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広峯神社

広峯神社
 広峯神社(廣峯神社)は姫路市の北方、海抜311mの広峰山山頂にあります。天平5年(733)、中国から帰国した吉備真備(きびのまきび)が都へ向かう途中、白幣山に登臨して牛頭(ごず)天王の神威を感じ、聖武天皇の勅を得て、翌年の天平6年(734)に大社殿を造営したそうです。
 主祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。 この神は星の運行を司り、祇園精舎の守り神である牛頭天王の化身で、日本の暦を司る神であったようです。播州の守護神として崇敬され、古くは、大鳥居が瀬戸内海に浮かんでいたとも伝えられています。
 貞観11年(869)に平安京の祇園観慶寺感神院(現在の八坂神社)に牛頭天王(素戔嗚尊)を分霊したという説から、京都八坂神社と現在でも本社、分社の争いが続いています。天禄3年(972)には現在地の広峰山頂に遷座し、牛頭信仰祇園信仰の総本宮として繁栄しました。
 最盛期には75の社家を持つ大社となりました。筆頭の廣峯氏は社務職を代々世襲し、鎌倉幕府の御家人・地頭を兼ね繁栄しました。湊川の戦いにも北朝側に味方して出陣したそうです。室町時代には赤松氏配下の有力国人になりました。
 江戸時代、幕府から安堵されたのは72石でしたが、広峰信仰によって広範囲にわたる多数の信徒の支えがあり、繁栄を維持しました。御師(おし)は檀那をまわって3種類の神符(おふだ)を配りました。家の神棚に祀るもの、苗代に立てるもの、田の水口に立てるものでした。それで御初穂料を得ていたのです。
 黒田官兵衛の祖父の重隆は御師が配る神符とともに黒田家秘伝の目薬を売り、富を築き、各地の情報を得て、黒田家発展の基礎を築きました。そして御着城を中心に西播磨で大きな勢力を持っていた小寺家に仕え、姫路城の城代になったのです。
 広峯神社の本殿と拝殿は国の重要文化財に指定されています。境内にある宝篋印塔も国指定重要文化財です。摂社、末社として、西の白幣山には吉備神社、荒神社、本殿周辺に熊野権現社、稲荷社、天神社、冠者殿社、大鬼社、庚申社、山王権現社、蛭子社、軍殿八幡社、地養社があり、昔の繁栄が偲ばれます。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


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