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釜口水門

釜口水門
 諏訪湖には釜口水門があります。
 水の流出口は、釜口のみであり、ひとたび大雨が降れば、たいへん氾濫の起こりやすい構造になっています。このため古くから洪水対策に悩まされていたようです。
 諏訪湖の水があふれてしまうのを防ぐには、早く天竜川に流してしまうのが良策だと考えられてきました。このため、天竜川への流出口(釜口)を切り広げる工事が、江戸時代から行われてきました。

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諏訪湖

諏訪湖
 長野県諏訪市・下諏訪町・岡谷市にまたがって諏訪湖があります。
 諏訪湖は、海抜759m、周囲約16km、面積13。3平方km、水深約7mの長野県のほぼ中央に位置する同県最大の湖で、天竜川の源でもあります。わかさぎなどの淡水魚が豊富であり、武田信玄の石棺伝説など幾多のロマンを秘めています。
 諏訪湖では鯉(こい)や鮒(ふな)、公魚(わかさぎ)などの釣りも楽しめます。
 明治期にはここでスケートが発達。日本のスケート競技発祥の地となっています。
 冬の厳寒期には、氷がせり上がって長い亀裂の帯をつくる「御神渡(おみわたり)」という現象も生まれます。
  これは諏訪大社上社と下社の神様が出会うために渡ることだとされ、大切な神事のひとつにもなっています。
 諏訪湖は、宮川、砥川、横河川、上川など多くの川が流入しているのを見てもわかるように、かなり広い地域の雨水が集まります。

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サンリツ服部美術館

サンリツ服部美術館
 長野県諏訪市湖岸通りにサンリツ服部美術館があります。
 財団法人サンリツ美術館は、平成7年(1995)、諏訪湖畔にオープンしました。諏訪市のサンリツ企画(株)が所有する美術品と、元セイコーエプソン社長、故服部一郎氏が妻と娘に残した美術品の茶道具、古書画や西洋近代絵画等、約600点の作品を収蔵しています。
 展示品は日本・東洋の古代から近代に至る絵画・書蹟・工芸に、西洋近代絵画が加わっています。重要文化財の「大中臣能宣像」などの大和絵、俵屋宗達など琳派の秀作、中国宋元時代の水墨画、伝藤原行成筆「大字和漢朗詠集切」など素晴らしいものばかりです。
 他にも茶道具を中心とする国宝級の工芸品、兀庵晋寧、大燈国師の墨蹟、本阿弥光悦が娘に与えたと伝えられる「白楽茶碗」、古九谷大絵皿など。ルノワール、シャガール、デュフィ、ルオーなど西洋の有名絵画まであります。

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北澤美術館新館(SUWAガラスの里)

北澤美術館新館(SUWAガラスの里)
 長野県諏訪市大字豊田に北澤美術館新館があります。
 この美術館の新館はSUWAガラスの里ともいい、平成15年(2003)4月1日 「ルネ・ラリック美術館」から新たにオープンしました。世界最大級のアール・ヌーヴォー、アール・デコ・ガラス工芸公開コレクションが誕生したのです。
 ガラスアートの代表的な作家であるガレ、ドーム、ラリックの3大コレクションから、選び抜かれた作品が彩る美術館です。アール・ヌーヴォーの世界的ガラス・コレクションとして定評ある「北澤コレクション」に、アール・デコ期(20世紀初頭~中期)を代表する「ルネ・ラリック」のガラス作品450余点が展示されています。

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北澤美術館

北澤美術館
 長野県諏訪市湖岸通りに北澤美術館があります。
 この美術館は、アール・ヌーボーガラスコレクションと近代日本画を展示する諏訪地域を代表する美術館です。エミール・ガレ(1846-1904)の作品を主とする、アール・ヌーヴォー期のガラス工芸40点と現代日本画30点を常時展示しています。
 切妻の三角屋根にクリーム色のタイル外壁が山荘風の雰囲気を感じさせる建物です。展示室は1階と2階に分かれています。エントランスホールに面したブロンズの扉を押し開けると、オレンジ色の光を放つエミール・ガレの代表作「ひとよ茸ランプ」があります。照明を落とした暗がりの中に、作品だけがスポットライトの光に浮かび上がる展示手法をとっています。
 2階へ上がると明るく開放的な空間に現代日本画が並べられています。東山魁夷の代表作「白夜」・「曙」のほか、東山寧、高山辰雄、小倉遊亀、上村松篁、加山又造などの作品200点が収蔵、展示されています。

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霧ヶ峰自然保護センター

霧ヶ峰自然保護センター
 長野県諏訪市四賀霧ヶ峰に霧ヶ峰自然保護センターがあります。
 霧ヶ峰自然保護センターは霧ヶ峰高原の散策起点となるビーナスライン霧ヶ峰ICにあります。散策の前に立ち寄って事前に情報や知識を仕入れておくと、より深く霧ヶ峰を知ることができます。
 霧ヶ峰周辺の地質や動植物についての解説展示や、霧ヶ峰の魅力をわかりやすくまとめたビデオが用意されていて、自由に見ることができます。
 館内には北の美ヶ原から南の八ヶ岳連峰までの八ヶ岳中信高原国定公園の地形模型があります。霧ヶ峰高原の位置が一目で実感できます。
 「今咲いている花」パネルは、野外観察前の下調べや野外観察後の再確認のために大変参考になります。また定期的に自然観察会も行われていて霧ヶ峰の自然を体験できます。

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霧ヶ峰自然研究路

霧ヶ峰自然研究路
長野県諏訪市四賀霧ヶ峰に霧ヶ峰自然研究路があります。
 霧ヶ峰自然研究路は八ヶ岳中信高原国定公園の自然の仕組みや営みを歩きながら学べるコースです。1.4kmで1時間強で一周できます。レンゲツツジ・ニッコウキスゲ・マツムシソウ・リンドウなどが咲き乱れます。
 霧ヶ峰自然研究路付近はわすれじの丘とも呼ばれているところです。園地内に霧ヶ峰水神社の御柱が建てられていました。 諏訪の御柱と同じ時に御柱が行われるそうです。
 霧ヶ峰水神社と御神木が有りました。この辺は樹叢(じゅそう)と呼ばれる小さな林です。昔は水が流れていて土が流されて岩ばかりになってしまったところです。御神木の土もなく岩の上に張り付いています。
 第3園地付近までがススキの限界です。それより上はササしかありません。ススキはカヤ、オバナとも呼ばれかやぶき屋根の材料として古代から使われてきました。すくすく立つ木という意味だそうです。
 所々に大きな石があります。横に何本も入っている亀裂のような溝は溶岩が急激に冷やされたときに出る模様だそうです。

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霧ヶ峰高原

霧ヶ峰高原
長野県諏訪市四賀霧ヶ峰に霧ヶ峰高原(きりがみねこうげん)があります。
 霧ヶ峰高原は諏訪湖の北東にあり、車山を主峰とする溶岩台地です。八島ヶ原、踊場、車山の3つの高層湿原があり、霧ヶ峰湿原植物群落は国の天然記念物に指定されています。
 この高原は車山の噴火によって噴出した熔岩が広がって固まりできたもので、ニッコウキスゲやレンゲツツジ、マツムシソウなどの花が季節を追って見ることが出来ます。
 標高は1600mから1900mのところにあり、年間平均気温は 5.8℃で北海道と同じような気温です。そのため夏の7、8月は多くの花々が一斉に咲き乱れます。
 霧ヶ峰高原は1925mの主峰車山から1798mの鷲ヶ峰まで標高1500mから1900m、東西10kmに広がる壮大な高原です。
 
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片倉館

片倉館
 長野県諏訪市湖岸通りに片倉館(かたくらかん)があります。
 片倉館は昭和3年(1928)、シルクエンペラーと呼ばれた片倉財閥の2代目社長が  地域住民に厚生と社交の場を提供するため造られた施設です。 片倉家は諏訪湖のほとりで明治の初めに製糸業を起こし、シルク・エンペラーとして、世界に知られる一大コンツェルンを築きました。創業50周年の記念事業としてこの片倉館を建設しました。
 片倉家2代目の当主片倉兼太郎は欧米視察で地域に対する企業の社会貢献を学びました。特に健康福祉施設の充実に関心があり諏訪にもそのような施設をと、大浴場や休憩室、大広間などを造りました。
 庭園には一面に白砂を敷き、池の傍らには小動物も飼われました。建築デザインも当時の日本の最先端をいくものだったのです。
 片倉館で有名なものといえば男女別に作られた「千人風呂」の温泉です。とても大きくとても深い風呂で、下には、黒い丸い石がたくさん敷き詰められているのです。
 浴室内も洋風にできていて、総タイル張りで窓の上部にはステンドグラスがあり、四隅には彫刻の人物像が飾られています。平成23年(2011)、浴場、会館、渡廊下の3棟が国の重要文化財に指定されました。

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諏訪市原田泰治美術館

諏訪市原田泰治美術館
 長野県諏訪市渋崎に諏訪市原田泰治美術館があります。
 この美術館は、原田泰治氏の作品を展示する美術館です。原田氏は諏訪市出身の著名なグラフィックデザイナーであり画家です。平成10年(1998)7月、北アルプスの峰々を望む諏訪湖のほとりに開館しました。
 美術館は体の不自由な人にも親切な配置になっています。駐車場から入り口へはなだらかなスロープにしてあり、館内にエレベーターが設置されています。
 そして作品は車椅子の方のために少し低めに掛かっていて点字の表示もしてあります。
 名誉館長は原田さんの親友であるさだまさしさんだそうです。

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8代・諏訪忠恕墓

8代・諏訪忠恕墓
長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。
 8代・諏訪忠恕(ただみち)は忠粛の長男で文化13年(1816)に藩主になりました。松平定信の娘の烈姫を正室に迎えています。藩財政再建を目指し、検地や諏訪湖の治水工事、養蚕業奨励を実施しました。しかし凶作や江戸藩邸の焼失により藩財政は悪化、文政7年(1824)には高島藩で唯一といえる百姓一揆を引き起こされています。

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7代・諏訪忠粛墓

7代・諏訪忠粛墓
長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。
 7代・諏訪忠粛(ただかた)は忠厚の長男で、御家騒動の後を受けて天明元年(1781)に藩主となりました。灌漑用水の再編をして耕地開発したり、藩政改革を行いました。享和3年(1803)に藩校・長善館を創設、藩士子弟の養育や藩医を長崎留学させ蘭学を学ばせました。

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6代・諏訪忠厚墓

6代・諏訪忠厚墓
長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。
 6代・諏訪忠厚は忠林の四男で宝暦13年(1763)に父の隠居を受けて家督を継ぎました。藩政を家老に任せるようになり、二之丸諏訪家と三之丸千野家の両家老家が対立しました。跡目争いまでが絡んだ御家騒動(二之丸騒動)に発展したため、責任を取り隠居しました。

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5代・諏訪忠林墓

5代・諏訪忠林墓
長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。
 5代・諏訪忠林は分家の旗本、諏訪頼篤の二男で、忠虎の実子が早世したため、養子に迎えられ、享保16年(1731)に藩主となりました。生まれつき病弱で、藩政よりも学問にのめり込み、詩人としては秀でた人物でした。

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4代・諏訪忠虎墓

4代・諏訪忠虎墓
長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。
 4代諏訪忠虎は忠晴の三男で、元禄8年(1695)に藩主になりました。学問に優れ、学問好きであった将軍徳川綱吉の師事を受けました。郡中法度、家中法度を出したほか、郡内の林改を行いました。俳諧に秀で「闡幽」と号しました。

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3代・諏訪忠晴墓

3代・諏訪忠晴墓
長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。
 3代・諏訪忠晴(ただはる)は忠恒の長男です。明暦3年(1657)に藩主になりました。宗門改めの実施、知行制度の整備など藩の支配機構を整え、藩体制の確立に努めました。また文芸にも秀で、絵画を得意としたほか、「本朝武林小伝」などの著作があります。

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2代・諏訪忠恒仮御霊屋

2代・諏訪忠恒仮御霊屋
長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。
 2代藩主諏訪忠恒(ただつね)の仮御霊屋が平成20年(2008)に奥の中央に建てられています。内部にある墓標の戒名の刻字部分は金泥、標身(ひょうしん)の継ぎ目は漆喰で充填されています。寛文13年(1673)3代忠晴が忠恒の17回忌に御霊屋を建立し、老朽化のため復元に備え仮御霊屋になっています。
 忠恒は初代高島藩主・諏訪頼水の長男で、寛永17年(1640)に藩主になりました。大坂夏の陣に徳川方で出陣し、天王寺の戦いなどで奮戦しました。その功により、戦後5千石の加増を受けました。父・頼水の施策を受け継ぎ、干拓や新田開発を進め領内の生産力増大に努めました。

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高島藩主諏訪家墓所

高島藩主諏訪家墓所
長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。
 諏訪家の菩提寺は頼岳寺でしたが高島城から離れていたため、慶安2年(1649)、高島藩2代藩主・諏訪忠恒(ただつね)は、新たに温泉寺を創建し菩提寺としました。
 墓所には2代藩主・諏訪忠恒から、8代藩主・諏訪忠恕(ただみち)までの7代の藩主墓と、妻や子供の墓、家臣が奉納した石灯籠が建てられています。墓所は二段に分かれ、上段に藩主の墓と忠恒の御霊屋が建てられています。
 諏訪家は信濃国一宮諏訪大社の大祝(おおほうり)家の家柄です。中世以降は諏訪の領主として君臨しました。戦国時代、武田信玄の謀略により諏訪家惣領家は断絶し、諏訪頼重の血が入る武田勝頼が諏訪を継ぎました。信玄の後を継ぎましたが、武田は滅亡しました。後に惣領家のいとこ・諏訪頼忠が諏訪氏を復活させました。
 頼忠の長男・諏訪頼水(よりみず)は関ヶ原の戦いで功をあげ、慶長6年(1601)に諏訪の領地を復領、初代高島藩主となりました。その後、明治まで累代諏訪氏が藩主を続けました。この墓所は頼岳寺の初代藩主・諏訪頼水の墓所とともに平成29年(2017)に国の史跡に指定を受けました。

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温泉寺のシダレザクラ

温泉寺のシダレザクラ
 長野県諏訪市湯の脇に温泉寺(おんせんじ)があります。
 温泉寺のシダレザクラは推定樹齢が300年以上という古木です。高島藩2代藩主諏訪忠恒(ただつね)が大坂の陣後に持ち帰り植えたものといわれています。諏訪市の天然記念物に指定されています。

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和泉式部の墓

和泉式部の墓
 長野県諏訪市湯の脇に温泉寺(おんせんじ)があります。
 温泉寺の墓地の横の温泉寺シダレザクラの近くに五輪塔があります。これが和泉式部の墓と伝えられています。和泉式部は下諏訪宿の出身地という説があります。

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温泉寺経蔵

温泉寺経蔵
 長野県諏訪市湯の脇に温泉寺(おんせんじ)があります。
 温泉寺の経蔵は転輪蔵と呼ばれています。中には立川流初代・立川和四郎冨棟が造った八角八面の輪蔵があり、その中に黄檗板大蔵経が納められています。真心を込めてこれを一回転させると経文を読んだと同じ功徳があるとされています。

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温泉寺本堂

金剛寺
 長野県諏訪市湯の脇に温泉寺(おんせんじ)があります。
 温泉寺の本堂は明治3年(1870)の火災で焼失し、廃城となった高島城の能舞台を移築、改修して本堂に組み入れました。能舞台は高島藩8代・諏訪忠恕(ただみち)の時に造られたものです。本堂の能舞台遺構として諏訪市の有形文化財に指定されています。

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温泉寺山門

温泉寺山門
 長野県諏訪市湯の脇に温泉寺(おんせんじ)があります。
 温泉寺の山門(三門)は明治3年(1870)の火災で焼失しました。廃藩置県と廃城令により高島城が廃城となったので城門を移築、改修したものです。江戸時代の薬医門で、諏訪市の有形文化財に指定されています。

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温泉寺鉄塔

温泉寺鉄塔
 長野県諏訪市湯の脇に温泉寺(おんせんじ)があります。
 温泉寺の鉄塔は多宝塔の中に納められています。諏訪大社上社本宮の御神体だった塔で、明治時代初頭に発令された神仏分離令と廃仏毀釈により温泉寺に移されたものです。鉄塔といっても石造りの2mの石塔です。
 鉄塔は当初、弘法大師により建立されたと伝えられています。鉄塔が腐朽したため、源頼朝が再興し、さらに寛永8年(1631)に高島藩2代藩主・諏訪忠恒(ただつね)が石造に造り直したと伝えられています。昭和46年(1971)に諏訪市の有形文化財に指定されています。

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温泉寺梵鐘

温泉寺梵鐘
 長野県諏訪市湯の脇に温泉寺(おんせんじ)があります。
 温泉寺の梵鐘は伊那郡市田村(高森町)の安養寺の梵鐘で、永享2年(1430)に鋳造された古鐘です。天正10年(1582)に織田信忠が武田勝頼を攻めた時に陣鐘として安養寺から持ち出し、上之諏訪(神宮寺)まで引いてきて捨てていった鐘で、寺創建時に温泉寺の梵鐘としたそうです。昭和61年(1986)に県宝に指定され、鐘楼には別の鐘が架けられています。

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温泉寺

温泉寺
 長野県諏訪市湯の脇に温泉寺(おんせんじ)があります。
 臨江山温泉寺は臨済宗妙心寺派のお寺です。高島藩2代藩主・諏訪忠恒(ただつね)によって寛永17年(1640)、慈雲寺の泰嶺和尚を招聘して開山しました。諏訪家の菩提寺は長く永明寺でしたが、寛永8年(1631)、頼岳寺が創建されました。
 しかし頼岳寺が高島城から離れた場所にあったため温泉寺を菩提寺として創建したのでした。明治3年(1870)、火災により本堂など伽藍が焼失しました。高島城より能舞台と城門が移築され能舞台は本堂に、城門が山門に改修されています。
 温泉寺には長野県県宝の梵鐘をはじめ、諏訪市指定有形文化財の鉄塔、舎利塔、山門、本堂の能舞台遺構、高島藩主廟所などがあります。木造地蔵菩薩座像、一切経入経蔵、泰嶺和尚書軸、鏡板なども諏訪市指定文化財で、枝垂桜は市の天然記念物に指定されています。

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延命杉

延命杉
 長野県諏訪市茶臼山に手長神社はあります。
 手長神社の延命杉は樹齢500年の御神木です。
 「心平穏に天つ御空乃梢を仰ぎ
   三度深く息すれば
       生命延ぶといふな里」

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手長の森

手長の森
 長野県諏訪市茶臼山に手長神社はあります。
 手長神社の境内は神域だったため、大欅13本を中心に、スギ、サワラ、ヒノキ、イチョウ、コブシ、ウワミズザクラ、オオモミジなど30種、400本余りの樹木に覆われています。「手長の森」と呼ばれ平成元年(1989)に諏訪市の天然記念物に指定されています。

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手長神社末社弥栄神社

手長神社末社弥栄神社
 長野県諏訪市茶臼山に手長神社はあります。
 手長神社の末社の弥栄神社は銅板葺きの一間社流造りで、手長神社本殿であった社殿です。宝永6年(1709)に大隅流の伊藤庄左衛門が棟梁になり建てられています。昭和8年(1933)に本殿から弥栄神社になっています。弥栄神社は平成6年(1994)に諏訪市の有形文化財に指定されています。

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手長神社拝殿

手長神社拝殿
 長野県諏訪市茶臼山に手長神社はあります。
 手長神社の拝殿は天明8年(1788)に諏訪の大工・立川和四郎富棟が棟梁になり建てられています。間口2間、奥行1間、木造平屋建て、入母屋造り、平入、銅板葺きで、外壁は真壁造り板張りになっています。欅の木目を活かした重厚な建物です。
 正面には軒唐破風があり、細部に唐獅子、龍などの彫刻が施されています。また拝殿の左右には間口2間、奥行1間の片拝殿が付けられています。手長神社の拝殿は昭和59年(1984)に諏訪市の有形文化財に指定されています。

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