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西光寺

西光寺

 長野県上田市富士山(ふじやま)に西光寺(さいこうじ)があります。
 松本山西光寺は真言宗智山派のお寺です。真言宗の開祖である空海(弘法大師)が大日如来と阿弥陀如来の仏像を彫って、小堂を建てたのが始まりといわれています。塩田城主となった北条国時が崇高な光が、この2体の仏像を祀った小祠から出ている事を突きとめました。
 そして、正応4年(1291)に北条氏が開基となり、足利市の足利鶏足(けいそく)寺の実勝和尚を招き、開山したそうです。そして小祠の大日如来を移し西光寺の本尊にしました。武田信玄の庇護を受け繁栄しました。その後、江戸時代の延宝6年(1678)、西光寺は前山寺の末寺となりました。
 享保元年(1716)に本堂が再建され、宝暦6年(1756)には山門である鐘楼門が建てられています。弘化3年(1846)、本堂と庫裡などが火災のため焼失してしまいました。阿弥陀堂と山門は幸い難を逃れたそうです。
 寺宝の紙本墨書武田信玄朱印状が残されています。元亀元年(1570)、西光寺が武田信玄に鎖張(仏具)を進上したことに対し、信玄の家臣・三枝勘解由左衛門尉が西光寺に信玄からの褒美を与えた事が記されています。この朱印状は昭和55年(1980)に上田市の指定文化財になっています。

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寒松院の墓

寒松院の墓
 長野県上田市中央北に大輪寺(だいりんじ)があります。
 大輪寺の東側の高台に寒松院の墓が建てられています。真田昌幸の夫人で、長男信之(のぶゆき)、次男の幸村こと信繁(のぶしけ)の生母になります。信濃守護小笠原家家臣・宇多頼忠の娘とか、武田家家臣・遠山右馬助の娘とか、公卿の今出川春季の養女とか、公家の正親町氏の関係する娘とか、諸説あります。
 永禄7年(1564)頃、武田信玄の養女となり、武藤喜兵衛(後の真田昌幸)に嫁ぎました。その後、長男信幸(後の信之)と共に武田家に送られ、天正10年(1582)の頃は甲斐の新府城、関ヶ原の戦い直前には大阪城に人質と送られました。慶長18年(1613)に死去、戒名は「寒松院殿宝月妙鑑大姉」です。

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大輪寺本堂

大輪寺本堂
 長野県上田市中央北に大輪寺(だいりんじ)があります。
 大輪寺の本堂は宝永2年(1705)に再建された大きな堂宇です。間口9間、入母屋造り、桟瓦葺きで、山門と同様に真田家が善光寺を修復した際の木材を使って建てられたといわれています。大棟には真田家の六文銭が飾られています。

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大輪寺山門

大輪寺山門
 長野県上田市中央北に大輪寺(だいりんじ)があります。
 大輪寺の立派な山門は上田では最大です。入母屋造り、桟瓦葺きの、一間一戸の楼門形式です。楼門上には十六羅漢が安置されているそうです。松代に移封された真田家が善光寺修理の際に一緒に材料調達し、建てたものといわれています。
 山門を中心に手前には左右に大きな池があり、山門の左右は回廊がめぐらされています。上田城の支城としての機能も有し、いざという時には城郭として守れる造りになっているのです。

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大輪寺中門

大輪寺中門
 長野県上田市中央北に大輪寺(だいりんじ)があります。
 老杉の間に200年前に造営されたという大輪寺の中門があります。「天照山」という山号額は松代藩8代の真田幸貫藩主が書いたものだそうです。

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大輪寺

大輪寺
 長野県上田市中央北に大輪寺(だいりんじ)があります。
 天照山大輪寺は曹洞宗のお寺です。創建ははっきりしませんが、昔は真田方面にある戸石城のふもとの畑山にあったといわれています。
 真田昌幸が上田築城の時、夫人の寒松院(法号)の発願により、上田城の鬼門にあたる現在地に再建されました。生前の寒松院は山手殿とか京の御前と呼ばれ、昌幸の3回忌に自害したと伝えられています。大輪寺には寒松院の墓があります。
 真田家が松代に移封されたあとは一時衰退したようです。仙石上田藩3代藩主・仙石政明が貞享元年(1684)、仙石忠政(法光院殿天庵宗智大禅定門神儀)の位牌を収めた事で位牌所となり、毎年籾を10俵支給され再興したそうです。

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毘沙門堂

毘沙門堂
長野県上田市常田に毘沙門堂があります。
 四天王の1神多聞天は独尊として信仰されると毘沙門天となるそうです。毘沙門天が祀られている所が毘沙門堂です。
 信州大学繊維学部付近にこの小さな毘沙門堂があります。ここを有名にした人は活文(かつもん)禅師です。
 活文禅師は松代藩士の子として生まれ、10才の時、長和町の信定寺に入り得度したそうです。25才の時に長崎へ遊学し書や清の言葉などを習得したそうです。
  江戸に出た後、文化4年(1805)信定寺に戻り、住職になったそうです。14年後、上田の龍洞院の住職になりました。文政12年(1829)住職をやめていた禅師はこの毘沙門堂に移りました。
 門下生の中には佐久間象山、赤松小三郎など多くの進取の若者がいました。象山、小布施の豪商・高井鴻山、山寺常山は活文門下の三山とうたわれたそうです。

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八幡社拝殿

八幡社拝殿
 長野県上田市中央西(紺屋町)に八幡社があります。
 八幡社の拝殿には高さ102cm、横160cmの白黒一対の鷹の大絵馬が奉納されています。これは上田藩主であった仙石政明が献上した絵馬で東信地方では最も大きいものといわれています。
 黒鷹の絵馬は滝を背景に岩上から獲物を狙っており、白鷹の絵馬は松の大樹の枝に舞い降りてあたりを警戒しつつ翼を納めようとする様子が描かれているとのことです。
 貞享5年(1668)の頃の作ということで、東信地方では最古の絵馬だといわれ、雪舟の流れを汲む長谷川信舟が描いたといわれています。この絵馬は昭和60年(1985)に上田市の有形文化財に指定されています。

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八幡社

八幡社
 長野県上田市中央西(紺屋町)に八幡社があります。
 八幡社は上田城鎮護のため、真田昌幸が海野郷(東御市)から移して建立した神社だといわれています。
 真田氏のあとも仙石氏、松平氏の崇敬篤く、藩主自ら参拝したようです。弓矢の神を崇めて毎年正月3日に射初式が行われました。
 見事、的に当てた者は14日の宵祭りと翌15日未明にその的と矢を奉納したそうです。この儀式を幕末まで続けられました。
 干ばつの年には科野大宮社、大星神社を含めた3社合同で雨乞い祈願をしたそうです。

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科野大宮社御神木

科野大宮社御神木
 長野県上田市常田に科野大宮社(しなのおおみやしゃ)があります。
 御神木のケヤキの木は江戸時代の旅行案内絵図で上田を描いた場面には必ず登場したそうです。枯れた御神木を惜しんで元禄5年(1692)仙石氏が屋根を掛け、宝永7年(1710)には松平氏が掛け直したそうです。記録によると、樹の勢いが盛んな頃は朝日が昇る時、木の影は千曲川の川原まで達し、夕日が沈む時には国分寺にまで及んだという伝説があるそうです。

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科野大宮社本殿

科野大宮社本殿
 長野県上田市常田に科野大宮社(しなのおおみやしゃ)があります。
 科野大宮社の本殿は万延元年(1860)に藩主の松平忠礼が拝殿とともに再建したといわれています。

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科野大宮社六所明神社

科野大宮社六所明神社
 長野県上田市常田に科野大宮社(しなのおおみやしゃ)があります。
 科野大宮社の六所明神社は天正年間中(1573-1590)上田城築城の際、この地に遷座されたそうです。信濃国分寺と、この神社の修理だけは直接上田藩の手によって行われたそうです。

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科野大宮社稲荷社

科野大宮社稲荷社
 長野県上田市常田に科野大宮社(しなのおおみやしゃ)があります。
 科野大宮社にある稲荷社は上田城内にあった稲荷社です。祭神は保食神(うけもちのかみ)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)だそうです。五穀豊穣の農耕の神様で殖産、商工業の繁栄の守護神だそうです。
 松平氏が慶安年間(1648-1651)、丹波亀山城在城の際、創設され、宝永元年(1704)に上田城に移封された時、三の丸に遷座されました。廃藩の明治4年(1871)に子安社とともに科野大宮社に移されたのでした。

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科野大宮社子安社

科野大宮社子安社
 長野県上田市常田に科野大宮社(しなのおおみやしゃ)があります。
 科野大宮社境内に子安社があります。 嘉永5年(1853)に上田藩主松平氏が佐久郡三塚子安社を勧請し、上田城の三の丸に社殿を創建し鎮座された社殿です。
 明治4年(1871)、藩が廃止された時、矢出沢川より南の鎮守であった科野大宮社に遷座されました。

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科野大宮社

科野大宮社
 長野県上田市常田に科野大宮社(しなのおおみやしゃ)があります。
 科野大宮社は延喜式以前からこの地にある古い神社です。地元の人からはおおみやさんと親しみを込めて呼ばれています。
 崇神天皇の御代、建五百建命を科野国(信濃国)の国造に任命しました。上田に国府を置き、国魂の神である科野大宮社を創祀して住民の安全を祈願したのです。信濃国総社でもあったようです。
 天慶元年(938)、平将門の乱が起こりました。平定するために送られた平貞盛の軍と戦になりました。国分寺と千曲常田河原が戦場になり、信濃国分寺諸堂と科野大宮社の社殿楼門神庫は焼失してしまいました。付近の民家数百戸も焼け出されたそうです。
 天正13年(1585)、徳川家康は鳥居元忠、大久保忠世らを将とし、信濃・甲斐などの軍勢もあわせ総勢7千の大軍を真田昌幸の居城上田城攻撃に向かわせました。これが第一次上田合戦です。
 この時期、家康は羽柴秀吉と対立していました。天正12年(1584)に小牧・長久手の戦いがあり北条氏と講和する必要がありました。その講和の文書の中に、真田昌幸が治めていた沼田を北条に渡すという一項がありました。
 この時点まで、昌幸は徳川に臣従していましたが、「沼田は弓矢に問うて切り取った土地 徳川殿からの頂戴した土地ではない」と沼田の引渡しを拒絶し、敵対したのでした。そのため徳川は上田を攻撃することになったのです。
 昌幸は徳川軍を城下に入れ、町屋に火を放ちました。折からの風にあおられ、火は徳川軍を襲いました。随所に設けた柵で動きが取れない大軍に一斉に鉄砲が撃たれました。徳川軍は総崩れとなり撤退することになったのです。この一帯はその戦いの激戦地になり再び焼失したのです。

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今井兼平墓

今井兼平墓
 長野県上田市諏訪形に荒神宮があります。
 木曽義仲の重臣、今井兼平の墓です。荒神宮には石造五輪塔があり上田市の有形文化財に指定されています。巴御前が義仲の子をここにかくまっていたともいわれています。

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荒神宮本殿

荒神宮本殿
 長野県上田市諏訪形に荒神宮があります。
 荒神宮の本殿は覆屋でおおわれています。昭和43年(1968)に上田市の有形文化財に指定されています。太郎山神社や金昌寺なども手掛けた名工のほまれ高い竹内八十吉の芸術です。
 三間社流造りで唐破風の向拝、屋根は柿葺きです。三面が切目縁脇障子付きの造りになっています。特に彫刻は華麗です。柱の上は竜・獅子・象などでうめつくされ、軒先には大きな鳳凰が飾られています。

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荒神宮

荒神宮
 長野県上田市諏訪形に荒神宮があります。
 地元では荒神さんと親しみを込めて呼ばれています。荒神という神様は一般に、家内安全・火の神・かまどの神とされています。
 上田藩主であった真田氏、仙石氏、松平氏からも祟敬篤く、仙石氏からは元和元年(1615)、神料地として諏訪形字豊田沖に6石1升5合を拝領しています。
 治承4年(1180)、高倉宮の平家追討の宣旨をうけた木曽義仲はこの地に滞陣しました。家来の今井兼平の子を、この荒神宮につかわして戦勝祈願しています。
 別当の職名を受けた文化8年(1811)、若宮、高町の大火災で荒神宮も焼失したそうです。文久3年(1863)、彫刻家としても有名な大工棟梁竹内八十吉によって再建されています。

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大星神社社叢

大星神社社叢
 長野県上田市中央北に大星神社があります。
 大星神社の社叢(しゃそう)つまり神社の森は昭和44年(1969)に上田市の天然記念物に指定されています。参道の両側の太いケヤキの並木をはじめ、桧、唐松、銀杏、桜など多くの樹木があります。近くには前方後円墳の双子塚古墳があります。

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大星神社

大星神社
 長野県上田市中央北(大星東)に大星神社(おおぼしじんじゃ)があります。
 大星神社は矢出沢川より北の房山(旧房山村)と山口(旧山口村)などの氏神です。科野大宮社、八幡社とともに上田城下の鎮守となっていました。
 大星神社は健御名方刀美命(たけみなかたのみこと)、前八坂刀売命(さきのやさかとめのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)を祭神として祀っています。
 創建時期は不明ですが延長2年(924)に社殿改造の記述があります。寛和2年(986)、花山院法皇より勅願3面(大法性大法師大星)を賜ったことから明治初頭まで大星明神と称したそうです。
 鎌倉幕府は地頭上田太郎佐恭に社殿を造営させました。文明年間(1469-1486)に海野幸氏が社頭造営、永正年間(1504-1520)に村上顕国が神領を寄進しました。
 武田信玄は上田原合戦の際、祈誓文を掲げています。慶長6年(1601)、真田信之は金銭とともに神領を寄進しています。寛保元年(1741)、出羽上山城主松平信将は社殿を造営しました。
 明治11年(1878)に大星明神を上田神社と改め、昭和2年(1927)に県社に列格されました。そして昭和16年(1941)に大星神社となったそうです。

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こんにゃくパーク

こんにゃくパーク
 群馬県甘楽郡甘楽町小幡にこんにゃくパークがあります。
 こんにゃくパークは平成26年(2014)に誕生したこんにゃくのテーマパークです。約2万平方mの敷地に建てられた施設は2階建てで、延床面積は9千平方mと大きな施設です。従前のこんにゃく博物館から、スケールアップしています。
 こんにゃく・白滝工場ゾーン、ゼリー工場ゾーン、バイキング・おみやげゾーンの3つのゾーンがつながっていて、無料のバイキングコーナーもあります。日本最大級のこんにゃく製品生産量を誇る「ヨコオデイリーフーズ」が運営しています。
 明治初期に富岡市の篠原粂吉がこんにゃく芋を製粉化することに成功し、群馬県の特産品になりました。受付でちょっとしたアンケートに答えるだけで、無料で2階から工場内を見ることができます。平成27年(2015)には足湯がオープンしています。

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甘楽町歴史民俗資料館

甘楽町歴史民俗資料館
 群馬県甘楽郡甘楽町小幡に甘楽町歴史民俗資料館があります。
 資料館は楽山園にほど近い旧小幡藩陣屋大手門の場所に建てられています。甘楽町の歴史や養蚕の歴史が紹介されています。甘楽町は昔、瓦職人が大勢おり、富岡製糸場の外壁のレンガなどもここで焼いていたそうです。
 レンガ造り、2階建て、延床面積289平方mのこの資料館の建物は、大正15年(1926)に甘楽社小幡組製糸工場の繭倉庫として建てられた建物です。養蚕最盛期を象徴する建物として、昭和61年(1986)に町の重要文化財に指定されています。

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楽山園

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 群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡に楽山園(らくさんえん)があります。
 楽山園は江戸時代初期に、織田信長の次男・信雄(のぶかつ)によって築庭された小幡藩2万石の藩邸にある群馬県唯一の大名庭園です。10年かけた復元工事を終え、平成24年(2012)に一般公開されました。
 江戸時代初期の池泉回遊式の庭園で、平成12年(2000)に国の名勝に指定されました。論語の「智者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」から楽山園と名付けられたそうです。
 「戦国武将庭園」から「大名庭園」へと移行する過渡期の庭園の特色がみられます。「梅の茶屋」や「腰掛茶屋」があり、「庭園と茶事」を巧みに演出しています。広い昆明池の周りに48ものいろは石を配し、熊倉山と紅葉山を借景として取り込んでいます。
 織田信雄は本能寺の変の後、秀吉と対立しますが、小牧・長久手の戦いの後、攻められて講和させられます。元和元年(1615)、徳川家康に大和宇陀藩3万石と上野甘楽郡2万石を与えられました。
 庭園のほかに、梅の茶屋、腰掛茶屋、土橋・土塀・井戸、拾九間長屋、庭門、北裏門・管理門、中門なども復元されています。

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箕輪城跡

箕輪城跡
 群馬県高崎市箕郷町西明屋・東明屋に箕輪城跡(みのわじょうせき)があります。
 箕輪城は、西は榛名白川の断崖に臨み、南は榛名沼、東と北は水堀を廻らしている平山城です。標高270mの地に東西約500m、南北約1100m、面積約47ヘクタールにおよぶ広大な城でした。
 箕輪城は明応・永正年間(1492-1521)に長野業尚によって築かれ、子の信業により強化され、4代にわたり長野氏の本拠地となりました。信業の子・業正は、上杉氏の後ろ盾で、箕輪衆とともに武田信玄の攻撃をかわし繁栄させました。
  業正の死後、子の業盛は西上野へ侵攻してきた信玄により、永禄9年(1566)総攻撃され、遂に落城し自刃して果てました。その後は武田の上野の拠点となりましたが、武田氏が滅亡すると滝川一益が在城、信長の死後は北条氏邦が入りました。
 天正18年(1590)、徳川家康の関東移封で、箕輪城は12万石をもって井伊直政に与えられました。直政は慶長3年(1598)に高崎城に移封し、それに伴い箕輪城は廃城となりました。昭和62年(1987)に国指定史跡となり、平成17年(2005)に日本百名城に選定されています。

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稲裹神社懸仏

稲裹神社懸仏
 群馬県吾妻郡中之条町に中之条町歴史と民俗の博物館 「ミュゼ」があります。
 四万温泉の奥に鎮座する稲裹(いなつつみ)神社の懸仏(かけぼとけ)が展示されています。鎌倉時代と室町時代の2面あり、中之条町の重要文化財に指定されています。青銅製で修験道と深い関係があるようです。

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旧吾妻第三小学校校舎

旧吾妻第三小学校校舎
 群馬県吾妻郡中之条町に中之条町歴史と民俗の博物館 「ミュゼ」があります。
  「ミュゼ」の本館は旧吾妻第三小学校校舎の建物です。明治18年(1885)に建てられた全国的にも数少ない擬洋風学校建築です。昭和53年(1978)に群馬県の重要文化財に指定されています。

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中之条町歴史と民俗の博物館 「ミュゼ」

中之条町歴史と民俗の博物館 「ミュゼ」
 群馬県吾妻郡中之条町に中之条町歴史と民俗の博物館 「ミュゼ」があります。
 「ミュゼ」は明治初期に建てられた旧吾妻第三小学校校舎を活用した博物館です。昭和57年(1982)に、中之条町歴史民俗資料館として開館し、平成23年(2011)に現在の名称に改称しています。
 四万・沢渡温泉郷がある中之条町は平成22年(2010)、中之条町と六合村が合併して新たな施政が始まりました。本館の常設展示室には、中之条町を中心とした原始・古代から近代・現代までの歴史・民俗資料が約6千点公開されています。
 本館2階の常設展示室には、原始時代の様子がわかる「原始資料」、古墳時代の墓制や市代牧などを紹介する「古代資料」、武士の起こりから中之条町の誕生までを解説する「中世資料」、そして沼田真田氏の藩政を中心とした「近世資料」で構成されています。


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真光寺洪鐘

真光寺洪鐘
 群馬県渋川市渋川に真光寺(しんこうじ)があります。
 真光寺の洪鐘は江戸時代初期の万治3年(1660年)に造られた梵鐘です。地元の金井五郎右衛門の作で上品な音色です。そのため第二次世界大戦での金属供出を免れました。昭和27年(1952)に群馬県の重要文化財に指定されています。


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得蓮大徳入定石

得蓮大徳入定石
 群馬県渋川市渋川に真光寺(しんこうじ)があります。
 真光寺に得蓮大徳入定石があります。僧・得蓮大徳(とくれんだいとく)が極楽往生と真光寺の繁栄を願い、観音堂と閻魔堂の間に穴を掘り、生きたまま棺桶に入り、地上に出した竹筒だけで生をつなぎ、宝暦10年(1760)に念仏を唱えながらら即身仏になったそうです。

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真光寺

真光寺
 群馬県渋川市渋川に真光寺(しんこうじ)があります。
 威徳山真光寺は天台宗の古刹です。あじさい寺として有名で、天台宗の関東五ヶ寺に数えられ、西国三十三ヵ所、坂東三十三ヵ所、秩父三十四ヵ所の観音像を安置し、北関東一の閻魔像を安置しています。
 慈覚大師円仁が平安時代初期に開山したと伝えられ、統治していた長尾家などに庇護され、長尾景仲は江ノ島の弁財天の分霊を勧請し信仰を広げました。その後、叡海法印により関東天台宗の渋川談義所となり繁栄しました。
 元亀2年(1572)、白井城が武田方の真田昌幸に攻められ落城しました。その兵火により多くの堂宇が焼失しました。翌年、武田信玄より安堵され、江戸時代には朱印地50石を安堵され、天台宗の関東五ヶ寺に名を連ねました。

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