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綱神社本殿

綱神社本殿
 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町上大羽に綱神社(つなじんじゃ)があります。
 綱神社本殿の、現在の社殿は室町時代中期の明徳・大永年間から寛正年間(1393-1466)に建てられたと思われます。本殿は三間社流造りと呼ばれる構造で、屋根は茅葺きです。本殿は側面1間、正面3間、前面に3間の向拝を設けています。本殿内は円柱で、内部は16角柱が使われています。向拝は面取の角柱を用い、柱下に土台を廻しています。
 縦の部材と横の部材を結ぶ斗拱は三斗組で両端は連三斗組、桁行の出組に皿斗を設け、大斗との高さを調整しています。懸魚、向拝中柱上部の手挾、木鼻など素朴で雄健の風を示し、意匠技法とも室町時代の特色をよく表しています。大正5年(1916)に国の重要文化財に指定されています。

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綱神社

綱神社
 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町上大羽に綱神社(つなじんじゃ)があります。
 綱神社は建久5年(1194)宇都宮氏の第3代当主宇都宮朝綱(ともつな)が、創建しました。朝綱は平家の中でも、かなり有力な武将で、平家没落後は源頼朝に仕え、根拠地を宇都宮に移しました。朝綱は謀反の疑いで土佐に流されました。土佐の加茂明神に祈ってその罪が許されたので、本国に帰った後、賀茂明神を勧請し社殿を建立したそうです。
 歴代宇都宮家から庇護され、文明4年(1472)には本殿が改築され、朝綱の名を取って綱明神に改称、社領15石が安堵されました。慶長2年(1597)、宇都宮国綱が豊臣家から改易を言い渡され、綱明神は衰退します。江戸時代に入ると幕府から庇護され朱印地15石が認められました。明治の神仏分離令で綱神社となっています。

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西明寺鐘楼

西明寺鐘楼

 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町益子に西明寺(さいみょうじ)があります。
 西明寺の鐘楼は享保7年(1722)に再建された建物です。3間4方、重層宝形造りで茅葺きです。一層は角柱、二層は円柱で、組物は三斗出組で、古い型の鐘楼です。梵鐘とともに栃木県の有形文化財に指定されています。

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西明寺閻魔堂

西明寺閻魔堂
 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町益子に西明寺(さいみょうじ)があります。
 西明寺閻魔堂は正徳4年(1714)に建てられました。寄棟造り、茅葺きです。堂内には県指定文化財の閻魔大王、善童子、悪童子、奪衣婆、地蔵尊の五体の仏像が並んでいます。

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西明寺本堂

西明寺本堂
 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町益子に西明寺(さいみょうじ)があります。
 西明寺の本堂は益子勝直によって開扉供養が行われ、元禄14年(1701)大改修で現在の姿になりました。本堂は栃木県の有形文化財に指定されています。本堂内部の厨子は全唐様式の一間厨子宝形造り板葺きで室町初期のものです。厨子は昭和37年(1962)に国の重要文化財に指定されています。

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西明寺楼門

西明寺楼門
 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町益子に西明寺(さいみょうじ)があります。
 西明寺の楼門は明応3年(1494)城主・益子勝直により建立されました。純唐様式で3間1戸の重層入母屋造り、茅葺きの堂々たる門です。左右の側室は前後に区切られ、前室に金剛像と仁王像を安置しています。楼門は明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。

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西明寺三重塔

西明寺三重塔
 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町益子に西明寺(さいみょうじ)があります。
 西明寺の三重塔は室町時代後期の天文6年(1537)に城主・益子家宗により建立されました。高さ18.2mの三重塔は、3間3層で、和様、唐様、折衷様の3様式で造られています。屋根は目板打の板屋根銅板葺きという珍しい葺きかたです。
 塔は高欄のない縁をめぐらし、中央間桟唐戸、脇間連子窓、中備えは中央間のみ蟇股があります。三重塔は明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。

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西明寺

西明寺
 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町益子に西明寺(さいみょうじ)があります。
 独古山普門院西明寺は真言宗豊山派のお寺で、天平9年(737)行基によって創建されたそうです。紀有麻呂が諸堂を建立し、天平11年(739)落慶供養が行われたと伝えられています。坂東33カ所第20番の札所で本尊は十一面観世音菩薩です。
 延暦元年(782)には一山12坊を数えて隆盛を極めました。康平年間(1058-1065)に益子氏初代・益子正隆が高舘城(西明寺城)を築き、西明寺は益子氏によって庇護されます。大治2年(1127)に兵火により堂塔12坊すべて灰塵に帰しましたが、治承2年(1178)に再建されました。その後、益子氏は宇都宮城城主・宇都宮氏に従う事になり、宇都宮氏からも庇護されました。承元3年(1209)に宇都宮景房によって本堂が修築されています。
 建長年間(1249-1256)には七堂伽藍が再興されて壮麗を極めました。しかし南北朝時代、南朝についた益子・宇都宮氏は北朝方に侵攻され、正平6年(1351)、益子城は落城し、西明寺もその兵火により灰燼に帰しました。応永元年(1394)に益子勝直が再興を果たし、明応3年(1494)に楼門が再建され、天文6年(1537)には益子家宗の寄進により三重塔が造営されています。
 益子氏はその後、宇都宮家・笠間氏との争いに敗れ、常陸国の佐竹氏の家臣となっています。西明寺は江戸時代に入ると徳川幕府から庇護されました。元禄14年(1701)平野亦市により本堂の再建が行われ、正徳4年(1714)には閻魔堂が建立され、享保7年(1722)には鐘楼が再建されて現在の姿になりました。

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日下田邸

日下田邸
 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町城内坂に日下田邸(ひげたてい)があります。
 日下田邸は江戸時代の寛政年間(1789-1801)に建てられました。茅葺き屋根の母屋兼仕事場は、創業時に作られた鍵屋造りの小民家です。母屋と作業場を兼ねたこの建物は平成8年(1996)、 栃木県の有形文化財に指定されています。
 日下田邸は「日下田藍染工房」でもあります。寛政年間に創業され200年以上続けてきています。藍染めを中心とした草木染による染と織が専門です。床には多くの藍甕が整然と埋め込まれています。
 綿花の栽培から綿つむぎ、織りから染めまで全工程を手がけているそうです。藍のほか、紅花や紫草、茜草による染色も手がけています。その高い技術が認められ「草木染め」として平成17年(2005)に栃木県の無形文化財に指定されました。

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円通寺一切経塔

円通寺一切経塔
 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町大沢に円通寺(えんつうじ)があります。
 境内の奥の小高い丘には一切経塔が建っています。円通寺40世良範上人が文化6年(1609)入山し、文化13年(1816)に再建したもので、3間4方の重層、屋根は頂部に露盤と宝珠をのせた宝形造りです。中世より江戸時代まで文化の中心を成した大沢文庫の面影を伝える建物で、栃木県の重要文化財に指定されています。

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円通寺表門

円通寺表門
 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町大沢に円通寺(えんつうじ)があります。
 円通寺の表門は室町時代後期の永正8年(1511)の墨書が残されています。唐様の四脚門で、切妻造り、屋根は昔は茅葺きで現在は銅板葺き、主柱と控柱は丸柱になっています。 装飾の手法は室町時代の特徴をよく表していて、大正5年(1916)に国の重要文化財に指定されています。

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円通寺

円通寺
 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町大沢に円通寺(えんつうじ)があります。
 大沢山円通寺は浄土宗名越派のお寺で、応永9年(1402)良栄上人によって開創されました。大沢文庫を設け足利学校などと並び学問所として多くの僧を育成し、大いに隆盛しました。天文10年(1541)に大伽藍の一部が焼失。天正2年(1574)には勅願所となっています。江戸時代には江戸幕府から朱印状が与えられていました。
 明和5年(1872)にも火災に遭いますが、表門と一切経塔は焼失を免れました。明治時代になって衰退しました。円通寺は県指定重要文化財の阿弥陀如来像、観音菩薩像ほか数多くの寺宝を所蔵しています。裏山には県指定重要文化財の入定塚古墳もあります。

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入野家住宅長屋門

入野家住宅長屋門
 栃木県芳賀郡市貝町赤羽に入野家住宅(いりのけじゅうたく)があります。
 入野家の長屋門は入母屋造り、茅葺きで、間口9間半、奥行2間半、中央2間半に潜戸付の扉口があります。栃木県の南東部の典型的な上層農家建築で、大きな改造もされておらず、往時の姿がよく保存されています。長屋門は昭和43年(1968)に国の重要文化財に指定されています。

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入野家住宅主屋

入野家住宅主屋
 栃木県芳賀郡市貝町赤羽に入野家住宅(いりのけじゅうたく)があります。
 入野家住宅の主屋は寄棟造り、茅葺きで一部が2階になっています。間口10間半、奥行4間半の主体部と、その上手前よりに間口7間半、奥行2間半の座敷部がくい違いに配されています。棟は前後に平行してその間を短い棟でつないでいます。主屋は昭和43年(1968)に国の重要文化財に指定されています。

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入野家住宅

入野家住宅
 栃木県芳賀郡市貝町赤羽に入野家住宅(いりのけじゅうたく)があります。
 入野家住宅は天保7年(1836)に建てられ同12年(1841)に完成した住宅です。入野家は江戸時代初期から名主を務め、この家は村民の救済事業として建てたそうです。主屋と長屋門は国の重要文化財に指定されています。
 昭和61年(1986)から63年(1988)にかけて主屋の半解体、長屋門の解体工事を行い、当時の姿に復元しています。入野家住宅は市貝町の唯一の国指定重要文化財です。

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足利氏宅跡

足利氏宅跡
 栃木県足利市家富町に鑁阿寺(ばんなじ)があります。
 約4万平方メートルに及ぶ敷地は、元々は足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、土塁と堀がめぐらされており、平安時代後期の武士の館の面影が残されています。「史跡足利氏宅跡」として、大正110年(1922)に、国の史跡に指定されています。また「日本の名城百選」にも選ばれています。

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鑁阿寺大銀杏

鑁阿寺大銀杏
 栃木県足利市家富町に鑁阿寺(ばんなじ)があります。
 国の天然記念物に指定されている大銀杏は樹齢約550年といわれています。江戸時代でも大木でした。この木の下で大日如来を前にして青年男女のお見合いが行われました。このことから縁結びの御神木といわれています。周囲9m、高さ30mで昔から避雷針の役目を果たしてくれたそうです。

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鑁阿寺多宝塔

鑁阿寺多宝塔
 栃木県足利市家富町に鑁阿寺(ばんなじ)があります。
 栃木県指定重要文化財の多宝塔は建久7年(1196)、足利義兼が創建し、寛永6年(1629)に再建された建物です。相輪の宝珠にある刻銘に、寛永6年再建の印が入っています。元禄5年(1692)徳川5代将軍綱吉の生母桂祥院尼によって改修されました。多宝塔は全長21mあり、全国でも最大級の多宝塔です。
 内部には多宝塔の本尊金剛界大日如来座像、勢至菩薩、十六羅漢像、十二神将像があります。木製の足利家大位牌、足利・徳川両将軍家位牌の他、清和天皇から源義家の7代、義国からの足利家当主、及び室町将軍家、鎌倉公方、古河公方などの位牌が安置されています。

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鑁阿寺山門

鑁阿寺山門
 栃木県足利市家富町に鑁阿寺(ばんなじ)があります。
 栃木県指定重要文化財の山門は楼門とも仁王門ともいい、建久7年(1196)、足利義兼が創建しました。現在のものは室町13代将軍足利義輝によって再建されたものです。屋根には右より「二引両」「菊紋」「五七桐紋」が入っています。 
 菊紋は花園天皇より貞氏が勅願所として受けたものであり、五七桐紋は後醍醐天皇が建武の中興時に尊氏に授けたものです。門前の堀に架かっている屋根付きの橋は太鼓橋といい、江戸時代後期の建造で、栃木県指定重要文化財です。

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鑁阿寺経堂

鑁阿寺経堂
 栃木県足利市家富町に鑁阿寺(ばんなじ)があります。
 鑁阿寺の経堂は足利義兼が、妻の供養のため一切経会を修する道場として創建したものです。間口5間、奥行5間、一重もこし付きの宝形造りで、本瓦葺きです。応永14年(1407)関東管領足利満兼により再建されたもので、宝永5年(1708)に屋根を修理しています。昭和9年(1934)に改修の際、現在のような黄土色の色彩になりました。
 中央に見上げるほどの八角形の経棚があり廻転できるようになっています。壁面には、足利尊氏から始まって室町幕府15歴代将軍の坐像があります。創建時の平面をそのままに応永・宝永の修繕で、鎌倉・室町・江戸の色彩が含まれます。経堂は昭和59年(1984)に国の重要文化財に指定されています。

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鑁阿寺本堂

鑁阿寺本堂
 栃木県足利市家富町に鑁阿寺(ばんなじ)があります。
 鑁阿寺の本堂である大御堂は大日堂ともiいい、鑁阿寺で最初に建てられ、本尊大日如来を祀っています。建久7年(1196)足利義兼が持仏堂として創建しました。その後天福2年(1234)足利義氏が大改修しています。弘安10年(1287)に落雷で炎上し、これを足利貞氏が復興しています。
 現在の堂宇は正安元年(1299)に足利家時によって再建された建物です。間口5間、奥行5間、1重、入母屋造りで正面向拝3間、軒唐破風附、背面向拝1間の本瓦葺きです。構造は雄大で手法は剛健で鎌倉後期の唐様に和様を加味した建築様式です。内部の厨子も価値の高いものです。
 脇本尊として護摩壇に薬師如来、左壇に聖観世音菩薩と聖天様を祀り、後方壇に弘法・興教大師、金剛界大日如来、鑁阿上人(義兼)像を安置しています。足利尊氏の百箇日に当たる延文3年(1358)に、ここで尊氏追善の曼陀羅供が修せられています。本堂は平成25年(2013)に国宝に指定されました。 

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鑁阿寺

鑁阿寺
 栃木県足利市家富町に鑁阿寺(ばんなじ)があります。
 鑁阿寺は山号を「金剛山」、院号を「仁王院」、坊号を「法華坊」とし、真言宗大日派の別格総本山です。建久7年(1196)、足利(源)義康が屋敷内に堀内御堂を建立し、持仏である大日如来像を祀ったの始まりとされています。
 12300坪の鑁阿寺境内には諸堂が数多く建ち並んでいます。創建当初の本堂は国宝に指定され、鐘楼、経堂は国の重要文化財です。 
 文暦元年(1234)、3代目足利義氏が堂塔伽藍を建立し足利一門の氏寺としました。 周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えています。大正11年(1922)国の史跡に指定されています。 
 中世は足利氏に庇護され寺運が隆盛し支院は12を数え、南北朝時代の終わりごろには、鶴岡八幡宮の別当になりました。足利氏の衰退とともに衰え、豊臣秀吉の兵火で堂宇の一部を焼失しましたが、天正19年(1591)徳川家康が寺領60石を寄進し鑁阿寺を再興しました。
 創建以来、災禍に合わず、中世東国史研究に必要不可欠な「鑁阿寺文書」を初めとする数多くの古文書、寺宝を有しています。鑁阿寺文書には、鎌倉期の足利義氏、泰氏、家時、貞氏の文書、室町期以降の足利尊氏、直義、鎌倉・古河公方などの文書を含んでいます。 
 室町幕府初代将軍となった足利尊氏が後醍醐天皇から賜った「日月之太刀」、尊氏愛用の「左文字太刀」、平家物語にも登場する、源家相伝の宝刀「髭切丸」、足利義氏寄進の「落葉陣刀」などがあります。

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足利学校方丈

足利学校方丈
 栃木県足利市昌平町に足利学校があります。
 足利学校の方丈は学生の講義等に使用され、茅葺屋根の建築物としては最大級のものでしたが、明治5年(1872)廃校と同時に取り壊されました。平成2年(1990)12月に復元されたものです。間口17m、奥行11m、寄棟造りで屋根は茅葺き、禅宗寺院の方丈形式であるのが特徴です。

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足利学校杏壇門

足利学校杏壇門
 栃木県足利市昌平町に足利学校があります。
 杏壇門(きょうだんもん)は入徳門、学校門と同じ寛文8年(1668)に建てられています。明治25年(1892)の火事により類焼、同30年代に再建されたものです。杏壇門をくぐり抜けると、正面に聖廟があります。扁額「杏壇」は紀伊徳川家10代藩主徳川治宝(はるとみ)の書です。

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足利学校杏壇門

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 栃木県足利市昌平町に足利学校があります。
 杏壇門(きょうだんもん)は入徳門、学校門と同じ寛文8年(1668)に建てられています。明治25年(1892)の火事により類焼、同30年代に再建されたものです。杏壇門をくぐり抜けると、正面に聖廟があります。扁額「杏壇」は紀伊徳川家10代藩主徳川治宝(はるとみ)の書です。

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足利学校学校門

足利学校学校門
 栃木県足利市昌平町に足利学校があります。
 学校門は入徳門と同じ寛文8年(1668)に建てられています。「学校様」という言葉があるくらい足利市民には愛着がある学校のシンボルです。足利学校の象徴的な門となっています。扁額「學校」の文字は明の書家 蒋竜渓(しょうりゅうけい)が来日した時の書を、当時の江戸国史館助教授の狛高庸(こまたかやす)が縮模したものです。

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足利学校入徳門

足利学校入徳門
 栃木県足利市昌平町に足利学校があります。
 入徳門は足利学校に入る最初の門です。寛文8年(1668)徳川幕府4代将軍家綱の時に建てられました。天保2年(1831)鑁阿寺(ばんなじ)安養院(あんよういん)の火災により焼失、同11年(1840)頃修築、その後明治の中頃に裏門を移転修築したと伝えられています。扁額「入徳」は紀伊徳川家11代藩主徳川斎順(なりゆき)の書です。

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足利学校跡

足利学校跡
 栃木県足利市昌平町に足利学校があります。
 足利学校跡(聖廟及び附属建物を含む)は大正10年(1921)に国の史跡に指定されています。明治36年(1903)足利町は、足利学校遺蹟図書館を設立、その後、県立足利図書館へ移管され、平成2年(1990)に建物と庭園が復元されました。平成27年(2015)には「近世日本の教育遺産群 ―学ぶ心・礼節の本源―」のひとつとして日本遺産に認定されました。

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足利学校

足利学校
 栃木県足利市昌平町に足利学校があります。
 足利学校は日本最古の総合大学です。隆盛期の天文年間には全国から多くの学徒が儒学・医学・兵学などの授業を受けました。創設については、国学の遺制説、また小野篁(おののたかむら)説、、足利義兼説など様々あります。再興したのは鎌倉にいた関東管領(かんれい)の上杉憲実でした。 
 応永26年(1419)管領の職を継いで以来、尚書正義(しょうしょせいぎ)20巻をはじめ、毛詩註疏(もうしちゅうそ)(重文)、礼記(らいき)正義(国宝)、春秋左伝註疏などを寄進しました。鎌倉円覚寺の僧であった快元を初代庠主(しょうしゅ)(校長)に招くなど学校の復興を図りました。
 憲実の子孫の憲房も父祖の志を受けて書籍を学校に寄進するなど、学校のために尽くしました。7代目の庠主・九華(きゅうか)の代になると学校はますます盛況を極め、天文年間(1530-1555)には3000人もの生徒が学んだといわれています。
 宣教師フランシスコ・ザビエルはインドのゴア政庁に「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と報告しています。
 永禄3年(1560)には小田原の北条氏政が金沢文庫の宋版「文選(もんぜん)」(国宝)を寄進しています。
 学校では、儒学を中心に易(えき)学・兵学・医学などが講義されていました。田代三喜・曲阿瀬道三(まなせどうさん)という有名な医師も育ちました。応仁の乱以後、戦国大名が最も必要としたのは卜筮(ぼくぜい)(占いの技術)でした。
 卒業者はその道の権威者として重んじられました。たとえば徳川家康に仕えた第9代の庠主・三要(さんよう)は有名です。家康に気に入られ孔子廟の修理もやってもらったほどでした。
 江戸時代末期には藩校へと移行し、明治5年(1872)廃校になりました。孔子廟と学校門を残し、それ以外の方丈などは取り壊されました。昭和57年(1982)「史跡足利学校跡保存整備事業」に着手し平成2年(1990)12月に復元され江戸中期の姿に蘇りました。

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萱野三平旧邸

萱野三平旧邸
 大阪府箕面市萱野に萱野三平(かやのさんぺい)旧邸があります。
 萱野三平は48番目の赤穂浪士として有名です。父の重利は旗本の大嶋出羽守の家臣で椋橋庄の代官でした。三平が13歳の時、大嶋家の推挙で赤穂の浅野長矩に仕えました。元禄14年(1701)、主君が切腹させられた第一報を速水藤左衛門と共に不眠不休で赤穂へ知らせています。
 浅野家断絶の後、仇討ちの連判状に名を連ねますが、重利は江戸行きを許さず、翌年の主君命日の日、ここの長屋門の一室で自害しました。享年27歳でした。「晴れゆくや日頃こころの花曇り」という辞世を残しています。
 三平は大高源吾とともに名前の知られた俳人でした。俳号の涓泉をとって涓泉亭(けんせんてい)と名付けられた記念館になっています。長屋門には、自刃の間と三平像が公開され、歴史遺産として、大阪府の史跡に指定されています。

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