾倒します。平野国臣らの浪士蜂起計画に呼応し、脱藩します。
 寺田屋事件で捕縛されて土佐に送還され投獄。釈放後、再び京都へ上り孝明天皇の大和行幸の先駆けとなるべく中山忠光を擁立して天誅組を組織します。大和国で挙兵しましたが、八月十八日の政変で逆賊扱いになり、幕府軍の攻撃を受け敗れ戦死しました。享年27歳という若さでした。

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武市瑞山寓居之跡

武市瑞山寓居之跡
京都府京都市中京区三条木屋町に武市瑞山寓居之跡があります。
 文久2年(1862)に武市瑞山(半平太)が住んでいた「四国屋丹虎」の跡です。現在は、料亭「金茶寮」となっていて、武市ゆかりの間があるそうです。長州藩や尊攘派の志士達の定宿になっていて、池田屋事件の際に、土方歳三の探索を受けたところです。
 瑞山は中岡慎太郎、坂本龍馬、吉村寅太郎とともに土佐四天王と呼ばれた人物です。尊王攘夷を志し、土佐勤王党を結成、山内容堂に従って上洛。京都留守居役になり、吉田東洋が暗殺されると尊皇攘夷運動の中心人物になります。しかし八月十八日の政変で政局が一変し、容堂によって投獄され、慶応元年(1865)切腹させられました。37歳の若さでした。

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木戸孝允邸跡

木戸孝允邸跡
 京都府京都市中京区土手下夷川上る末広町に木戸孝允(きどたかよし)邸跡があります。
 木戸孝允(桂小五郎)邸は旧長州藩邸から300mほど北にあります。明治2年(1869)、木戸は鴨川畔の近衛家下屋敷を買い取り、自身の京都別邸としました。石長松菊園という旅館の前に「木戸孝允旧跡」という石碑が建てられています。
 明治10年(1877)、この別邸で危篤に陥った木戸を明治天皇が自ら見舞いに訪れました。一介の武士に対し前例のないことです。木戸はここで亡くなり、その子忠太郎が居住しました。昭和18年(1943)に京都市に寄贈され、一部、京都市職員会館「かもがわ」という市職員厚生施設となっています。

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旧長州藩邸址

旧長州藩邸址
 京都府京都市中京区河原町に旧長州藩邸址があります。
 長州藩邸は高瀬川一之舟入の南側から御池通まで、河原町通から木屋町通に至る広い敷地でした。旧長州藩邸址の碑は京都市役所の東側、京都ホテルオークラの正面に建てられています。
 元治元年(1864)の蛤御門の変(禁門の変)で会津、薩摩を中心とする朝廷、幕府側に敗れた長州藩は、自らこの藩邸に火を放ち、京都を去りました。明治維新後、藩邸跡は官有となり、明治初年には勧業場が設立され、後に常盤ホテル(京都ホテルの前身)が建てられました。

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旧日本銀行京都支店

旧日本銀行京都支店
 京都府京都市中京区三条高倉西入菱屋町に旧日本銀行京都支店があります。
 旧日本銀行京都支店は明治27年(1894)に開設された東洞院通御池上ルにあった日本銀行京都出張所が明治39年(1906)に新築移転してできた建物です。明治44年(1911)に出張所から支店になり、昭和40年(1965)に河原町通二条に移転しました。
 昭和42年(1967)に財団法人古代学協会の所有となり、平安博物館として開館しました。昭和44年(1969)には国の重要文化財に指定されました。昭和61年(1986)に京都府に寄贈され、修理・復元され、昭和63年(1988)に京都文化博物館別館として公開されました。

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二条城本丸天守閣跡(天守台)

二条城本丸天守閣跡(天守台)/>
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 天守台には石垣だけが残されています。慶長11年(1606)、伏見城から移築した5層の天守閣が完成し、慶長19年(1614)の大坂の陣では徳川方の本営となりました。寛延3年(1750)の落雷で天守が焼け落ちてしまいました。3代徳川家光以降、14代家茂まで上洛する将軍がいなかったため、天守は再建されませんでした。

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二条城本丸御殿・御書院

二条城本丸御殿・御書院
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 本丸御殿御書院は寛政2年(1790)から寛政5年(1793)にかけて建てられています。南面18.6m、東面25.4m、単層、入母屋造り、桟瓦葺きです。御書院は一之間、二之間、三之間、四季之間(春之間、夏之間、秋之間、冬之間)などがあります。昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。

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二条城本丸御殿・御常御殿

二条城本丸御殿・御常御殿
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 本丸御殿の御常(おつね)御殿は京都御苑の今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿です。明治26年(1893)から翌年にかけて本丸内に移築されました。仁孝天皇の皇女和宮が14代将軍家茂に嫁がれる前、約1年8ヶ月間住まわれた建物で、嘉永7年(1854)の内裏の火災の時も延焼を免れ、孝明天皇の仮皇居に使用されました。
 御常御殿は西面13.9m、南面31.7m、2重2階建てで、西面は入母屋造り、東面は寄棟造りです。2階は寄棟造り、桟瓦葺きになっています。松鶴之間、四季花草之間、雉子之間、萩之間などがあります。嘉永2年(1849)に建てられた建物で、昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。

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二条城本丸御殿・玄関

二条城本丸御殿・玄関
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 本丸御殿の玄関は西面が27.3m、南面が13.8m、単層、入母屋造り、桟瓦葺き、御車寄は唐破風造り、銅板葺きです。玄関之間、取次詰所、取次之間、竹之間 二室、殿上之間、公卿之間、使者之間、御車寄などがあります。弘化4年(1847)に建てられた建物で、昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。

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二条城本丸御殿

二条城本丸御殿
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 現在の本丸御殿は、京都御所にあった旧桂宮邸の御殿を移築したものです。創建当時の本丸御殿は、現存する二の丸御殿にほぼ匹敵する規模で、狩野派の障壁画で飾られていましたが、天明8年(1788)の天明の大火で灰燼に帰しました。その後、本丸御殿は再建されず、幕末に15代将軍徳川慶喜の住居として建てられました。しかしこの御殿も明治14年(1881)に撤去されてしまいました。
 現在の本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を、明治26年(1893)から明治27年(1894)にかけて本丸内に移築したものです。本丸御殿は玄関、御書院、御常御殿、台所及び雁之間が国の重要文化財に指定されています。

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二条城・釣鐘

二条城・釣鐘
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二の丸庭園の入口付近に釣鐘が置かれています。この鐘は、幕末の政変の時期に二条城と北側の所司代との連絡に使われました。鐘は二条城と所司代に設置され、二条城では東北隅の艮櫓跡に置かれました。鳥羽・伏見の開戦などにも使われ、明治になってからも非常時に備え使用されたそうです。

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二条城二の丸庭園

二条城二の丸庭園
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二条城には江戸時代につくられた二の丸庭園、明治時代の本丸庭園、昭和時代の清流園の3つの庭園があります。小堀遠州作と伝わる二の丸庭園は慶長7年(1602)の二条城の築城当初から存在し、寛永3年(1626)の御水尾天皇行幸の際に改修されました。二の丸庭園は書院造庭園で、神仙蓬莱の世界を表した庭園といわれています。
 三つの島と四つの橋を設けた池を中心とした池泉回遊式の庭園で、「八陣の庭」とも呼ばれています。二の丸御殿大広間上段の間(将軍の座)、黒書院上段の間(将軍の座)、行幸御殿上段の間(天皇の座)・御亭の主に三方向から鑑賞できるように設計されていました。昭和28年(1953)に国の特別名勝に指定されています。

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二条城二の丸御殿・白書院

二条城二の丸御殿・白書院
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 黒書院の奥には白書院があります。二の丸御殿の一番奥の建物です。間口6間、奥行6間、単層、入母屋造り、本瓦葺きです。将軍の居間・寝室として使われた部屋で、内部の装飾も大広間や黒書院とは違い、落ち着いたものになっています。絵画は狩野興以(こうい)または長信(ながのぶ)によるもので、居間にふさわしい水墨山水画となっています。
 慶長7年(1602)から翌年にかけ建てられ、寛永2年(1625)から翌年にかけ改修されています。かつては本丸の櫓門へと繋がる廊下橋があり、外に出る事なく直接本丸へ行くことができましたが、明治時代に撤去されてしまいました。白書院は昭和27年(1952)に国宝に指定されています。

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二条城二の丸御殿・黒書院

二条城二の丸御殿・黒書院
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 蘇鉄の間の奥に黒書院があります。大広間より小さいことから小広間とも呼ばれています。黒書院は将軍が親藩大名や譜代大名と対面した場所です。間口は正面が7間、背面が8間、奥行は右側面が6間、左側面が8間、単層、入母屋造り、本瓦葺きです。慶長7年(1602)から翌年にかけ建てられ、寛永2年(1625)から翌年にかけ改修されています。
 黒書院の襖絵は狩野探幽の弟、尚信(なおのぶ)の作品です。金箔地の上に描かれた金碧障壁画で巧みな装飾が施されています。徳川家光の時に、後水尾天皇の行幸を迎える際に狩野派一門に描かせました。二の丸御殿全体で3千面以上もあり、1016面が国の重要文化財に指定されています。黒書院も昭和27年(1952)に国宝に指定されています。

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二条城二の丸御殿・蘇鉄之間

二条城二の丸御殿・蘇鉄之間
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二の丸御殿の蘇鉄之間は大広間から続く部屋で、間口は右側面が8間、左側面が9間、奥行は正面が1間、背面が3間、入母屋造り、本瓦葺きです。外の西側に広がる庭園には蘇鉄が植えられています。慶長7年(1602)から翌年にかけ建てられ、寛永2年(1625)から翌年にかけ改修され、昭和27年(1952)に国宝に指定されています。

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二条城二の丸御殿・大広間

二条城二の丸御殿・大広間
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二の丸御殿の大広間は将軍が外様大名に対面した部屋で、二の丸御殿の中でもっとも格式の高い部屋です。慶応3年(1867)、15代将軍慶喜が諸藩の重臣を集め、大政奉還を発表し、徳川幕府265年の幕を閉じた歴史的な部屋でもあります。折上格天井があり。将軍が座る一の間は二重折上格天井になっています。
 大広間の間口は右側面が8間、左側面が7間、奥行は正面が7間、背面が5間、単層、入母屋造り、本瓦葺の建物です。一の間は広さ48畳、二の間は44畳で、二の間は後水尾天皇の行幸の際、南庭につくられた能舞台の見所に使われたそうです。慶長7年(1602)から翌年の慶長8年(1603)に建てられ、寛永2年(1625)から翌年にかけて改修されています。昭和27年(1952)に国宝に指定されています。

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二条城二の丸御殿・式台

二条城二の丸御殿・式台
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 式台は参上した大名が老中職と挨拶を交した所です。間口は正面が3間、背面が5間、奥行は右側面が4間、左側面が6間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの建物です。慶長7年(1602)から翌年の慶長8年(1603)に建てられ、寛永2年(1625)から翌年にかけて改修されています。昭和27年(1952)に国宝に指定されています。

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二条城遠侍

二条城二の丸御殿・遠侍
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 遠侍(とおざむらい)は、城へ参上した大名の控室です。慶長7年(1602)から翌年の慶長8年(1603)に建てられ、寛永2年(1625)から翌年の寛永3年(1626)にかけて改修されています。間口8間、奥行8間、入母屋造り、本瓦葺きの単層の建物です。二の丸御殿の中で最大の床面積(約1046.1平方m)をほこっています。
 慶長16年(1611)に徳川家康は豊臣秀頼とこの遠侍で会見しています。一の間・二の間・三の間・若松の間・勅使の間に分かれています。一の間から三の間は勇壮な虎と豹の絵が描かれていることから「虎の間」とも呼ばれています。遠侍は二の丸御殿遠侍及び車寄として昭和27年(1952)に国宝に指定されています。

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二条城二の丸御殿・車寄

二条城二の丸御殿・車寄
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 車寄は遠侍に付設した二の丸御殿の玄関です。間口5間、奥行3間、入母屋造り、檜皮葺(ひわだぶ)きの単層の建物です。天皇など高貴な人が牛車に乗って訪れた時に、そのまま建物内に入ることができる造りです。檜皮葺きの屋根下の欄間には鸞鳥(らんちょう)、松、牡丹など彫刻が施されています。
 車寄は慶長7年(1602)から翌年の慶長8年(1603)に建てられ、寛永2年(1625)から翌年の寛永3年(1626)にかけて改修されています。車寄は二の丸御殿遠侍及び車寄として昭和27年(1952)に国宝に指定されています。

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二条城二の丸御殿

二条城「二の丸御殿
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二の丸御殿は桃山時代武家風書院造りの代表的な建物です。二条城内で唯一残された江戸時代初期の遺構で、6棟すべて国宝に指定されています。二の丸御殿の障壁画は狩野一門の作で、八方にらみの獅子図などがよく知られています。
 東から車寄と遠侍(とおざむらい)、その西に式台(しきだい)があります。大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の国宝指定の6棟が南東から南西へ後ずさりしながら連なって建てられている雁行様式で、接続あるいは渡廊で結ばれています。

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二条城二の丸・唐門

二条城二の丸・唐門
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二条城の大手門を入ると次の門が唐門です。唐門は二の丸御殿の正門で、慶長8年(1603)に徳川家康によって建てられ、寛永2年(1625)から翌年の寛永3年(1626)にかけて家光により大規模な改修が施されました。切妻造り、檜皮葺(ひわだぶ)きの四脚門で、前後の軒に唐破風が付いています。
 唐門には西本願寺の唐門と同じように、華やかな色彩と細やかな細工が施されています。極彩色の彫刻が施された欄間には縁起物の鶴亀に松、牡丹に蝶、龍と虎、裏面には仙人と鳳凰などの彫刻が施されています。昭和14年(1939)に国の重要文化財に指定されています。

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二条城土蔵(米蔵)3

二条城土蔵(米蔵)3
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 収蔵庫近くに米蔵に使われていた土蔵があります。寛永2年(1625)から翌年の寛永3年(1626)にかけて建てられています。単層、入母屋造り、本瓦葺きで、門番所が付いた土蔵造りの建物です。昭和14年(1939)に国の重要文化財に指定されています。

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二条城米蔵土蔵2

二条城土蔵(米蔵)2
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 西二の丸の西南部に米蔵に使われていた土蔵があります。単層、入母屋造り、本瓦葺き、 土蔵造りの建物です。昭和14年(1939)に国の重要文化財に指定されています。

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二条城土蔵(米蔵)1

二条城土蔵(米蔵)1
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 西二の丸の西北部に米蔵に使われていた土蔵があります。単層、入母屋造り、本瓦葺き、 土蔵造りの建物です。昭和14年(1939)に国の重要文化財に指定されています。

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二条城二の丸御殿・築地

二条城二の丸御殿・築地
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二の丸御殿の築地は慶長7年(1602)から翌年の慶長8年(1603)に徳川家康によって建てられ、寛永2年(1625)から翌年の寛永3年(1626)にかけて徳川家光によって改修・拡張された塀です。東築地は折廻り延長54間、西築地は折廻り延長19間、本瓦葺きです。昭和14年(1939)に国の重要文化財に指定されています。

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二条城二の丸御殿台所

二条城二の丸御殿台所
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二の丸御殿の台所は間口正面が17間、背面母屋14間、出張4間、奥行右側面が8間、左側面が母屋5間、出張4間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの大きな建物です。隣に建つ二の丸御殿・御清所とともに昭和14年(1939)に国の重要文化財に指定されています。

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二条城・番所

二条城・番所
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二条城の番所は東大手門を入った右手にあります。間口10間(19.6m)、奥行3間(6.06m)の建物で、屋根は本瓦葺きと、下に付いている庇は桟瓦葺きです。ここには二条在番という江戸から派遣された武士が警備のため常駐していました。1組50人の武士が毎年2組、4月に交代して番にあたったそうです。

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二条城・本丸櫓門

二条城・本丸櫓門
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二条城の本丸櫓門は廊下橋を渡って二の丸から本丸へ入る東の入口にあります。入母屋造り、本瓦葺きの櫓門で、寛永2年(1625)から翌年の寛永3年(1626)にかけて造られました。本丸の中では天明8年(1788)の天明の大火を免れた建物です。
 かつては橋の上に2階廊下が造られていて、後水尾天皇の行幸に合わせ、外に出ないで二の丸と本丸を行き来することができました。貞享4年(1687)に廊下橋は撤去されましたが、その部材は現存しているそうです。本丸櫓門は附指定の袖塀(南方・北方)とともに、昭和14年(1939)に国の重要文化財に指定されています。

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二条城二の丸・北中仕切門

二条城二の丸・北中仕切門
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二条城の二の丸にある南中仕切門の本丸を挟んだ北側に北中仕切門(きたなかじきりもん)があります。南中仕切門と同じ造りの本瓦葺きの一間門で、招造り(まねきづくり)で庇が付いています。徳川家康が二条城を築城した当時は、この門の北に太鼓櫓があり、その東には天守があったそうです。
 南中仕切門は慶長7年(1602)から翌年の慶長8年(1603)に建てられ、寛永2年(1625)から翌年の寛永3年(1626)にかけて改修・拡張された門です。昭和14年(1939)に国の重要文化財に指定されています。

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二条城二の丸・南中仕切門

二条城二の丸・南中仕切門
 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二条城の中央付近の南にある南中仕切門(みなみなかじきりもん)は埋門で、食違いの仕切の石垣に造られています。北中仕切門と同じく、西二の丸への通路を仕切る本瓦葺きの一間門で、招造り(まねきづくり)で庇が付いています。
 慶長7年(1602)から翌年の慶長8年(1603)に建てられ、寛永2年(1625)から翌年の寛永3年(1626)にかけて改修・拡張された門です。昭和14年(1939)に国の重要文化財に指定されています。

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