fc2ブログ

蓮長寺

蓮長寺
 奈良県奈良市油阪町に蓮長寺(れんちょうじ)があります。
 光映山蓮長寺は日蓮宗のお寺です。開創年代は不明ですが、奈良時代の末頃といわれています。応仁2年(1468)に住持だった即俊が日蓮を霊夢に見て日蓮宗に改宗し、本圀寺11世の大聖院日尭を開山にして寺号を喜見院と改めました。文明元年(1469)本堂、番神堂を建立しましたが、元亀・天正の頃の火災で灰燼に帰しました。
  本国寺執事の喜見院日便らの力で承応2年(1653)本堂を移築し、庫裡、山門などを再建し、寺号も日蓮出家の時の名の「蓮長」を付けて光映山蓮長寺と改めました。本堂は大和郡山城主豊臣秀長が建立した「西岸寺」の本堂を移築したと伝えられていて、国の重要文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

スポンサーサイト



旧奈良女子高等師範学校奉安殿

旧奈良女子高等師範学校奉安殿
 奈良県奈良市北魚屋西町に奈良女子大学(旧奈良女子高等師範学校)があります。
 旧奈良女子高等師範学校の奉安殿は創立25周年を記念して昭和9年(1934)に建てられたものです。天皇・皇后の写真(御真影)や教育勅語を納めていた建物です。第二次大戦後GHQなどからの指令で全国のほとんどの奉安殿は解体されました。遺伝研究用のショウジョバエの飼育室として許可をもらい解体を免れたそうです。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

旧奈良女子高等師範学校正門

旧奈良女子高等師範学校正門
 奈良県奈良市北魚屋西町に奈良女子大学(旧奈良女子高等師範学校)があります。
 旧奈良女子高等師範学校の正門は中央の両開扉と両脇の片開扉で構成されています。門柱や上部の照明器具の意匠に配慮が払われています。旧本館の附(つけたり)指定で平成6年(1994)に国の重要文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

旧奈良女子高等師範学校守衛室

旧奈良女子高等師範学校守衛室
 奈良県奈良市北魚屋西町に奈良女子大学(旧奈良女子高等師範学校)があります。
 旧奈良女子高等師範学校からの守衛室は現在も使われています。木造、十字形平面の鉄板葺きで、建築面積は20平方mと小さな建物です。屋根の棟飾りや窓廻りを旧本館と同じような意匠でまとめています。旧本館と同じく平成6年(1994)に国の重要文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

旧奈良女子高等師範学校本館

旧奈良女子高等師範学校本館
 奈良県奈良市北魚屋西町に奈良女子大学(旧奈良女子高等師範学校)があります。
 旧奈良女子高等師範学校の本館は2階建て、桟瓦葺きの建物で、建築面積は495平方mの大きな校舎です。明治42年(1909)に建てられています。屋根の中央に塔屋があり、正背面に各2カ所、両側面に各1カ所、ドーマー窓が設けられています。外壁の一部をハーフテンバー形式にし、正面中央に玄関ポーチを配しています。
 1階には校長室、応接室などがあり、2階は、全体が講堂になっているようです。奈良女子高等師範学校時代から受け継がれてきた貴重な資料が保管され、「奈良まちかど博物館」に指定されています。厳粛でモダンな設計は文部省の山本冶兵衛が中心に行ったそうです。平成6年(1994)に国の重要文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

奈良女子大学(旧奈良女子高等師範学校)

奈良女子大学(旧奈良女子高等師範学校)
 奈良県奈良市北魚屋西町に奈良女子大学(旧奈良女子高等師範学校)があります。
 奈良女子大学は、明治41年(1908)に女子教員の養成を目的として設置された奈良女子高等師範学校をその前身としています。明治44年(1911)には附属小学校と附属高等女学校が開校され、翌年には附属幼稚園が保育を開始しました。
 昭和24年(1949)、国立学校設置法の公布により、奈良女子大学になり、現在は文学部、理学部、生活環境学部(旧家政学部)があります。現在の奈良女子大記念館は旧本館であった建物で明治42年(1909)に建てられた校舎です。守衛室、正門とともに国の重要文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

般若寺石燈籠

般若寺石燈籠
 奈良県奈良市般若寺町に般若寺(はんにゃじ)があります。
 般若寺の本堂前に立つ石燈籠は総高3.14mの花崗岩製で鎌倉時代後期に造られたと考えられています。基台、中台、火袋、宝珠部は当初のもので、豊かな装飾性を持っています。火袋部には鳳凰、獅子、牡丹唐草を浮彫りにしています。古来から「般若寺型」「文殊型」と呼ばれる石燈籠です。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

般若寺笠塔婆2基

般若寺笠塔婆2基
 奈良県奈良市般若寺町に般若寺(はんにゃじ)があります。
 般若寺の笠塔婆2基は十三重石塔を建てた伊行末の息子・伊行吉(いぎょうきち)によって建立されました。花崗岩製で南塔は総高4.46m、北塔は4.76mです。父の一周忌にあたり、一基は父の追善のため、一基は母のため建立したようです。刻まれた梵字漢字は鎌倉時代独特の雄渾な「薬研彫り」の代表例とされ、他の銘文は石造美術の貴重な資料となっています。
 現在、笠塔婆は本堂の手前右側に建てられていますが、もとは寺の南にあった般若野五三昧(平安期、畿内の代表的な五火葬場)南都の惣墓の入口に建てられていたそうです。明治初年(1868)の廃仏毀釈に遭い破壊され、明治25年(1892)にここ般若寺に移されたようです。「考古資料」として国の重要文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

般若寺鐘楼

般若寺鐘楼
 奈良県奈良市般若寺町に般若寺(はんにゃじ)があります。
 般若寺の鐘楼は元禄7年(1694)に建てられています。梵鐘は江戸時代初期のもので、西大寺の奥の院から来たといい伝えられています。元禄の工事の時、地中に石室があり、その中から忍性が埋葬した「如意宝珠」が見つかったそうです。現在、宝珠は失われていますが納入箱は現存しているそうです。  正岡子規が 「般若寺の 釣鐘ほそし 秋の風」 と詠んでいます。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

般若寺石造十三重塔内納置品

般若寺石造十三重塔内納置品
 奈良県奈良市般若寺町に般若寺(はんにゃじ)があります。
 石造十三重塔内納置品は昭和39年(1964)、十三重塔の解体修理の際、各層の中から発見された遺品です。銅造如来立像は創建時に入れられたもので、第五重目軸石上面の納入孔に赤地蓮池水禽文錦の打敷につつんで納置されていたのもので、大造りな目鼻立ちや手足の造作は、奈良時代小金銅仏の貴重な遺品です。水晶五輪塔、宋版細字法華経等の経巻類、仏像など多数にわたっています。これらは昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されました。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

般若寺十三重石塔

般若寺十三重石塔
 奈良県奈良市般若寺町に般若寺(はんにゃじ)があります。
 般若寺の十三重石塔は花崗岩製で、総高14.2m、基壇までは12.3mです。建長5年(1253)頃に南宋から来日した石工・伊行末(いぎょうまつ)によって建てられました。初重軸には四面に四方仏が描かれています。東面に薬師、西面に阿弥陀、南面に釈迦、北面に弥勒が刻まれています。日本の代表的な石塔の一つで、明治35年(1902)に国の重要文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

般若寺経蔵

般若寺経蔵
 奈良県奈良市般若寺町に般若寺(はんにゃじ)があります。
 般若寺の経蔵は間口3間、奥行2間、単層、切妻造り、本瓦葺きの建物で鎌倉時代後期の建治から元弘年間(1275-1332)頃に建てられたと思われます。お経の全集である一切経(大蔵経)を収納するためのお堂で、「元版一切経(5500巻)」の800巻余りがこの般若寺に残っています。
 建物は建立当初は経蔵ではなく、床のない全面開放の形式で建てられ、鎌倉時代末期に経蔵に改造されたようです。三方に経棚があり天井は垂木が見える化粧屋根裏となっているそうです。経蔵の本尊は、廃仏毀釈で廃寺となった超昇寺の脇仏で、室町時代に造られた十一面観世音菩薩です。般若寺の経蔵は昭和44年(1969)に国の重要文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

般若寺本堂

般若寺本堂
 奈良県奈良市般若寺町に般若寺(はんにゃじ)があります。
 般若寺の本堂は2度の兵火で焼失し、上棟の銘から寛文7年(1667)に再建された建物です。奈良県の有形文化財に指定されています。間口5間、奥行4間、入母屋造り、本瓦葺きで、正面に1間の向拝を付けています。本堂には文永4年(1267)に造られた丈六の文殊菩薩が本尊として安置されていました。
 延徳2年(1490)の火災で本尊は焼失し、経蔵の秘仏を本堂に遷し、本尊八字文殊菩薩騎獅像(はちじもんじゅぼさつきしぞう)として安置しました。この像は正中元年(1324)に後醍醐天皇親政を祈願して康俊(こうしゅん)・康成(こうせい)の二人の仏師により造られたもので、国の重要文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

般若寺楼門

般若寺楼門
 奈良県奈良市般若寺町に般若寺(はんにゃじ)があります。
 般若寺の楼門は鎌倉時代前期の文永年間(1264-1274)頃に再建された建物です。入母屋造り、本瓦葺きの一間一戸の楼門で、昭和28年(1953)に国宝に指定されています。京街道に面し、西を正面として建つ伽藍の回廊西門に当たり、正門である南大門や中大門は兵火で焼失しています。
 楼門は下層は1間、上層は3間となっています。長押(なげし)を多用し、和様を基調としていますが、肘木(ひじき)や実肘木(さねひじき)は繰形で大仏様の意匠を多用しています。上層の出組の組物は、外部から見ると複雑な構造に見えますが、内部では柱が直接桁に達する単純な構造で、組物は使われていません。非常に珍しい構造です。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

般若寺

般若寺
 奈良県奈良市般若寺町に般若寺(はんにゃじ)があります。
 法性山般若寺は真言律宗のお寺で、コスモス寺の名で知られています。東大寺の大仏殿の北方、奈良坂と呼ばれる登り坂を登りきった所に建てられています。京街道沿いにあり、大和(奈良県)と山城(京都府)を結ぶ、古代以来重要な場所であったため戦乱の巻き添えになりました。
 寺伝では舒明天皇元年(629)、高句麗の僧・慧灌(えかん)が・文殊菩薩像を安置して一宇を創建したのが起こりで、白雉5年(654)、孝徳天皇の病気平癒祈願のために蘇我日向臣が伽藍を建立、天平7年(735)、聖武天皇の勅により、行基がさらに堂塔を造営し、鬼門鎮護の定額寺に定められたと伝えられています。
 奈良時代には官寺として栄え、般若寺千坊と呼ばれるくらい繁栄しましたが、後に衰退します。寛平7年(895)頃、観賢僧正(かんけんそうじょう)が中興し学問寺の名を高めました。しかし治承4年(1180)、平重衡による南都焼き討ちの際に、東大寺、興福寺などとともに焼け落ちてしまいました。
 鎌倉時代に入り十三重石塔が造営され、さらに西大寺の僧・叡尊(えいぞん)や忍性によって本堂が再建されました。文永4年(1267)には丈六の文殊菩薩像を本尊として安置しました。般若寺と南朝との結び付きは深く、南北朝の争いでは、大塔宮護良(もりよし)親王が唐櫃(からびつ)に身を隠して難を逃れたそうです。
 室町時代に文殊堂、地蔵堂などが焼失し、延徳2年(1490)の火災で丈六の本尊が焼失し、永禄10年(1567)の松永弾正と三好3人衆の争いの兵火で中心伽藍が焼失し衰退しました。明治初期の廃仏毀釈で荒れ果て、無住となり、本山の西大寺が管理しました。第二次大戦後になって諸堂の修理が行われ、境内が整備されました。
 境内には国宝の楼門をはじめ、経蔵、十三重石塔、十三重塔内納置品、笠塔婆2基が国の重要文化財に指定されています。奈良国立博物館に寄託している銅造薬師如来立像、嵯峨天皇の宸筆・木造寺門扁額、厨子入舎利塔のほか木造文殊菩薩騎獅像など国指定重要文化財を所蔵しています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

不退寺伊勢物語石碑

不退寺伊勢物語石碑

 奈良県奈良市法蓮(ほうれん)東垣内町に不退寺(ふたいじ)があります。
 不退寺には伊勢物語の石碑があります。「おほかたは月をもめでじこれぞこの つもれば人の老いとなるもの」という伊勢物語 八十八段の和歌が刻まれています。「全くもって、月を誉めることは止めよう この月こそが、塵と積もれば、人の老いとなるものだから」という意味です。伊勢物語の主人公は在原業平だと古くから思われています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

不退寺立石

不退寺立石
 奈良県奈良市法蓮(ほうれん)東垣内町に不退寺(ふたいじ)があります。
 不退寺には立石(たていし)と呼ばれている笠塔婆が本堂の前に建っています。四方に梵字が薬研彫りで、刻まれています。上段に宇宙を表すという五大の真言、中段に金剛界四仏の種子、下段の南面に光明真言、北面に大随求小咒、東面に十三仏、西面に三帰依真言と大日真言が刻まれています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

不退寺石棺

不退寺石棺
 奈良県奈良市法蓮(ほうれん)東垣内町に不退寺(ふたいじ)があります。
 不退寺の石棺は庫裏の中庭に置かれています。5世紀のもので、ウワナベ古墳南側の平塚古墳で発掘されたそうです。石材は春日砥(砂岩の一種)で、草刈の人がこれで鎌を研いだ痕が沢山残されています。長さは2.71mで舟型割竹くり貫き石棺ともいわれています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

不退寺多宝塔

不退寺多宝塔
 奈良県奈良市法蓮(ほうれん)東垣内町に不退寺(ふたいじ)があります。
 不退寺の多宝塔は鎌倉時代後期の建治から元弘年間(1275-1332)頃に建てられています。間口3間、奥行3間、単層、宝形造り、桟瓦葺きです。不退寺伽藍図などから建立当初は檜皮葺きの二層構造の塔であったようです。現在は初層のみで、上層と相輪を欠いています。
 柱は方柱大面取、中央の間に板扉を開き、左右に青鎖窓をはめています。斗拱は三斗出組とし、斗拱間には鎌倉時代特有の美しい蟇股を配し、柱頭部には頭貫を通じ、貫端に天竺様の木鼻を付けています。不退寺塔婆として明治41年(1908)に国の重要文化財に指定され、5月28日の業平忌の時だけ開扉されます。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

不退寺本堂

不退寺本堂
 奈良県奈良市法蓮(ほうれん)東垣内町に不退寺(ふたいじ)があります。
 不退寺の本堂は室町時代前期の建武から明徳年間(1333-1392)頃に建てられたと考えられています。間口5間、奥行4間、単層、寄棟造り、本瓦葺きの大仏様式の最後の形を保っています。内部は内陣と外陣に分かれ、その境に吹寄菱欄間(業平格子)と木連格子を入れています。
 斗拱(ときょう)は三斗の枠組で、中備(なかぞなえ)に間斗束(けんとづか)を配しています。軸部は円柱で正面の頭貫を虹梁(こうりょう)の様態に扱っています。これは正面中央に虹梁を架けた初期の形式です。内部の柱頭部に三斗を組み、木鼻をつけている特異な構造です。
 中央に二条の大虹梁を架け、梁の上に太瓶束を立てて折上組入天井の廻縁を支えています。須弥壇上中央には厨子に納められた本尊聖観音菩薩像が安置され、その周囲に五大明王像、地蔵菩薩像を配置しています。本堂は南門とともに、明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

不退寺南門

不退寺南門
 奈良県奈良市法蓮(ほうれん)東垣内町に不退寺(ふたいじ)があります。
 不退寺の南門は切妻造り、本瓦葺きの四脚門で、昭和9年(1934)の解体修理時に発見された棟札から鎌倉時代後期の正和6年(1317)の建築と判明しました。左右に御所塀が付き、身柱の上に豪壮な板蟇股を載せ、中央冠木の上に束を中心にして笈形風にいろいろと飾っているのが特徴です。明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

不退寺

不退寺
 奈良県奈良市法蓮(ほうれん)東垣内町に不退寺(ふたいじ)があります。
 金竜山不退寺は正しくは不退転法輪寺(ふたいてんぽうりんじ)といい、真言律宗のお寺です。平城天皇は大同4年(809)、弟の嵯峨天皇に天皇の位を譲りました。のちに上皇として都を再び平城京に戻すことを画策しましたが実現せず、平城京の北東のこの地に「萱(かや)の御所」と呼ばれる萱葺きの御殿を造営しました。
 平城天皇の皇子の阿保親王とその第5子在原業平朝臣はともに居住し、業平は自作の聖観音像を安置し、承和14年(847)にお寺にしたといわれています。そのため寺というよりは平安朝の貴族住宅のような造りで、王朝風の優美さを漂わせています。
 業平は六歌仙・三十六歌仙の一人で和歌の名手といわれています。祖父の平城天皇と父阿保親王の菩提を弔うと共に、衆生済度の為に「法輪を転じて退かず」と発願し、不退転法輪寺と名付けたそうです。「業平寺」とも呼ばれ、仁明天皇の勅願所となりました。
 平安時代末期の養和元年(1181)、平重衡による南都焼討のために諸堂が炎上、焼失しました。鎌倉時代、西大寺、海竜王寺などを中興した叡尊(えいぞん)により再興されました。中世には南都15大寺の一つとなり、繁栄しました。中世から近世にかけて西大寺と興福寺一乗院の末寺になっています。
 江戸時代初頭の慶長7年(1602)には徳川幕府より御朱印50石が安堵され、元和3年(1683)には二町四方七堂伽藍になりました。寛政3年(1791)の境内図には本堂、多宝塔、南大門、鐘楼、鎮守社、庫裏が描かれています。後、衰退し、幕末には無住になり、西大寺三光院が管理しました。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

海竜王寺本堂

海竜王寺本堂
 奈良県奈良市法華寺北町に海竜王寺(かいりゅうおうじ)があります。
 海竜王寺の本堂は江戸時代の寛文6年(1666)に再建された建物で、奈良市指定文化財です。奈良時代に建っていた中金堂の位置に建てられています。深い軒の出と勾配の緩い屋根、それに堂内の整然とした柱配置など、奈良時代の仏堂の様式を踏襲しています。国重文の本尊十一面観音立像や文殊菩薩立像などを安置しています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

東金堂跡

東金堂跡
 奈良県奈良市法華寺北町に海竜王寺(かいりゅうおうじ)があります。
  東金堂は創建当時には西金堂と向かいあって建てられていました。明治時代の廃仏毀釈で壊され、現在は基壇の跡を残すのみとなっています。創建当時には東金堂にも五重小塔が納められ、東西の両小塔が伽藍を形成していたそうです。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

海竜山寺表門

海竜山寺表門
 奈良県奈良市法華寺北町に海竜王寺(かいりゅうおうじ)があります。
 海竜山寺の表門は切妻造り、本瓦葺きの四脚門で、16世紀に再建された門で、左右の築地塀とつなげられています。控柱の角の欠き取り部分(面)が大きく、屋根の垂木の先が反り増しているなど、中世建築の様式を今に伝えています。表門は本堂とともに奈良市の有形文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

海竜王寺五重小塔

海竜王寺五重小塔
 奈良県奈良市法華寺北町に海竜王寺(かいりゅうおうじ)があります。
 海竜王寺五重小塔は相輪を含めた総高が4.01m、相輪を除く高さは2.85mの小塔です。工芸品としてではな、建造物として昭和26年(1951)に国宝に指定されています。実物の塔の10分の1のスケールで造られ、元興寺五重小塔とともに、天平期の五重塔の姿を現代に伝えています。
 五重小塔は天平年間(729-749)に造られています。創建当時から西金堂内に安置されていたようです。本瓦形板葺きの、三間五重塔婆で、細部は天平時代のかなり早い時期の手法を用いられ、上層部にいくにしたがって塔身が 細く造られています。五重小塔の内部には鎌倉時代の法華経が2巻納められていました。これも小塔の附けたりとして国宝に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

海竜王寺経蔵

海竜王寺経蔵
 奈良県奈良市法華寺北町に海竜王寺(かいりゅうおうじ)があります。
 海竜王寺の経蔵は真言律宗の宗祖で西大寺などを中興した叡尊(えいぞん)により、正応元年(1288)に建てられています。叡尊の年譜(「興正菩薩行実年譜」)に、正応元年(1288)海龍王寺の堂宇を修造し、経蔵を新築したことが書かれています。昭和40年(1965)から3年間かけて大規模な解体修理・修復が行われています。
 経蔵は間口3間、奥行2間、単層、寄棟造り、本瓦葺きで、高床式になっています。この時期の建物の特徴である大仏様の影響を大きく受けていながらも一部には禅宗様が取り入れられています。明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

海竜王寺西金堂

海竜王寺西金堂
 奈良県奈良市法華寺北町に海竜王寺(かいりゅうおうじ)があります。
 海竜王寺の西金堂は創建前後の和銅3年から延暦12年(710-793)頃に建てられた奈良時代の貴重な建物です。創建当時ここには、西金堂のほか中金堂、東金堂と3つの金堂があり、わが国初めての仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)と同じ形式であったようです。海竜王寺は私的なお寺だったため塔はなく伽藍や金堂も小さかったようです。
 西金堂は間口3間、奥行2間、単層、切妻造り、本瓦葺きの仏堂で、内部に五重小塔(国宝)を安置しています。鎌倉時代に再建に近い修理を受け、昭和40年(1965)から3年間、大規模な解体修理・修復が行われましたが、奈良時代の木材も残されています。明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

海竜王寺

海竜王寺
 奈良県奈良市法華寺北町に海竜王寺(かいりゅうおうじ)があります。
 海竜王寺は真言律宗のお寺で、平城京の北東隅にあるために「隅寺(すみでら)」とも呼ばれたそうです。また他説には、皇后宮の東北の隅にあったからともいわれています。この地は藤原不比等の邸だった所で、養老4年(720)不比等の死後、娘の光明皇后が皇后宮としました。
 天平3年(731)、光明皇后の発願で寺にしたそうです。唐から帰った玄昉を開基としています。海竜王寺という寺号は、海竜王経という経典からとられています。玄昉が唐から日本への帰る途中、暴風雨に遭遇し、海竜王経を一心に唱えたことで九死に一生を得て種子島に漂着し助かったそうです。
 奈良時代は宮廷寺院・宮中内道場として繁栄いたしましたが、平安京に都が移ると衰退しました。鎌倉時代に真言律宗の宗祖である叡尊が嘉禎2年(1236)から2年間海竜王寺に住して復興させました。戒律の道場として栄え、幾人もの西大寺長老を輩出し、真言律宗の中で筆頭格になりました。
 室町時代、応仁の乱で衰退し、江戸時代まで続きました。徳川幕府から100石を与えられ、伽藍の維持・管理を行いました。明治の廃仏毀釈で、東金堂や什物を失い荒廃し無住の時も続きました。昭和28年(1953)に住職が着任し、堂宇の修理、境内の整備が行われました。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

喜光寺本堂

喜光寺本堂
 奈良県奈良市菅原町に喜光寺(きこうじ)があります。
 喜光寺本堂は室町時代前期の建武から明徳年間頃(1333-1392)に建てられています。間口3間、奥行2間、一重もこしが付けられ、寄棟造り、本瓦葺きの風格にある建物です。明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。本堂には本尊の木造阿弥陀如来坐像が安置されています。平安時代後期に造られた像高233cmの像で、国の重要文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/
プロフィール

jf0rak

Author:jf0rak
全国の旅と歴史のブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR