長谷寺本堂

奈良県桜井市初瀬に長谷寺(はせでら)があります。
長谷寺本堂は奈良時代の創建後、室町時代の天文5年(1536)までに7回も焼失したそうです。豊臣秀長の援助で天正16年(1588)に新しい堂が竣工しました。現存する本堂は徳川家光の寄進を得て、正保2年(1645)から工事に取り掛かり、5年後の慶安3年(1650)に落慶したものです。
本堂には、本尊十一面観世音菩薩が祀られています。正堂(しょうどう)と礼堂(らいどう)からなる双堂(ならびどう)といわれる形式で(相の間を挟んでいます)、本堂は間口7間25.9m、奥行4間27.1mと大きな建物です。単層、入母屋造りで本瓦葺き、正堂は一重裳階(もこし)が付いています。
相の間と礼堂は 清水寺本堂と同じ懸造(かけづくり)で、間口4間、奥行9間、単層、入母屋造り、妻入、本瓦葺きです。背面は正堂につながっていて、両側面には千鳥破風があり、正面は舞台になっています。平成16年(2004)に国宝に指定されています。
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長谷寺

奈良県桜井市初瀬に長谷寺(はせでら)があります。
長谷寺(はせでら)は、山号を豊山神楽院と称し、真言宗豊山派(ぶざんは)の総本山です。西国三十三箇所観音霊場の第8番札所で、日本でも有数の観音霊場として知られています。檀信徒は200万人といわれ、「花の御寺」として有名です。
寺伝によれば、天武朝の朱鳥元年(686)、道明上人が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立、続いて神亀4年(727)、徳道上人が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したといわれています。
長谷寺は平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集めました。万寿元年(1024)には藤原道長が参詣しています。また「枕草子」、「源氏物語」、「更級日記」など多くの古典文学にも登場しています。
長谷寺は東大寺(華厳宗)の末寺でしたが、正暦元年(990)頃に興福寺(法相宗)の末寺となりました。天正15年(1587)、豊臣秀長が特別の配慮を寄せ、空賢専誉(くうけんせんよ)を迎えました。
その事により、興教大師覚鑁(かくばん)によって興され頼瑜僧正により成道した新義真言宗の寺院となりました。明治33年(1900)真言宗豊山派として独立し、総本山となっています。
本堂以外の建物のほとんどは明治44年(1911)の大火災で焼失し、大正年間(1913-1926)に再建されました。寺宝類はきわめて多く、国宝、重要文化財を含め千点近くを所蔵しています。千仏多宝仏塔とも称する国宝の銅板法華説相図は法華経の見宝塔品(けんほうとうほん)で、釈迦が説法していたところ、地中から巨大な宝塔が出現した場面を表現したものです。法華経28巻、観普賢経1巻、無量義経3巻、阿弥陀経1巻、般若心経1巻の計34巻も国宝です。
建物では国宝の本堂のほか、仁王門、下登廊、繋屋、中登廊、蔵王堂、上登廊、三百余社、鐘楼、繋廊が国の重要文化財に指定されています。また長谷寺本坊では大講堂、大玄関及び庫裏、奥書院、小書院、護摩堂、唐門及び回廊、中雀門、土蔵など8件が国の重要文化財に指定されています。
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天皇神社本殿

奈良県天理市備前町に天皇神社(てんのうじんじゃ)があります。
天皇神社本殿は檜皮葺きの一間社春日造りの社殿で、室町中期の応永3年(1396)に建てられています。室町時代の特徴をよく残しています。殿内に薬師如来、大梵天、牛頭天皇、天満天神を奉安しています。本殿は大正4年(1915)に国宝になりましたが、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定し直されています。
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天皇神社

奈良県天理市備前町に天皇神社(てんのうじんじゃ)があります。
天皇神社は旧備前庄の鎮守社で、素戔嗚尊(すさのうのみこと)を祀っています。天皇とは牛頭天王を指しています。文永9年(1272)の創始と伝えられています。
天皇神社の本殿は周防国上野寺の住侶頼秀(じゅうりょよりひで)が諸国巡歴中、本社に参拝し、社殿の荒廃を悲しんで、応永3年(1396)に自らが願主となり、藤井一家の大工を催促して造立したもので、国の重要文化財に指定されています。
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崇神天皇陵

奈良県天理市柳本町に崇神天皇陵(すじんてんのうりょう)があります。
長岳寺のすぐ南に大和朝廷の祖ともいわれる崇神天皇の陵があります。行燈山(あんどんやま)古墳をはじめとする柳本古墳群の中にあります。崇神天皇陵は正式には山邊道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)といい、全長約240mの前方後円墳です。
崇神天皇は、「古事記」「日本書紀」に記される第10代天皇です。天皇陵としては最も古いものとされ、古墳の前方には天神山古墳や、アンド山古墳など、陪塚とみられる小さな前方後円墳もあります。
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長尾神社本殿

奈良県奈良市阪原町に長尾神社があります。
長尾神社の本殿は一間社春日造り、檜皮葺きで安土桃山時代(1573-1614)に建てられています。夜支布山口神社の摂社立盤神社の本殿と同じく、春日大社の第一殿を移築したもので、昭和30年(1955)に国の重要文化財に指定されています。
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長尾神社

奈良県奈良市阪原町に長尾神社があります。
長尾神社は南明寺の北800m付近の周囲を水田に囲まれた森の中に建てられています。この地方の氏神として崇敬されされ、祭神には饒速日尊命(にぎはやひのみこと)と神速日命(はやあきひのみこと)を祀り、庶民安楽と五穀豊饒を神徳としています。
悪病を退散させる守護神として名高く、人々が恐れる「ウルシ」の生木の箸で食べられたということから、今も神饌物に「ウルシ」の箸を添えてお供えをしています。正面には金春流の能舞台の原形を残している拝殿があり、その奥に国指定重要文化財の本殿があります。、
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夜支布山口神社摂社立磐神社本殿

夜支布山口神社の摂社である立磐(たていわ)神社本殿は神野宮大明神と呼ばれていました。享保12年(1727)に造り替えられた春日大社の第四殿を、延享4年(1747)に、ここに移したものです。檜皮葺きの一間社春日造りで、昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。
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夜支布山口神社摂社立磐神社本殿

奈良県奈良市大柳生町に夜支布山口神社(やぎうやまぐちじんじゃ)があります。
夜支布山口神社の摂社である立磐(たていわ)神社本殿は神野宮大明神と呼ばれていました。享保12年(1727)に造り替えられた春日大社の第四殿を、延享4年(1747)に、ここに移したものです。檜皮葺きの一間社春日造りで、昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。
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夜支布山口神社

奈良県奈良市大柳生町に夜支布山口神社(やぎうやまぐちじんじゃ)があります。
夜支布山口神社は大柳生の氏神で、平安時代の延喜式にもあらわれている古社です。嘉祥3年(850)に従五位下に叙せられ、貞観元年(859)には正五位上になり、「文徳実録」「三代実録」にも名が出てきます。
この神社には、一年交代で集落の長老の家に神様の分霊をむかえる「回り明神」という、行事があり、700年の伝統をもつ大柳生の太鼓踊りが奉納されます。摂社の立磐神社は、古くからこの地に鎮座し、巨石を御神体としてきましたが、のちに春日大社社殿を賜り国重文に指定されています。
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南明寺本堂

奈良県奈良市阪原町に南明寺(なんみょうじ)があります。
南明寺の本堂は鎌倉時代後期の建治から元弘年間(1275-1332)頃に建てられています。間口5間、奥行4間、単層、寄棟造り、本瓦葺きの建物です。力強く簡潔な様式を残しています。明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。
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南明寺

奈良県奈良市阪原町に南明寺(なんみょうじ)があります。
医王山南明寺は真言宗御室派のお寺で、奈良市の中心部から柳生の里へ通じる柳生街道沿いにあります。寺伝では敏達天皇4年(575)、百済の僧によってこの地に営まれた「槇山千坊」の一坊を移したと伝えられています。かつては多くの堂塔がある大寺であったようです。
本堂に安置されている本尊木造薬師如来坐像、木造釈迦如来坐像、木造釈迦如来坐像はいずれも国指定重要文化財で、一木造漆箔で、平安時代中期に造られています。本堂より古いもののため、他から移されたものと考えられています。
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八坂神社本殿

奈良県奈良市大慈仙町に八坂神社があります。
八坂神社本殿は春日大社若宮の社殿を移築したものといわれています。一間社流造り、厚板段葺きの社殿で、様式、手法から室町時代末期の建立とみられています。国の重要文化財に指定されています。
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八坂神社

奈良県奈良市大慈仙町に八坂神社があります。
八坂神社はかつては牛頭天王社と呼ばれ、祭神は素戔嗚命です。創建などは明らかではありませんが、昔、この地にあった大慈仙薬師寺の鎮守社であったといわれています。明治初年、ここに鎮座していた下の宮に上の宮(八柱神社)が合併しています。
社地は生け垣で囲まれ、正面中央に能舞台のような拝殿が建てられています。奥の一段高い境内に塀が廻り、その中に本殿と脇社が建てられています。右脇には八柱神社、稲荷神社があります。本殿は国指定重要文化財です。
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久米寺多宝塔

奈良県橿原市久米町に久米寺(くめでら)があります。
久米寺の多宝塔は栩葺きの、三間多宝塔です。万治2年(1659)に京都の仁和寺から移し、昔の多宝塔の旧跡に建てたもので、江戸前期の元和から万治年間(1615-1660)頃の建物です。初重四方の扉に護方八方天を描き、胎蔵界大日如来を祀っています。昭和51年(1976)に国の重要文化財に指定されています。
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久米寺

奈良県橿原市久米町に久米寺(くめでら)があります。
霊禅山久米寺は真言宗御室派の古刹で、正式には霊禅山東塔院久米寺と称します。久米仙人の伝説で知られています。推古天皇の勅願により、用明天皇の皇子・聖徳太子の弟である来目皇子(くめのおうじ)によって飛鳥時代の594年に建立されたといわれています。
創建のきっかけは、七歳の時に眼病を患った来目皇子が、この地で治癒祈願し全快した御礼だったとされ、本尊の薬師如来像にお願いすると眼病に霊験があるとされています。本堂には本尊薬師如来坐像を安置し、観音堂には久米仙人坐像が安置されています。
延暦年間(782-805)に久米寺を詣でた空海は塔の中で大日経を感得し、密教の妙機を知り、唐に渡って修行しました。帰国後、空海は真言宗を開いたので、この寺は真言宗発祥の地といわれています。多宝塔は国の重要文化財に指定されています。
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入鹿神社本殿

奈良県橿原市小綱町(しょうこちょう)に入鹿神社(いるかじんじゃ)があります。
入鹿神社の本殿は檜皮(ひわだ)葺きの一間社春日造りで、室町時代の風格がある江戸初期の頃の建物です。神舎は丸柱、柱上に三斗を組み、背面を除く頭貫桁間に中世風の面影を残す蟇股を置いています。蟇股(かえるまた)肘木(ひじき)の中に丹精に彩色された彫刻が施されています。昭和55年(1980)に橿原市の有形文化財として指定されています。
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入鹿神社

奈良県橿原市小綱町(しょうこちょう)に入鹿神社(いるかじんじゃ)があります。
入鹿神社は正蓮寺(しょうれんじ)の隣にあります。正蓮寺は明治の廃仏毀釈により廃絶することになった普賢寺を引き継いでいます。入鹿神社は普賢寺の鎮守社であったと伝えられています。日本で唯一、蘇我入鹿の木造坐像を神体としている神社です。
蘇我入鹿は逆臣説が日本史の通説となっていますが、飛鳥に南淵請安が開いた塾で中臣鎌足を除いて蘇我入鹿公の右に出る者はいないといわれたほど頭がよかったそうです。そのため学業成就の神として崇敬されているそうです。
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正蓮寺大日堂

正蓮寺大日堂は間口3間、奥行3間、単層、寄棟造り、本瓦葺きで、室町時代後期の文明10年(1478)に建てられています。前面1間を礼拝堂とし、後方2間の内陣後方よりに4本の柱に囲まれた厨子を設け本尊を安置しています。昭和18年(1943)に国の重要文化財に指定されています。
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正蓮寺

奈良県橿原市小綱町に正蓮寺(しょうれんじ)があります。
正蓮寺はもとは佛起山(ぶっきざん)普賢寺(ふげんじ)といわれていました。江戸時代末期に、普賢寺は今井を中心として南大和に勢力を張っていた浄土真宗に圧倒され衰退しました。明治の廃仏毀釈により普賢寺が廃絶することとなり、正蓮寺(しょうれんじ)に管理が引き継がれました。
昭和30年(1955)から1年半かけて解体修理が行われ、建立当時の姿に復元されました。本尊の大日如来坐像は、鎌倉時代の作で、木造漆箔、高さ1.34mです。大日堂の本堂とともに国の重要文化財に指定されています。
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柿本人麻呂碑文

奈良県橿原市地黄町に人磨神社(ひとまろじんじゃ)があります。
境内に人麻呂が詠んだ歌が刻まれています。
秋山の黄葉(もみじ)を茂み迷いぬる
妹(いも)をもとめむ
山道(やまぢ)知らずも
秋の山のもみじがあまりに茂っているので迷い入ってしまったいとしい女性を探し求める山道がわからないことだ
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人磨神社本殿

奈良県橿原市地黄町に人磨神社(ひとまろじんじゃ)があります。
人磨神社本殿は檜皮葺きの、一間社隅木入春日造りで、棟木銘から室町時代の康永4年(1345)に建てられています。蟇股や木鼻などの細部の意匠も優れ、昭和54年(1979)に国の重要文化財に指定されています。
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人磨神社

奈良県橿原市地黄町に人磨神社(ひとまろじんじゃ)があります。
人磨神社は葛城氏新庄町の柿本神社から分祀したと伝えられ、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)を祭神としています。万葉集の代表的歌人で、三十六歌仙の一人です。持統・文武両天皇に仕え、長歌の形式を完成するとともに、短歌も数多く残し、後世、歌聖として崇められました。
毎年5月4日夕刻に、人麿神社境内で子どもたちによる「すすつけ(すみつけ)」が行われます。江戸時代からの伝統行事で奈良県の無形民俗文化財に指定されています。無病息災を願って裸の子供たちがススをつけあう風習です。
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不動院本堂

奈良県大和高田市本郷町に不動院(ふどういん)があります。
不動院の本堂は間口5間、奥行4間、単層、寄棟造り、本瓦葺きで、正面に1間の向拝を付けています。棟木の墨書銘には文明15年(1483)、高田城主の當麻為長が大願主となって建立したことが記されています。大正14年(1925)に国の重要文化財に指定されています。
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不動院

奈良県大和高田市本郷町に不動院(ふどういん)があります。
不動院は聖徳太子が開いたと伝えられる真言宗御室派のお寺です。明治6年(1873)に廃寺となるまでは証菩提寺(しょうぼだいじ)と称していました。大正11年(1922)に吉野郡野迫川村にあった不動院の寺号を譲り受けました。
本堂は高田城主の當麻為長(とうまためなが)が大願主となって建立したもので、国の重要文化財に指定されています。本尊は金剛界大日如来坐像で、鎌倉時代に彫られた秀作です。
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瑞花院本堂

瑞花院の本堂は間口5間、奥行5間、単層、寄棟造り、本瓦葺きで、正面に1間の向拝が付けられています。棟木(むなぎ)銘から、室町時代中期の嘉吉3年(1443)に建てられています。大和南盆地の地域で同時代の酷似した建造物の中で最も規模が大きく、細部装飾も豊かなものとして、明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。
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瑞花院

奈良県橿原市飯高町(ひだかちょう)に瑞花院(ずいげいん)があります。
瑞花院は正式には祐禅山瑞華院吉楽寺(きちらくじ)と号します。興福寺十六人衆の一人、飯高氏の菩提寺といわれています。寺伝によると室町中期の嘉吉3年(1443)に在原鬼若丸が再建したと伝えられています。
瑞花院は始めは真言宗でしたが、江戸時代の中ごろに浄土宗に改宗しています。瑞花院本堂は正蓮寺大日堂と同じく中世密教の形式を備えた堂宇で国の重要文化財に指定されています。
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日本清酒発祥の地

奈良県奈良市菩提山町(ぼだいせんちょう)に正暦寺(しょうりゃくじ)があります。
正暦寺には日本清酒発祥の地という石碑が建てられています。16世紀末に正暦寺で蒸米とこうじの両方に精白米を使った酒造りを初めて行いました。菩提泉(ぼたいせん)〉という名で世に出て瞬く間に広がりました。菩提泉は乳酸発酵を利用した菩提もと(ぼだいもと)という酒母製造法を開発、その技法はのちの生もと(きもと)のなかに受け継がれました。(もとの漢字は酉へんに元)
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