喜光寺

奈良県奈良市菅原町に喜光寺(きこうじ)があります。
喜光寺は西大寺の南方、菅原町の阪奈道路の近くにあります。正式には清涼山歓喜光寺といい、菅原氏の治領であったことから菅原寺とも呼ばれました。霊亀元年(715)、元明天皇の勅願により行基が創建し、元明、元正、聖武天皇の勅願寺となったと伝えられています。
病いの行基がこの寺にいた時、聖武天皇が見舞い、その時に、本尊から光明が発せられたのを見て喜光寺と名付けたといわれています。喜光寺の本殿は行基が東大寺大仏殿を建立する際に十分の一の雛形として建てたと伝えられ「試みの大仏殿」とも呼ばれたそうです。
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十六所神社・境内社住吉神社本殿

奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。
十六所神社の境内社・住吉神社本殿は室町時代前期の至徳3年(1386)に建てられています。檜皮葺きの一間社春日造りの社殿です。大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
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十六所神社境内社・龍王神社本殿

奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。
十六所神社の境内社・龍王神社本殿は室町時代前期の至徳年間頃(1384-1386)に建てられています。檜皮葺きの一間社春日造りの社殿です。大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
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十六所神社本殿

奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。
十六所神社の本殿は室町時代前期の至徳元年(1384)に建てられています。檜皮葺きの一間社春日造りの社殿です。大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
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十六所神社

奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。
十六所神社は本堂の北の高台にあります。明治の神仏分離以前は霊山寺の鎮守社で十六所権現と呼ばれていました。5つの社殿が覆屋の中で並んで鎮座しています。左から春日社、住吉社、本社、龍王社、大神宮で、中央の住吉社、本社、龍王社は国の重要文化財に指定されています。
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霊山寺鐘楼

奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。
霊山寺の鐘楼は本堂の斜め前にあります。室町時代中期の応永から文正年間(1393-1466)頃に建てられたようです。間口1間、奥行1間、入母家造り、檜皮葺きで、袴腰が付いています。梵鐘は寛永21年(1644)の鋳造で、霊山寺の沿革と由来を伝えています。鐘楼は昭和18年(1943)に国の重要文化財に指定されています。
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霊山寺本堂

奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。
霊山寺の本堂は昭和28年(1953)に国宝に指定されています。鎌倉時代後期の弘安6年(1283)に建てられています。昭和17年(1942)に解体修理が行われています。間口5間、奥行6間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、正面に1間の向拝を付けています。
本堂は鎌倉後期における密教本堂の典型的な建物で、日本古来の和様を踏襲しています。堂内は外陣、内陣、脇陣からなり、外陣は室内に柱がなく、天井は折上小組格天井です。 正面3間と側面を蔀戸(しとみど)とし、正面両脇間は板戸を入れてあります。上には吹寄菱格子欄間があります。
一段、高い内陣の中央には須弥段があり、本尊薬師如来を納める厨子を置いています。厨子の左右には持国天像、多聞天像、十二神将像を安置し、外陣にも大日如来坐像と阿弥陀如来坐像を祀っています。これらの仏像と厨子は、いずれも国の重要文化財に指定されています。
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弁財天白金殿

奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。
弁財天白金殿は黄金殿の隣にあります。昭和52年(1977)に建てられました。堂の内外に22回下地漆塗をし、その上にプラチナの箔押が施されています。円照尼と眷属大龍神を祀っています。
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弁財天黄金殿

奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。
弁財天黄金殿は弁天堂の奥本殿として、昭和36年(1961)に造られました。堂の内外22回下地漆塗をし、3枚掛の金箔押が施されています。大弁財天を祀っています。
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霊山寺弁天堂

奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。
霊山寺の弁天堂は大弁財天の本地仏聖観世音菩薩を本尊として祀り、脇侍に不動明王、毘沙門天を祀っています。弘法大師が駐留していた時、大龍神の霊験を感得し、大龍神を弁才天として奥之院へ勧請したものを、昭和10年(1935)に現在の場所に移し現世利益の道場として建立しました。
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霊山寺行者堂

奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。
霊山寺の行者堂は役行者(えんのぎょうじゃ)である神変大菩薩を本尊として祀り、脇侍に不動明王と青面金剛、蔵王権現を祀っています。平安時代、霊山寺の乗阿上人が理源大師に従って大峯山の再興に尽力し、大峯山方の正大先達の筆頭となりました。それ以来毎年9月15日には柴燈護摩法要が行われています。
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霊山寺三重塔

奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。
霊山寺の三重塔は檜皮葺きの三間三重塔婆で高さは17mです。室町時代前期の文和5年(1356)に建てられています。ゆるやかに反った深い屋根と、長い相輪が特徴です。鎌倉期の純和様式で、初層内部の来迎壁には、極彩色の壁画が、色鮮やかに残されています。明治32年(1899)に国の重要文化財に指定されています。
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霊山寺開山大師堂

奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。
霊山寺の開山大師堂は昭和28年(1953)に改新築された建物です。古くは開山した行基菩薩を祀っていました。高野山真言宗に属した江戸時代より弘法大師空海を本尊とし、歴代徳川将軍の位牌を祀っています。
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霊山寺八体仏霊場

奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。
霊山寺には八体仏霊場が平成3年(1991)に造られています。生まれ年干支、生まれ日星座の お守り本尊です。右側より、阿弥陀如来(戌・亥年)、不動明王(酉年)、大日如来(未・申年)、普賢菩薩、勢至菩薩(午年)、文殊菩薩(卯年)、虚空蔵菩薩(丑・寅年)、千手観音菩薩(子年)です。
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霊山寺薬師湯殿

奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。
霊山寺の薬師湯殿は小野富人によって開かれました。薬草を栽培し、薬師如来を祀って薬草風呂を施湯し、聖武天皇も鳥狩りの折、また光明皇后も入湯されたと伝えられています。1300年の昔から延々と続いてきた薬師湯は霊山寺が経営する浴場になり、トウキ・センキョウなどの天然成分のみを使った薬湯になっています。
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霊山寺

奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。
登美山(とみやま)鼻高(びこう)霊山寺は戦後、真言宗より分派独立した古義真言宗の一派、 霊山寺真言宗の総本山です。古くは登美と呼ばれていたこの地は敏達天皇の頃より小野家の領有地でした。小野妹子の息子の右大臣・小野富人(とみひと)は、壬申の乱に関与した事で弘文元年(672)官を辞して、登美山檜森に閑居しました。
天武12年(684)、富人は熊野本宮に参籠し、薬師如来を感得し、登美山に薬草湯屋を建て薬師如来像を安置し、鼻高仙人と称され尊崇されたそうです。天平6年(734)、大地震があり、驚いた孝謙皇女が病にかかった時、聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来に祈念すれば病は治ると告げられました。
行基が代参祈願したところ、皇女の病が快癒したため、天平6年(734)、聖武天皇は行基に大堂の建立を勅命しました。天平8年(734)に来日したインドのバラモン僧・菩提僊那(ぼだいせんな)が登美山の地形がインド霊鷲山に似ているところから霊山寺と名付け、創建されました。
創建時、霊山寺は法相宗のお寺だったようですが、平安時代、弘法大師空海によって真言宗の教えがもたらされ、以降は法相宗と真言宗の兼学道場になったそうです。鎌倉時代には北条氏の庇護を受けて堂宇の整備が行われ、21もの僧坊を持つ大寺として繁栄しました。その後も保護されましたが、明治の廃仏毀釈などで寺域は半分になり、多くの仏像を失いました。
国宝の本堂には藤原時代作の薬師三尊像や、阿弥陀如来坐像、大日如来坐像、十二神将立像、持国天立像、多聞天立像など、国重文指定の優れた仏像を安置しています。三重塔、鐘楼、十六所神社本殿、境内社住吉神社本殿、境内社龍王神社本殿も国の重要文化財に指定されています。
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旧前坊家住宅

奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。
旧前坊家住宅は吉野町吉野山門前町の参道沿いにありました。前坊家は代々吉野水分神社の神官を勤めた家柄でした。屋敷構えは、主屋を道路に面して建て、後方に離れ座敷を配し、この間を渡廊下で接続した逆コの字型です。主屋は間口13.9m、奥行9.3m、切妻造り、一部2階建て、杉皮葺きの建物です。
参道が尾根筋に当たるため、敷地後方に行くにつれて建物の床高が高くなる「吉野建」(懸造り)の形態をとっていました。主屋の居室、表側四室の柱は18世紀中頃の材であることから、その頃に建てられ、19世紀中頃の弘化年間(1844-1847)頃に大修理・改造され、順次、渡廊下、離座敷を建てたものと思われます。平成16年(2004)に奈良県の有形文化財に指定されています。
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旧木村家住宅

奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。
旧木村家住宅は吉野郡十津川村大字旭字迫にあった山間の家で、木村家は農林業を営み、幕末頃には村役を務めたそうです。主屋をはじめ表門、納屋、物置の付属屋から構成されています。主屋は棟札から文政4年(1821)に建てられています。納屋と表門は19世紀中頃の建築です。山深い峡谷の最多降雨の一地帯のため、県北部の民家とは姿や間取りが大きく異なっています。
主屋は間口12.5m、奥行7.3m、切妻造り平入、杉皮葺きで、石を乗せています。間取りは3室の横1列型で、土間と土壁がなく、すべて板張りとなっています。納屋は屋内を牛小屋と便所に2分して、天井は背面部分上部を突き出してツシ2階を広くした造りです。昭和50年(1975)に奈良県の有形文化財に指定されています。
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旧松井家住宅

奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。
旧松井家住宅は宇陀郡室生村上笠間にあった農家で、昭和62年(1987)に大和民俗公園内に移築されています。解体中に文政13年(1830)の祈祷札が発見され、その頃に建てられたと考えられています。間口11.2m、奥行8.6m、単層、入母屋造り、茅葺きの建物です。
間取りは右半が土間、左半が居室4室になっています。土間の正面に「まや」、その背後に釜屋を設け、「まや」の右手に風呂場があります。居室は「くちのま」、「おくのま」、「なかのま」、「なんど」です。間口に喰い違い4間取りで、前座敷型3間取りの発展形式と考えられます。平成16年(2004)に奈良県の有形文化財に指定されています。
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旧岩本家住宅

奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。
旧岩本家住宅は旧宇陀郡室生村大字黒岩にあった農家です。黒岩は室生寺から東南方へ約5kmへだたり、胎ノ川の支流、黒岩川の中程で、谷間の南斜面を利用した村落です。岩本家は庄屋年寄を務めたそうです。間口7間(13.9m)、奥行5間半(11.7m)、単層、入母屋造り、茅葺きの大型の農家で、素朴な外観を呈しています。
旧岩本家住宅は江戸時代末期の嘉永年間(1848-1854)頃に建てられたと考えられています。間取りは向かって左半分を土間とし、正面側に馬屋、背面側にかまやを配しています。 右半分には6室の居室があります。3間取りに座敷3室を加えた配置で、食い違い型の発展形式です。
構造では表側をせがい造り、土間上を太い梁を半間ごとに架けるなど、この地方の特色をよく示しています。差物、梁組など木柄(きがら)の太い建物です。土間上の奥行に太い梁を半間毎に架け渡すなど、この地方の特色をよく示しています。旧岩本家住宅は昭和54年(1979)に国の重要文化財に指定されています。
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旧八重川家住宅

奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。
旧八重川家住宅は山辺郡都祁村大字針(現在の奈良市針)にあって、代々農業を営んでいました。間口11m、奥行8m、単層、寄棟造り、茅葺きの建物です。建築年代は明確ではありませんが、形式手法から19世紀初期の建築と考えられています。平成16年(2004)に奈良県の有形文化財に指定されています。
間取りは右半が土間、左半が床上部で、土間の割合が大きくなっています。土間の前には「まや」を配し、背面側を釜屋としています。床上部は二間取りで、「ざしき」、「なかのま」と続き、両間の境には置仏壇を設置しています。この建物は二間取りの明快な間取りをもち、江戸時代末期のこの地域の一般的な住宅として貴重な建物です。
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旧赤土家離座敷

奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。
旧赤土家離座敷は香芝市狐井にあった農家の離れ座敷でした。赤土家は楠木氏一族の和田蔵人の子孫で、庄屋を務めたそうです。単層、入母屋造り、茅葺きで、本瓦葺きの庇を付けています。8畳1間に「とこ」「違い棚」「出書院」があり、三方を縁で囲んでいます。18世紀初期の建物と推察されています。
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旧萩原家住宅

奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。
旧萩原家住宅は桜井市下(旧下村)に所在していた農家です。下村は昔、宿場で栄えた桜井から、南方へ約2km離れ、多武峰に向う街道に沿った村落です。萩原家はこの村の北部にあって組頭を務めたといわれています。元禄16年(1703)から宝永5年(1708)頃に建てられたと考えられています。
平面は下手3間を土間とし、正面側に「うまや」、背面側に「かまや」を設け、居室部は正面側に「みせのま」「ざしき」があり、背面側に「だいどころ」「なんど」の4間取りで、「ざしき」には仏壇、とこ、脇床を設けています。屋根は茅葺きで葺降ろしになっています。
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西川家高蔵

奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。
西川家は天理市二階堂北菅田町、奈良と橿原を結ぶ旧街道にあった蔵です。米蔵、高蔵、北蔵がありましたが、食器や衣類を収納していた高蔵を移築しています。土蔵造りで、間口2間(3.94m)、奥行1間半(2.98m)、2階建て、切妻造り、本瓦葺きの建物です。
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旧吉川家住宅

奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。
旧吉川家住宅は橿原市中町に所在した自作農の典型的な農家です。元禄16年(1703)に山ノ坊村の吉川家より分家したとの記録があり、その頃に建てられたようです。入母屋造りで、屋根は上屋は茅葺き、下屋は四面ともに瓦葺きです。
平面の間取りは梁行方向に喰違う4間取りで、正面側下手より「みせのま」「ざしき」を、その後方に「だいどころ」「なんど」を設けています。土間部、正面側には「しもみせ」があり、その背面に「かまや」を配しています。国中の囲造りで、昭和52年(1977)に奈良県の有形文化財に指定されています。
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旧鹿沼家住宅

奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。
旧鹿沼家住宅は大和高田市永和町にあった町屋です。鹿沼家は横大路の北側に屋敷を構え、代々米屋治兵衛を名乗り、米屋を営んでいたそうです。文化9年(1812)の「請取普請状」が残されていて、その直後に建てられたと思われます。切妻造りの2階建てで、正背面に庇を付け、屋根は桟瓦葺きです。
2階に出格子を有するこの主屋は、県内では最も古い例です。表の角太格子、二階の出格子、両端の袖壁などに町屋建築の特徴がよくあらわれています。内部は左半分を居室とし、右半分は通り土間で、しもみせを設け、奥にかまどがあります。昭和55年(1980)に奈良県の有形文化財に指定されています。
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旧臼井家住宅内蔵

奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。
旧臼井家住宅の内蔵は土壁で塗り固めた土蔵造りで、間口4.8m、奥行3.8m、2階建て、屋根は切妻造り、本瓦葺きの建物です。江戸時代中期の寛文ー元禄ー寛延年間頃(1661-1750)の建築と考えられています。内蔵は主屋とともに昭和49年(1974)に国の重要文化財に指定されています。
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旧臼井家住宅主屋

奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。
旧臼井家住宅主屋は正面左2間を格子構えとしながら農家風の正面・外観を持っています。これは当時の城下町の特徴です。建築年代は明らかではありませんが、江戸時代中期の元禄年間頃(1688-1703)の建築と考えられています。
間口17.6m、奥行7.0m、切妻造り、茅葺きで、南面と北面に本瓦葺きの庇が付いています。内部は「しもみせ」、「なかのま」、「おくざしき」などに間取りされている農家風の町屋建築です。昭和49年(1974)に国の重要文化財に指定されています。
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旧臼井家住宅

奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。
旧臼井家(きゅううすいけ)住宅は高市郡高取町上土佐に所在していた町屋です。植村藩の城下町であった高取町は古くから奈良盆地と吉野を結ぶ旧街道でした。臼井家は伊勢から上土佐に移り、高取城下で大手へ通じる道の北側に屋敷を構え、屋号を「伊勢屋」と称しました。
臼井家は藩の公用伝馬の役を務めるかたわら、酒、醤油の販売を営むほか、大年寄をも務めたと伝えられています。解体前には主屋、離れ座敷、内蔵、高蔵、米蔵、道具蔵などで構成されていましたが、そのうち主屋と内蔵が昭和51年(1976)に移築復元されています。
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奈良県立民俗博物館

奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があり、園内に奈良県立民俗博物館があります。
奈良県立民俗博物館は、奈良(大和)に暮らす人々が、その風土の中で育み、改良工夫を重ね維持してきた生活用具など4万2千点を収穫し、保存・展示公開している全国的にもめずらしい民族専門の博物館です。「奈良盆地の稲作」、「大和高原の茶業」、「吉野山の林業」に分け、昔使われた用具の展示や、衣食住について紹介しています。
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