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清水寺

清水寺
 京都府京都市東山区清水に清水寺があります。
 音羽山清水寺は南都6宗の1つ法相宗の中の北法相(きたほっそう)宗の総本山です。広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ古刹です。また石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場で、西国33所観音霊場第16番札所でもあります。
 奈良時代の末、宝亀9年(778)大和の子島寺の延鎮上人が音羽の滝の行叡居士(ぎょうえいこじ)に逢い、霊木を授けられ観音像を彫造して、滝上の草庵に祀ったのが始まりといわれています。宝亀11年(780)、鹿を追って音羽山に入った坂上田村麻呂が、修行中の延鎮上人に出会いました。
 田村麻呂は妻の病気を治すため、薬になる鹿の生き血を求めたのですが、殺生の罪を説かれ、滝の清水と上人の観音信仰に導かれて自邸を本堂として寄進しました。後に征夷大将軍となり、東国の蝦夷平定をなし、延暦17年(798)、延鎮上人とともに本堂を建立、十一面千手観音を安置しました。
 延暦24年(805)には太政官符により田村麻呂は寺地を賜り、弘仁元年(810)には嵯峨天皇から「北観音寺」の寺号を賜り、国家鎮護の道場になっています。承和14年(847)には三重塔が建立されています。地震や火災で焼失しましたが、嘉保元年(1094)に復興し、一切経堂も建立されます。
 清水寺の伽藍は康平6年(1063)の火災以来、寛永6年(1629)の火災まで、記録に残るだけで9回の焼失再建を繰り返しています。現在の建物の多くは、寛永8年(1631)から寛永10年(1633)の間に、徳川家光の寄進によって再建されたものです。
 平安時代以来長らく興福寺の支配下にあったことから、興福寺と延暦寺の「南都北嶺」の争いに巻き込まれ、永万元年(1165)には延暦寺の僧兵の乱入によって堂宇が焼亡しました。文明元年(1469)には応仁の乱の兵火で焼失し、再建のために時宗僧の勧進聖・願阿弥が迎えられています。
 豊臣秀吉は清水寺に130石の寺領を安堵し、徳川幕府になってもこの寺領が継承されました。幕末には清水寺の住職で歌人の月照と弟信海が幕末勤王僧として活躍しました。月照は西郷隆盛とともに薩摩に逃れ、入水自殺したことは有名です。
 清水寺の本堂、清水寺境内地は国宝に指定され、仁王門、田村堂、馬駐、西門、三重塔、鐘楼、経堂、朝倉堂、鎮守堂(春日社)、本坊北総門、轟門、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院、子安塔が重要文化財に指定されています。また「古都京都の文化財」として世界遺産にも登録されています。

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