慈光院茨木門

奈良県大和郡山市小泉町に慈光院(じこういん)があります。
慈光院の山門である茨木門は、片桐石州の出生地でもある摂津茨木城の楼門です。徳川家康の発した一国一城令により取り壊された時、貰い受け、屋根を書院と合わせて茅葺きに葺き替えたものです。
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慈光院

奈良県大和郡山市小泉町に慈光院(じこういん)があります。
円通山(えんつうざん)慈光院は臨済宗大徳寺派のお寺です。通称「わびの寺」と呼ばれています。寛文3年(1663)、小泉城主・片桐貞昌(さだまさ)が父貞隆(さだたか)の菩提寺として、京都大徳寺の玉舟(ぎょくしゅう)を招いて開山として創建しました。
貞昌は片桐且元の甥で、石州(せきしゅう)と号し、茶道石州流を開きました。寛文5年(1665)には4代将軍の徳川家綱の茶道師範となり、堯然法親王、水戸光圀はじめ多くの人に茶の湯を教えています。彼らが全国各地へ教えを広めたため多くの派に分かれました。
慈光院は寺としてよりも境内全体が一つの茶席として造られています。露地を通って茶室に入り、わびさびの世界に入る独特の雰囲気を、表門や書院、茶室、庭園などに取り入れているのです。
石州は寛文8年(1668)から延宝元年(1673)までこの慈光院に隠棲(いんせい)しました。剣は柳生、茶は石州と評されたそうです。 書院、茶室、手水鉢、蹲踞(つくばい)などは国の重要文化財に指定され、庭園は国史跡・国名勝に指定されています。
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小泉神社本殿

奈良県大和郡山市小泉町に小泉神社があります。
小泉神社の本殿は檜皮葺き、一間社の春日造りで、千木(ちぎ)と勝男木(かつおぎ)をのせています。室町後期の応仁から元亀年間(1467-1572)頃に建てられたものと考えられています。極彩色が施され、春日造りとしてもかなり装飾的です。本殿は大正9年(1920)に国の重要文化財に指定されています。
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小泉神社

奈良県大和郡山市小泉町に小泉神社があります。
小泉神社はJR大和小泉駅の西の高台にあります。小泉町は中世に豪族・小泉氏が治めた場所で、近世には小泉城主・片桐家の陣屋が造られたところです。小泉神社の創建は明らかではありませんが、室町時代にこの地の氏神になっていたようです。素盞嗚命(すさのうのみこと)と譽田別命(ほんだわけのみこと)を祀っています。
天文年間(1532-1555)にこの地の豪族・小泉四郎左衛門が小泉神社の社殿を改築しています。江戸時代は小泉城主・片桐家から社領の寄進を受け、氏神として崇敬を集めました。明治5年(1872)に小泉城の裏門を寄贈され、明治20年(1887)に牛頭天王社から小泉神社と改称しています。
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筒井順慶五輪塔覆堂

奈良県大和郡山市長安寺町に筒井順慶歴史公園があります。
その園内に筒井順慶の墓といわれる五輪塔があります。覆堂は、間口1間、奥行1間、単層、宝形造り、本瓦葺きの建物で、天正12・13年(1584-1585)頃に建てられています。昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。
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筒井順慶歴史公園

奈良県大和郡山市長安寺町に筒井順慶歴史公園があります。
平端駅の東に長安寺墓地付近を整備した筒井順慶歴史公園があります。この中に筒井順慶の墓所があります。五輪塔覆堂があり、中に墓である五輪塔には「順慶陽舜房法印三六歳 干時入滅天正十二季甲申八月十一日」と刻まれているそうです。
筒井順慶は郡山城を築城した武将です。天文19年(1550)、興福寺官符衆徒(興福寺の有力僧)・大和守護代であった父・順昭の死により,家督を継ぎました。永禄2年(1559)、松永久秀が侵入し大和(奈良県)筒井城を追われ、久秀と攻防を繰り返しました。永禄9年(1566)興福寺成身院において出家得度して陽舜房順慶と名乗りました。
元亀2年(1571)、織田信長に背いた久秀の討伐に出陣し、明智光秀の与力となりました。天正4年(1576)には大和守護となり、天正8年(1580)、郡山城を築城しています。天正10年(1582)の山崎の戦では光秀に従わず,郡山城を動かず、豊臣秀吉から大和国を安堵されました。
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額安寺石造五輪塔

奈良県大和郡山市額田部寺町に額安寺(かくあんじ)があります。
額安寺の北西200mくらいの所に鎌倉墓とも呼ばれる額安寺の石造五輪塔があります。8基の五輪塔は、敷地の西側に東面して5基、北側に南面して3基が鍵形に並んでいて、すべてが昭和36年(1961)に国の重要文化財に指定されています。2基は永仁5年(1297)と刻まれ、他の6基は鎌倉末から室町時代(1185-1392)のものと考えられています。
この五輪塔8基を解体修理した時、僧・忍性(良観上人)と順忍(善願上人)の舎利容器の銅製骨蔵器など7点と付属品4点の計11点が出土しました。嘉元から正中年間(1303-1326)の頃のもので、大和額安寺五輪塔納置品として昭和58年(1983)に国の重要文化財に指定されました。
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額安寺

奈良県大和郡山市額田部寺町に額安寺(かくあんじ)があります。
額安寺は真言律宗のお寺で、額田(ぬかた)寺ともいわれます。この地は飛鳥時代の推古天皇29年(621)に聖徳太子が熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)を置いた旧地で、寺は大安寺の前身といわれています。推古天皇の額に悪瘡ができ、薬師如来像を造って祈願したところ全快したため、額安寺と名付けられたそうです。
この付近は古代水運の要所で外国使臣や文物の上陸場所で,賑わっていました。額安寺には金堂、三重塔、倉、食堂、僧房が建ち並び、壮大な七堂伽藍の大寺でした。しかし後に衰退し、鎌倉時代には僧・忍性らによって一時復興されましたが、のち兵火のため講堂一宇(今の本堂)を残すのみとなってしまいました。
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開運橋

奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)信貴山に朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)があります。
開運橋は全長106mの剛性橋です。三郷町南畑と信貴山西の大門池に架けられています。昭和6年(1931)に竣工された「上路カンチレバー橋」形式で、開運橋はその形式では現存する日本最古の橋です。また鉄骨を組み合わせた「トレッスル橋脚」も珍しく、平成19年(2007)に国の登録有形文化財に選定されました。
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朝護孫子寺聖徳太子像

奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)信貴山に朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)があります。
朝護孫子寺の聖徳太子像は馬に乗る聖徳太子像です。「長崎平和祈念像」を作成した日本を代表する彫刻家、北村西望の作です。聖徳太子が物部守屋の討伐にむかう姿を彷彿とさせます。
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日本一大地蔵尊

奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)信貴山に朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)があります。
日本一大地蔵尊は朝護孫子寺の玉蔵院にある巨大な地蔵尊で、昭和8年(1933)に建てられています。総高14.54mで、隣の三重塔にも負けない迫力です。
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朝護孫子寺虚空蔵堂

奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)信貴山に朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)があります。
朝護孫子寺の虚空蔵堂には虚空蔵菩薩を安置しています。虚空蔵菩薩は弘法大師・空海が青年時代に修行した「虚空蔵求聞持法」の本尊です。宇宙全体に満ちている仏の無量無尽の知恵や功徳を蔵する菩薩です。入試合格祈願に効能があるということです。
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朝護孫子寺霊宝館

奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)信貴山に朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)があります。
朝護孫子寺にある霊宝館には、国宝「信貴山縁起」絵巻の複製が展示されています。原本は奈良国立博物館に寄託されています。国重文指定の楠正成の兜や、平群町指定文化財の「菊水の旌旗」も展示されています。
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朝護孫子寺大寅

奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)信貴山に朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)があります。
朝護孫子寺にある大寅は体長約6mもある「世界一福寅」だそうです。その巨大な張り子の寅は、大きく口を開けて顔が上下左右にゆっくり動きます。トラつながりで、阪神タイガースの選手が戦勝祈願する寺としても有名です。
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朝護孫子寺本坊

奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)信貴山に朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)があります。
朝護孫子寺の本坊は間口11間、奥行3間の建物で、安政年間(1854-1860)に大阪堂島の木綿屋梅蔵が寄進しています。平成9年(1997)に改修されています。隣接して護摩堂があります。建物入口には、張り子の寅が置かれています。
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朝護孫子寺仁王門

奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)信貴山に朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)があります。
朝護孫子寺の仁王門は宝暦10年(1760)に大阪宝栄講が再建した建物です。明治14年(1881)に大修理され、大正11年(1922)にこの場所に移転されています。2体の仁王像の前にはわらじが奉納されていました。
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朝護孫子寺多宝塔

奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)信貴山に朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)があります。
朝護孫子寺の多宝塔の祭壇には大日如来が祀られています。坐像丈三尺、恵心僧都作ともいわれ、古くは天台宗との関わりが伺えます。元禄2年(1689)に建立、明治15年(1882)に修復されています。多宝塔の横から信貴山の頂上、城跡に行くことができます。
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朝護孫子寺鐘楼堂

奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)信貴山に朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)があります。
朝護孫子寺の鐘楼堂には一丈四方に袴腰が付いています。貞享4年(1687)に再建された建物です。梵鐘には信貴四郎と銘があり、南部遠明の家臣・田部井十郎が鋳造して奉納したとのことです。
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朝護孫子寺経蔵堂

奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)信貴山に朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)があります。
朝護孫子寺の経蔵堂は、中央に回転できる経厨子があり、中に仏教のあらゆる法門の経典を集めた「一切経」を納めてあります。その経厨子は、一回転させる毎に「一切経」をすべて読誦したのと同じ功徳があるといわれています。
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朝護孫子寺本堂

奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)信貴山に朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)があります。
朝護孫子寺の本堂は清水寺と同じく崖からせり出した舞台造り(コンクリート造り)です。慶長7年(1602)に豊臣秀頼によって再建され、(他説には文禄年間(1592-1596)豊臣秀吉により再建とする説もあり)、後に修復を加え、延享3年(1746)に完成しました。しかし昭和26年(1951)に本堂は漏電のため焼失し、昭和33年(1958)に再建された建物です。
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朝護孫子寺赤門

奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)信貴山に朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)があります。
朝護孫子寺の赤門は千手院の手前に建てられています。寛政5年(1793)に再建された朱色が鮮やかな美しい門です。本山信貴山と書かれた看板が掛かっています。平成21年(2009)に塗り替えられています。
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朝護孫子寺

奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)信貴山に朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)があります。
朝護孫子寺は正式には信貴山(しぎさん)歓喜院朝護孫子寺という信貴山真言宗の総本山です。延喜2年(902)、明蓮が醍醐天皇の勅命で創建した時、「朝廟安穏 守護国土 子孫長久」の願文から名付けたそうです。
寺伝では聖徳太子が物部守屋討伐を祈願し、寅の年、寅の日、寅の刻に毘沙門天から加護され討伐に成功したことから、「信ずべき山、貴ぶべき山」信貴山と名づけられ、命蓮上人平癒の祈願で醍醐天皇の病が全快し、朝護孫子の号を賜ったとなっています。
平安時代以降は、外敵退散、悪魔降伏を祈る毘沙門天信仰から武人の崇敬を集め、河内の豪族・河内正康も深く毘沙門天に帰依しました。その子供には多聞丸と名付けました。のちの楠木正成です。菊水紋のついた甲冑(重文)と、菊水の旌旗が正成により奉納されています。
三好長慶の家臣であった松永久秀は、長慶の死後、京の実権を握りました。足利義昭を奉じて大挙入洛した織田信長に服属しましたが、朝倉・浅井に挟撃され敗退した織田を裏切り、永禄3年(1560)、信貴山に城を築き立てこもりました。
信長は1日で信貴山を焼き払い、久秀は平蜘蛛の釜とともに爆死しました。この時の兵火で朝護孫子寺も灰燼に帰しました。慶長7年(1602)に豊臣秀頼によって再興され、徳川幕府には保護されました。しかし、昭和26年(1951)に本堂は焼失しました。
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龍田大社

奈良県生駒郡三郷町立野南に龍田大社(たつたたいしゃ)があります。
龍田大社は延喜式で名神大社に列する古社で、天御柱大神(志那都比古神)と国御柱大神(志那都比売神)を祀っています。祭神は別名を龍田神・龍田風神ともいい、崇神天皇の時代、凶作が続いたとき、夢でこの風神のお告げを受けて創建されたといわれています。
斑鳩町龍田に「新宮」と呼ばれる龍田神社がありますが、こちらは「本宮」とも呼ばれています。これは、聖徳太子が法隆寺を建立した時、龍田大社に祈願し、落慶の際に法隆寺の守り神として龍田大社の分霊をお祀りしたのが龍田神社であるためです。
旧社格は最高の官幣大社で、古くから五穀豊穣、航海安全に霊験ありとして崇敬を集め、歴代の朝廷からも深く信仰されました。毎年6月28日から1週間行われる風鎮祭は、天武天皇の675年に始まると伝えられています。
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円福寺宝篋印塔

奈良県生駒市有里町に円福寺(えんぷくじ)があります。
本堂前に建っている2基の宝篋印塔も昭和30年(1955)に国の重要文化財に指定されています。北側の塔は総高244cm、初重に四仏の種子を刻み、永仁元年(1293)の銘があります。南側の塔は総高240cm、初重に四仏の像が刻まれています。北側の塔と同じ頃の造立と推察されています。
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円福寺本堂

奈良県生駒市有里町に円福寺(えんぷくじ)があります。
円福寺の本堂は間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、中央に1間の向拝を付けています。来迎壁(仏壇背後の壁)の墨書から応安4年(1371)に建てられたことがわかります。大正11年(1922)に国の重要文化財に指定されています。棟札1枚、旧来迎壁額縁1本、旧床板1枚、旧野地板断片1枚、旧鬼瓦2個、旧丸瓦2枚も附指定されています。
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円福寺

奈良県生駒市有里町に円福寺(えんぷくじ)があります。
龍華山(りゅうげさん)円福寺は生駒谷を見下ろす山腹にある真言律宗のお寺です。寺伝によると天平勝宝年間(749-757)に行基によって創建されたという古刹です。しかし何度も火災に遭い、寺歴は明らかではないといいます。
本堂と庫裏があるだけの小さなお寺ですが、鎌倉時代に再建された本堂は国の重要文化財に指定されています。本堂前に並んで建つ2基の宝篋印塔も鎌倉後期のもので、国の重要文化財に指定されています。
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往馬大社上溝桜

奈良県生駒市壱分町に往馬大社(いこまたいしゃ)があります。
往馬大社の上溝桜(うわみずざくら)は大嘗祭(だいじょうさい)(天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭)の斎田てん定(さいでんてんてい)の儀に使用された御神木です。昭和や平成の大嘗祭にも献上されています。
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往馬大社社叢

奈良県生駒市壱分町に往馬大社(いこまたいしゃ)があります。
往馬大社の鎮守の杜である社叢(しゃそう)は平成10年(1998)に奈良県の天然記念物に指定されています。ツブラジイなどの高さ20mの照葉樹がよく保存されています。
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往馬大社本殿

奈良県生駒市壱分町に往馬大社(いこまたいしゃ)があります。
往馬大社本殿は拝殿の後ろに建てられています。7連の壮麗な春日造りで、屋根は檜皮葺きです。中央に伊古麻都比古命(いこまつひこのみこと)、その右に伊古麻都比賣命(いこまつひめのみこと)が祀られています。左側には気長宿禰王命・気長足比賣尊・誉田別尊、右側には足仲比古尊・葛城高額姫命が祀られています。
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往馬大社

奈良県生駒市壱分町に往馬大社(いこまたいしゃ)があります。
往馬大社は生駒山を御神体として祀られた古社で、正式には往馬坐伊古麻都比古(いこまにますいこまつひこ)神社といいます。平安時代の「延喜式」には名神大社として名を連ね、生駒谷17郷の氏神として崇敬されてきました。
火の神として古くから民衆の信仰を集め、代々天皇の祭祀に用いる火燧木(ひきりき)を献上したと伝えられています。毎年10 月の体育の日の前日に「火どり」と呼ばれる「火祭り」の行事が行われています。古式豊かな伝統行事として生駒市の無形民俗文化財に指定されています。
伊古麻都比古命と伊古麻都比賣命の両神は火燧木神(ひきりぎのかみ)とも呼ばれます。天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭である大嘗祭では、亀甲占いを行います。その際の火燧木(起こし火のタネ)は、往馬大社から献上されたものが使われ、現在もその習わしが続いています。
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