東福寺方丈

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
東福寺の方丈は、明治14年(1881)の火災で、仏殿、庫裡とともに焼失し、明治23年(1890)に再建された建物です。正面前庭には唐門が建てられていて、内部は、3室2列の6室あり、前庭のある南面には広縁が設けられています。中央の間を室中と呼び、正面は双折桟唐戸としています。
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東福寺庫裏

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
東福寺の庫裏は方丈に接続して東側に建てられています。寺務がすべてここで執り行われ、行事の時の食事の用意などもされます。庫裏は明治14年(1881)の大火の時に、仏殿、法堂、方丈などとともに焼失し、現在の建物は明治43年(1910)に再建された建物です。切妻を正面とする禅宗寺院の典型的な建物で、白壁に配された縦横の構架材が印象的です。
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東福寺浴室

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
東福寺の浴室は境内の南、山門の東側に建てられています。間口3間、奥行4間、単層、本瓦葺きの建物で、正面は入母屋造り、背面は切妻造りになっています。長禄3年(1459)に建てられた京都最古の禅宗浴室建築の遺構で、明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。 内部は正面板敷きの上に2つの蒸し風呂が並び、後方に釜と焚き口があります。
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東福寺経蔵

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
東福寺の経蔵(きょうぞう)は宝形造り、本瓦葺きで、江戸中期の寛政5年(1793)に建てられています。境内の西側、禅堂の北側にあり、京都府の有形文化財に指定されています。蔵の中には開山した聖一国師(円爾弁円)が宋から持ち帰った千点余りの典籍や貴重な書物を収蔵しています。
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東福寺本堂

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
東福寺の本堂は大正6年(1917)に再建工事に入り、昭和9年(1934)に完成した建物です。明治14年(1881)の大火の時に、仏殿、法堂、方丈、庫裏などが焼失しました。仏殿と法堂を兼ねる本堂として再建されたものです。
間口41.4m、奥行33.3m、高さ25.5m、重層入母屋造り、裳階付きの巨大な建物で、昭和期の木造建築としては最大級のものです。本尊の釈迦三尊像は、明治14年の火災後に塔頭の万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作で国の重要文化財です。また天井には堂本印象の手による蒼龍図が描かれているそうです。
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東福寺禅堂(選仏場)

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
禅堂は僧が座禅をする道場で、僧堂、聖僧堂、雲堂、選仏場とも呼ばれます。東福寺の禅堂は室町前期、貞和3年(1347)に再建された建物で、間口7間、奥行4間、単層、裳階(もこし)付きで、切妻造りで本瓦葺きです。正面中央に1間、背面に張出しがあり、前門、後門と呼ばれています。
中央戸口は板扉で、花頭窓と格子窓を並べ、上部欄間は弓欄間にしています。わが国最古で最大の禅堂で、明治31年(1898)に国の重要文化財に指定されています。
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東福寺東司

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
東福寺の東司(とうす)は禅堂の南側に建てられています。東司とは禅宗様式の「トイレ」で禅宗において七堂伽藍の一つとして重んじられています。東司として明治35年(1902)に国の重要文化財に日本で唯一指定されています。東司は室町前期のもので日本最古最大、現存する唯一の遺構です。
間口7間(35m)、奥行4間(14m)、単層、切妻造り、本瓦葺きの建物です。往時は常に500人もの雲水が修行に励み、使用したようです。通称「百雪隠(ひゃくせっちん)」ともいわれています。
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思遠池

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
東福寺三門の前にある放生池は思遠池(しおんち)と呼ばれています。中央に三門へとつながる石橋が架けられています。「思遠の蓮」と呼ばれる白色の蓮が花を咲かせます。
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東福寺三門

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
東福寺の三門は応永12年(1405)に足利義持が再建し、現存する禅寺の三門として日本で最古最大のものです。三門とは涅槃(ねはん)に達するために通らなければならない空門(くうもん)、無相門(むそうもん)、無作門(むさもん)の境地を表す3門を意味しています。三解脱(さんげだつ)門の略です。
東福寺の三門は間口5間、奥行3間、入母屋造り、本瓦葺きです。切妻造り、本瓦葺きの山廊を付随しています。2階二重門で、上層に釈迦如来と十六羅漢を安置しています。二重門は2階建ての門ですが、楼門と違い、1階と2階の境目にも軒が出ている門です。明治30年(1897)に国宝に指定されています。
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東福寺南門

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
東福寺の南門は南大門とも呼ばれ、六波羅門の西に建てられています。桃山時代の建築の一間一戸、切妻造り、本瓦葺きの四脚門で、平成5年(1993)に京都府の有形文化財に指定されています。
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東福寺勅使門

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
東福寺の勅使門(ちょくしもん)は六波羅門のすぐ隣に建てられています。天正18年(1590)、塔頭の南明院にて建立され、明治18年(1885)に現在地へ移築された門です。一間一戸、切妻造り、本瓦葺きの四脚門で、平成5年(1993)に京都府の有形文化財に指定されています。勅使参向の際に使用されました。
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東福寺六波羅門

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
東福寺の六波羅門は南正面に立つ東福寺伽藍の最南端にある通用門です。この門より西に南門があります。六波羅探題の遺構を移築していることから六波羅門と呼ばれています。六波羅探題は、承久3年(1221)、後鳥羽上皇の「承久の乱」の後、朝廷を監視するため執権北条氏が設置したものです。
六波羅門は鎌倉時代前期(1185-1274)に再建された棟門で、一間一戸、切妻造り、本瓦葺きの建物です。月下門(月華門)とともに寺内で最も古い建築物の一つで、昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。元弘3年(1333)、後に室町幕府を開く足利尊氏と赤松円心が六波羅探題を攻め落とした際にできたという矢疵が残されています。
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東福寺中門

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
東福寺の中門は中大門とも呼ばれています。境内北東、東福寺駅より伏見街道(本町通)を南に進み、三ノ橋川に架かる橋を渡ってすぐの所にある門です。門をくぐって参道を進むと芬陀院(雪舟寺)、天得院を経て境内東側の通用門である日下門に突き当たります。桃山時代に建てられた一間一戸、切妻造り、本瓦葺きの四脚門で、平成5年(1993)に京都府の有形文化財に指定されています。
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東福寺日下門

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
東福寺の西、臥雲橋を渡った先に日下門(にっかもん)が建てられています。切妻造り、本瓦葺きの四脚門で、京都府の有形文化財に指定されています。通常、東福寺境内には、この門から入場します。
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臥雲橋

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
臥雲橋(がうんきょう)は通天橋、偃月橋とともに東福寺3名橋の一つに数えられ、京都府の有形文化財の指定を受けています。ここから通天橋の眺めが見事で、紅葉の時は混み合います。琵琶湖疏水へと流れる三ノ橋川の流れに沿う洗玉澗と呼ばれる渓谷に架かる橋です。
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東福寺月下門(月華門)

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
東福寺境内の西側、臥雲橋のすぐ手前(北側)に月下門(月華門)(げっかもん)があります。文永5年(1268)、一条実経が常楽庵を建立した際、亀山天皇が京都御所の月華門を下賜されたものと伝えられています。一間一戸、切妻造り、檜皮葺きの四脚門で、今は普門院の総門となっています。明治35年(1902)に国の重要文化財に指定されています。
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東福寺二王門

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
東福寺北門を入ってすぐに東福寺の二王門があります。三間一戸の八脚門で、切妻造り、本瓦葺きの建物です。慶長2年(1597)に三聖寺の仁王門として建てられ、三聖寺廃寺後は万寿寺の正門であった門です。大正13年(1924)に国の重要文化財に指定されています。
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東福寺北門

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
東福寺の境内に入るには、北門、中門、南門のいずれかを通ります。東福寺北門は北大門とも呼ばれます。桃山時代に建てられた一間一戸、切妻造り、本瓦葺きの四脚門で、平成5年(1993)に京都府の有形文化財に指定されています。
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東福寺

京都府京都市東山区本町に東福寺(とうふくじ)があります。
「東福の伽藍面(がらんづら)」とまでいわれ壮観を極めた慧日山(えにちさん)東福寺は臨済宗東福寺派の本山です。嘉禎2年(1236)関白の九条(藤原)道家が菩提寺建立を発願し創建されました。延応元年(1239)に仏殿立柱が上棟され、19年の歳月をかけて建長7年(1255)に七堂伽藍が完成しました。
寛元元年(1243)には宋での修行を終えて帰国していた禅僧・円爾(えんに)弁円(べんねん)(後の聖一国師)を東福寺第1世として招きました。円爾は後深上皇、亀山上皇をはじめ、宮廷の公卿の信仰と帰依を受け、また執権北条時頼に禅戒を授けるなど武士の間にも信仰を広げました。
道家は奈良の東大寺、興福寺を兼ね備えた、壮大な寺院を建てることを想定し、寺名をそれぞれ一字づつ取って「東福寺」としました。道家は堂宇の完成を見ることなく建長4年(1252)に亡くなり、遺志は実経に受け継がれました。
文永10年(1273)法堂が完成し、伽藍は整備されていきました。高さ5丈(約15m)の本尊釈迦像が安置され、寺は繁栄しました。その後、元応元年(1319)の火災で多くの堂宇が焼失し、本尊も燃え落ちました。
建武元年(1334)、建武3年(1336)にも火災に遭い、ほとんどの建物は焼失してしまいました。室町時代に入ってから足利幕府の援助で復興が始まりました。貞和3年(1347)、仏殿が上棟されました。
三門、僧堂、法堂などの堂宇は、その後百年近い年月を要して再建されました。現在、東福寺に残る三門、禅堂、東司などはこの時期に建てられた建物です。本尊釈迦像は14世紀半ば頃に再興しましたが、明治14年(1881)の火災で再び焼失しました。
仏殿と法堂も、明治14年(1881)の大火の時に、方丈、庫裏などとともに焼失しました。そして昭和9年(1934)に仏殿と法堂を兼ねる本堂として再建されました。東福寺は南禅寺、天竜寺、相国寺、建仁寺、万寿寺とともに京都五山に名を連ね、360もの末寺を統括し、信仰の中心となりました。
境内に建つ25の塔頭も名寺が多いので知られています。江戸時代には50を数えたという塔頭は明治初頭の廃仏毀釈により半分が廃絶されてしまいました。東福寺とともに京都五山の一つであった万寿寺も、現在では東福寺の塔頭となっています。
東福寺から多くの名僧を輩出しています。五山文学の第一人者で「元亨釈書」の著者である虎関師錬、室町時代に画僧として活躍し、その後の仏画や水墨画に多大な影響を与えた吉山明兆、南禅寺開山の無関普門などが特に有名です。
東福寺の境内にある三門、龍吟庵方丈が国宝に指定されています。禅堂、浴室、東司、二王門、月下門、六波羅門、偃月橋、三聖寺愛染堂、十三重塔、常楽庵開山堂・昭堂、客殿(普門院)、塔司寮(書院)、庫裏、楼門、鐘楼(万寿寺内)、裏門が国の重要文化財に指定されています。
本堂と開山堂を結ぶ歩廊の「通天橋」の下を三ノ橋川が流れ、洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷を創っています。紅葉の名所となっていて、橋のなかほどにある張り出し舞台に立つと素晴らしさが実感できます。
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桂小五郎(木戸孝允)像

京都府京都市中京区河原町に桂小五郎(木戸孝允)像があります。
桂小五郎(後の木戸孝允)は長州萩藩出身で、吉田松陰に学び、江戸では斎藤弥九郎に剣術を学び、江川太郎左衛門から洋式兵術を身につけました。薩長連合には長州藩代表となり、王政復古を実現させました。西郷隆盛、大久保利通とともに明治維新三傑といわれています。
明治維新後、五箇条の御誓文の起草、版籍奉還、廃藩置県などに尽力し、岩倉使節団の副使として外遊後は内治優先を唱え、征韓論・台湾征討には反対しました。この銅像は京都桂ライオンズクラブが結成30年を記念して平成7年(1995)に長州藩邸址の京都ホテルオークラの敷地内に建てたものです。
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中京郵便局旧庁舎

京都府京都市中京区三条通東洞院北東角に中京郵便局旧庁舎があります。
中京郵便局旧庁舎は京都市から「歴史的界隈景観地区」に指定されている三条通にあります。前身は明治4年(1871)の郵便制度発足時に、東京、大阪と共に設けられた郵便役所です。京都郵便電信局として逓信省営繕課の吉井茂則と三橋四郎が設計し、小泉鉄也の監督のもと安藤組が施工して明治35年(1902)に完成しました。
ネオルネサンス様式、赤煉瓦造りの美しい庁舎は、当時の代表的な郵便局で、日本の近代建築史において重要な位置を占める建物でした。昭和51年(1976)から2年間改築が行われましたが、旧庁舎の南面と東西側面の一部の外装と屋根は保存されています。昭和61年(1986)に京都市の有形文化財に登録されています。
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旧日本銀行京都支店

京都府京都市中京区三条高倉西入菱屋町に旧日本銀行京都支店があります。
旧日本銀行京都支店は明治39年(1906)に新築された煉瓦造りの明治中期を代表する建物です。設計は明治の建築会の帝王といわれ、東京駅などを設計した建築家、辰野金吾と、辰野の弟子で各地の銀行建築を手がけた長野宇平治です。
煉瓦造りで、建築面積は884.4平方m、2階建て、一部地下1階、スレート・銅板葺きです。両翼に塔屋があり、袖塀が接続しています。三条通に面して左右対称で、赤煉瓦に白い花崗岩を装飾的に配しています。昭和44年(1969)に国の重要文化財に指定されています。
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二条陣屋主屋

京都府京都市中京区大宮通御池下ルに二条陣屋(小川家住宅)があります。
二条陣屋(小川家住宅)の主屋は江戸後期(1751-1829)の建物です。居室部は間口13.9m、奥行15.4m、切妻造り段違い、南と東に庇付き、客室部は間口8.9m、奥行14.7m、切妻造り、北と西に庇付き、取合部は間口5.9m、奥行8.9m、切妻造り、南と北に庇付きです。2階建てで一部3階があり、桟瓦葺きです。昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。
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二条陣屋(小川家住宅)

京都府京都市中京区大宮通御池下ルに二条陣屋(小川家住宅)があります。
二条城の南の住宅街に二条陣屋(小川家住宅)があります。ただの住宅ではなく、京都に上洛の際、滞在する屋敷を持たない大名のための宿舎(陣屋)として使われました。また奉行所の公事宿としても利用されたようです。
大名などの安全を確保するための防衛建築です。大広間の天井裏には、謁見時の防衛を考え、武者隠(むしゃかくし)といわれる見張り部屋があったり、隠し階段などが随所に造られています。防火設備も見事で、主屋と北・西土蔵が国の重要文化財に指定されています。
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先斗町歌舞練場

京都府京都市中京区先斗町に先斗町歌舞練場があります。
先斗町歌舞練場では京都の春の風物詩となった「鴨川をどり」が5月1日から24日にかけて上演しています。普段なかなか目にすることができない芸妓さん、舞妓さん達の華やかな演技や踊りを観賞することができます。
先斗町歌舞練場は、明治35年(1902)に建てられ、現在の建物は2代目で昭和2年(1927)に再建されたものです。設計は大阪松竹座(大正12年)東京劇場(昭和2年)などを手がけた大林組の木村得三郎氏です。鉄筋コンクリート造り、地上四階、地下一階の建築です。
建坪約296坪、延べ坪約1201で建設費は当時で100万円といわれています。鴨川をどり、水明会のほか、日本舞踊、邦楽の発表会やお稽古場、展示会の会場として使用されています。戦後は、進駐軍のビア・ホールとしても利用されたそうです。
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佐久間象山・大村益次郎遭難の地

京都府京都市中京区二条木屋町下る一之船入町に佐久間象山・大村益次郎遭難の地の碑があります。
元治元年(1864)馬に乗ってこの地を通りかかった佐久間象山は刺客に襲われて斬られ即死しました。享年52才でした。信濃の松代藩士で、洋学・砲術を教え開国論者でした。勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰ら多くの俊才を教え、海防に参画し、公武合体を推し進めていました。
明治2年(1869)、この地の東側の旅籠の2階で大村益次郎が不平派士族に斬られ、その傷がもとで大阪の病院で亡くなりました。享年47才でした。周防国(山口県)の生まれで、医学、西洋兵学を極め戊辰戦争などで活躍、明治政府の兵部大輔となり、近代兵制の創立に尽力しました。
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豊臣秀次墓所

京都府京都市中京区木屋町通三条下ル石屋町に瑞泉寺(ずいせんじ)があります。
瑞泉寺の右手奥に豊臣秀次と一族の墓があります。中央正面に置かれた古石は秀次の首を納めた「中空の石びつ」と呼ばれるものです。
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瑞泉寺

京都府京都市中京区木屋町通三条下ル石屋町に瑞泉寺(ずいせんじ)があります。
慈舟山瑞泉寺は慶長16年(1611)に京都の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)が豊臣秀次とその一族の菩提を弔うために建てたお寺です。豊臣秀吉から関白の位を譲られた秀次は文禄4年(1595)に高野山で自刃させられ、その後、秀次の子5名と妻妾34名が三条河原で処刑されました。
了以は京都の大堰川、高瀬川を私財を投じて開削し、琵琶湖疏水に尽力し「水運の父」と呼ばれた人物です。高瀬川の開削の際に秀次たちが埋められた「秀次悪逆塚」と刻した荒廃した石塔に遭遇し、僧桂叔とともに悪逆の2字を削って墓碑を立て一宇を建立し、瑞泉寺としたそうです。
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坂本龍馬寓居之跡

京都府京都市中京区河原町三条下ル一筋目に坂本龍馬寓居之跡の石碑があります。
幕末の志士・坂本龍馬はここ材木商の酢屋に「才谷さん」という名で匿われていました。酢屋嘉兵衛により起業され、6代目・酢屋嘉兵衛は、坂本龍馬や海援隊を援助した人物で、材木商の元締めにもなり、高瀬川の木材独占輸送権を持つ豪商でした。
龍馬は薩長同盟の立役者で、大政奉還の成立に尽力するなど倒幕および明治維新に影響を与えた人物です。大政奉還成立の1ヶ月後に近江屋事件で暗殺されました。龍馬通沿いに建つ酢屋は、龍馬ゆかりの場所の中で、梁など当時のままに残されている数少ない建物です。
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池田屋騒動之址

京都府京都市中京区三条通河原町東入に池田屋騒動之址があります。
元治元年(1864)ここで池田屋騒動がありました。店の前には「池田屋騒動之址」と刻まれた石碑があります。旅籠池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派が謀議中に京都守護職配下の治安維持組織の新撰組に急襲され、切り合いの末、討幕派7人、新撰組3人が死んだ事件です。
長州藩は、この事件をきっかけに激高した強硬派に引きずられる形で挙兵・上洛し、禁門の変を引き起こしました。作家の司馬遼太郎は、「この事件がなかったら薩長土肥主力の明治維新は永遠にこなかったであろう」と述べています。
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