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金地院

金地院
 京都府京都市左京区南禅寺福地町に金地院があります。
 南禅寺の塔頭である金地院は臨済宗南禅寺派のお寺です。元は南禅寺68世大業徳基(だいごうとくき)和尚が、室町幕府4代将軍足利義持の帰依を受け、応永年間(1394-1428)に北山の鷹ヶ峰に創建しました。 金地院の3世となったのは以心崇伝(いしんすうでん)和尚です。
 崇伝は足利氏の家臣・一色秀勝の第二子でした。織田信長により足利義昭が将軍職を追放されたため、南禅寺に引き取られ、玄圃霊三の弟子となり建長寺や南禅寺の住職になり、臨済宗の最高位についた人です。
 崇伝は、慶長10年(1605)、金地院を南禅寺の三門の南西に位置する現在地に移し、復興させました。慶長13年(1608)、崇伝は徳川家康の信任を得て駿府に赴き、外交事務の担当をするようになります。秀忠、家光にも使え、天海僧正とともに江戸幕府の基礎を確立し、黒衣の宰相ともいわれました。
 崇伝は家康没後の元和5年(1619)に「天下僧録司」に任ぜられました。京都、鎌倉五山を頂点とする臨済宗寺院の住職の任命や統制を任されたのです。これ以降、金地院の歴代の住職は明治維新に至るまで僧録司の地位を継承しました。
 崇伝は寛永3年(1626)、後水尾天皇より「円照本光国師」を賜わり、翌年、金地院の大改築に着手し、現在の寺観を整えました。寛永5年(1628)には、家康の遺髪と念持仏を祀って東照宮も造営しました。幕府から、寺領1900石、10万石の大名の待遇を与えら「寺大名」ともいわれました。
 崇伝は慶長19年(1614)の大坂の陣の発端にもなった方広寺の鐘銘事件にも関与しています。刻まれている「国家安康」「君臣豊楽」は、「家康の名を引き裂き」、「豊臣を主君として楽しむ」ととれると換言しました。その結果、豊臣家は滅亡しました。
 家康の遺言で建てられた東照宮は国の重要文化財です。金地院の方丈(本堂)は、伏見城の遺構と伝えられ、方丈裏の茶屋・八窓席は小堀遠州の作で、ともに国の重要文化財です。方丈の前に広がる庭園も小堀遠州によって作庭されたもので国の特別名勝に指定されています。

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