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宝山寺観音堂

宝山寺観音堂
奈良県生駒市門前町に宝山寺があります。
 宝山寺の観音堂の前身は常念観音院と呼ばれ、天和4年(1684)に建てられた歴史のある建物です。間口3間半、奥行1間の小堂で、天保15年(1844)に瓦葺きのお堂に建て替えられています。

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宝山寺文殊堂

宝山寺文殊堂
奈良県生駒市門前町に宝山寺があります。
 宝山寺の文殊堂は本堂から奥の院に向かう途中にあります。昭和53年(1978)に中興開基300年大法要の記念に建てられた新しいお堂です。それまでは文殊堂はなく、本堂東前にある天神様が受験生などの祈祷をしていたそうです。

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宝山寺多宝塔

宝山寺多宝塔
奈良県生駒市門前町に宝山寺があります。
 宝山寺の多宝塔は昭和32年(1957)に18世の実道和尚の時、建てられました。塔は鎌倉様式で、建築細部の意匠は桃山様式、内陣須弥壇や四天柱は藤原様式になっています。

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宝山寺聖天堂拝殿

宝山寺聖天堂拝殿
奈良県生駒市門前町に宝山寺があります。
 宝山寺の聖天堂拝殿は八つ棟造り、檜皮葺きの建物で、本堂の隣に明治10年(1877)に建てられました。聖天堂内陣の円檀中央に歓喜天の厨子があり、その背後の造り付けの厨子に、荒神・十一面観音・毘沙門天が祀られています。

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宝山寺本堂

宝山寺本堂
奈良県生駒市門前町に宝山寺があります。
 宝山寺の本堂は5間4面の重層の護摩堂様式の建物で本尊の不動明王を祀っています。貞亨5年(1688)に郡山藩家老であった梶金平一雄、部一父子が施主となり、大阪の日下利左衛門、庄屋の大神和家らの尽力により建てられました。宝山寺創建当初の威風を残す建物です。

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宝山寺獅子閣

宝山寺獅子閣
奈良県生駒市門前町に宝山寺があります。
 宝山寺の獅子閣は宝山寺の客殿で、明治17年(1884)に建てられています。2階建て、寄棟造り、車寄切妻造りです。障子を三方にはめたステンドグラスや、螺旋階段があります。1、2階の外柱の柱頭飾り、玄関・ベランダの天井の意匠、窓や外扉のアーチなど、明治のハイカラな洋風建築をしのばせます。
 棟梁は宝山寺出入りの越後の大工・吉村松太郎です。寺からの命を受け横浜まで足を運んで洋風建築を学んだといわれています。獅子閣は設計図7枚・棟札1枚とともに、昭和36年(1961)に国の重要文化財に指定されています。

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宝山寺

宝山寺
奈良県生駒市門前町に宝山寺があります。
 都史陀山・宝山寺は生駒山の東側中腹にあり、生駒聖天(いこましょうてん)の名で広く知られる真言律宗の大本山です。この地は役行者の開いた修験者の行場として栄え、弘法大師も修行したと伝えられています。
 延宝6年(1678)、湛海律師(たんかいりつし)が入山して中興となり、諸堂を整備しました。貞享3年(1686)に聖天堂に祀った歓喜天は、生駒聖天として広く信仰を集めるようになりました。江戸時代には、宝山寺は商売の神として大阪商人の信仰を集めました。
 元禄12年(1699)、東山天皇から皇子誕生祈願の勅命を受けて法験をあらわして以来、明治維新まで勅願寺となっていました。徳川幕府や、郡山藩主柳沢家からも崇敬され繁栄しました。大正7年(1918)には日本最初のケーブルカー、生駒鋼索鉄道(現・近鉄生駒鋼索線)が敷設されています。
 長い参道の両側には燈籠が並び、般若窟と呼ばれる大岩壁を背に、本堂、聖天堂、多宝塔、観音堂、奥の院などが建てられています。麓から続く参道の階段は奥の院までを含めると千段にのぼり、年間300万人もの参拝客を集めています。宝山寺の客殿である獅子閣は国の重要文化財に指定されています。

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長福寺本堂

長福寺本堂
 奈良県生駒市俵口町に長福寺(ちょうふくじ)があります。
 長福寺の本堂は鎌倉時代後期の弘長年間前後(1275-1332)に建てられたと考えられています。間口5間、奥行3間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、正面に1間の向拝、背面に下屋があります。明治32年(1899)に国の重要文化財に指定されています。

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長福寺

長福寺
 奈良県生駒市俵口町に長福寺(ちょうふくじ)があります。
 金龍山長福寺は真言律宗のお寺です。寺伝によると推古天皇の25年(617)聖徳太子の創建で「国家安穏福徳増長」を毘沙門天に祈願したことから長福寺と称しました。鎌倉時代、荒廃していたのを西大寺の叡尊が勧進し、弘長年間(1261-1264)に実詮(じつせん)により再興されました。
 長福寺本堂は地盤沈下のため平成24年(2012)から4年かけて解体修理が行われました。いままでも享徳3年(1454)、天正2年(1574)、延宝6年(1678)、宝暦13年(1763)、明治37年(1904)に修理されています。

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圓證寺本堂

圓證寺本堂
 奈良県生駒市上町に圓證寺(円証寺)(えんしょうじ)があります。
 圓證寺の本堂は室町後期の天文21年(1552)に建てられています。間口3間、奥行3間、単層、寄棟造り、本瓦葺きで、正面に1間の向拝が付けられています。昭和60年(1985)に騒音や震動の被害を避けるため住宅街にある現在地に移転しました。国重文指定後の本堂の移築は極めて異例です。
 組物は舟肘木(ふなひじき)の簡素なお堂です。細部に室町時代末期の意匠が駆使されています。奈良市内に残る中世仏堂として重要なものとして、昭和36年(1961)に円証寺本堂として、棟札とともに国の重要文化財に指定されています。

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圓證寺(円証寺)

圓證寺(円証寺)
 奈良県生駒市上町に圓證寺(円証寺)(えんしょうじ)があります。
 圓證寺は真言律宗のお寺で、昭和60年(1985)に近鉄奈良駅近くの奈良市林小路町から現在地に移転しました。鎌倉時代に忍性が筒井荘(現・大和郡山市)に創建し、天文年間(1532-1555)に筒井順昭が帰依して中興願主となり菩提所となりました。
 筒井氏は興福寺衆徒僧兵の棟梁から地方の大名になった名門で、筒井順昭の子・筒井順慶はよく知られています。天文十九年庚戌六月二十日の刻銘がある五輪塔と、本堂は国の重要文化財に指定されています。

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伊弉諾神社

伊弉諾神社
 奈良県生駒市上町に長弓寺(ちょうきゅうじ)があります。
 伊弉諾(いざなぎ)神社は長弓寺の境内の東側にあります。明治の神仏分離以前は牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と呼ばれた聖武天皇勅願の長弓寺の守護神でした。式内社で素盞鳴命(すさのうのみこと)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)を祀っています。

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高山八幡宮本殿

高山八宮本殿
 奈良県生駒市高山町に高山(たかやま)八幡宮があります。
 高山八幡宮の本殿は檜皮葺きの、三間社流造りで室町時代後期の元亀3年(1572)に再建された建物です。蟇股には中央に蓮、西に隼人瓜、東に枇杷が、虹梁木鼻には東に牡丹、西に桃、背面には渦文の彫刻があり、正統的な様式で造られています。昭和53年(1978)に国の重要文化財に指定されています。

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高山八幡宮

高山八幡宮
 奈良県生駒市高山町に高山(たかやま)八幡宮があります。
 高山八幡宮は宇佐神宮から手向山八幡宮への勧請の際の頓宮(とんぐう)が起源といわれています。奈良時代の天平勝宝元年(749)、宇佐八幡神を東大寺の鎮守社・手向山八幡宮に勧請する際、ここが仮の宮になったそうです。
 鎌倉時代には、西大寺中興の祖である叡尊が、ここで菩薩戒を授けました。八幡神は武の神として、中世には源氏など武家に崇敬され、領主の鷹山氏の氏神にもなり、無足人座と呼ばれる宮座が結成されました。室町時代の文明年間(1469-1487)に焼き討ちで焼失し、その後、再興されました。
 足仲津彦命(あしなかつひこのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)を祭神として祀っています。本殿前には、拝殿が建てられています。その前には寛政11年(1799)に再建された舞台があり、東西に座の建物が並んでいます。

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長弓寺本堂

長弓寺本堂
 奈良県生駒市上町に長弓寺(ちょうきゅうじ)があります。
 長弓寺の本堂は棟礼により、弘安2年(1279)に建てられています。鎌倉時代の寺院建築を代表する貴重なもので、生駒市内唯一の国宝に昭和28年(1953)に指定されました。間口5間、奥行6間、単層、入母屋造り、檜皮葺きで、正面に1間の向拝が付けられています。
 本堂は和様が基調になっていますが、桟唐戸・頭貫(かしらぬき)の木鼻などは大仏様になっています。内部は長い虹梁(こうりょう)を架け、柱を抜いて梁を露出させ、広い外陣を設けています。像高120cmの本尊の木造十一面観音立像は黒漆厨子に納められて安置されています。

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長弓寺

長弓寺

 奈良県生駒市上町に長弓寺(ちょうきゅうじ)があります。
 真弓山長弓寺は真言律宗のお寺です。長弓寺縁起によると奈良時代に聖武天皇が鳥見郷の豪族・真弓長弓(まゆみたけゆみ)の案内で狩りをしました。その時、あやまって息子・長麻呂の流れ矢に当たって長弓が死んだため哀れに思った聖武天皇が僧・行基に開かせたといわれています。
 延暦年間(782-806)に藤原良継(よしつぐ)が堂塔を再興し、盛時には20もの塔頭があったようです。現在は円生院(えんしょういん)、宝光院、法華院、薬師院の4坊が残り、長弓寺本寺には住職がいないため、輪番制で本堂を護持しています。
 弘安2年(1279)、真言律宗の祖・叡尊(1201-1290)によって本堂が再建され、現在まで続いています。文明5年(1473)、山名宗全の落人に寺宝などを破壊され、天正5年(1577)には織田信長によって寺領を没収されたりしました。
 境内には国宝に指定された本堂と塔頭4坊、神仏混交の名残りの伊弉諾神社があります。かつては鎌倉時代建立の三重塔がありましたが、門、鐘楼とともにザ・プリンス さくらタワー東京、グランドプリンスホテル高輪、グランドプリンスホテル新高輪の3つホテルを包みこむように広がる日本庭園・高輪日本庭園に移築されています。また、黒漆厨子、木造十一面観音立像は国の重要文化財に指定されています。

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随心院

随心院
 京都府京都市山科区小野御霊町に随心院があります。
 伏見の欣浄寺に住んでいた深草少将が小野小町の元に百日通った所が、この随心院の場所です。今の「小町化粧の井戸」の辺りだそうです。 
 この地に語り伝えられる百夜通(ももよがよい)の話は悲哀にみちています。深草少将は小町を慕って、小野の里に雨の夜も雪の夜も通い続けました。九十九日目の夜、降る雪と発病により最後の一夜を前に世を去ったのです。
 夢にしか会えない人を思い、多くの夢の歌を残し、後世六歌仙の第一人者と評され、小倉百人一首の「花の色はうつりにけりな  いたづらにわが身世にふるながめせしまに」 と歌いました。哀愁に富み、情熱的な歌は、華やかな盛艶時代を想い、人生のはかなさを歌っています。
  小野小町の屋敷後に残る井戸で小町が朝夕この水で化粧をこらしたと「都名所図絵」に記されています
 文塚があります。本堂裏の竹やぶの中にあり、深草少将をはじめ当時の貴公子たちから小町に寄せられた千束の手紙を埋めたところと伝えられています。五つの球体を重ねたユニークな形の石塔です。
  萱葺の屋根の下に年代ものの直径1mほどの榧(かや)の木の幹が横たわっています。
 深草少将が百夜通いの折に小野小町のところに日ごと榧(かや)の実を置いてきました。99夜目に、後1夜残して亡くなってしまいます。
 小町は後に供養のため、榧の実を小野の里に蒔きました。この幹が成長したその榧の木だそうです。

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勧修寺型灯篭

勧修寺型灯篭
 京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町に勧修寺があります。
  京都市の名勝に指定されている勧修寺の庭園の中に大きな傘を持つ変わった形の灯篭があります。勧修寺型灯篭と呼ばれ、水戸光國の寄進と伝えられています。

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勧修寺宸殿

勧修寺宸殿
 京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町に勧修寺があります。
  勧修寺の宸殿は元禄10年(1697)に明正天皇より旧御所御対面所を下賜された建物です。入母屋造り、桟瓦葺き、寝殿造り風の建物で、一の間、二の間、三の間があります。一の間には幅2間の床と1間の棚、そして付書院を備えた書院造りです。宸殿は本堂とともに昭和60年(1985)に京都市の有形文化財に指定されています。

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勧修寺

勧修寺
 京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町に勧修寺があります。
   亀甲山(きっこうざん)勧修寺は真言宗山階(やましな)派の大本山です。昌泰3年(900)、醍醐天皇は生母・藤原胤子(いんし)の菩提を弔うため生母の実家である宮道(みやじ)家の邸宅を寺に改め、外祖父・藤原高藤の諡号をとって、勧修寺と名付け、のちに醍醐天皇の勅願寺となりました。
  天皇家、藤原家のもとで繁栄し、鎌倉時代に後伏見天皇の皇子・寛胤(かんいん)法親王(1309 - 1376)が15世長吏となって以来、勧修寺は宮門跡寺院となり、幕末まで法親王、入道親王が相次いで入寺されました。
   応仁の乱や文明2年(1470)の兵火で焼失し、豊臣秀吉によって境内地を削られ(伏見街道を造るため)、次第に衰退していきました。江戸時代には徳川家綱、綱吉の帰依を受け伽藍が整備され、再興されました。
  境内東側には手前から宸殿、書院、五大堂、本堂などが建てられています。境内西側は氷室(ひむろ)池を中心とした庭園になっています。寺宝であった国宝の刺繍釈迦如来説法図は奈良時代の貴重な文化財で奈良国立博物館に移されています。
  勧修寺の書院は江戸中期(17世紀末)に建てられた後西院(ごさいいん)御所の旧殿を貞享3年(1686)に下賜された建物だといわれています。間口正面6間、背面9間、奥行東側5間、西側4間、単層、入母屋造り、こけら葺きです。大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。

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本圀寺経蔵

本圀寺経蔵
 京都府京都市山科区御陵大岩に本圀寺があります。
 本圀寺の経蔵は桃山時代の慶長12年(1607)、扇谷上杉家の太田資次によって再建された建物です。天明8年(1788)の大火で唯一焼失を免れた建物です。寛正5年(1464)、9世の日暁の時、8代将軍・足利義政から天下静謐の祈祷の恩賞として、一切経とともに寄進された経蔵でした。天文5年(1536)、天文法難で罹災したのでした。
 昭和51年(1976)に移転再建された経蔵は間口3間、奥行3間の、宝形造りで、単層、本瓦葺きです。正面に1間の庇を葺きおろしています。輪蔵式経蔵で、内部に一切経を納めた582の引き出しがある創建当初の八角形の輪蔵が保存されています。輪蔵を一回転させると一切経をすべて読んだのと同じ功徳があるそうです。本圀寺経蔵は大正14年(1925)に国の重要文化財に指定されています。

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本圀寺大本堂

本圀寺大本堂
 京都府京都市山科区御陵大岩に本圀寺があります。
 本圀寺の大本堂は本師堂の横に昭和48年(1973)に建てられました。日朗、日印、日静、日伝が祀られています。勝利大黒天像は、室町時代、諸宗との問答対決の際に、日朗の弟子・日印が懐に忍ばせていたものです。幕府は、日蓮門下の敗北と追放を謀りましたが、日印は、これを論破し、勝利を得たことから、勝利大黒像と呼ばれるようになったそうです。

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本圀寺本師堂

本圀寺本師堂
 京都府京都市山科区御陵大岩に本圀寺があります。
 本圀寺の本師堂は大本堂の横に昭和46年(1971)に建てられました。日蓮上人の持仏であった釈迦尊(閻浮第一立像釈迦牟尼世尊)が祀られています。閻浮第一(えんぶだいいち)」とは世界中に二つとないという意味です。亡くなる前に、2世の日朗授け、末代まで本圀寺でお祀りするよう遺言したそうです。

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本圀寺仁王門

本圀寺仁王門
 京都府京都市山科区御陵大岩に本圀寺があります。
本圀寺の仁王門は加藤清正が寄進した赤門の後方に平成15年(2003)に建てられた門です。正面の扁額に正嫡付法と書かれています。貞和3年(1348)、4世の日静が北朝第2代の光明天皇から正嫡付法の綸旨を賜り、三位僧都に任命されたものです。

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本圀寺

本圀寺
 京都府京都市山科区御陵大岩に本圀寺があります。
 大光山本圀寺は日蓮宗の大本山の一つで、「東の祖山」久遠寺に対し、「西の祖山」「西の総本」と呼ばれています。建長5年(1253)に日蓮上人(1222-1282)が神奈川県の鎌倉にある松葉ヶ谷で草庵の法華堂を開いたのが始まりです。伊豆法難により、志は2世の日朗、3世の日印に引き継がれました。
 貞和元年(1345)、4世の日静が北朝第2代の光明天皇より寺地を賜り、京都の六条堀川に移転し、本國寺と改称しました。その後、妙顕寺とともに京都の日蓮宗を代表するお寺になりました。しかし天明8年(1788)の大火で妙顕寺は灰燼に帰し、本圀寺も本堂・五重塔をはじめほとんどの堂宇が焼失しました。
 文久3年(1863)には本圀寺事件が起きました。宿泊中の鳥取藩側用人・黒部権之介らが、河田景与ら因幡二十士に襲われ、暗殺された事件です。昭和46年(1971)、本圀寺は旧末寺の離散や多数の訴訟と借財で、堀川の地を売却し、現在地の山科へ移転しています。

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妙心寺靈雲院書院

妙心寺靈雲院書院
 京都府京都市右京区花園妙心寺町に妙心寺があります。
 靈雲院(れいうんいん)は妙心寺の塔頭の1つで、妙心寺四派(しは)「霊雲派」の本庵です。大永6年(1526)、妙心寺26世大休宗休(だいきゅうそうきゅう)が、師の特芳禅傑(とくほうぜんけつ)を勧請開山にして、創建しました。細川家の重臣であった薬師寺一族の菩提を弔うために、薬師寺備後守国長の室・霊雲院(清範尼)が帰依し援助しました。
 大休宗休国師は2世となり、晩年ここに住しました。 大休宗休に帰依した後奈良天皇は度々行幸されました。応仁元年(1467)から元亀3年(1572)頃に建てられた書院は御座所に使われ、「御幸の間」には狩野元信の障壁画が描かれ、明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。 また庭園も国の名勝です。

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妙心寺麟祥院

妙心寺麟祥院
 京都府京都市右京区花園妙心寺町に妙心寺があります。
 麟祥院(りんしょういん)は、徳川3代将軍家光が乳母、春日局の追善のために、寛永11年(1634)に碧翁(へきおう)和尚を開山として建立されました。境内にある御霊屋(おたまや)は、仙洞女御所にあった釣殿を後水尾天皇より下賜されたものといわれています。麟祥院の住持は墨衣のまま江戸城白書院の出入りを許されたといわれています。
 麟祥院には春日局ゆかりの品々が大切に保存されています。また、春日局の養父「海北友松」ゆかりの品もある事でも有名です。春日局の父で明智光秀の家老、斉藤利三の晒された首を友松が奪い取って京都真如堂に手厚く葬ったことは有名です。

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妙心寺大通院

妙心寺大通院
 京都府京都市右京区花園妙心寺町に妙心寺があります。
  妙心寺の塔頭・大通院(だいつういん)は天正14年(1586)、一柳直末(ひとつやなぎなおすえ)が妙心寺58世の南化玄興(なんかげんこう)を請じて創建されました。山内一豊の子、湘南宗化(しょうなんそうげ)が2世となり中興し、 山内家の菩提寺となりました。 
 ここには山内一豊夫妻の御廟があります。一豊は織田信長に仕え、信長の命により羽柴秀吉に仕えます。小牧・長久手の戦いや小田原の役の戦功により遠江国掛川五万石を領しました。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、家康より土佐一国を受け20万石を領しました。一豊と妻千代の肖像画も残されています。

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妙心寺春光院

妙心寺春光院
 京都府京都市右京区花園妙心寺町に妙心寺があります。
  春光院(しゅんこういん)は妙心寺本坊の北西にあり、妙心寺の塔頭です。俊巌院(しゅんげんいん)と号し、天正18年(1590)、豊臣三中老のひとり堀尾吉晴が18才で戦死した長男金助の菩提を弔うために創建した寺です。堀尾家の菩提所になっていましたが、 寛永10年(1633)、3代・堀尾忠晴に世継ぎがいなかったため、堀尾家は断絶になりました。
 その後、堀尾家と縁戚関係にあった伊勢亀山藩主であった石川憲之が檀越となり、寛永13年(1636)、春光院と改称し、石川家の菩提寺となりました。 春光院はキリスト教との繋がりがあり、国の重要文化財である「南蛮寺の鐘」をはじめ、切支丹灯篭を所蔵しています。本堂・花鳥の間には2つのキリスト教シンボルが隠されています。


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妙心寺天球院本堂

妙心寺天球院本堂
 京都府京都市右京区花園妙心寺町に妙心寺があります。
 天球院(てんきゅういん)は妙心寺の塔頭の1つです。寛永8年(1631)、岡山藩主の池田光政が、伯母の天球院のために江山景巴(こうざんけいは)を開山として創建しました。以後、池田家の菩提寺となりました。天球院の本堂には狩野山楽、山雪父子の方丈障壁画152面があり、本堂とともに国の重要文化財に指定されています。
 天球院の本堂は間口21.2m、奥行14m、単層、入母屋造り、桟瓦葺きの建物です。江戸前期の寛永年間(1624-1643)に建てられています。玄関は唐破風造り、こけら葺きです。大正11年(1922)に国の重要文化財に指定されています。

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