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水間寺三重塔

水間寺三重塔
 大阪府貝塚市水間に水間寺(みずまでら)があります。
 水間寺の三重塔は本瓦葺き、3間四方、木造三重塔婆です。天保5年(1834)に再建されたもので、明治以前に建てられた大阪府内唯一の三重の塔です。井原西鶴の「日本永代蔵」に記載されたモデルの塔といわれ、貝塚市の有形文化財に指定されています。

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水間寺本堂

水間寺本堂
 大阪府貝塚市水間に水間寺(みずまでら)があります。
 水間寺の本堂は間口7間(23m)、奥行7間(23m)、単層、本瓦葺きで、周囲に1間の庇(ひさし)をめぐらしています。全体に木太く、組物は装飾的です。岸和田藩主岡部長愼の寄進により、文化8年(1811)に再建された建物です。
 本尊の身丈1寸8分の聖観世音菩薩は秘仏のため見ることはできませんが、本堂正面のお前立聖観音菩薩立像を拝むことができます。水間寺の本堂は大阪府下でも最大級クラスの本堂で、貝塚市の有形文化財に指定されています。

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水間寺

水間寺
 大阪府貝塚市水間に水間寺(みずまでら)があります。
 龍谷山水間寺は天台宗のお寺です。天平16年(744)に聖武天皇の勅願により行基が開創したと伝えられています。病床の聖武天皇の夢に現れた観音菩薩を求め、行基は2つの川(葛城山から流れてくる近木川と、その支流の秬谷川)が合流する「水間」にやってきました。
 そこで観音の化身である16人の童子に出会い、谷間に向かうと白髪の老人がいました。手に一体の仏様を捧げ「汝を待つこと久し」と言い、自分の手首を噛み切って、その尊像を行基に渡し、老人は龍となりました。授かった聖観世音菩薩を天皇に捧げたところ全快されたと伝わっています。
 水間寺は堂坊151、寺領2万450石を領し繁栄しました。しかし15世紀末に紀州・根来寺の支配下となったことで、天正13年(1585)、豊臣秀吉の根来攻めで、堀秀政の軍勢に焼き討ちされました。七堂伽藍をはじめ坊舎は灰燼に帰しました。
 天正17年(1589)、岸和田城主・小出秀政により再興されましたが、延宝年間(1673-1681)に焼失し、元禄年間(1688-1704)に城主の助力で伽藍は再建されました。しかし、天明4年(1784)の火災で、再び本堂や三重塔などが焼失し、文化8年(1811)、岸和田藩主・岡部長愼(ながちか)が再建しています。
 境内には本堂、三重塔、開山堂、愛染堂、薬師堂、弁天堂、護摩堂、経堂、鐘楼などが建ち並んでいます。愛染堂は縁結びの神として有名で、堂の前にお夏清十郎の墓があります。新西国三十三ヶ所観音霊場の第4番の札所でもあり、「水間観音」と呼ばれ親しまれているお寺です。

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願泉寺目隠塀

願泉寺目隠塀
 大阪府貝塚市中に願泉寺(がんせんじ)があります。
 願泉寺の目隠塀は本瓦葺きで、本堂正面に建てられています。江戸時代中期の寛文3年(1663)に再建されたものです。平成5年(1993)に本堂の附指定で国の重要文化財に指定されています。

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願泉寺築地塀

願泉寺築地塀
 大阪府貝塚市中に願泉寺(がんせんじ)があります。
 願泉寺表門の両脇にある築地塀は寛文11年(1671)に再建されたものです。築地塀は平成5年(1993)に本堂の附指定で国の重要文化財に指定されています。

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願泉寺鐘楼

願泉寺鐘楼
 大阪府貝塚市中に願泉寺(がんせんじ)があります。
 願泉寺の鐘楼は昭和20年(1945)の空襲によって焼失しため、貝塚市の青松寺から移築されたものです。元禄15年(1702)に建てられたもので、梵鐘は、鎌倉時代の貞応3年(1224)に鋳造されています。鐘楼は平成5年(1993)に本堂の附指定で国の重要文化財に指定されています。

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願泉寺表門

願泉寺表門
 大阪府貝塚市中に願泉寺(がんせんじ)があります。
 願泉寺の表門は、切妻造り、本瓦葺きの四脚門です。江戸時代中期の延宝7年(1679)に再建されたものです。平成5年(1993)に国の重要文化財に指定されています。

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願泉寺太鼓堂

願泉寺太鼓堂
 大阪府貝塚市中に願泉寺(がんせんじ)があります。
 願泉寺の太鼓堂は間口3間、奥行3間、入母屋造り、本瓦葺きで、二重二階の建物です。江戸時代中期の享保4年(1719)に再建された建物です。内部には仏事で使用される太鼓が備えられています。太鼓堂は平成5年(1993)に国の重要文化財に指定されました。平成10年(1998)の台風で被害に遭い大修復されています。

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願泉寺本堂

願泉寺本堂
 大阪府貝塚市中に願泉寺(がんせんじ)があります。
 願泉寺の本堂は間口27.8m、奥行27m、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、正面に1間の向拝があります。江戸時代中期の寛文3年(1663)に再建された建物です。浄土真宗の本山にもなって貝塚御坊とも呼ばれた寺の本堂にふさわしい立派な造りです。
 大工棟梁は、三ツ松村(現貝塚市)出身の岸上和泉守貞由と伝えられ、貝塚寺内や近隣の人々からの寄進を受けて建てられています。内陣と外陣の境の欄間には、中国説話「二十四考」を題材 とした見事な彫刻が施されています。本堂は平成5年(1993)に国の重要文化財に指定されています。

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願泉寺

願泉寺
 大阪府貝塚市中に願泉寺(がんせんじ)があります。
 金凉山(きんりょうさん)願泉寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、俗に貝塚御坊とも呼ばれます。行基が始まりと伝えられ、本尊の阿弥陀如来立像も行基作といわれています。応仁年間(1467-1468)に浄土真宗本願寺の蓮如が立ち寄って教えを説いています。
 天文14年(1545)に卜半斎了珍(ぼくはんさいりょうちん)が根来寺より招聘され、堂宇が再興され真宗の道場となりました。天正5年(1577)、信長の雑賀攻めで全焼しましたが、3年後に了珍と門徒により復興し、天正8年(1580)には豊臣秀吉から寺内諸役免除の朱印状が下されています。
 天正11年(1583)、紀州鷺森御坊に退去していた本願寺第11代・顕如を迎え、2年間、本願寺の本山となりました。その後本願寺は大坂天満に移り、慶長12年(1607)、本願寺准如から願泉寺の寺号を授けられました。慶長15年(1610)、徳川家康から貝塚寺内町が朱印地と認められ、卜半(ぼくはん)家は自治権を認められました。
 僧でありながら武士を雇って、近隣諸藩から独立した立場を明治まで続けました。また、明治までは東西本願寺と関係を持ち、両本山歴代門主の絵像を所蔵しています。本堂(附指定で鐘楼、築地塀、目隠塀を含む)、太鼓堂、表門などの建造が国の重要文化財に指定されています。

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聖神社末社滝神社本殿

聖神社末社滝神社本殿
 大阪府和泉市王子町に聖神社(ひじりじんじゃ)があります。
 聖神社の末社である滝神社本殿は三神社本殿の北側にあります。本社本殿、三神社本殿と同じく豊臣秀頼が片桐且元を奉行として、慶長9年(1604)に再建した建物です。檜皮葺きの、一間社春日造りの建物です。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。

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聖神社末社三神社本殿

聖神社末社三神社本殿
 大阪府和泉市王子町に聖神社(ひじりじんじゃ)があります。
 聖神社の末社・三神社本殿は、本社本殿と同じく豊臣秀頼が片桐且元を奉行として、慶長9年(1604)に再建した建物です。かっては東南部の神護寺「奥の院」に鎮座していましたが、明治6年(1873)に現在地に移されました。
 三神社本殿は三間社春日造とよばれる全国的にも珍しい建築様式です。屋根は檜皮葺き、正面3間、身舎側面2間の前面に1間通りの庇を設け、極彩色が施されています。桃山時代の特徴をよく示しています。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。

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聖神社本殿

聖神社本殿
 大阪府和泉市王子町に聖神社(ひじりじんじゃ)があります。
 聖神社の本殿は極彩色の装飾が施された壮麗な社殿です。間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮葺きで、正面に千鳥破風が付き、1間の向拝には軒唐破風が付けられています。豊臣秀頼が片桐且元を奉行として、桃山時代の慶長9年(1604)に再建された建物です。大正13年(1924)に国の重要文化財に指定されています。

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聖神社

聖神社
 大阪府和泉市王子町に聖神社(ひじりじんじゃ)があります。
 聖神社はJR阪和線の北信太(きたしのだ)駅の南方、信太山の丘陵の西端にあります。祭神として祀られているのは聖大神で、古事記に「聖神(ひじりがみ)」と記される大年神(おおとしがみ)の子供です。他に瓊々杵尊 ・天照大神 ・饒速日命 ・木花開耶姫命 ・磐長姫命が祀られています。
 白鳳3年(675)、天武天皇の勅願により信太首(しのだのおびと)が聖神を祀ったことが聖神社の始まりです。延喜式神名帳に「聖神社」と記される式内社で、和泉国五社の三ノ宮です。信太大明神、篠田社、信太聖社などとも呼ばれます。
 天正3年(1575)、織田信長に所領1100石を安堵されましたが、同13年(1585)の豊臣秀吉による根来攻めの兵火で被災し所領も没収されました。慶長9年(1604)、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建させています。本社本殿と末社三神社・滝神社は国指定重要文化財です。

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積川神社本殿

積川神社本殿
 大阪府岸和田市積川町に積川神社(つがわじんじゃ)があります。
 積川神社の本殿は三間社流造り、檜皮葺きで、正面に千鳥破風を付けています。桃山時代の慶長8年(1603)に豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行にして再建させた建物です。大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。

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積川神社

積川神社

 大阪府岸和田市積川町に積川神社(つがわじんじゃ)があります。
 積川神社は和泉国和泉郡の式内社で、和泉五社の一つです。歴代天皇の勅願社で、天正(1573-1592)の頃まで社領600石を有していたようです。社域は府道牛滝街道にあり、2500坪もの広さを持っています。鳥居の扁額に白河上皇(1053-1129)は正一位積川大明神の揮毫を残しています。
 永暦元年(1160)には後白河院による熊野御躰の勧請に際し、養和元年(1181)に積川社は今熊野社領諸国荘園28箇所の一つとして寄進されています。皇室や武将の崇敬も厚く、繁栄しましたが、戦乱などで荒廃し、慶長8年(1603)、豊臣秀頼が堂宇の再建、改築をしています。
 明治40年(1907)には積川村の八坂神社、菅原神社、白鬚社を合祀しています。積川神社の本殿は国の重要文化財に指定され、また神体である木造男女神像8体(鎌倉期)と、熊野街道に面して立つ遥拝鳥居に懸けられていた白河上皇揮毫の木造篇額が大阪府の有形文化財に指定されています。

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大威徳寺多宝塔

大威徳寺多宝塔
 大阪府岸和田市大沢町に大威徳寺(だいいとくじ)があります。
 大威徳寺の多宝塔は本瓦葺きの、3間3面の多宝塔で、高さ13m、一辺の長さは約3.1mです。初層壁板に室町時代後期の永正12年(1515)の墨書が発見され、その時に建てられています。室町末期の手法をよく残す繊細な多宝塔です。
 多宝塔は、本堂の後方に位置し、特異な配置形式をしています。基壇上に建ち、高欄のない縁を廻らしています。中央間桟唐戸、脇間連子窓、中備え中央間は蟇股、脇間蓑束です。塔の内部は、来迎柱、来迎壁があり仏壇を置いています。昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。

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大威徳寺

大威徳寺
 大阪府岸和田市大沢町に大威徳寺(だいいとくじ)があります。
 牛滝山大威徳寺は紅葉の名所・牛滝山の山中にあります。修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ)が開いたといわれている古刹で、葛城修験道の霊場として崇敬されてきました。比叡山の学僧であった恵亮が、境内の「三の滝」で修行中、滝の中から牛に乗った大威徳明王を見たそうです。
 恵亮はその姿を彫って本尊としたので、大威徳寺という寺号になりました。真言宗の開祖・空海もここで修行をしたようです。当時は真言宗のお寺だったようです。のちに真言宗と天台宗の兼学寺院となり、現在は天台宗になっています。
 大威徳寺は48もの僧坊を擁する大きなお寺でしたが、豊臣秀吉の根来寺攻めの兵火にかかり多くの諸堂を焼失しました。多宝塔だけは奇跡的に被害を免れ、国の重要文化財に指定されています。大威徳寺の境内は大阪府の名勝に指定され、境内にある楓は岸和田市の天然記念物に指定されています。

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岸和田だんじり会館

岸和田だんじり会館
 大阪府岸和田市本町に岸和田だんじり会館があります。
 岸和田だんじり会館は日本一の荒ぶる祭「岸和田だんじり祭」の長い歴史や迫力を体感できる施設です。江戸から明治にかけて造られた実物のだんじりが展示されています。またマルチスクリーンは祭の熱気と迫力を見せてくれます。
 だんじりとは山車(だし)のことを指します。岸和田だんじり祭は、岸和田祭とか旧市の祭りとも呼ばれました。延享2年(1745)、町方の茶屋新右衛門が大坂の祭を見て、牛頭天王社(現・岸城神社)の夏祭に献灯提灯を掲げたいと藩主に願い出て許可されたのが始まりといわれています。
 また、元禄16年(1703)、岸和田藩主の岡部長泰が伏見稲荷を岸和田城三の丸に勧請し、五穀豊穣を祈願して行った稲荷祭が始まりとする説もあります。スピードを増しただんじりを方向転換させる「やりまわし」が人気で、一地方の祭が全国から見物人が押し寄せる祭になっています。

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兵主神社本殿

兵主神社本殿
 大阪府岸和田市西之内町に兵主(ひょうず・ひょうす)神社があります。
 兵主神社本殿は三間社流造り、檜皮葺きで、正面に軒唐破風が付けられています。桃山時代の天正から慶長年間(1573-1614)頃に建てられたものと考えられています。南面して鎮座し、鮮やかな朱塗りで、蟇股などに桃山風の装飾が施されています。大正13年(1924)に国の重要文化財に指定されています。

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兵主神社

兵主神社
 大阪府岸和田市西之内町に兵主(ひょうず・ひょうす)神社があります。
 兵主神社は延喜式神名帳に記載されている式内社で、旧掃守郷の総社です。西ノ内、上松、下松、尾生など近隣12ヶ村を氏子区域として禰宜一人ずつを出して奉祀していました。天正年間の社殿焼失以降、各村がそれぞれの氏神を勧請したため、以後は西ノ内村のみで祭祀したそうです。
 兵主とは、中国古代の伝説上の神で、兵器の神・兵器製造の神とされ、そこから鍛冶の神にもなっています。国の重要文化財に指定されている本殿は豊臣秀吉が再建したと伝えられています。明治6年(1873)に郷社に列格し、兵主神社と改称しました。明治42年(1909)、下松村の八幡神社、菅原神社、厳島神社を合祀しています。

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岸和田城

岸和田城
 大阪府岸和田市岸城町に岸和田城があります。
 岸和田城は建武年間(1334-1338)頃、楠木正成が摂津・河内・和泉3国の守護に任ぜられた際、一族の和田高家に命じて築城させたのが始まりです。後に足利氏の武将・山名氏清が和泉守護になった際、信濃泰義が城主となりました。
 応永15年(1408)細川頼長が城主となりました。明応9年(1500)細川元有が畠山尚順に敗れ、守護代として松浦肥前守が入城しました。岸和田衆と呼ばれた松浦一族がしばらく治めました。天正11年(1583)豊臣秀吉の家臣・中村一氏が現在地に築城しました。
 天正12年(1584)、根来衆、雑賀衆の宗徒との戦いになり、城下は焼かれました。翌年、秀吉は岸和田城を拠点にし、10万の大軍で、根来の本拠である根来寺を攻め、壊滅させました。その後、小出秀政が城主となり慶長2年(1597)には天守閣が築城されました。(天守は文政10年(1827)に落雷のため焼失しています)
 慶長19年(1614)の大坂冬の陣では松平信吉が城主となり、北条氏重、小出吉英と代わり、元和5年(1619)には松平康重が入城しています。寛永17年(1631)岡部宣勝が6万石の城主となり、明治まで岡部氏13代が治めました。明治4年(1871)の廃藩置県により廃城となりました。

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多治速比売神社拝殿

多治速比売神社拝殿
 大阪府堺市南区宮山台に多治速比売神社(たじはやひめじんじゃ)があります。
 多治速比売神社の拝殿は朱塗りの豪華な造りです。本殿の神様へ祈りを捧げるために建てられています。間口3間、奥行3間、入母屋造り、本瓦葺きで、正面に千鳥破風と軒唐破風を付けています。

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多治速比売神社本殿

多治速比売神社本殿
 大阪府堺市南区宮山台に多治速比売神社(たじはやひめじんじゃ)があります。
 多治速比売神社の本殿は間口3間、奥行1間、単層、入母屋造り、檜皮葺きで、正面に千鳥破風があり、3間の向拝には軒唐破風が付けられています。 昭和24年(1949)に国の重要文化財に指定されました。昭和29年(1954)から3年にわたり解体修理が行われ、棟札により室町後期の天文10年(1541)に再建されたことが判明しました。

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多治速比売神社

多治速比売神社
 大阪府堺市南区宮山台に多治速比売神社(たじはやひめじんじゃ)があります。
 多治速比売神社は昭和38年に造成された泉北ニータウンの宮山台の入口、秋田兵陵の頂上に鎮座しています。一般には「荒山宮」(こうぜんのみや)と呼ばれる延喜式内社で、日本武尊の后(きさき)である多治速比売を主神として、素盞嗚尊(すさのおのみこと)・菅原道真を合祀しています。
 6世紀頃の創建と伝えられ、多治速比売命が女神であることから厄除・安産・縁結びの神として繁栄しました。明治初年までは神仏習合で神宮寺の総福寺とともに歩みましたが、神仏分離令により神社のみとなりました。室町時代に再建された本殿は国の重要文化財に指定されています。

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桜井神社拝殿

桜井神社拝殿
 大阪府堺市南区片蔵に桜井神社があります。
 桜井神社の拝殿は間口5間、奥行3間、単層、切妻造り、本瓦葺きの建物です。鎌倉時代後期の建立で、現存する拝殿建築の中でも最も古い社殿の一つです。木部は丹塗り、重厚で簡素な意匠です。蟇股が簡単な板状であり、梁の両端に彫刻が刻まれていない造りは、鎌倉時代の特徴です。側面の妻は二重虹梁蟇股形式で奈良時代以来の古式の様式を踏襲しています。
 割拝殿形式という中央に通り抜け通路(馬道)を持つめずらしい造り方です。同じ古い割拝殿形式の石上神宮摂社・出雲建雄神社(天理市)の拝殿も国宝に指定されています。桜井神社の拝殿は背面の向拝を除いて、昭和28年(1953)に国宝に指定されています。

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桜井神社

桜井神社
 大阪府堺市南区片蔵に桜井神社があります。
 桜井神社は上神谷(にわだに)の八幡さんとも呼ばれ、延喜式神名帳に記載されている和泉国大鳥郡の式内社です。有史以前より存在する古社でこの地の豪族・桜井一族が祖先の武内宿禰命を祀っていたといわれています。
 推古天皇5年(597)、八幡宮として創建され誉田別命・足仲彦命・息長帯比売命を合祀し、上神谷八幡宮とも呼ばれました。中世、武家にも崇敬され、神仏習合の霊場として繁栄しました。天正5年(1588)、織田信長の根来攻めの兵火により拝殿以外の堂宇は灰燼に帰しました。
 江戸時代に神門、鐘楼、宝蔵などが再建され、明治5年(1872)に郷社に列し、昭和17年(1942)には府社に昇格しています。桜井神社の拝殿は堺市内で唯一の国宝に指定されている貴重な社殿です。10月に奉納される「上神谷のこおどり」は国の選択無形民俗文化財に指定されています。

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法道寺大師堂

法道寺大師堂
 大阪府堺市南区鉢ケ峯寺に法道寺(ほうどうじ)があります。
 法道寺の大師堂は金堂の右前方にあります。江戸時代に建てられた宝形造りの建物です。大師堂の周りは石板で囲まれていて、四国八十八ヶ所霊場のお砂踏み場となっています。

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法道寺金堂

法道寺金堂
 大阪府堺市南区鉢ケ峯寺に法道寺(ほうどうじ)があります。
 法道寺の金堂は中門の先に建てられています。江戸時代に建てられた堂宇です。屋根を大きく作り、細部に彫物を多用する江戸時代の特徴が出ています。慈覚大師円仁が篭って刻んだという本尊の「薬師如来像」を祀っています。

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法道寺中門

法道寺中門
 大阪府堺市南区鉢ケ峯寺に法道寺(ほうどうじ)があります。
 ..法道寺の中門は江戸時代に再建された仁王門です。安置されている金剛力士像の吽形(うんぎょう)から発見された墨書木札に鎌倉時代の弘安6年(1283)の銘が残されていました。金剛力士像は堺市の有形文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


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