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勝尾寺二階堂

勝尾寺二階堂
 大阪府箕面市(みのおし)粟生間谷(あおまたに)に勝尾寺(かつおうじ)があります。
 勝尾寺の二階堂は第4座主・証如(しょうにょ)上人が建立しました。承元2年(1208)、浄土宗の開祖・法然上人がここに逗留し、京に戻ることが許されるまで約4年間逗留した場所です。

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勝尾寺大師堂

勝尾寺大師堂
 大阪府箕面市(みのおし)粟生間谷(あおまたに)に勝尾寺(かつおうじ)があります。
 勝尾寺の大師堂は本堂の左手、開山堂の前に建てられています。真言宗の開祖である弘法大師を祀っています。堂の周りには大師ゆかりの四国八十八ヶ所のお砂踏み場が設けられています。

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勝尾寺三宝荒神神社

勝尾寺三宝荒神神社
 大阪府箕面市(みのおし)粟生間谷(あおまたに)に勝尾寺(かつおうじ)があります。
 勝尾寺の三宝荒神神社は開成皇子が感得された日本最初の荒神社です。仏・法・僧の三宝の守護神とされるために三宝荒神と呼ばれています。宝塚の清荒神、高野山の立里荒神とともに日本三荒神に選ばれています。

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勝尾寺本堂

勝尾寺本堂
 大阪府箕面市(みのおし)粟生間谷(あおまたに)に勝尾寺(かつおうじ)があります。
 勝尾寺の本堂は間口5間、奥行4間、入母屋造り、本瓦葺きの建物です。 慶長8年(1603)に豊臣秀頼により再建されています。平成11年(1999)に修復され、色が鮮やかです。本尊の:十一面千手観世音菩薩を祀っています。

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勝尾寺山門

勝尾寺山門
 大阪府箕面市(みのおし)粟生間谷(あおまたに)に勝尾寺(かつおうじ)があります。
 勝尾寺の山門は三間一戸の楼門で、初層左右に金剛力士を安置し、中央が通り抜けられるようになっています。慶長8年(1603) 豊臣秀頼によって再建された建物です。山門内側の額には勝王寺と書かれています。清和天皇が最初に命名した寺号です。

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勝尾寺

勝尾寺
 大阪府箕面市(みのおし)粟生間谷(あおまたに)に勝尾寺(かつおうじ)があります。
 勝尾寺は応頂山(おうちょうざん)菩提院(ぼだいいん)と号する高野山真言宗のお寺です。西国三十三カ所の第23番の札所として有名です。本堂、山門、多宝塔、荒神堂、大師堂、二階堂などが立ち並び、紅葉の名所として大勢の人が訪れています。
 摂津国司・藤原敦房(あつふさ)の子の善仲(ぜんちゅう)と善算(ぜんさん)が、神亀4年(727)、この地に草庵を構え40年にわたって修行に励みました。天平神護元年(765)、光仁天皇の子・開成(かいじょう)皇子が2人に師事して仏門に入りました。
 2人の死後、2人を第一代座主として、宝亀8年(777)、開成が道場を造り、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建しました。宝亀11年(780)、妙観が本尊である十一面千手観世音菩薩立像を造ったといわれています。
 清和天皇の時、現寺号を賜り、以来皇室からも崇敬されてきました。元暦元年(1184)源平合戦の兵火で堂宇は焼失しましたが、源頼朝の援助により再興されました。法然上人は讃岐配流の帰途、勝尾寺内に草案を営んだといわれています。

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波太神社拝殿

波太神社拝殿
 大阪府阪南市石田に波太神社(はたじんじゃ)があります。
 波太神社の拝殿は昭和10年(1935)頃に再建された大きくて立派な社殿です。拝殿前の中央の石灯篭は慶長5年(1600)に建てられています。豊臣秀頼の重臣で社殿再建の奉行をした片桐且元が寄進したものと伝えられています。

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波太神社末社三社本殿

波太神社末社三社本殿
 大阪府阪南市石田に波太神社(はたじんじゃ)があります。
 波太神社の末社である三神社(南殿)は本殿より小型の銅板葺きの三間社流造りです。神功皇后・武内宿禰(たけのうちのすくね)・天湯河棚命を祭神として祀っています。本殿と同時期の寛永15年(1638)頃に建てられたと思われます。本殿と同じく平成5年(1993)に国の重要文化財に指定されています。

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波太神社本殿

波太神社本殿
 大阪府阪南市石田に波太神社(はたじんじゃ)があります。
 波太神社の本殿は銅板葺きの三間社流造りです。角凝命を主神とする波太宮(はたぐう)と応神天皇を祭る八幡宮があり、相の間で繋がっています。正面には千鳥破風と軒唐破風が付けられています。、
 長い庇は組木や柱、彫刻を施した虹型の梁で支えられ、側面にも手の込んだ飾りが見られます。江戸時代前期の寛永15年(1638)に建てられたことが棟木に打ち付けられた木札によってわかります。本殿は平成5年(1993)に国の重要文化財に指定されています。

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波太神社

波太神社
 大阪府阪南市石田に波太神社(はたじんじゃ)があります。
 波太神社は延喜式に名を残す式内社です。第11代垂仁天皇の時代、当地を下賜された天湯河板擧命(あめのゆかわたなのみこと)(天湯河棚命)が創祀したと伝えられています。祭神は鳥取氏の祖であるという角凝命(つのこりのみこと)です。天湯河棚命はその子孫になるといわれています。
 南北朝時代の永徳年間(1381-1383)に貝掛の指出森神社(応神天皇)を合祀し、波太八幡宮と呼ばれました。和泉国神名帳には日根郡19社の中に「正四位下波太社」と記されています。天正5年(1577)、織田信長が紀州雑賀を攻めた時、ここに本陣を置いたそうです。
 何度も兵火のため焼失し、再建されてきました。慶長年間(1596-1615)に、豊臣秀頼によっても再建されています。拝殿奥の中央にが波太神社本殿があり、左側が末社・三社本殿が鎮座しています。ともに国の重要文化財に指定されています。

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火走神社摂社幸神社本殿

火走神社摂社幸神社本殿
 大阪府泉佐野市大木に火走神社(ひばしりじんじゃ)があります。
 火走神社の摂社である幸(みゆき)神社本殿は本殿の向かって右側の社殿です。銅板葺きの、一間社春日造りです。室町時代後期の応仁から元亀年間(1467-1572)頃に建てられたと考えられています。細部に古制がよく保存され、組み物は柱にくらべて大きく力量感にあふれています。
 部材の大きな面取りや繋紅梁(つなぎこうりょう)・木鼻(きばな)・蟇股の様式、軒桁の反り増し、はね高欄などに室町時代の特色がよく出ています。正面の板扉、背面の妻組(つまぐみ)も本殿と比較して古式です。部材、壁面に彩色を施し絵を描いています。幸神社本殿は平成5年(1993)に国の重要文化財に指定されています。

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火走神社本殿

火走神社本殿
 火走神社の本殿は一間社、春日造りで、江戸時代前期の元和8年(1622)に建てられています。泉佐野市の有形文化財に指定されています。彫刻・絵画・彩色に泉南地方の特色を残しています。木鼻の種類も多く前面に彫刻を施し、頭貫を紅梁形として絵様をつけています。柱や海老紅梁に禅宗様の影響が見られ、部材には幾何学模様・金襴巻等の彩色を施しています。

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火走神社

火走神社
 大阪府泉佐野市大木に火走神社(ひばしりじんじゃ)があります。
 火走神社は式内社の古い神社で、祭神は「火の神」である 軻遇突智命(かぐつちのみこと)です。神職が燃える火の上を走り渡る神事から火走神社と名付けられたといわれます。明治以前は犬鳴山七宝瀧寺と一体であったため瀧大明神とも呼ばれました。ともに葛城修験道の根本道場でした。
 文亀元年(1501)に日野庄の支配のため下向した九条政基の日記「政基公旅引付」や、江戸時代の寛政8年(1796)に刊行された「和泉名所図会」に瀧宮、瀧大明神という名で載っているそうです。明治41年(1908)に周辺の神社を多く合祀し、戦後も丹生神社「稚日女尊」を合祀しています。
 拝殿の奥に小さな社殿が三殿が並んでいます。中央に鎮座しているのが市指定文化財の火走神社本殿です。その右隣には、国重文の摂社・幸(みゆき)神社本殿があります。境内は「日根荘遺跡」の1つとして国史跡に指定されています。

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向井家住宅主屋

向井家住宅主屋
 大阪府泉佐野市土丸に向井家住宅があります。
 向井家住宅の主屋は、間口7間、奥行5間、間取りはダイドコを土間に半間突き出す「食い違い」4間取りで、構造は桁行梁を指鴨居の間に梁を入れるところに特色があります。屋根は茅葺きで、庇には本瓦を、一番高い棟には巨大な雁振瓦(がんぶりかわら)を乗せています。

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向井家住宅

向井家住宅
 大阪府泉佐野市土丸に向井家住宅があります。
 向井家住宅は泉南地方の農家の特色がよく表れた民家です。上之郷机場に建てられていましたが、関西新空港連絡道路の建設により撤去され、現在の土丸に主屋と土蔵が移築されました。
 土蔵の棟木(むなぎ)に享和2年(1802)建立の墨書があり、主屋もその頃に建てられていると思われます。当時の生活様式を後世に伝える貴重な建物として平成5年(1993)に泉佐野市の指定文化財になっています

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慈眼院の姥桜

慈眼院の姥桜
 大阪府泉佐野市日根野に慈眼院(じげんいん)があります。
 慈眼院の姥桜(うばざくら)は本堂西の築地塀の外、日根神社の参道に面しています。根回り3mの旧主幹は、内部が朽損し空洞化しています。しかし地上から2mのところから3本の支幹が出ています。慈眼院所蔵の元禄3年(1680)の慶長年間(1596-1611)の古絵図にも描かれている老木です。姥桜は大阪府の天然記念物に指定されています。

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慈眼院金堂

慈眼院金堂
 大阪府泉佐野市日根野に慈眼院(じげんいん)があります。
 慈眼院の金堂は多宝塔の西にあり、毘沙門堂、一願薬師堂とも呼ばれます。間口3間、奥行3間、単層、寄棟造り、本瓦葺きの建物で、正面に1間の向拝を付けています。鎌倉時代後期の建治から元弘年間(1275-1332)頃に建てられています。
 四方に縁を回し、軒の高さは3.7m、軒高は7m余りあります。外観は極めて単純ですが、小堂ながら鎌倉期の端正さをよく現わしています。また柿経(笠塔婆)が保存されています。慈眼院金堂は明治36年(1903)に国の重要文化財に指定されています。

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慈眼院多宝塔

慈眼院多宝塔
 大阪府泉佐野市日根野に慈眼院(じげんいん)があります。
 慈眼院の多宝塔は石山寺、金剛三昧院とともに、日本3名塔に数えられています。檜皮葺きの、三間多宝塔で、鎌倉時代前期の文永8年(1271)に建てられています。初層の一辺が9尺(2.7m)という小さめな塔です。初層内部には大阪府指定文化財の大日如来坐像が安置されています。
 全高10mあまり、泉佐野市唯一の国宝建築物です。 多宝塔の内部には四天柱はなく、大日如来像を安置する須弥壇の背後に来迎壁があるだけです。須弥壇は、二段に組まれた仏壇の周囲に擬宝珠付きの高欄を巡らしています。慈眼院多宝塔は昭和28年(1953)に国宝に指定されています。多宝塔と同時期に建造された擬宝珠付きの高欄も、附指定で国宝に指定されています。

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慈眼院

慈眼院
 大阪府泉佐野市日根野に慈眼院(じげんいん)があります。
 大悲山慈眼院は真言宗御室派のお寺です。近世末までは、隣接する日根神社の神宮寺でした。天武天皇2年(673)、天皇の勅願寺として、井堰山願成就寺無辺光院の名で覚豪により開創されたそうです。
 奈良時代の天平年間、聖武天皇の勅願寺となり、弘法大師が来住し、弘仁6年(815)、 多宝塔、金堂をはじめとする諸堂が再興されたといわれます。南北朝の正平8年(1353)、戦火を受けて焼失し、その後、後村上天皇と後亀山天皇の勅命により再興されています。
 天正13年(1585)、豊臣秀吉の根来寺攻めの兵火を受けて全山が焼失、わずかに金堂、多宝塔が残りました。その後、慶長7年(1602)、豊臣秀頼により伽藍が再興されました。国宝の多宝塔は、石山寺、高野山金剛三昧院の塔と並ぶ日本3名塔の一つで、金堂は国の重要文化財に指定されています。また境内は「日根荘遺跡」の一部として国の史跡に指定されています。

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日根神社本殿

日根神社本殿
 大阪府泉佐野市日根野に日根神社(ひねじんじゃ)があります。
 日根神社本殿は、桃山時代の華やかな春日造りの社殿です。天正年間(1573-1593)に兵火によって焼失したものを、豊臣秀頼が慶長5年(1600に再建したものです。鵜葺草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)と玉依毘売命(たまよりひめのみこと)を祭神として祀っています。昭和47年(1972)に大阪府の有形文化財に指定されています。

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日根神社

日根神社
 大阪府泉佐野市日根野に日根神社(ひねじんじゃ)があります。
 日根神社は神武天皇が東征の際創建したと伝えられる和泉五社の一つ、和泉国日根郡の式内社です。また大井関大明神と呼ばれることから、白鳳2年(674)天武天皇が大井関山に社殿を造営し、大鳥神社の神鳳をこの地に勧請したとも伝えられています。
 日根造の祖を祀り、日根庄の惣社として信仰を集めました。社殿は天正年間(1573-1593)に兵火によって荒廃しました。慶長5年(1600)、豊臣秀頼は吉田半左衛門に命じて再建、修復させています。一帯は「日根荘遺跡」の一部として国の史跡に指定されています。

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総福寺鎮守天満宮本殿

総福寺鎮守天満宮本殿
 大阪府泉佐野市日根野に総福寺鎮守天満宮があります。
 総福寺鎮守天満宮の本殿は檜皮(ひわだ)葺きの、小規模な一間社流造りの社殿です。桃山時代の天正4年(1576)頃に建てられています。細部手法に特色があり、近世神社建築の先駆けとなるもので、部材の保存も良く、昭和53年(1978)に国の重要文化財に指定されています。

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総福寺鎮守天満宮

総福寺鎮守天満宮
 大阪府泉佐野市日根野に総福寺鎮守天満宮があります。
 総福寺鎮守天満宮は総福寺の鎮守社として建てられました。総福寺は行基によって創建された古刹でした。行基が自ら刻んだという十一面観音を本尊として信仰を集めました。しかし総福寺は廃寺になってしまい、現在は存在していません。
 総福寺天満宮の境内は「日根荘日根野村絵図」の禅林寺の場所に比定され、「日根荘遺跡」の一つに指定されています。日根荘は鎌倉中期から戦国時代まで九条家の荘園だったところです。ポツンと鎮座する総福寺鎮守天満宮本殿は国重文です。

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意賀美神社本殿

意賀美神社本殿
 大阪府泉佐野市上之郷に意賀美神社(おがみじんじゃ)があります。
 意賀美神社本殿は一間社春日造り、檜皮(ひわだ)葺きで、正面に軒唐破風(のきからはふ)をつけています。室町時代中期の嘉吉2年(1442)に建てられた社殿で、泉佐野市の神社建築では最も古く、一間社春日造りでは大阪府最古の建物です。  全体に彩色を施し、虹梁形の頭貫(かしらぬき)、禅宗様の木鼻、和様の繋梁(つなぎばり)、蟇股 (かえるまた) には細かで緻密な彫刻が彫られています。細部の意匠は室町時代の特色を踏襲しています。意賀美神社本殿は大正13年(1924)に国の重要文化財に指定されています。

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意賀美神社

意賀美神社
 大阪府泉佐野市上之郷に意賀美神社(おがみじんじゃ)があります。
 意賀美神社は延長5年(927)の延喜式神名帳に記されている古社で、高おかみ神(たかおかみのかみ)を祀っています。「おかみ」という字は雨冠の下に口を3つ横に並べ、その下に龍を入れる難しい漢字です。日本書紀にみえる神で、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)が軻遇突智神(かぐつちのかみ)を斬ったとき生まれたと伝えられています。
 高おかみ神は古事記にでてくる闇淤加美神(くらおかみのかみ)とともに雨をつかさどる神として信仰されました。「雨の神さま」「武塔の天神」と呼ばれ、樫井川流域の農民の水源神として崇敬を集めてきたようです。創祀ははっきりしませんが、継体天皇元年(507)に創建され、和銅2年(709)に社殿を造営したという説もあります。
 上之郷村字布都の山中に鎮座していましたが、天正年間(1573-1592)に焼失し、その後、現在地に遷座したようです。明治5年(1872)に村社となり、明治41年(1908)に若宮神社、弥栄神社を合祀、大正14年(1925)に郷社に昇格しています。意賀美神社本殿は、大阪府では最古のもので、国の重要文化財に指定されています。

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孝恩寺観音堂

孝恩寺観音堂
 大阪府貝塚市木積に孝恩寺(こうおんじ)があります。
 孝恩寺の観音堂は間口5間、奥行5間、単層、寄棟造り、本瓦葺きの建物です。鎌倉時代後期の建治から元弘年間(1275-1332)頃に建てられたと考えられています。前面2間は礼堂(らいどう)、その北側の中央間口3間、奥行2間を内陣とし、周囲に濡縁(ぬれえん)を廻らせています。
 連子窓、平行垂木(たるき)など全体的には伝統的な和様を基調とする落ち着いた造りです。長押 (なげし) の代わりに足固貫、内法貫などの貫(ぬきー柱を貫通する水平材)を多用する点、正面扉を桟唐戸とする点など、随所に禅宗様(ぜんしゅうよう)という鎌倉時代に伝わった新しい建築様式も取り入れています。
 また、内部の外陣に架け渡した虹梁(こうりょう)は断面円形の大仏様のものを用いています。孝恩寺の観音堂は大阪府下最古級の木造建築物で、昭和28年(1953)に国宝に指定されています。釘を1本も使用せず建てられたことから釘無堂(くぎなしどう)とも呼ばれています。

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孝恩寺

孝恩寺
 大阪府貝塚市木積に孝恩寺(こうおんじ)があります。
 慈眼山孝恩寺は浄土宗のお寺で、「木積の釘無堂」と呼ばれる観音堂で有名です。観音堂は、もとは観音寺という孝恩寺とは別のお寺で、神亀3年(726)に行基によって開基した古寺でした。近世の文献「和泉名所図会」には木積観音(こつみかんのん)と記されています。
 観音寺は明治22年(1889)に廃寺になっています。明治36年(1903)、観音堂が特別保護建造物(後の重要文化財)に指定された時は、寺院名をつけず「観音堂」として指定されました。その後、大正3年(1914)、観音堂は孝恩寺に合併され、「孝恩寺観音堂」となっています。

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千日隔夜宝篋印塔

千日隔夜宝篋印塔
 大阪府貝塚市水間に水間寺(みずまでら)があります。
 境内には千日隔夜宝篋印塔が建てられています。この宝篋印塔は享保12年(1727)に建てられたようです。基礎の一面に、前かがみになって胸の前に鈷をさげ、念仏を唱えて歩いている隔夜僧の浮き彫りがあります。阪南市の大願寺にある宝篋印塔も同じ人によって建てられています。

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お夏清十郎の墓

お夏清十郎の墓
 大阪府貝塚市水間に水間寺(みずまでら)があります。
 愛染堂の前にはお夏清十郎の墓が建てられています。清十郎に会いたい一心で愛染堂に毎晩祈願を続けたお夏がその恋を成就させたといわれています。
 水間の豪農楠右エ門の娘・お夏がこの愛染明王に祈願し、勅使であった山名清十郎との恋を成就させたといわれる「お夏清十郎」は井原西鶴の浮世草紙「好色五人女」やそれを脚色した近松門左衛門の世話物「五十年忌歌念仏」などの元になった物語です。

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水間寺愛染堂

水間寺愛染堂
 大阪府貝塚市水間に水間寺(みずまでら)があります。
 水間寺の愛染堂には愛染明王が祀られています。愛染明王は、愛欲染着を本体とする明王で、祈る者には敬愛の徳を授け、縁を結び、福を与えるといわれています。

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