科野大宮社

長野県上田市常田に科野大宮社(しなのおおみやしゃ)があります。
科野大宮社は延喜式以前からこの地にある古い神社です。地元の人からはおおみやさんと親しみを込めて呼ばれています。
崇神天皇の御代、建五百建命を科野国(信濃国)の国造に任命しました。上田に国府を置き、国魂の神である科野大宮社を創祀して住民の安全を祈願したのです。信濃国総社でもあったようです。
天慶元年(938)、平将門の乱が起こりました。平定するために送られた平貞盛の軍と戦になりました。国分寺と千曲常田河原が戦場になり、信濃国分寺諸堂と科野大宮社の社殿楼門神庫は焼失してしまいました。付近の民家数百戸も焼け出されたそうです。
天正13年(1585)、徳川家康は鳥居元忠、大久保忠世らを将とし、信濃・甲斐などの軍勢もあわせ総勢7千の大軍を真田昌幸の居城上田城攻撃に向かわせました。これが第一次上田合戦です。
この時期、家康は羽柴秀吉と対立していました。天正12年(1584)に小牧・長久手の戦いがあり北条氏と講和する必要がありました。その講和の文書の中に、真田昌幸が治めていた沼田を北条に渡すという一項がありました。
この時点まで、昌幸は徳川に臣従していましたが、「沼田は弓矢に問うて切り取った土地 徳川殿からの頂戴した土地ではない」と沼田の引渡しを拒絶し、敵対したのでした。そのため徳川は上田を攻撃することになったのです。
昌幸は徳川軍を城下に入れ、町屋に火を放ちました。折からの風にあおられ、火は徳川軍を襲いました。随所に設けた柵で動きが取れない大軍に一斉に鉄砲が撃たれました。徳川軍は総崩れとなり撤退することになったのです。この一帯はその戦いの激戦地になり再び焼失したのです。
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