倉敷美観地区

岡山県倉敷市中央1に倉敷美観地区があります。
倉敷市の美観地区は、白壁と堀割の町並み、倉敷川の両岸に柳並木の続く趣豊かな町として全国に知られています。掘割に浮かぶ小舟や揺らぐ川面、悠々と泳ぐ鯉、懐かしい風景がここにはあるのです。
倉敷は備中松山城の玄関港として、備中国内の天領から米や物資が集積して発展した町です。町割りは江戸時代の名残をとどめています。
倉敷川沿いに土蔵が並ぶ一帯は昭和20年代から町並みの保存と修復が唱えられた町並み保存の先駆的な場所です。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、倉敷美観地区と呼ばれています。川沿いに柳並木が続き、なまこ壁の土蔵群や本瓦葺きの町家が並ぶ観光の中心地となっています。
倉敷で商いをつかさどっていたのは村役人や地主といった土地の権力者で「古禄 (ころく)商人」と呼ばれる人々でした。政・財を掌握し、富と繁栄を謳歌していました。
江戸時代半ばを過ぎ、これに対抗する新たな勢力が台頭してきます。綿や干鰯(ほしか)の仲買で財をなし、倉敷に移住してきた「新禄(しんろく)商人」です。
新禄派と古禄派はしばしば衝突し、寛政2年(1790)訴訟になり、新禄派が勝ちました。村役人の罷免と選挙制の導入を果たし、農村部の地位向上に大きく貢献したのです。
現在美観地区に並ぶ蔵屋敷のほとんどは新禄派の家です。大原家の祖先「児島屋」もまた新禄派の商人だったのです。
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