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東照宮御水舎

東照宮御水舎
 栃木県日光市山内に日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)があります。
 東照宮の御水屋は神厩舎の先にある湧き水がある建物です。間口1間、奥行1間、単層、唐破風造り、妻入、銅瓦葺きで、寛永13年(1636)に建てられています。柱は4隅に3本づつ計12本あり全て御影石で造られ、水にちなんで波や竜の彫刻に極彩色が塗られています。
 手水鉢は元和4年(1618)に鍋島藩主が初代将軍徳川家康3回忌に奉納したものです。滝尾神社付近から水を引き神庫裏の石垣から落ちる水の圧力で水が噴き上がるようになっています。手水舎は明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。

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東照宮神厩舎

東照宮神厩舎
 栃木県日光市山内に日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)があります。
 東照宮の神厩舎は神馬をつないでおく厩舎です。寛永13年(1636)に建てられたもので、間口3間、奥行5間、単層、切妻造り、銅瓦葺き、妻入りの建物です。神厩舎は境内唯一の素木造(しらきづくり)の建物です。
 当初は初代将軍・徳川家康が関ヶ原の合戦の折乗馬していた馬が神馬とされていたそうです。神馬は雄の白馬が条件で、現在2頭が飼育されているそうです。百物揃千人行列の時には神馬も出馬するそうです。
 長押(なげし)上には、猿は病気から馬を守るという信仰から8面の猿の彫刻があり、誕生から大人に成長する猿の姿を描きながら、人の生き方を表わしています。その中でも参道側左から2番目にある子供時代を表した三猿の彫刻が有名です。
 国の重要文化財の見ざる・言わざる・聞かざるの三猿の彫刻は悪いことは、見ない・言わない・聞かないという意味が込められているそうです。東照宮の根本理念を現しているともいわれています。神厩舎は明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。

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東照宮上神庫

東照宮上神庫
 栃木県日光市山内に日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)があります。
 東照宮の上神庫も中神庫、下神庫と同時期の江戸前期の元和から万治年間(1615-1660)に建てられたと思われます。間口7間、奥行4間、単層、切妻造り、銅瓦葺きで、1間の向拝を付けています。重要な神宝類を収めた倉庫となっています。
 上神庫の屋根妻面には狩野探幽が下絵した「想像の象」といわれる黒と白の想像上の象の彫刻が飾られていて、東照宮三彫刻「三猿」と「眠り猫」とともに日光三彫刻の1つとされています。上神庫は明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。

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東照宮中神庫

東照宮中神庫
 栃木県日光市山内に日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)があります。
 東照宮の中神庫も下神庫と同時期の江戸前期の元和から万治年間(1615-1660)に建てられたと思われます。間口9間、奥行3間、単層、入母屋造り、銅瓦葺きで、7間の向拝が付いています。千人武者行列の装束類を収めた倉庫になっています。中神庫は明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。

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東照宮下神庫

東照宮下神庫
 栃木県日光市山内に日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)があります。
 東照宮の下神庫は江戸前期の元和から万治年間(1615-1660)に建てられたと思われます。間口7間、奥行4間、切妻造りの銅瓦葺きの建物です。千人武者行列の装束類を収めた倉庫になっています。下神庫は明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。

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東照宮三神庫

東照宮三神庫
 栃木県日光市山内に日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)があります。
 三神庫は東照宮大造替の時に建てられました。表門をくぐり右側から正面に鉤(かぎ)の手状に並んでいます。3棟とも東大寺の正倉院と同じ校倉(あぜくら)造り、高床で朱塗りの建物です。三神庫は手前から下神庫・中神庫・上神庫とよばれ、この三神庫には千人武者行列に使う1200人分の装束や舞楽用の装束などが収納されています。下神庫・中神庫・上神庫とも国の重要文化財に指定されています。

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東照宮表門

東照宮表門
 栃木県日光市山内に日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)があります。
 表門は総門とも呼ばれ東照宮五重塔広場の正面、巨石の石垣上に建立されています。総朱塗りで、切妻造り、銅瓦葺きの3間1戸の八脚門です。東西に延長120間に及ぶ簓子塀(ささらこべい)が付いています。江戸前期の寛永13年(1636)の寛永の大造替の際に奈良東大寺の転害門の三棟造(みつむねづくり)を模して建造されました。
 背面には金色の狛犬が飾られ、柱の上部には獏、象、虎、麒麟、獅子をはじめ、66の彫刻が施されています。驚くほどの極彩色に細密な彫刻、金箔が惜しみなく使われていて、江戸初期の技術の粋が凝縮されています。
 山王一実神道(さんのういちじつしんとう)の宗教理念により、神社建築と寺院建築が混在する独特の様式です。神仏混合の名残りで門の両脇に、「阿」(あ)、「吽」(うん)の一対の仁王像を安置しています。そのため仁王門とも呼ばれます。
 明治時代初頭に発令された神仏分離令により仁王像が大猷院に移され表門となりました。明治30年(1897)に再度戻され、現在の姿になりました。日光東照宮表門は明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。

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東照宮五重塔

東照宮五重塔
 栃木県日光市山内に日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)があります。
 五重塔は東照宮入口に立つ一ノ鳥居をくぐったすぐ左手に建っています。高さ約36mの朱塗りの塔です。慶安3年(1650)に若狭小浜藩主・酒井忠勝が奉納しました。吊られた心柱により高層建築の振動を調整する工夫がなされています。その後、文化12年(1815)に落雷により焼失しました。江戸時代後期の文政元年(1818)に再び酒井家の手によって再建され現在の姿となっています。
 各屋根の二重垂木は4層までがまっすぐな和様、5層目のみ扇形に広がる唐様になっています。五重塔は銅瓦葺きで、3間4面の五重塔婆で朱色を基調とし金物を金、組物、彫刻を極彩色で彩る豪勢な造りです。初層に施された十二支の彫刻は見事です。五重塔は明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。

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東照宮石鳥居

東照宮石鳥居
 栃木県日光市山内に日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)があります。
 一ノ鳥居は東照宮入口に建っています。高さ9m、柱の太さ3.6m、柱の間隔が6.8mの日本最大級の石造りの明神鳥居です。京都の八坂神社、鎌倉の鶴岡八幡宮とともに日本三大鳥居の一つに数えられています。柱に奉寄進元和四年戊午四月十七日の刻銘があります。
 石鳥居は江戸時代前期の元和4年(1618)に黒田長政が奉納したもので、石材は九州から切り出され運ばれたそうです。後水尾天皇の筆による東照大権現の勅額が掲げられています。石鳥居は明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。

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日光東照宮

日光東照宮
 栃木県日光市山内に日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)があります。
 元和2年(1616)江戸幕府初代将軍徳川家康が駿河城(静岡県)に於いて死去しました。家康は生前、病床で「我亡からん後は、先づ駿河の久能山に葬り、一周忌を経て後大織冠の例を追うて日光山に移せ、神霊ここに留って永く国家を擁護し、子孫を守るべし」と遺言を残していました。
 遺言通り一旦、家康の遺体は久能山に埋葬されました。翌年元和3年(1617),、家康の息子で2代将軍徳川秀忠は、日光に廟を造営し、改葬しました。朝廷から東照大権現の称号と正一位を与えられ東照社と称しました。
 日光山5世貫主であった慈眼大法師天海の尽力もあって、正保2年(1645)、後水尾天皇から東照宮という宮号が下され、日光東照宮と改称し、翌年、東照大権現という神号が宣下されました。

 3代将軍徳川家光は家康に対し特別に畏敬の念を抱いていました。日光東照宮への参拝は19回にも達し、寛永13年(1636)には莫大な費用と労力をかけ今までの社殿をより大規模なものに再建造営したのです。今日の絢爛豪華な社殿群を造り上げたのでした。
 日光東照宮の総奉行は秋元泰朝、棟梁は甲良宗広一派が手掛け、将軍家の威光をかけた壮大華麗な社殿建築を造り出しました。例祭には朝廷から奉幣使が派遣されたり、朝鮮通信使が参拝に訪れたりして幕府、将軍家の権威を高めました。
 東照宮では天海僧上の主張もあり山王一実神道による神仏混合を採用し、薬師如来と本地仏を祀り他の日光山内の社寺と渾然一体となっていました。
 2代将軍秀忠が建立した拝殿・唐門・多宝塔は徳川家発祥の地とされる世良田東照宮へ移築され分霊を遷座しています。

 明治時代初頭に発令された神仏分離令により日光東照宮、二荒山神社、輪王寺の「二社一寺」に集約され日光東照宮は改めて正式の神社となりました。家光の霊廟大猷院廟などは仏式の造りだったため輪王寺に帰属させられました。
 東照宮では年中行事として春秋2回、東照宮例大祭が行われます。千人武者行列といい、馬に乗った神官や神輿、鎧兜に身を固めた武者たちの行列が参道を練り歩き、流鏑馬神事も奉納されます。
 日光東照宮は現在でも多くの社殿や寺宝を所持し、特に本殿、石の間、拝殿、唐門、陽明門、東西廻廊、東西透塀は国宝に指定されています。石鳥居、五重塔、表門、三神庫、神厩舎、御水屋、輪蔵、鐘楼、鼓楼、本地堂、神楽殿、祈祷殿、神輿舎、坂下門などは国指定重要文化財です。
 奥社では銅鳥居、銅神庫、拝殿、銅宝塔、鋳抜門、石玉垣、石柵が国指定重要文化財です。輪王寺本坊、大猷院廟、二荒山神社などと共に「日光山内」として国指定史跡に指定され、「日光の社寺」として世界遺産に登録されています。

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華厳の滝

華厳の滝
 栃木県日光市中宮祠に華厳の滝(けごんのたき)があります。
 那智の滝、袋田の滝とともに日本3名瀑の一つに数えられています。高さ99m、幅10mあり、石英斑岩の上に重なる男体溶岩の落ち口から凄まじい響きをたてて滝壺に落下しています。
 男体山の火山噴出で大谷川の渓谷がせきとめられ中禅寺湖がつくられました。その湖水の流出口にこの華厳滝を出現させたのです。
 滝の中間部の岩盤のつなぎ目からは、伏流水が流れ出て十二滝と呼ばれる景観を造っています。明治36年(1903)「巌頭の感」を立木に書き滝に投身自殺した藤原操という青年のことは知られています。
 滝見物は観瀑展望台から見下ろすか、エレベータで地下に降りトンネルを通って滝壺から仰ぎ見る方法があります。また遠く明智平から遠景が臨めます。

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もみじ谷大吊橋

もみじ谷大吊橋
 栃木県那須塩原市町関谷にもみじ谷大吊橋があります。
 塩原ダム湖の上に無補剛桁歩道吊橋としては本州最大級の長さの全長320mの大吊橋があり「もみじ谷大吊橋」といわれています。
  「日本一の空中散歩」をキャッチフレーズとするこの橋は、那須塩原温泉を流れる箒(ほうき)川にかかる大橋です。平成11年(1999)4月に完成しました。吊橋の幅は1.5m、そして主塔の高さはなんと26.2mもあります。足下を見れば川面と緑のコントラストが楽しめます。
 無補剛桁(むほごうげた)という形式の歩道吊り橋はワイヤーロープを横に張ることで強度を高める構造になっています。吊橋を渡るともみじ谷公園があり自然と親しめます。秋には橋上からダイナミックな紅葉が堪能できます。

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殺生石

殺生石
 栃木県那須郡那須町湯本に殺生石(せっしょうせき)があります。
 那須湯本温泉の源泉となっている「鹿の湯」の西方に、山肌がむき出しで草木の絶えた谷あいがあり、この奥に、かの殺生石があります。殺生石の周辺からは、硫化水素や亜硫酸ガス、砒素などの有毒ガスが噴出しています。
 殺生石は伝説の白面金毛九尾の狐が追われ、身を隠すために化けたといわれる大石といわれています。石に化けた九尾の狐の妖怪が近づく者に毒気を出して命を奪ったそうです。

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那須高原

那須高原
 栃木県那須郡那須町に那須高原(なすこうげん)があります。
 那須高原の中心は那須火山脈です。標高1915mの茶臼岳は今も噴煙を上げている活火山です。9合目まではロープウエイで登ることができます。
 山頂付近は、高山植物の宝庫です。頂上からは磐梯山、吾妻山、帝釈山、日光連山、那須野ケ原の広大な眺めを楽しめます。
 那須温泉は今から1300年前の 「鹿の湯」の発見に始まるとされています。神のご託宣を受けた狩野三郎行広が温泉を鹿の湯と名づけ那須温泉神社を祀ったそうです。

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唐の御所横穴

唐の御所横穴
 栃木県那須郡那珂川町和見岩下に唐の御所横穴(からのごしょよこあな)があります。
 唐の御所横穴は岩下地区にある国指定の遺跡で、6世紀後半から7世紀初頭頃の横穴古墳群です。 和見(わみ)・北向田(きたむかだ)から小口に至る西尾根に横穴墓群が散在しています。そして、これらを有名にしているのが唐の御所です。
 横穴はほぼ真南に向いて開口し、内部は横穴式石室と同じで玄室や玄門、羨道などがあります。玄室の長さは2.75m、中央での幅が2.34m、高さは奥壁前縁で1.9mで、玄室全体があたかも一戸の住宅を思わせるような構造です。
 天井は中央に棟木をつくり出し、左右に切妻の屋根に似せた勾配を持たせています。玄門の外側に戸をはめ込むための彫り込みが施してあり、全国的にみても精巧な遺構です。
 唐の御所は1300年前の横穴の墓で昭和9年(1934)に国の史跡に指定されています。周辺には、遠見穴、姫穴などの名称で呼ばれる横穴墓があります。

唐の御所伝説
 平将門の滅亡後その家来の三島城主小高出雲守将良が一族を率いて落ち延びてきました。黄泉寺という一寺を建立した所、後、将門の娘もこれを頼ってこの地に逃れてきたそうです。
 剃髪して如蔵比丘尼と称しました。洞穴に潜んで一子相馬太郎良門を 生みました。その秘密が外に洩れることを恐れて、唐の王妃が配流され隠れ住んでいるといいふらしたそうです。そのために唐の御所と呼ばれるようになりました。

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専修寺楼門

専修寺楼門
 栃木県真岡市高田に専修寺(せんじゅじ)があります。
 専修寺の山門でもある楼門は江戸時代中期の元禄年間(1688-1703)の建築といわれています。如来堂の正面に位置しています。入母屋造り、桟瓦葺きの一間一戸の楼門です。楼上には、江戸時代に天台座主であった公猷親王の筆になる「高田山」の扁額が掲げられています。昭和56年(1981)、国の重要文化財に指定されています。

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専修寺総門

専修寺総門
 栃木県真岡市高田に専修寺(せんじゅじ)があります。
 専修寺の総門は江戸時代前期の元和から万治年間(1615-1660)に建てられたと思われます。親鸞聖人によって建立された専修寺の伽藍は嘉禄2年(1226)に整いましたが、その後2回の火災により総門以外のほとんどの建物が失われてしまいました。
 総門は一間薬医門です。切妻造り、茅葺きです。境内の建物の中で最も素朴な建物で、総門は昭和56年(1981)に国の重要文化財に指定されています。

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専修寺如来堂

専修寺如来堂
 栃木県真岡市高田に専修寺(せんじゅじ)があります。
 専修寺の如来堂は一光三尊仏を本尊として安置するお堂です。総門、楼門の軸線上に束面配置されています。江戸時代中期の元禄14年(1701)の建築といわれ、各柱に寄進者の刻名があります。間口5間18.03m、奥行5間10.04mの入母屋造り、一重、銅板葺きです。正面に千鳥破風が付き、1間の向拝がある本堂らしからぬ建築です。
  現在は銅板葺きですが、もとは茅葺きで天保6年(1835)に銅板葺きに改めたと記されています。柱はすべて円柱となっており、その上の木組みは三手先の詰組みという複雑な 構造になっています。中世密教寺院の仕様で昭和56年(1981)に国の重要文化財に指定されています。

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専修寺御影堂

専修寺御影堂
 栃木県真岡市高田に専修寺(せんじゅじ)があります。
 境内のほぼ中央にある専修寺の御影堂(みえいどう)は浄土真宗の開祖である親鸞を祀るお堂です。墨書から江戸時代中期の寛保3年(1743)に建てられています。間口9間23.71m、奥行8間20.07mの大型建築です。単層寄棟造り、銅板葺きで3間の向拝があります。外廻りは派手な装飾を抑えた地味なお堂ですが、中は華麗な装飾が施されています。
 親鸞聖人等身御影 (栃木県指定重要文化財)を正面にし、両脇壇に真仏上人坐像と顕智上人坐像(ともに国指定重要文化財) を安置しています。御影堂の大きさは栃木県下では日光の三仏堂に次ぐ建物です。昭和56年(1981)に国の重要文化財に指定されています。

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専修寺

専修寺
 栃木県真岡市高田に専修寺(せんじゅじ)があります。
 高田山専修寺は親鸞開創のお寺で、真宗教団連合を構成する浄土真宗10派のうちの一つ,・真宗高田派に属しています。専修寺の創建は嘉禄元年(1225)真岡城主大内氏の懇願により親鸞が信濃善光寺から迎えた秘仏の一光三尊仏を安置し堂宇を建立したのが始まりとされています。
 親鸞の教化活動はそれまでの遊行から専修寺中心になり、建立後約7年間この寺で過ごし、この時期に「教行信証」を書いたそうです。そして北関東の布教の中心として地位を固め、嘉禄2年(1226)には後堀川天皇から「専修阿弥陀寺」という勅願寺の綸旨を受けました。
 親鸞が京都に帰るとき、道場は直弟子真仏上人に譲りました。真仏上人の後は顕智上人が継ぎ、高田教団は初期真宗教団発祥の地として仰がれました。顕智上人の功績は大きく、今日も「念仏高田」いわれ、毎年8月の顕智忌には、宗派を越して数万の人が参詣するそうです。
  寛正6年(1465)に新たに伊勢に専修寺を建立しそちらを本山としました。その時には後柏原天皇より高田専修寺を正統とすべき綸旨を賜っています。さらに正親町天皇から女房奉書を賜り門跡寺院になりました。以後寺運は隆盛し、今日に至っています。
 真宗寺院では親鸞を祀る御影堂と如来堂(阿弥陀堂)を並べて建てますが、専修寺では総門、楼門、如来堂が一列に並び、そこから矩折りに御影堂が配されています。
 昭和42年(1967)国の史跡に指定され、昭和56年(1981)、如来堂・御影堂・楼門・総門の4棟の建造物が重要文化財に指定されました。親鸞縁の寺宝も多数所有しています。境内の奥の林の中には、親鸞聖人のお墓があり、 聖人の遺歯が9粒埋葬されているそうです。

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桜町陣屋跡

桜町陣屋跡
 栃木県真岡市物井に桜町陣屋跡(さくらまちじんやあと)があります。
 桜町陣屋跡は「二宮金次郎」で有名な二宮尊徳が、付近の農村を復興するための仕事をしていた役所の跡です。文政5年(1822)から天保8年(1837)までの間、二宮金次郎はこの陣屋に赴任し農村の復興に尽力しました。
 敷地の中には、役所のほか、役人詰め所、木小屋、板倉などが建てられ、実用的で質素な家屋です。農民に「勤・倹・譲」を教えとする報徳仕法を広めながら、荒れた農村を見事に復興させました。桜町陣屋跡は昭和7年(1932)に国の史跡に指定されています。

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大前神社鳥居

大前神社鳥居
 栃木県真岡市東郷に大前神社(おおさきじんじゃ)があります。
 享和2年(1802)建立の大前神社の鳥居は屋根付きの、高さ中央6.1mの両部鳥居です。両袖部がある両部式鳥居の代表的なものです。大前神社参道の第3の鳥居で、全体の形もよく整っています。木造の鳥居では現在する江戸時代のものとしては県内最大です。天明3年(1783)の銅燈籠とともに栃木県の重要文化財に指定されています。

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大前神社本殿

大前神社本殿
 栃木県真岡市東郷に大前神社(おおさきじんじゃ)があります。
 大前神社本殿は宝永4年(1707)に再建された建物です。間口3間、奥行2間の権現造りで銅板葺きです。正面には1間の向拝が付いています。組物の龍の彫刻のほか、柱や壁の幾何学意匠の地紋彫など、随所を秀逸かつ先駆的な手法で飾っています。これらは名工藤田孫平治を棟梁として彫られました。孫平治は、成田山新勝寺の三重塔の彫刻も施しています。本殿は平成30年(2018)に国の重要文化財に指定されています。

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大前神社拝殿・幣殿

大前神社拝殿・幣殿
 栃木県真岡市東郷に大前神社(おおさきじんじゃ)があります。
 大前神社拝殿は江戸時代中期の元禄元年(1688)に再建されています。間口5間、奥行3間、単層入母屋造り、銅板葺き、平入で、千鳥破風が付き、正面には1間の軒唐破風の向拝があります。向拝には龍や獅子の精緻な彫刻が施され極彩色で彩られています。幣殿は17世紀末頃に造営されたもので、間口2間、奥行1間、寄棟造り、銅板葺きです。拝殿と幣殿は平成30年(2018)に国の重要文化財に指定されています。

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大前神社

大前神社
 栃木県真岡市東郷に大前神社(おおさきじんじゃ)があります。
 大前神社は延喜式神名帳に記載されている古社です。延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳には下野国11社のうちの芳賀2社の1つとして記載され、大内庄33郷の総社として信仰されてきました。歴代領主にも崇敬され平将門や芳賀氏は社領の寄進や社殿の造営を行っています。
 芳賀氏は、大前神社の東に若色城を、次いで南に御前城を築き、22代芳賀十郎清原高定に至るまで大前神社社領守護職を兼ねていました。ところが芳賀氏の主家である宇都宮氏が突然、豊臣秀吉により改易され、芳賀氏も所領没収され離散しました。、
 天正18年(1590)徳川家康が江戸入府の時に再興され、糸魚川藩から真岡藩に入封した稲葉正成は社殿の改修を行っています。寛永9年(1632)に稲葉氏が小田原藩に移封し真岡藩は廃藩になりました。慶安元年(1646)、3代将軍徳川家光から8石の朱印状を受け取っています。
 明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治6年(1873)に郷社、明治10年(1877)に県社に列しています。事代主命(恵比寿天)を祀り、境内には台座7m、本体13mという日本一の恵比寿様が鎮座しています。拝殿・幣殿と本殿は国の重要文化財に指定されています。

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二宮神社

二宮神社
 栃木県真岡市物井に二宮神社(にのみやじんじゃ)があります。
 二宮神社は尊徳資料館、桜町陣屋跡に隣接しています。二宮尊徳没後50年の明治38年 (1905)に尊徳の遺徳を偲び霊を祀って隣の桜町陣屋内に創建されました。 昭和11年 (1936)の二宮尊徳没後80年に現在の位置に移り、 社殿も新たになりました。
 毎年、 二宮尊徳の命日である11月17日 (旧暦の10月20日)に祭礼が執り行われます。尊徳資料館には、尊徳直筆の書や尊徳が愛用した陣笠・脚絆、脇指し、茶器、火鉢などを展示しています。二宮神社の南の蓮城院には、二宮尊徳のお墓があります。

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地蔵院観音堂

地蔵院観音堂
 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町上大羽に地蔵院(じぞういん)があります。
 地蔵院観音堂は3間4面、寄棟造りで銅板葺きです(以前は茅葺きでした)。間口4.02m、奥行4.02mで高さは5.75mです。簡素な作りで茅負に年代の古さを見ることができます。地蔵院観音堂は益子町の有形文化財に指定されています。

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地蔵院本堂

地蔵院本堂
 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町上大羽に地蔵院(じぞういん)があります。
 地蔵院の本堂は、間口5間(12.18m)、奥行4間(9.74m)、一重の入母屋造りで、屋根はとち葺き形の銅板葺きです。室町時代後期の天文11年(1542)に現在地に移築され、文化7年(1810)頃に地蔵院の火災により、本堂となったようです。須弥壇には鎌倉時代の厨子があり、本尊である延命地蔵菩薩像が安置されています。
 地蔵院の本堂は木割の細い構造で洗練された斗拱や簡単な桟唐戸、内部の波形連子欄間、一木造りの斗拱などの手法は室町期の特徴を良く示しています。本堂は大正5年(1916)国の重要文化財に指定されています。

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地蔵院

地蔵院
 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町上大羽に地蔵院(じぞういん)があります。
 地蔵院は真言宗智山派のお寺で、本尊は延命地蔵菩薩です。建久5年(1194)、宇都宮氏の第3代当主宇都宮朝綱(ともつな)が、長男業綱(なりつな)を亡くし、その菩提を弔うため尾羽寺を創建しました。朝綱は平家の中でも、かなり有力な武将で、平家没落後は源頼朝に仕え、根拠地を宇都宮に移しました。
 朝綱は、仏道に入って尾羽入道寂心と名乗り尾羽寺を宇都宮氏の菩提寺としました。宇都宮氏は戦国大名にまでなり、尾羽寺も庇護され繁栄しました。天正12年(1584)、宇都宮国綱に背いた七井城の城主益子勝忠がこの尾羽寺で毒殺されています。しかし慶長2年(1597)に国綱が豊臣家から改易を言い渡され、尾羽寺は衰退します。跡を継いだ宇都宮義綱は水戸藩に仕えました。
 江戸時代の中期頃までは尾羽寺でしたが、文化年間(1804-1818)に火災で地蔵院が火災で焼失と記され、江戸時代の後期には真言宗の地蔵院になっています。地蔵院の本堂は旧国宝で、現在は国指定重要文化財です。境内には推定樹齢が600年といわれる糸桧葉(いとひば)があります。ひのき科ヒノキ属で、樹高5~6m、サワラの変種です。昭和60年(1985)に益子町の天然記念物に指定されています。

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綱神社摂社大倉神社本殿

綱神社摂社大倉神社本殿
 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町上大羽に綱神社(つなじんじゃ)があります。
 綱神社の摂社・大倉神社の本殿は大倉林(現大羽小学校)に古くから鎮座していました。大同2年(807)の創建と伝わる古い神社で、綱神社の摂社となり、綱神社本殿の隣に遷座されています。大倉神社の本殿は室町時代後期の大永7年(1527)に建てられたと思われます。大正12年(1923)に国の重要文化財に指定されています。
 本殿は1間4面、前面に1間の向拝を設けています。向拝柱は面取角柱を使用し、本殿は円柱で内部を8角作りにのままにしています。斗拱は三斗組で向拝中央に蟇股を備えています。綱神社と同様に規模は小さめですが室町時代の特徴をよく表しています。

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